「実用主義者・李在明」関係改善を期待する中国
同年9月2日、東京湾に停泊したアメリカ軍の戦艦ミズーリ号上に日本と連合国の代表が集まった。日本の公式な降伏文書に署名するためだった。
連合軍の最高司令官マッカーサーをはじめ、アメリカ、イギリス、ソ連など9か国の代表が出席した。そこには中国代表の徐永昌将軍もいた。
徐永昌は当時、中国を代表する国民党政府の国防部長だった。国民党政府は日本から正式に降伏文書を受け取った翌日を臨時休日に定め、盛大な祝賀行事を行った。そして1946年には9月3日を抗日戦争勝利記念日と定めた。
1949年10月に成立した社会主義政府は、国民党政府が実施していたほとんどの政策を覆した。抗日戦争勝利記念日の日付も8月15日に変更された。しかし1951年に再び9月3日に戻された。その後、中国は毎年、抗日戦争勝利記念日に式典を行ってきたが、規模は大きくなかった。
ところが2015年、突然この日に大きな意味を付与した。当時、中国は抗日戦争勝利70周年の軍事パレードを北京の天安門広場で開催すると発表した。その年の5月にはこの日を法定休日に指定し、6月から海外の首脳を招待した。
中国の招待に応じた外国首脳の一人が、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領だった。これをきっかけに、韓国ではこの日を「戦勝節」と呼ぶようになった。
中国が戦勝節に初めて大規模な軍事パレードを行い、外国首脳を大勢招待した理由は二つあった。第一に、日本への勝利よりも、世界的な反ファシズム戦争の勝利を強調して国際的な地位を高めようとしたこと。中国は第二次世界大戦の主要参戦国だったが、日本が降伏するまで戦況は非常に不利だった。日本は沿岸地域の大部分を占領しており、中国はアメリカの支援に依存していた。
中国人は、アメリカが日本本土に大規模な空襲を行い、原子爆弾を投下しなければ、日本を中国から追い出すことは難しかったと考えている。
しかし近年、中国では大陸の戦場に多くの日本軍を引き留めたおかげで、連合軍が太平洋戦争で勝利できたという見方が主流になっている。これによって、中国は日本への勝利が決して「棚からぼたもち」ではなかったことを強調している
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“抗日戦争勝利記念日”に軍事パレードを行う中国、招待された韓国・李在明大統領のジレンマ
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