よく、日本側でも任那の日本府云々、韓国側でも百済が日本に云々と話がありますが、行政区分としての国が明確な境となったのはいつ頃の事なんでしょうか?
そこに住む人たちにとっては近いところだったら国が違うとかあんまり気にしなかったのではと思っています。
倭寇だって、日本人もいたし朝鮮人もいたし中国人も居ましたが、彼らは彼らで一つのコミュニティを形成していたとも考えられます。
昔は、国としての区分があったとしても人の出入りや、交流はもっと普通に行われていたのではないでしょうか?
日本書紀にもスサノオノミコトが、天から追放されて最初に降り立ったところは新羅の曽尸茂梨(ソシモリ:sosimori)だと記されています。
偽書ではありますが、桓檀古記の中には、反乱を起こした酋長の素尸毛犁(ソシモリ:sosimori)を切って、その孫は海へ逃げたとあります。
そういった点から、スサノオノミコトは新羅人ではないだろうかと思います。
ちなみにスサノオノミコトもイザナギノミコトから生まれていますので、(日本書紀だとイザナミの子供でもある)れっきとした日本神話での神です。
(ただ天津神ではなく国津神ですが)
とにかく、古代史において、今の国のレベルで当てはめて感情的に話すのは意味がないのかなぁと思ったりもしています。国立慶州(キョンジュ)博物館はマジでお勧めです。
とにかく質、量共に凄いです、しかも無料なのが素晴らしい。また時間がある日にupします!
前回は新羅の品々を紹介しましたが
今回はソウルにある王宮、昌徳宮(チャンドックン)を紹介します
昌徳宮は1405年、正宮である景福宮の離宮として建造された宮殿で、光海君(クァンヘグン・1571-1641・李朝第15代王)以降、約270年に渡って李氏朝鮮王朝の政務が行われた王の御所。全部で約135,000平方mの敷地には13棟の宮殿の建物があり、その北半分を占める後苑(フウォン)には28棟の楼閣があります。この昌徳宮の魅力は、一年中たくさんの観覧客が訪れながら建物や自然の維持管理が行き届いていること。特に豊かな自然をそのまま生かして造った美しい宮殿の庭園、後苑(フウォン)の四季折々の姿はとても見ごたえがあります。>>222
コンパクトな紫禁城って感じでしたね何このスレ?
1の議論に答えようとしたのに
一人で画像貼るなら自分でスレ立てろよ>>227
ありがとうございます(^O^)
ちょうど暑い日で歩くの大変でした南部の古墳を含めた古代遺跡は3年くらいで全部行く予定なのでまた写真が溜まった頃にUPしますねー
三国史記…
あれ、サン ゴク シキ はバッドワードか…
捏造歴史バレちゃうからなあ>>233
牙は自然だね。
11000年前のウラル山脈
5.3m 樹齢157年のカラマツ,記号未解読, 歯で掘っていた
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=fTPKnAZBZyg
http://siberiantimes.com/science/others/news/beavers-teeth-used-to-carve-the-oldest-wooden-statue-in-the-world/
ロシアではビーバーに噛み殺される人も。ノミのような歯で巨木や泥を積み上げて草原や森林にダムを作る。
古代史とそこに住む人達
234
ツイートLINEお気に入り
2285