>>48
口頭で命令伝えて回ると内容が変わっちゃうからだろう。
農民に指示出すためのハングル
今すぐ滞納してる年貢米を出せと。>>48
世宗の行った政治とその結果を見れば意図なんて一目瞭然なんだよね
奴隷の数を増やす(世襲制)
処女奴隷を中華に献上するために庶民は早婚禁止
万が一にでも雑用で使っていた奴隷が漢字を覚えて力を蓄えることのないようにハングル作成(奴隷用文字)
漢字を覚えて貧乏人が力を持つ可能性のある仏教は弾圧
漢字を使える人が多いと中華と意思の疎通が簡単に可能
意思の疎通が可能だと中華をそそのかして反乱を起こす人が出る可能性増える
なので貧乏人から漢字を取り上げることにより下克上を徹底的に防ぐのに専念しまくり
狭い半島に奴隷の養殖場を作るのが目標だよw
その後の歴史を見ればその狙い通りの結果出ているでしょ
軍なんてほとんど居なくても両班に略奪されまくっても飢え死にしても何もできない犬豚の群れ>>11
>韓国の歴史ドラマを通じて日本人一部は世宗(セジョン)大王を知っているはずだ。
1.日本人の一部は見たかもしれないが、もしかして韓国が嫌いな嫌韓が韓国ドラマを見ると思っていますか?
2.仮に見たとしても嫌韓の大半は「韓国の歴史ドラマは史実に基づかない」としています。
3.愚民のためにハングルを編集したのは知っています。>>13
>父親と息子は親愛し、
米びつの中で死んだ王子がいるんだよなぁ…>>53
海の貿易を行う民はかなりの割合で漢文使えたけど基本的に識字率なんて低い時代だよ
あくまでも小間使いとして使う奴隷にすら外国と繋がる可能性を抑えるための方策
似たような事例を詳しく知りたいならキリスト教について調べな
現在の旧フランス植民地でも良い
仏教弾圧が民の力を奪うのに繋がるっていうのはね
民の交流を断つ事に繋がるから
分かりやすい例を出すと日本の江戸時代、隣り合う藩でも方言が違い過ぎて話し言葉は通じないとこもあった
でも、寺の経文を通じて筆談は可能だった
島津と会津は話し言葉は違ったけど寺の教育を通じて筆談可能だった
共通言語としての経文があれば漢字圏の国ならほとんど全ての国で筆談可能
ちなみに朝鮮は方言を放置し言語のつながりを断ち、共通言語の源になる寺(仏教)を弾圧し、道を破壊し移動困難にした>>54
キリスト教とフランス植民地?脱線だが、フランス人が植民地でフランス語を熱心に教えたことかな。あとカトリックが聖書読ませないため識字化を抑えたことか?
半信半疑だが、本当に漢字をやめさせるためにハングル作ったってんなら大した努力だな儒教の国と韓国人は言うが、確かに儒教の悪い部分を誇張・捏造・欺瞞した社会が朝鮮王朝時代だ。
「儒教」を始めた孔子は高級官僚で、春秋時代であるから当然「奴隷制度」が当然あって、孔子も「奴隷制度」を容認していた。彼の言う「人」とは最低限「士大夫」の事であり、庶民や奴隷は含まれなかった。朝鮮人の半数以上は「奴隷」であり、「世宗大王」でさえ「奴隷解放」はしなかったし、折角作った「ハングル(訓民正音)も中国を憚って使われなかったし、禁止された時代もあったね。幾人かの良質な官僚や王族が居たとしても、海外にも知られてる英雄は誰一人居ない。その理由は朝鮮がずっと「属国」であったからで、満州や中国を脅かす様な英雄は一人も居なかった。かと言って内政で目覚しい活躍をした王も官僚も居らず、強いて言うなら「売国奴」と罵られているが、李完用がロシアを選ばず日本を頼った事だろう。ロシアに半島を委ねてたら、今頃朝鮮人は全部シベリア移住を強要されてただろう。世宗大王とは
朝鮮王朝実録には、「李氏朝鮮時代の中でも世宗の治世で、明に対する処女献上が最も多かった、」と記録されている。
中国に処女を貢ぎまくった王ね。普通に業績を考えると世宗に綽名をつけるなら奴隷王だよな
奴隷を増やして奴隷を明に献上し奴隷を使いやすくする為にハングルを作って僧侶を奴隷にした
奴隷ばかりになってそれ以降の朝鮮は集合知を発揮する機会を逃し奴隷の国になった、とまぁ儒教に忠実過ぎたって事かな?
エリートと愚民をきっちり分けて階級社会を構築し社会の安定を目指す
これが儒教の側面でもあるしこれが最高の仁君と言わざるを得ないのが朝鮮半島の悲劇だよね
中国の属国だし、ドレイが九割で仁政って無いだろ。
ドラマでは、
太宗1401-1418 、世宗1418-1450、端宗1452-1455、世祖1455-1468、睿宗1468-1469
燕山君1494-1506、中宗1506-1544、明宗1545-1567、光海君1608-1623、
粛宗1674-1720 、英祖1724-1776、正祖1776-1800
は名君として描かれているけど・・・。
チャングム=中宗、イ・サン=正祖、トンイ=粛宗(子供:延礽君(ヨニングン)→英祖)
オクニョ=明宗・・・・・・・・・
だから、
多分、李氏朝鮮って『地上の楽園』の時代だったんだなぁ~って、憧れてやまない。
(ウソぴょん!!)
現在の文政権こそまさに仁政
>>64
慰安婦にされない為に結婚したニダの話しだw両班にはずっといい時代だったろう。奴隷は再生産され、若い女は凌辱し放題。殴る蹴る当たり前、リンチもあって、楽しい限りだったろうな。
こんな楽しい時代を日本が取り上げたのだから、それは恨むだろうな。
格下の日本に奴隷を奪われたのは、1000年たっても忘れないみたいだよ。>>69
それは、奴婢、白丁と、両班の明らかな違いが前提の話だから、ちょっと筋違い。【伊達政宗】
・仁に過ぎれば弱くなる
( 優しさや思いやりが過ぎると、弱くなる)
・義に過ぎれば固くなる
(正義や信念が強すぎると、固くなる)
・礼に過ぎれば諂(へつらい)となる。
(礼儀正し過ぎると、ご機嫌取りや嫌味になって失礼になる)
・智に過ぎれば嘘をつく。
( 利口になり過ぎると、嘘をつく)
・信に過ぎれば損をする。
(他人を信じ過ぎれば、損をする)
朝鮮の治世は全て、この教訓に当てはまるだろ。世宗にとっては、仏教を排する事が「仁政」だったのかも知れない。
そもそも、儒学が宗教化した儒教には「神・仏」が存在しないから、「神罰・仏罰」を考慮する必要が無い。
儒学ならまだしも、儒教となった教えでは「善人」の行う教義や信仰でしか「徳」が理解出来ない。1910年〜1948年くらいが「仁政」だったんじゃないかな。
為政者が朝鮮人じゃ無くても構わないよね?>>76
<문무왕>과인은 어지러운 때에 태어난 운명이어서
자주 전쟁을 만났다
서쪽(백제)을 치고 북쪽(고구려)을 정벌하여
강토를 평정하였으며
반란자를 토벌하고 화해를 원하는 자와 손을 잡아
마침내 원근(멀고 가까운 곳)을 안정시켰다
위로는 선조의 유훈(훈계,주의)을 받들고
아래로는 부자 父子 (아버지와 아들)의 원수를 갚았으며
전쟁 중에 죽은 자와 산 자에게 공평하게 상을 주었고
안팎으로 고르게 관작을 주었다
병기를 녹여 농기구를 만들어서
백성들로 하여금 천수(타고난 수명)를 다하도록 하였으며
납세와 부역을 줄여 집집마다 넉넉하고
사람마다 풍족하게 하여백성들은 자기의 집을 편하게 여기고
나라에는 근심이 사라지게 하였다
창고에는 산처럼 곡식이 쌓이고
감옥에는 풀밭이 우거졌으니
가히 선조들에게 부끄러울 것이 없었고
백성들에게도 짐진 것이 없었다고 할만 하였다
내가 온갖 어려운 고생을 무릅쓰다가
마침내 고치기 어려운 병에 걸렸고
정치와 교화에 근심하고 힘쓰느라 더욱 심한 병이 되었다
운명이 다하면 이름만 남는 것은 고금 古今 (옛날과 지금)에 동일하니 홀연 죽음의 어두운 길로 되돌아 가는 데에
무슨 여한이 있으랴 ?
태자 太子 (문무왕의 첫째아들인 신문왕이 되는 김정명)는
일찍부터 현덕 (은혜로운 덕, 원문에서는 離輝 [이휘]) 을 쌓았고
오랫동안 태자의 지위에 있었으니
위로는 여러 재상으로부터 아래로는 낮은 관리에 이르기까지
죽은 자를 보내는 의리를 어기지 말고
산 자를 섬기는 예를 잊지 말라
종묘의 주인(국왕의 자리)은 잠시라도 비어서는 안 될 것이니
태자는 나의 관 앞에서 왕위를 계승하라세월이 가면 산과 계곡도 변하고
세대 또한 흐름에 따라 변하는 것이니
오왕의 북산 무덤에서 어찌 향로의 광채를 볼 수 있겠는가
위왕의 서릉에는 동작이란 이름만 들릴 뿐이로다
옛날 만사 萬事 (여러가지 온갖 일)를 처리하던 영웅도
마지막에는 한 무더기 흙이 되어
나무꾼과 목동들이 그 위에서 노래하고
여우와 토끼는 그 옆에 굴을 팔 것이다
그러므로 헛되이 재물을 낭비하는 것은
역사서의 비방거리가 될 것이요
헛되이 사람을 수고롭게 하더라도
나의 혼백(넋, 영혼)을 구제할 수는 없을 것이다
이러한 일을 조용히 생각하면
마음 아프기는 기지 없으니
이는 내가 즐기는 바가 아니다
숨을 거둔 열흘 후
바깥 뜰 창고 앞에서
나의 시체를 불교의 법식으로
화장하라
상복의 경중은 본래의 규정이 있으니 그대로 하되
장례의 절차는 '철저히 검소' 하게 해야 할 것이다
문무왕의 유언신라 왕경의 풍요
국문
원문
해설
참고자료
[헌강왕 6년(880)] 9월 9일에 왕이 좌우의 신라들과 함께 월상루(月上樓)에 올라가 사방을 둘러보았는데, 서울 백성의 집들이 서로 이어져 있고 노래와 음악 소리가 끊이지 않았다. 왕이 시중(侍中) 민공(敏恭)을 돌아보고 말하기를, “내가 듣건대 지금 민간에서는 기와로 덮고 짚으로 잇지 않으며, 숯으로 밥을 짓고 나무를 쓰지 않는다고 하니 사실인가?”라고 물었다.
민공이 “신(臣)도 역시 일찍이 그와 같이 들었습니다.”라고 대답하였다. (또한) 아뢰기를, “임금께서 즉위하신 이래 음양(陰陽)이 조화롭고 비와 바람이 순조로워 해마다 풍년이 들어 백성들은 먹을 것이 넉넉하고 변경(邊境)은 평온하여 민간에서 즐거워하고 있습니다. 이것은 성덕(聖德)의 소치입니다.”라고 하였다. 왕이 기뻐하며 말하기를, “이는 경(卿)들이 도와준 결과이지 짐이 무슨 덕이 있겠는가?”라고 하였다.
『삼국사기』권11, 「신라본기」11 헌강왕 6년 9월 9일
http://contents.history.go.kr/front/hm/view.do?treeId=010303&tabId=01&levelId=hm_036_0030>>1
조선 초기의 정치 ( 불교 기득권을 몰아내고 분배)를 제외하고는 별로 없구나奴婢が主人を訴えられないようにする法律や奴婢の母親から生まれた者は奴婢って法律つくった世宗は朝鮮の階級制度を強固に固定して秩序をもたらした名君だろう。
奴隷がたくさん増えて、強固な奴隷制は日本に統治されるまで何百年も続いたんだし。
これだけ強固な体制はなかなかない。嘘つきが習性の朝鮮人は、儒教を導入した事で、さらに嘘つきが加速。
清貧を尊ぶという事を言い出し、農業発展&農業指導をしなかった。
商業を賎しいとして、国富という発想をしなかった。
両班は汗をかかない労働しない事を尊び、少しでも豊かになったと噂された平民以下を搾取しまくった。
白服&白磁しかない社会を『白色以外は、浮わついた色』だと言い出した。>>84
말기에 중앙정부의 권력이 약해지면서 지방권력이 강해지고 분열되었다.>>1
日本統治時代が仁政>>1
世宗が人気として誰が一番の仁王かって議論が無いあたりが不思議ね韓国では暗君は誰ってことになってるのかな
>>94
仁政と云うか好景気と云うか、日本や諸外国などの黄金時代や絶頂期や最盛期や全盛期やピークやゴールデンエイジなどを投稿しました。
他にもフランスやドイツやイタリアやオランダやスペインやポルトガルやベルギーやデンマークやエジプトやエチオピアやロシアやインドやトルコなども黄金時代や全盛期や最盛期やゴールデンエイジなどがありました😁
朝鮮史の仁政期を検証すると日本の統治無しで朝鮮半島の近代化は有り得なかったみたいですけど、韓国・朝鮮人は日本のせいで国を変えられたと日本を逆恨みしているみたいですけど、其れなら日本だって日本が韓国・朝鮮半島に遺して来た資産、インフラ、権利、投資、援助、遺産などの返還をして貰わないと釣り合いが取れ無いと言っても過言ではないのです!
抑、ベトナムでの蛮行に対して見猿言わ猿聞か猿の韓国に正義は無いのです!>>88
日本か中国から伝わる荷車>>89
中国から伝わる荷車
朝鮮史に「仁政」の時代ってあったの?
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