イザベラ・バード(『朝鮮紀行』)より
朝鮮にいたとき、わたしは朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望みなしと考えていた。(p. 307)
出発前、ほこりとごみと汚物にまみれた宿の庭にすわり、うつろに口をぽかんと開けた、無表情で汚くてどこをとっても貧しい人々に囲まれると、わたしには羽根つきの羽根のように列強にもてあそばれる朝鮮が、なんの望みもなんの救いもない哀れで痛ましい存在に思われ、ロシアの保護下に入らないかぎり一二〇〇万とも一四〇〇万ともいわれる朝鮮国民にはなんの前途もないという気がした。 (p. 425)
まとめとして、わたしはあえてつぎのように提言する。朝鮮の国民の環境は日本もしくはロシアの援助を得て漸進的に改善されるはずである。 (p. 497-498)
朝鮮の重大な宿痾は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、つまり「人の親切につけこんでいる」その体質にある。そうすることをなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。ささやかながらもある程度の収入のある男は、多数いる自分の親族と妻の親族、自分の友人、自分の親族の友人を扶養しなければならない。それもあって人々はわれがちに官職に就こうとし、職位は商品として売買される。 (p. 556-557)
わたしは一八九七年の明らかに時代退行的な動きがあったにもかかわらず、朝鮮人の前途をまったく憂えてはいない。ただし、それには左に掲げたふたつの条件が不可欠である。
Ⅰ 朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。
Ⅱ 国王の権限は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制を受けねばならない。 (p. 563)- 2
名無し2017/04/05(Wed) 14:03:56(1/1)
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朝鮮民族はロシアのもと、家畜として生きていけば良かったな。
なまじ日本が人間扱いしたから、こんなモンスターに育ててしまったのか?
日本人は反省してます。遥か昔からアジアのお荷物だったんだね
日本ではなく、ロシアの統治下に入ってたらスターリンの時代にどういう扱いを受けていたか見ものだね。不毛の地シベリアか中央アジアへの強制移住&強制労働とか、スターリングラードでの戦いで人間の盾として使い捨てにされてたと思うけどね。
当時の朝鮮世界はまさに北斗の拳
両班様だぁヒャッハー!
食いものを出せ、ひとつ残らずだ。ん?そこの女、お前だ、お前は今から俺の物だヒャッハー!
アホな誇張でもないと思います。>>1
ハングル訳版はいいことしか書いてないらしいよwたしかこの旅行記は、ハングルにも翻訳されているが、ハングル版は多数割愛されて流通してる事を知っている韓国人は殆んど居ないんじゃない?
都合悪いから削っちゃったんだよね。
だから指摘された箇所は割愛されてる可能性が高い。
韓国人から『捏造』と言われても、そういうこと。笑える。韓国あるある。「日本紀行」も田舎の宿の不潔な様子とか、プライバシー無視の失礼な態度とか、日本人にとって恥ずかしい記述も結構載ってるけど、カットはしてない。
そのとおりになっていれば、
今頃整形せずとも済むような民族になっていたかもな。
民族が存続していたらの話しだが。なんで露助がババ引かなきゃならんねん…
>>4
やめて。ロシアに法外なごみ処理費用を要求される。>>13
結果的に日本がババ引いた理由になってない。朝鮮人に不都合な真実のスレなので
朝鮮人の書き込みが無いな貧乏神は誰も引き受けたくないのネンのネン
旧ソ連による朝鮮人の扱い方マニュアル
【 旧ソ連共産党による朝鮮の扱い方 】
1、頭痛の種になるだけだから関わるな 2、手段を選ばぬキチガイ揃いだから関わるな 3、関わるとこっちが痛い目に遭うから関わる な 4、関わってきたらウォッカ飲んで忘れようぜ>>18
間違えた『ふしぎの国のバード』でした、すみません。朝鮮の重大な宿痾は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、つまり「人の親切につけこんでいる」その体質にある。
そうすることをなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。
今も昔も変わらない韓国人の本質がこれ何だよね
日本はそれが理解できず何回も助けてしまった
日本人はイザベラ・バードに学ばなければならない明治時代、日本を旅したイザベラ・バードが日本の葬儀を見て「理解しがたい」と感じたこと
茶屋で借りた女性用の和服を着ていき、頭に青い頭巾をかぶったので、だれにも気づかれなかったものの、わずかな布を「前でかき合わせる」窮屈な着物にはとても疲れました。すべきことすべきでないことについて伊藤がいろいろ指図をしてくれ、わたしはそのとおりにしました。とにもかくにも外国人に参列を許してくれた親切な人々の感情を害したくない一心でした。
故人の病気は短期のもので、病人のために祈祷や巡礼をする時間はありませんでした。
死が訪れると、遺体は頭を北に向けて寝かせ(生きている日本人は北向きに寝ないよう細心の注意を払います)、そばに屏風を立て、その屏風とのあいだに新しい膳を置きます。膳の上には皿に油を入れて芯に火をつけたもの、調理しない米粉のだんご、香炉が載っています。
臨終後僧侶はただちに戒名すなわち死後の名前を選び、それを白木の板に記して遺体のそばに座ります。膳の器には植物性の食べ物を盛り、遺体のそばに置いて箸を通常とは逆の場所、つまり膳の左側に添えてあります。48時間すぎたあと、遺体は納棺の準備として湯で清められ、僧侶がお経を唱えながら頭を剃ります。貧富に拘らずいずれの場合も死装束はふつうの仕立てですが、純白の麻または木綿を用います。
六郷の近くの大曲では大きな陶製の壷が生産されており、裕福な人々はこれを埋葬に使いますが、今回は矩形の箱がふたつあり、外側の箱は檜材できれいに鉋がかけてあります。貧しい人々は「早桶」という、竹のたがをはめた松材のふたつき桶を使います。
女性を埋葬するときは婚礼の日にまとった絹の衣装を着せて、足袋をそのそばか足の上に添え、髪はうしろへ垂らしておきます。最も裕福な人々は棺に朱砂を、最も貧しい人々はもみがらを詰めますが、今回は口と鼻と耳に朱砂を詰め、棺には粗い香を詰めたと聞いています。
遺骸は桶または箱にふつうの正座をした姿勢で納められます。一番外側の箱の大きさで考えたとしても、死後何時間もたった人間の体をどれだけ狭い空間に押し込められるかは理解しがたいことです。死後硬直は僧侶の売っている土砂という粉末を使えば解けると言われてきましたが、この説も覆され、結局その方法はわけのわからないままです。仮に、大日本帝国が併合しなかったら、帝政ロシア、大清帝国、アメリカ合衆国、大英帝国、フランスなどが併合していたと思われます。
沿うなって至ら、フィリピンみたいな立ち位置に成っていたでしょう!
【朝鮮紀行】韓国はロシアの保護下に入るべき【イザベラ・バード】
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