無かったら、同名だらけで区別できないだろ
公に名乗れなかっただけ江戸時代には幕府の政策で、武士、公家以外では、原則として名字(苗字)を名乗ることが許されなかった。
これをもって「江戸時代の庶民には名字が無かった」という具合に語られることがある。
だが庶民といえども血縁共同体としての家があり、それを表す名もある。
また先祖が武家で後に平民になった場合に先祖伝来の名字が受け継がれる場合もあった。
ただそれを名字として公的な場で名乗ることはできなかった。
そうした私称の名字は寺の過去帳や農村の古文書などで確認することができる。
(Wikipedia「名字」より抜粋)다나까로 통일
平民は苗字が無かった
というより、公式に苗字を名乗れなかった、というのが正しいね
士族以外も苗字を持ってはいたけどそれを堂々と名乗る事が許されなかった>>4
韓国はどうして
中国名なの?>>4
持っていたけど、名乗れなかっただけ
武士とその他の関係は、そんなに単純ではない
農民も元は武士だったりするし、農民や町民が武士になるケースもあった苗字は、武士以外名乗れ無かったけど、『字』とか『屋号』を 名乗ってたみたいだね。
僕が子供の頃は、年寄りが 苗字と違う『字』や『屋号』で 近所の人を呼んで 混乱した覚えがある。昔の台帳類を見ると農民でも商家でもほとんど名字書いてあるよ。
全く名字のない人もあるんだろうけど。
別にも名字が無くても日常生活に支障はないし。
朝鮮でもクネとかジェインで話し通じるだろう?武士じゃなくても、ある程度功績がある人は正式に苗字を名乗れた。
豊かな商人とか豊かな農家が多かった。
また、刀を持つことを許された平民も居たよ。
刀を持つ権利には苗字もセットで付いてくる。平民は苗字・帯刀を許されていなかったが
平民も名乗ることを許されなかっただけで苗字は持っていた
明治になって苗字を名乗ることを許された
その時に先祖伝来の苗字ではない勝手な苗字を名乗ろうとした人もいたが
寺の坊さんが「お前の家の苗字は○○だ」と言って
勝手な苗字を名乗ることを許さなかったそうだ田舎に行くと、いまだに近所同士では苗字より屋号の方が通用したりする
でもね、古い台帳には、
「松の木の近くの太郎さん」、
「川向こうのお里さん」
「猫と一緒にいる農家の与太八さん」
みたいな表現があるよ。
名前だけでも解るようにしたんだろうね。
で、
「以後、名字を名乗れ」となったら、
「じゃあ、俺、松木太郎、で良いわ」
「なら、私は、川向里子!」
「ほんじゃぁ、おれは、猫田与太八じゃあ」
とかだったりしてな。私のトコでは・・・
昔、源頼朝って人がいて、日本の伊豆半島に流刑されてて、この人が決起して鎌倉幕府作るんだけど、決起した当初は負けたんね。
んで、うちのあたりに逃げ込んできて、住民は彼を支え、隠れ家や食料を与え、家来にもなった。
でも、当時の頼朝君は貧乏なので、住民に報いることが出来なかった。
したら頼朝君、名前を乱発したの。
「お前ん家は五味、お前は青木、お前は土屋・・・・」
乱発しまくった結果、漁村なのに苗字を持つ家だらけになった。
江戸時代とかになっても、苗字を名乗ることを許された・・・というか頼朝の決定を徳川は覆せなかった。
ま、日本の苗字なんていろいろよ。
私は頼朝君、深く考えずに適当に思いつくまま、苗字付けたと思ってる。>>1農民でも苗字を持っていたよ。俺の家は400年前から続く家柄で倉には槍や薙刀、刀剣、弓矢等が倉に納められていて、普段は農業してるが一度戦が起こると武器を携え戦いに参じたらしい。
苗字と性があった。例えば、徳川が苗字、源が性、明治になって、性が廃止した
基本的な事は既に出ているが、
日本の場合、氏+姓+名が正式名称
たとえば、源(氏の長者)太政大臣家康
が、徳川家康の公式の氏名。
徳川という苗字は、宮中では名乗れない。
これを、庄屋として苗字帯刀が許されたうちの場合だと、
宮中では、藤原兵衛◯◯
となり、一般には(仮に鈴木とする)、鈴木藤兵衛◯◯となる。(こちらの鈴木を名乗ることが許される)
で、まあ、鈴木に当たる苗字は、許可されないと名乗ることはできないが、各家で持ってたって言うのは、他の方が説明済み。
うちは藤原南家の末裔という伝承だが、どこまで信頼できる話かは不明。日本の苗字の種類は30万近くあると言われている
明治維新の際に作られたとしたなら、その数は多すぎる
韓国の苗字は300種類ともいわれている
併合以降としても時間差は30年程度でこの差になるのはおかしい
日本の苗字はずっと昔から受け継がれてきたもの、と考えるのが自然(´・ω・`)
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