戦前でも「植民地」と言う言葉を使ってはいたんだけどね。
でも、欧米の「植民地」は収奪する事によって宗主国の経済発展しか考えてなかったけど、日本の場合は「植民地」は内地と一体の物で、産業を振興する事で全体を発展させようとしてた。
「植民地」と言う言葉に対する「欧米的なイメージだけ」を見て殊更に悪く言う朝鮮人とか、多分頭が悪いんだわ。
「実態的に何が行われていたのか」を見ようとしない。
まあ、「信じたい物だけを信じる人達」なのでな・・・>>1
不平等条約は植民地の第一歩でした。そのまま不公平関税で交易を続けていくと、一方的に貿易赤字になり借金のかたに港湾を取られるパターンでしたが、約50年耐えて不平等条約を改正。下手をすると(しなくても)危ないところでした。
日清、日露で負けていたらどうなったでしょう。
戊辰戦争で幕府がフランスから戦費の融資の打診を受けていました。莫大な借金の後に内戦、混乱して横浜、神戸、長崎、函館などの港はとられていたかも知れませんね。対外貿易候港を取られると一方的に富の収奪のサイクルが止まらなかったでしょう。
植民地になるチャンスはいっぱいありました。特に日露戦争は世界史的に見ても奇跡としか言えません。侍は強かった、本当に強かった。同じ島国のフィリピンは植民地にされたのに、なぜ日本は植民地にされなかったか。
それは日本が戦国時代末期には、世界最大の銃保有国だったからだ。
植民地にしようにも、一般市民の農民にまで銃で抵抗されることを恐れて、最後まで植民地にされることはなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A7%E3%81%AE%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83%E5%8F%B2>>177
戦国末期は世界最強だろ。
スペイン、ポルトガルの宣教師や信者達を皆殺しにして、一言も
何も言われないんだから。
渡海作戦まで見せ付けられて、東南アジアにいたヨーロッパ人は息も出来ない位恐怖していたんではないか。秀吉の朝鮮での作戦は1回目は、威力偵察でオランカイまで行ってる。2回目は本格的な城を半島南部に造っている。全羅道では順天、慶尚道の蔚山、釜山、梁山、金海、昌源、巨済、泗川などに今でも倭城の跡が残っている。仮に造られたような物ではなく、石垣を巡らせた本格的な恒久建築であり、秀吉軍の作戦を裏付ける。1回目の渡海で、明軍がわざわざ半島まで出向いてくれることが分かったので、それを誘い出し、半島南部において一気に殲滅する作戦をとった。秀吉の寿命があと5年か10年あれば、明まで行ったのは間違いない。
行ってどうなったかは分からない。これは中国征服を企んでいたスペイン王への当て付けになったのは、間違いない。こういった経緯があるので日本人は無敵艦隊のことを知らない。何それ?という感じである。朝鮮半島にヨーロッパ人が近づかなかったのは、心臓がドキドキして近づけなかったからである。恐ろしかったのである。悪だくみをしている奴等は本来臆病である。日本からは自然と足が遠のいたのであって、それは考えるとガクガク膝が震えてしまったからである。현재 일본은 미국의 식민지입니다.
미국의 눈치 때문에 자위대 운용하는 것이 현실>>188
맞습니다. 한국과 일본은 미국의 충실한 개.
북한은 광견병에 걸린 상태입니다.>>187
植民地化するのは正当な理由があったから植民地化したのだよ。日本が欧米に植民地にされなかったのは、運と実力の両面があったからでしょうよ。
ヨーロッパから一番遠かったので、彼らの手が日本に届くまでに
時間がかかり、途中のアヘン戦争などの情報を事前に得られたのが運。
一方、西欧人が日本を訪れた時点でそれほど文明としての実力には
差はなかったと思われる。たまたま幕府が大型船の開発に制限を掛けてたり、
平和な時期が長かったので武器や動力面で発展は止まっていたが、
短期間で西洋文明に追いついたのは、もともと日本人の地力があったから。
ただ、日本の政権が大きく揺らいだときに、致命的な展開がなかったのは、
運というか実力というか。各藩が西洋の力を借りての、国内動乱がもっと
長く続いてたら西洋人に国内を荒らされて植民地化されていたかもしれない。>>200
私の主張は世界的な視野から見て正しいが、チョツパリは私の主張を部族的な価値観で判断するから正しく見えないのだよw>>203
だめだ。わからん。
あんたは他人に分かってもらおうという配慮がなさすぎだよ。>>204
君の言うように日本が中国の失敗を学べたのは大きい。
日本人の努力と言えば努力でもあるけど、やっぱり地理的な運だよね。
ハリスのアヘン禁止は知りませんでした。勉強になります。>>194
それも正確には 建国記念「の」日
日本の建国日がいつかなんて誰もわからないから建国記念日ではない>>154
植民地なのに
人口が二倍に増えて、
教育制度も整備され、
インフラも産業も近代化され、
借金苦だったのに国の借金もなくなり、
植民地終了後には「地上の楽園」と自慢できるほど工場設備が整って経済的発展ができるなら、そんな植民地も悪くない。>>195
人間の実力なんて環境が整えばどこも大して変わらないと思うけど、
日本人を支えたのは独特で変な倫理や道徳だよ。
日本人にお金をあげると侮辱になるとか、幕末から明治にかけて日本に来た外国人が、日本人とお金に関することを数多く記している。
幕末に武器商人として知られたトーマス・グラバーはその日記に、数多くの取引をしたがどこの藩のサムライもお金に関してとても綺麗だったと、特別に記すとして残しているし、トロイの遺跡の発掘で有名なシュリーマンは、日本人にお金をあげるのは侮辱になる、お礼であっても同様であると書いている。誰か忘れたが、宿屋でお金や時計を預けて実験のようにして記した人もいた。
もちろん運もあるが、一番は、世界的に見るととっても変な倫理や道徳だな。>>213
「環境が整えば」
徳川泰平260年は地理的要因が大きい。>>1
日本人は優秀民族だから近代国家だった。
朝鮮人は劣等民族だから未開国家だった。>>218
私はそんな話に興味がない。
スレタイ通り、なぜ日本が植民地にならなかったのか説明してるだけである。>>213
ソースは面倒なので探さないけど
西欧人が日本に技術を教えたところ、飲み込みが早かったり日本の方がむしろ進んでたりで
驚いたとかいう話がそこそこ出てくる。それが当時の日本人にも十分地力があったとする根拠。
まあ、日本人が書いてる歴史書だったりすると眉唾かもしれないから信じるかどうかは
お任せだけどね。
「日本人を支えたのは独特で変な倫理や道徳」っていうのは同意。
それによって西欧人に日本人が文明人であると認めさせたのは大きい。西欧が日本侵略に関心がなかったってのは嘘。侵略意図は有ったができなかっただけ。
・そもそもコロンブスのアメリカ大陸発見航海の本当の目的は、西回りでジパングを探して侵略し、金銀財宝を西欧にもたらす事であって、その途中に偶然アメリカ大陸を発見したもの。最初に発見したカリブ海のサンサルバドル島に着いて、最初に捜したのはジパング島と黄金。ジパング島は見つからなかったが、金鉱での過酷な奴隷労働や伝染病でサンサルバドル島の原住民は全滅した。
侵略のターゲットは日本だったのだ。
・東回りで日本に来たポルトガルは、最初に火縄銃を2丁2千両(現在価値2億円)で売りつけた。後年再度ポルトガルが来日したら、日本製の鉄砲が日本国中に普及していて戦国時代には50万丁を越え、既に全欧州の鉄砲数よりも多かった。そのため日本侵略をあきらめかけていたところ、「天草の乱」の失敗後ポルトガル人が日本国外追放されたので、日本のポルトガル植民地化は完全に夢と消えた。
・ポルトガルより遅れて着いたスペインはイエズス会などの宣教師を送り込んで侵略拠点を作ろうと、布教のかたわら技術協力名目で金銀鉱山に入り込みその場所を把握し、奥州金山の入り口である気仙沼湾などの測量など侵略の準備をしていたが、過酷なキリスト教禁教と迫害でスペイン人の拠点をことごとく潰され、鎖国により日本への関与ができなくなった。
・こういう状況下でオランダは、日本の植民地化よりも日本との交易によって稼ぐ方針だったので、他国の侵略情報や日本への接近などを幕府に情報提供とアドバイスをしたが、オランダ商館ではオランダ人を装って各種西洋人が日本情報を収集していた。
(続く)>>221
・幕末には、英国、フランス、ロシア、アメリカも含め日本への関心が高まって、結局アメリカにより開国させられたが、国際レートと比較して日本国内の金銀交換レートが極端な金安銀高だったので、ハリス公使をはじめ各国は日本でメキシコ銀貨により日本金を買い、海外でこの日本金によりメキシコ銀貨に交換し、日本でこの銀貨により日本金に交換するというループを繰り返すことで莫大な財産を作った。
・この交換レートは一年だけの移行措置だったが、これにより日本の経済はガタガタになり、幕府は崩壊した。この内戦に武器を供給した英仏は日本人同士を戦わせて最後に壊滅した日本で主導権を握るべく凝視していたが、首都である京都も政治中枢であった江戸も天皇制という大枠も崩壊せず、ただ内閣にあたる幕府が壊れて新政府が生まれたという事で終わり、英仏が主導権を握るスキがなかった。
・1868年明治維新後も日本は近代化の速度を上げ、1895年日清戦争勝利、1905年日露戦争勝利、1918年第一次大戦勝利、1920年国連常任理事国と、わずか50年で世界を指導する強国と変化していき、植民地化のために西欧が手を出す隙も与えなかったといえる。日本人はお金とか利益に特に厳格だった。
徳川幕府は、最後滅びる時にもフランスからの融資を断った。
その融資を受ければ十分にもう一度戦えるだけの戦費になったが、自ら滅びる道を選んだ。そんなことが他の世界にあるかいな。
その幕府が滅んで、明治新政府が発足して37年目に、ロシアとの戦争があった。
当時のロシアは世界最大の陸軍と、世界第2位の海軍を持っていた、文字通り最強と言っていい相手だ。新生日本にとても勝ち目があるとは世界中の誰も思っていなかったといって過言ではない。日清戦争が終わって、対ロシアとの闘いが想定されると、どうしても海軍の幹部連中の無能が問題となった。無能と言っても、新政府の発足当時の創設メンバーだからであって、教育を受けずにその職に就いたので、新しい海軍知識などはどうしても無かった。その人達にやめて貰わなければならなかったが、当然そういうことは難しい。フランス革命など見ても革命後の泥沼は、結局、誰が何処のとか、俺の利益をとかの、権力と利権の争いである。結局、日本の海軍創設メンバーの幹部は納得して全員辞めた。自分の利益より国家の利益を選んだ。それが無かったら戦争になっていなかった。もちろん、軍艦も揃えた。貧乏なのによく揃えたといえるが、日本以外では絶対に不可能な話しだ。国の予算が1円の狂い無く軍艦に投じられた。いよいよ、日本海海戦 (Battle of Tsushima)が始まる時、波を蹴って戦場に向かう旗艦三笠のマストに、Z旗が掲げられた。
「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=P5ze4-iFEL4
日本はなぜ欧米に植民地化されなかったのか?
224
ツイートLINEお気に入り
19215