大戦当時の日本人は一億人もいなかった。
開戦直前の1940年の段階で、日本の人口は約7,300万人である。
これを、大雑把すぎる四捨五入を行って「一億」と言ってしまったのだろうか。
そうではない。戦争時のスローガンの「一億」は、当時日本の植民地だった朝鮮と台湾の人口をも含めて言っていたのだ。
植民地の人々は、頼んでもいないのに勝手に入れられ、「一億特攻せよ」と脅されたあげく、戦争に敗けると「一億総懺悔」だと謝罪までさせられたわけだ。
では、日本人と同じだとして「一億」の中に入れていた朝鮮人を、戦時中の日本人はどのように扱っていたのだろうか。その一例を水木しげる氏が目撃し、「村の朝鮮人」という漫画で描いている。
水木しげる氏の村に住んでいた朝鮮人たちは、正規の職業につけないため「働き者ではあったが常に貧乏し、そのうえ日本人にバカにされていた」。水木しげる氏の近所にいた朝鮮人は仕立屋として懸命に働いていたが、戦時中、「洋服生地のヤミ取引をした」として警察に引っぱられたまま帰って来ず、残された妻は四人の子供を育てるため、働き始めたが食べていけるだけの賃金は与えられなかったのだろう。
その結果、妻が働いている間に借金取りが家の畳まで持っていき、子供は下の子から順番に死んでいったという。
助けようとする日本人はいなかった。
都合のいい時は「日本人」として扱い、しかし決して平等には待遇せず、敗戦で都合が悪くなると一転して国籍を奪って「外国人」にし、その国籍がないことを理由にあらゆる社会的サービスから排除してきたのがこの日本という国である。その上今や、何も知らない人が「在日特権」があるなどと言って非難罵倒する。
恥ずべきとしか言いようがない。
水木しげる 「村の朝鮮人」 潮 1971年9月号
http://vergil.hateblo.jp/entry/2015/10/25/080756
水木しげる氏が目撃した朝鮮人差別
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