百済は日本では「くだら」と読みますが、韓国では「ペクチェ」と読みます。日本では通常、漢字の音読みで「ひゃくせい」と読むべきだと思いますが、なぜ「くだら」と読むのでしょうか?
もし、「くだら」が本来の百済語読みなのであれば、なぜ韓国人は「ペクチェ」という感漢字の韓国語読みをしているのでしょうか?むしろ、韓国人が百済の子孫なのであれば、「くだら」と発音すべきだと思います。
皆様はどう思いますか?
さらに言えば、新羅(シラギ)は韓国語読みで「シルラ」ですが、通常の韓国語の漢字読みの「シンナ」とは言わないですよね〜。
高句麗(こうくり)の韓国語読み「コグリョ」は明らかに百済と同じく漢字の韓国語読みです。고대 한반도에서 쓰이던 언어를 현대인들이 알 수 있는 방법이 없다.
하다 못해 고려 시대때도 지금과 한자 음독이 다를 수도 있다.
지금 한국인들이 부르는 발음은, 고문헌에 적힌 한자로 적힌 그 단어를 현대의 한국 발음으로 부르는 것이다.
한편, 한가지 학설로는 현재 충청남도에 위치한 곳에는 Ku-du-rae 라는 지명이 있는데, 이곳은 과거 백제의 수도였던 泗沘城의 항구 역할을 햇던 곳이라고 한다.
몇몇 한국 학자들은 이 지명이 일본에서 백제를 지칭하는 くだら라는 단어와 유사성이 있다고 추정하고 있다.百済は日本でも元は「kutara」だったのが後世に「kudara」ではなくだった。
つまり、韓国では口での伝承がされて来なかったということですか?
新羅は伝承されているのに?訂正
百済は日本でも元は「kutara」だったのが後世に「kudara」に変化したし。
現行朝鮮語は新羅語を元にした子音の終端を許す閉音節の言語だろうから、子音の終端を許さない開音節の言語と比定される百済語や高句麗語とはそもそも発音体系が違うので、そこに優劣を持ち込んでも意味はない。>>5
なるほど。
つまりは、ある時代に一定の法則にそって使い分けがされているということですね。
でも、歴史学者はいつの時代もいるはずですが、広開土王碑には百残と書かれているようです。これも今まで「ペクチェ」と読んできたのでしょうか?한반도 남부는 일본의 역사
백제, 신라, 가야 모두 일본의 조상古代の朝鮮民族の国名には
百済(Kudara)、加羅(Kara)、済州島の耽羅(Tanra)のように国名の末尾に「ら(Ra)」が付いている
新羅(Siragi)も本来は「Sinra」であったが
日本の属国だったのに裏切った卑怯な国として
敵という意味の「ぎ(Gi)」を付けて「しんらぎ(Sinragi)」と呼んでいたものが
「しらぎ(Siragi)」と変化したと思われる
現在の朝鮮語で国のことを「なら(NaRa)」というのと関係があると思われる
高句麗(Koukuri)に「ら(Ra)」が付かないのは朝鮮民族が建国した国ではないからだろう
ところで百済をなぜ日本では「Kudara」と呼ぶのかだが、
中国から馬韓と呼ばれていた地域の一つの地域が馬韓を統一し国の体裁を整えて
「百済(Pekuche,Hyakusai)」という国名を名乗った
馬韓を統一する前のひとつの集落だった時代、その地域は自分たちの地域のことを
国だという意味合いで「ら(Ra)」を付けて「くだら(Kudara)」と自称していたのだろう
倭国はその時代からその地域のことを知っていて「くだら(Kudara)」と呼んでいた
そのため馬韓を統一した百済が国名を「百済(Pekuche,Hyakusai)」と変えても
倭国では百済(Kudara)と呼び続けたのだろうと考えるつまり、韓国では古くから「ペクチェ」と読んできた可能性が高いということですね。
地名や国名は間違えようがなく時代変化しても複数が残るもの。1000年くらいなら普通に残るもの、半島にKudara人がいて自分達でKudaraと発音していたことは考えられるね。そして後にBaekje人が入る。人口は少ないし人の変化もあるもの。
>>12
確かにそうですね。
もう少し、韓国人は自らの文化を大切にすべきですね。そうして自信を持てるようになれば、日本への酷い攻撃もやわらくでしょうね。百済が居ないから→くだらない。は間違い!
>>1
ローマ字を読めばバエクジェだね。ペッ様も正しくはバエヨンジュングだし。
パクも朴ならパーク、白ならパク。横文字で書いて有る通りに読むべき。毛唐がそう読んでも朝鮮人は文句を言わない。そもそも、地名というものは言語学見地から見て、言語の墓場というぐらい変わらないものなのだよ。
現代の日本でも奈良時代から続いている地名なんてゴロゴロある。
織田信長が美濃を岐阜と変えたように、歴史的な事実なしに自然と地名は変わらない。
まあ、織田信長じゃなくて村長さんが変えた場合もあるけど…もちろん、濁点がついたとか短くなったとかはあるけどね。
地名の呼び方が全然違うということは、国や文化が違うのだよ。ある人が変えたという歴史的経緯がなかったらね。
百済について、kudaraとpekucheという2つの読み方があるなら自然と変わったというよりも国が違うから読み方が違うという方が自然だね。
百済が国号の読みを変えたという政治的な事実はないね。
新羅から見て百済をペクチュと呼び、百済は百済をクダラと呼んでたに過ぎないと思うよ。>>18
韓国人が北朝鮮を北韓と、韓国人以外が韓国を南朝鮮と呼ぶようなものか。>>2
無知でこんなアホな事を言ってるから朝鮮人は駄目なんだよ。
歴史学的に地名は言語の墓場というぐらい変わらないという当たり前の事を知らないのだよ。
言語を調べるのに地名から入るのは自然なんだよ。
古代の石板が出土したら地名から当たるのだよ。それは地名が変わらないからだよ。
地名は変わるものだなんて、発表したら笑われるよ。だから、ノーベル賞が取れない。北海道の地名なんてアイヌ語の当て字だらけだもんなぁ・・・
「場所の名前」ってのは残り続ける物なんだろうね。여기 역사에 대한 지식이 풍부한 일본인들에게 질문합니다.
중국사 이야기입니다.
왜 전진(前秦)이 동진東晉)과 전쟁을 벌였습니까?>>18
確かに北海道の地名はアイヌ語ばかりですね。鹿児島、沖縄でも同様に古来の地名が多く残ってますね。
と言うことは、日本人が百済をKudakaと呼ばなくなったら、真実の歴史がまた一つ失ってしまうということですね。
なんか悲しい。何故いきなり淝水の戦いの話を
古来の固有語である「国名の最後にra」を高麗時代からつけなくなったので、古来の朝鮮半島人は高麗時代にある勢力に文化ごと乗っ取られたということか。
古来の日本では渤海を高句麗の流れをくむ高麗と呼んでいたことからも、現在、高麗と呼ばれている国はどこの誰なんだろう?
いずれにしても、高句麗、新羅、百済の多くの人々は北方沿岸部もしくは日本に流民や難民として逃げ込んだのだろうね。逃げ遅れた人々が奴隷身分とさせられて。
これまで高句麗、百済、新羅の歴史など関心がなかった半島人が最近になって歴史ドラマなどで誇りへと扇動していることも、いつの日か真実を知る日本や中国によって論破される気がする。韓国の歴史は偽高麗が正しい始祖のようなので。英語でもKorea(高麗)を自称しているしね。やっぱり、国名の最後にraをつけて欲しかったな。ところで、韓国人はくしゃみをする時にペクチョンと言うそうですが本当ですか?
>>8
日本統治に文句言えないぞ。>>26
そう言えば、日本では高麗神社をkomaと呼ぶよね。この理由を知っている人がいたら教えてください。
因みに韓国ではkoryoと呼びます。高句麗語だとkomaだったのだろう。
うちの近所の地主の一族(多分高句麗からの亡命者の子孫)は「高麗」と書いてkoumaと読むようになっている。>>25
違うよ(笑)百済はもともと久太良=kutaraという発音で、日本で時を経てkudaraという誤った発音が一般化した。
日本語だと当て字みたいな感じで、昔からの読み方を残すことができるけど
ハングルだとできなさそうだよね。
当て字みたいのあるのかな?>>9 한국에서는 쓰레기 개새끼 등 안좋은 의미로 Gi 를 붙인다.
easy, tidy, tasty, dizzy.... (Pergie)
slowly, rapidly, quickly...
그런데
fastly가 아니고 fast일까요?
Gi 는 중국어 자(子)에서 유래한 접미사(suffix) 같습니다. 어떤 분류(分類)를 지칭(指稱)할 때 쓰이죠 - class(<=classifcation)
서자(庶子)
("高麗棒子")
중국어(한자)는 상형문자에서 출발한 야만적인 언어로(catergory)와 분류(class)가 전혀 구분이 안 됩니다.
부사어나 형용사어에서 ...百済の支配層は扶余系で、北から流入してきた人たちが建てた国
被支配層の土着民と支配層の言語が違った可能性がある
対外的には、扶余系の呼び名であるBaekjeが国名として使用され、昔から人的交流が盛んだった倭人は、慣例的な現地語の呼び名であるKutaraを使い続けたのかもしれない>>44
まあ、印籠ひとつで平伏す国民的ドラマがあるから、日本も言えない(笑)。
エンターティメントとして、楽しむなら、どの国のドラマも良いけど、
「歴史的な証拠は、映画やドラマ」とか言われたら、もう続きを見る気がしない。
(チュモン、ビデオ借りる気になってた時期もあったんだけど)百済ということは韓国語では夫余や高句麗とほとんど同じな意味で。。.光言わば太陽を意味する単語。。.例えば韓国語単語である富士と同 久多羅邪馬台というのは韓国古代語で太陽を現わす意味、、それで久多羅と言うこと..久多羅邪馬台 万歳!
本当など無いだろう、倭の活動は広範囲になる。半島にも日本列島側の読みや単語が入る。
2800年前頃とその前後数100年間でも朝鮮半島の勢力も変化し地域社会は同じものではないし。
近所なら相関関係はあるもの。百済ということは韓国語では夫余や高句麗とほとんど同じな意味で。。.光言わば太陽を意味する単語。。.例えば韓国語単語である富士と同 久多羅邪馬台というのは韓国古代語で太陽を現わす意味、、それで久多羅と言うこと..久多羅邪馬台 万歳!
百済の本当の読み方は「くだら?」それとも「ペクチェ?」
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