日本にあった朝鮮王宮の祠堂「観月堂」、100年ぶりに帰還

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    • 1名無し2025/06/24(Tue) 11:46:35ID:M0Mzc2OTY(1/1)NG報告

      朝鮮時代の王宮祠堂建築物とされる「観月堂」が日本に渡されて約100年ぶりに韓国に戻った。

      24日、国家遺産庁・国外所在文化遺産財団は前日、観月堂の所蔵者である高徳院と約定を締結し、高徳院が保存・復元のために解体し、韓国に移送した観月堂の部材を正式に譲り受けたと明らかにした。海外にある韓国の建物全体が戻ってきたのは今回が初めてだ。

      観月堂は正面3間・側面2間の朝鮮後期王宮の祠堂様式を持つ木造建築物で、切妻屋根の断層構造を備えている。王宮関連の建物として当初ソウルに位置していた可能性が大きく、日帝強占期(植民地時代)だった1924年、朝鮮殖産銀行が山一證券の初代社長を務めた杉野喜精氏に贈与したものとみられる。

      観月堂はその後、東京に移され、1930年代には杉野氏が鎌倉市の高徳院という寺院に寄贈し、高徳院の境内に移転され、解体前まで観音菩薩像を奉安した祈祷処として活用されてきた。

      今回の観月堂の韓国帰還は、所蔵者である高徳院の佐藤孝雄住職が観月堂が由来した韓国での保存が適切だと判断したことによって行われた。

      佐藤住職は寺院の境内にある韓国文化遺産に大きな関心を持って韓国側に連絡をとり、国家遺産庁と国外財団は観月堂の保存のために数年間研究・調査を経て丹青(建築物や工芸品に描かれる彩画)の記録化および保存処理、精密実測などの事業を進めた。各事業は、韓国伝統建築に対する理解の深い韓国専門家が現場で直接参加するなど、韓日共同協業プロジェクトの形で行われた。

      日本で解体され、韓国に搬入された観月堂の部材は現在、京畿道坡州市(キョンギド・パジュシ)所在の伝統建築修理技術振興財団の収蔵庫に保管され、韓国の専門人材による修理作業が体系的に進められる予定だ。

    • 2名無し2025/06/24(Tue) 19:20:16ID:cwOTU0MjQ(1/1)NG報告

      再現出来ないし保存も出来ないだろうw

    • 3Ein Volk, ein Reich, ein Führer2025/06/24(Tue) 19:28:05ID:k3OTAwODA(1/1)NG報告

      뉴스 출처를 밝혀라.
      예전 불상 사건처럼 한국의 도둑들이 가져간 것을 왜곡해서 보도했을 수도 있다.
      스레드를 만들 거면 제대로 만들어라.

    • 4名無し2025/06/24(Tue) 19:30:26ID:U3NjcwOTE(1/3)NG報告
    • 5名無し2025/06/24(Tue) 19:35:14ID:kxNjA1NzY(1/1)NG報告

      境内置いておいても邪魔になるから譲渡したのか、韓国人が盗んで返還で揉めた対馬仏像と違って日本人住職は人格者だな。

    • 6名無し2025/06/25(Wed) 13:16:50ID:gxODIwNjI(2/3)NG報告

      >>1

      日本の右翼が反発するも…朝鮮王朝時代の建築物「観月堂」が100年ぶりに故国へ、鎌倉大仏殿高徳院の境内から解体して移送

      建築遺産全体が移送されたのは初めて
      朝鮮王室の祠堂建築物と推定
      諜報(ちょうほう)戦をほうふつとさせる「韓国返還」

      丸ごと日本に持ち出されたこの悲運の建物が、およそ100年ぶりに故国へと戻ってきた。寺の僧侶の「無条件の寄贈」によって実現した。

      今回の帰還は、佐藤孝雄住職の固い信念のおかげで可能だった。住職であると同時に慶応大学民族学考古学教授でもある佐藤さんは「2002年に住職に就任したときから、建物の由来を聞いて、韓国に送り返すのが最善だと考えた」「けりがつくまで23年かかった」と語った。

      観月堂は、韓国の学界でも「必ず戻ってくるべき文化遺産」に挙げられていた。10年に、当時の曹渓宗総務院長だった慈乗僧侶が韓日仏教文化交流大会に出席し、観月堂を韓国に返すことで日本仏教界側と合意したと発表したこともあった。だが十分な協議が行われていない状態でメディアの報道を通して発表が先行したことから、日本側で保守・右翼団体を中心に反発が強まり、その後しばらく交渉は中断した。

       協議の糸口を再びもたらしたのも佐藤住職だ。19年に当時の文化財庁(現・国家遺産庁)にまず連絡して、その後、同庁と財団が現地調査、研究、精密実測などを進め、韓日共同プロジェクトにつなげた。昨年6月に建物の解体を始め、11月に瓦3457点と石材および金物401点が韓国国内に移送された。今年5月には木材1124点も極秘裏に移送を終えた。

      https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2025/06/25/2025062580087_2.html

    • 7名無し2025/06/25(Wed) 13:32:36ID:E1OTQzNzU(1/1)NG報告

      >>1
      どこに戻して、何と呼ぶんだろうね。

      https://news.yahoo.co.jp/articles/f0bed732d154a4e4edf2215aec100858bda5e7e8
      >ひとまず日本で呼ばれてきた名前である観月堂が当初の名称ではなく、元々どこにあったのかも不明だ。昨年の建物解体の際、上樑文(木造建物の増改築記録物)が発見されず、そもそも誰のための祠堂として使われたのかも分からない。

    • 8名無し2025/06/25(Wed) 14:22:16ID:gxODIwNjI(3/3)NG報告

      今後の課題は、観月堂の元の位置を特定することだ。ソウル・鍾路(チョンノ)区にある「開かれた松峴(ソンヒョン)緑地広場」となった純貞孝皇后の本家跡(朝鮮殖産銀行官舎跡)が有力とされるが、さらなる研究が必要とされている。イ教授は「日本に残る複数の記録をみると、『朝鮮王室に関係した』『道路拡張事業で取り壊された』といった記述があり、これらをすべて満たすのが現在の松峴洞の敷地だ」と指摘する。その他、鍾路区通義洞(トンウィドン)一帯の昌義宮(チャンウィグン)跡(東洋拓殖銀行官舎跡)や、かつて月宮と呼ばれた月城尉宮(ウォルソヌィグン)跡なども候補に挙がっている。

      解体された観月堂の部材は現在、京畿道坡州市の伝統建築修理技術振興財団の収蔵庫に保管されている。木材1124点、石材・金物401点、瓦3457点などである。国家遺産庁は今後、修復と研究を経て、観月堂を元の場所に復元する案を検討している。

      国家遺産庁のパク・ヒョンビン国外遺産協力課長は、「観月堂の元の所在地が判明しても、現土地所有者の同意が必要だ。難しい場合は、別の場所に仮復元してでも建物の歴史的価値を保存したい」と語った。

    • 9白妙2025/06/25(Wed) 21:34:28ID:UzNTkzNzU(1/1)NG報告

      どうせ杜撰な移築で傾く
      管理が為されずに朽ちる
      浮浪者のねぐらになって不審火で焼け落ちる
      いいかげんな復元で華麗に蘇る
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    • 10名無し2025/06/25(Wed) 22:12:55ID:E5NjkzNzU(1/1)NG報告

      文化財を保存する能力など持たない朝鮮人に管理を戻すと永久に失われるだけだと思うけどな。

    • 11名無し2025/06/25(Wed) 23:05:03ID:U5NDEyNTA(1/1)NG報告

      大韓民国と共に朽ち果てて終わる🤣🫵🫵🫵🤣

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