毎年発見される竹島が韓国領であることを証明する地図。今年は、金正浩の『大東輿地図』である。いつものごとく竹島ではなく、竹嶼である。
さて、この『大東輿地図』はもう一つ重要な情報を含んでいる。
「東西六十余里南北四十余里周二百余里」との附記である。地図に描かれている鬱陵島本島、竹嶼、鬱陵島南部にある熊岩、獅子岩等を含めた範囲を東西2.4km、南北1.6km、周囲8kmとしている。
これと同じ地理認識が1906年の大韓帝国の資料に出てくる。1906年7月13日の皇城新聞に掲載れた「鬱島郡の配置顛末」である。日本から鬱陵島の所属島嶼等を問われ大韓帝国は以下のように回答した。
「該郡所管島はチュク島(竹嶼)と石島で、東西が六十里で南北が四十里なので、合せて二百余里だという」
鬱陵島から90km離れた竹島は、この東西六十里、南北四十里の範囲に含まれない。このため、韓国の学者は「東西六十里、南北四十里は鬱陵島本島のみを示しており、チュク島と石島は含まれていない」と強弁している。
もう一度、『大東輿地図』を見てみよう。東西六十里、南北四十里にチュク島(竹嶼)と南部の石の島が含まれている。韓国の解釈ではチュク島(竹嶼)も東西六十里、南北四十里に含まれてはいけない。
韓国の学者及び大手メディアはこのような愚かな矛盾にさえ気がつかない。
また、配置顛末は「鬱陵島本島」を主体や主語とした文がなく、「鬱陵島本島のみの範囲」とすることは文脈的にもあり得ない。この地図の于山島が竹島のことだと本気に思っている韓国人ってどれくらいいるのだろうか。
>>1
図が脳みそみたい>>2
朝鮮全員。朝鮮人って本当に馬鹿だね。
ヽ(`Д´)ノ<久々に来てみたニダ。右翼も死滅しているニダね。竹島は韓国人の領土ニダよ。古代に縄文人を駆逐したA型の韓国人が日本という国を作ったニダ。A型の韓国人とA型の日本人は兄弟ニダよ。
韓国の古地図って見るたびに笑っちゃう
于山島が独島だって言い張りたいなら
せめて2つの島として描かれた地図を用意しなさいよ。都合の悪いことは、見ないフリ。
最後まで于山島が竹島と抵抗していた在日の半月城(朴炳渉)が陥落して、日本では于山島の議論はほぼ終結した様子。
>>11
ヽ(`Д´)ノ<それが近年では大逆転満塁サヨナラホームランでひっくり返ったニダよ。A型の韓国人とA型の日本人の先祖は同じで、元々は韓国人が日本に移動して日本人になっただけで、よくよく考えてみると、韓国領土が正しいニダよ。>>10
馬鹿にバカなのかと問われても、莫迦ですとしか言えん異論、反論ないのかな?
できるわけないかw>>14
ヽ(`Д´)ノ<だから、A型の日本人は韓国人で、天皇も韓国人ニダよ。その証拠にA型在日韓国百済系弥生人が征服したから日本にはA型が多いニダ。そして、縄文人はそんな島知らないニダよ。領土欲もないニダから。>>10
朝鮮人の次の行動予想:山を削る。A型ニダ...orz
于山=独島説は韓国内ではまだしぶとく生き残っている様子。
例えば、このサイト。
http://db.itkc.or.kr/imgviewer/item?itemId=BT#imgviewer/imgnode?grpId=&itemId=BT&dataId=ITKC_BT_1299A_0460_010_0050
『世宗実録』「地理志」の于山は独島なんだ!だから、全ての于山は独島なんだ!と言い張っています。
こういう人たちには、言い返してあげましょう。
あなたたちが「于山=独島」の証拠に挙げる資料の数は、「于山は独島ではない」ことを明確に示す資料に比べて、何倍くらい多いのですか? と。
最低でも10倍くらいの数の資料を提示できますよね? と。>>18
反論なんてないニダ。
世界中のA型は朝鮮人ニダ。改めて感じる。
韓国って中国みたいな国だって。力はないけど…。>>1
まず位置が違う。
この地図と同じ場所を
今の地図で確認すると
この右側にある小さい島が竹島なら
この地図に表記してある
Jukdoがその場所のはず。>>10
その上島の形が全然違う!
今の地図上ではこの形。
やっぱり韓国人はおかしい。>>26
地図間違えた
ほんとはこっち>>19
19です。リンク貼り間違えました。正しくはこちらです。
http://contents.nahf.or.kr/japanese/item/level.do?levelId=isdu_001j_0020_0010まず、認識が間違っている、地図では領土が決まらない。
あらゆる証拠を基に領土を決めたのが、サンフランシスコ講和条約だよ。
韓国は、異議があるのならICJの提訴して判断を仰ぐのが筋だ。
国連に加盟しているのだから当然だよ。
それが嫌なら、国連を脱退しなさい。GHQはまだ来てないようだなwww.
1906年7月13日皇城新聞
鬱島郡の配置顛末
統監府から内部に公照された江原道三陟郡管下に所在する鬱陵島の所属島嶼と郡廳設始月を示明せよとの故に答酬され、光武二年五月二十日に鬱陵島統監として設證され、光武四年十月二十五日に政府会議を経由して郡守を配置したが、郡廳は台霞洞に置き、該郡所管島はチュク島と石島であり、東西が六十里で南北が四十里なので、合せて二百余里だという。
この記事を日本の杉野氏が初めて紹介した時、韓国学者等は以下の反論をした。
・「該郡所管島はチュク島と石島であり、東西が六十里で南北が四十里」ではなく「該郡所管島はチュク島と石島であり。東西が六十里で南北が四十里」だ。捏造だ。
・東西が六十里で南北が四十里は鬱陵島本島を指しており、チュク島と石島は含まれていない。歪曲だ。
しかし、韓国人学者の反論は以下の点において蓋然性を欠く。
1.文脈
文書を読めば「鬱陵島の付属島嶼と管理者の設置時期」の確認であり、鬱陵島本島のみを主語にした文も鬱陵島本島のみを主な目的語とした文も存在しない。このため、「東西が2.4kmで南北が1.6km」の文書のみが、鬱陵島本島を主体としていたという解釈は無理がある。
2.チュク島と石島の扱いの相違
顛末のチュク島が現在の竹嶼であることは韓国も認めている。竹嶼が「東西が2.4kmで南北が1.6km」の範囲に含めて認識していることは、この『大東輿地図』が証明している。顛末の記事は、チュク島と石島は並列で書いており、チュク島だけが「東西が2.4kmで南北が1.6km」に含まれるとの解釈もできない。
鬱陵島の配置顛末と『大東輿地図』に示された地理認識を整合をもって解釈すると以下のとおりとなる。
・顛末のチュク島は現在の竹嶼である。
・顛末の石島は鬱陵島南部にある熊岩、獅子岩等の岩である(『大東輿地図』にも記載)。
・東西が2.4kmで南北が1.6kmの範囲には、鬱陵島本島、竹嶼、南部の岩が含まれる。
よって、竹島は鬱陵島の付属ではない。
なお、国際法では付属島の解釈は12海里が凡その基準となっている。40海里離れた島は属島ではないとの判決もあり、竹島は鬱陵島の属島と見なすことはできない。なお、私は勅令41号の石島は、鬱陵島の周りの岩の総称であると判断しています。
竹嶼以外の大きな付属島として観音島がありますが、大韓帝国では「島項」としており独立した付属島とは認識していませんでしたから。
日本側でも「観音島」ではなく「観音崎」とした資料もあります。韓国人は馬鹿だし記憶力もないんだから、論破された史料には「何年何月何日にこれこれこういう理由で論破されました(泣」って付箋つけとけや。
>>23
ニダニダうるさい朝鮮どチンピラだな。
今日のスペゲスさんは総連かぁ?民団かぁ?
笑ったニダニダって好きなだけ笑えや。
人類は朝鮮星人が嫌なんだよ。
わからないのかミトコンドリアが。
昔米国と朝鮮星のバカな大臣が竹島について会談した際に何処にある?と米国から聞かれたときに、あの辺だ。と答えたらしいじゃねーか。
笑えるニダ…だろ?自国領を主張する為の会談なのにあの辺だはねェよなバカ大臣。何処の星から来たんだ超仙人かぁ?こりん星のがまだマシだわ。
まったく朝鮮の小賢しいところは5000年変わってねーな(笑)脳内物質が竹島の岩なのか?あと5000年続くのか毒島主張(笑)この地図を発見したという記事を韓国側が投稿しなかったことを見ると、彼らも間違っていることは認識してるんだろう
地図で領土が決まるって根拠は?
領土とは、国際条約で決まる物ってのが国際的な認識だよ。
日本の領土を決める最新の条約が、サンフランシスコ講和条約である。
連合国の承認のもと作られた条約なのだ。
そこには、竹島は日本が放棄する領土には含まれていないとある。
韓国が、この条約に従えないのなら、韓国は国連から脱退するべきである。
竹島が韓国領であることを証明する地図
38
ツイートLINEお気に入り
38
0