きのう日本の佐渡市あいかわ開発総合センターで開かれた佐渡金山韓国人犠牲者の初の追悼式に韓国政府関係者が参加せず中途半端な行事で終わってしまった。日本政府が7月に佐渡金山のユネスコ世界文化遺産登録の際に毎年現地で追悼式を行うことを約束し、韓国政府と遺族も参加することにした。ところが日本が2022年に第2次世界大戦の戦犯追悼施設である靖国神社を参拝した極右政治家生稲晃子外務政務官を追悼式の日本代表に選定し韓国で批判世論が起き、韓国外交部が行事不参加を決めたのだ。
尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権は発足後批判的な国内世論にもかかわらず韓日関係改善に出た。12年ぶりにシャトル外交を復元し、昨年北朝鮮の脅威に韓米日が共同で対応することにした「ワシントン宣言」という結果も出した。きのうの行事も日本が佐渡金山の世界文化遺産登録を推進しながら韓国に約束した「真の謝罪」の一環として用意された。
だが日本が韓日対立縫合の場に極右政治家を代表に出し不完全な式となった。納得しがたい態度だ。日本は高位職業外交官や親韓人物の出席を通じて韓国の立場に配慮することもできた。何より行事2日前に生稲政務官を代表に決めたと伝えてきたのも大きな欠礼であり問題だ。得るものだけ得ようとする態度だけで韓日の明るい未来を担保することは難しい。昨年3月に韓国政府の強制動員解決策提示で難しく用意した前向きな両国関係復元の流れの中で日本は残る半分の水を満たすのにもっと努力するのが当然だった。
韓国外交部も解放79年ぶりに犠牲者を追悼しようとしていた行事が不完全なものとなった責任から自由にはなれない。今回の追悼式は企画段階で日本政府でなく佐渡市と市民団体で構成された実行委員会が主催することにし懸念の声が大きかった。政府は過去史論争の真ん中にある敏感な行事を細かく確認しなければならなかったが、日本が通知する時まで代表すら把握することができなかった。相
手国代表団の面々を事前に把握して調整するのは儀典とメッセージを重視する外交の基本だ。
https://japanese.joins.com/JArticle/326579?servcode=100§code=110日本の「佐渡金山」不意打ち3連発…韓国政府の安易さが呼んだ災い
日帝強占期の朝鮮人強制労役の現場である佐渡金山の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産登録当時、日本政府が約束した「年次追悼式」が24日、不完全な行事として開かれた。韓国側は参加しないまま開かれたこの追悼式で、いわゆる「靖国要人」(過去に靖国神社に参拝した高官)の謝罪や強制性に対する認定はなく、強制労役被害者遺族は25日、別途の追悼行事を行うことにした。
このような事態に関連し、一次的に批判を受ける対象は7月登録当時に合意の精神を無視して再び「過去史の雷管」に触れた日本だ。だが、これとは別に、信義だけに頼って肯定的な回答を待っている中で、日本が勝手に追悼式をゆがめる口実を与えた韓国政府も責任から自由になれない。
佐渡金山問題で
▲強制労役という言葉が抜け落ちた展示館の設置
▲追悼式名称関連で強制性希釈の試み
▲靖国参拝前歴者の派遣
--など日本から不意打ち「3連発」を食らっている間、韓国政府が外交力を十分に発揮できない側面があったという指摘だ。
国民大学日本学科の李元徳(イ・ウォンドク)教授は「次官級要人のうち、過去履歴問題のない人物を派遣する形で日本政府が少しだけ誠意を見せていれば事態はここまで大きくはならなかったはず」としながら「過去史問題に関連し、韓国が何度も大乗的な姿勢を取っているのに、日本が繰り返し不意打ちを食らわすような行動を取るのは残念さが多分に残る部分」と話した。
https://japanese.joins.com/JArticle/326581?servcode=A00§code=A10>>2
◇繰り返される「過去史問題」軽視
今回の事案に関連して、実務協議を主導したのは外交部だが「生稲政務官の出席受け入れ→追悼式ボイコット」という決定を下すことができたのは、結局大統領室だったというのが政府内外の支配的な解釈だ。尹錫悦(ユン・ソクヨル)政府が発足以降一貫して「韓日関係の改善」という「外交的レガシー」だけにこだわり、両国関係の最も敏感なつなぎ目である過去史問題に対して安易にアプローチする様相が再び繰り返されたという声が出る理由だ。
昨年3月、数年間両国関係を冷え込ませてきた強制徴用問題を解決するために「第三者弁済」解決策を打ち出したが、2年近くにわたり日本側からの呼応が一度もないのが代表的な事例だ。当時韓国は「われわれが水のコップを先に満たせば、日本が残りの半分を満たす」〔朴振(パク・ジン)前外交部長官〕と期待したが、今回の追悼式の一件で日本は入っていた半分の水までひっくり返してしまった格好になった。
https://japanese.joins.com/JArticle/326582?servcode=A00§code=A10セミヌード写真集出したアイドルから日本の外務政務官に…生稲晃子氏とは
24日、日本の新潟県佐渡市で行われた「佐渡島の金山」追悼式に日本政府代表として出席したものの、過去の靖国神社参拝で議論を呼んだ生稲晃子外務政務官(56)は「おニャン子クラブ」という1980年代に女性アイドルグループのメンバーだった。2022年の選挙で6年任期の参議院議員に初めて当選した。「おニャン子」とは「かわいい猫」という意味だ。メンバーは約50人に達し、おニャン子クラブの会員番号は40番だった。生稲氏は18-19歳だった1986-1987年に1年3カ月間活動した。当時は芸能活動を禁止している女子高に通っていたが、学校側が「上位圏の成績を維持すること」と「大学を受験すること」を条件に例外的に活動を許可したという。
おニャン子クラブ解散後は、ソロ歌手として活動しながらドラマにも出演した。1996年にはセミヌード写真集を出したこともある。2003年に結婚し、2006年に長女を出産した。生稲氏は2011年にがんを発症し、芸能人ではない形で注目され始めた。同年、43歳の誕生日に乳がんの告知を受け、2013年まで手術を繰り返したが、その経験を2016年に『右胸にありがとう そして さようなら -5度の手術と乳房再建1800日-』という本にまとめて出版した。
知名度が高まった生稲氏を政界に招き入れたのは、2022年当時、自民党内の最大派閥だった「安倍派」に所属していた萩生田光一議員だ。安倍派は当時、参議院議員選挙に出馬する知名度が高い女性新人候補を探していた。安倍晋三元首相の側近である萩生田氏は2007年11月の自民党機関紙で生稲氏と対談していた。
参議院議員選挙の自民党公認候補になった生稲氏が2022年6月に初めての演説をした時、安倍元首相が応援演説をした。日本音楽事業者協会、日本音楽制作者連盟、コンサートプロモーターズ協会、日本音楽出版社協会という日本音楽界「ビッグ4」団体の代表も全員、生稲氏を支持した。
その後、生稲氏は参議院選挙東京選挙区において得票数5位で当選した(6位まで当選)。安倍氏の元秘書がその後、生稲氏の秘書になったという。外国政府が単独で日本の土地で何かしらのイベントを開催するのって、、、
やばくない?
竹島上陸パフォーマンス並みのことやりそう😖>>1
へー。
日本が大韓民国に対して3度も不意打ちしたんだ?
日本は、卑劣だねー。悪辣だねー。
大韓民国は、卑劣で悪辣な日本に対して、自らの正義を証明するために、何らかの形で報復するべきだねー。
外交官の引き揚げとか、自国民の訪日禁止措置とか、貿易制限とか、やれることはいくらでもあるねー。
グダグダ文句言ってないで、さっさと行動しろや。朝鮮人が日韓合意を破って日本企業の財産を奪おうとしてる。
日本は怒って制裁すると言ったら、韓国の方でなんとかするとなった。
それで日本がなんでコップの水を半分ついでやらなくちゃならないんだ?
朝鮮人は泥棒が泥棒をやめますって言ったら金をやるのか?
バカなのか?南朝鮮の振る舞いより、日本の「間抜けなお人好し」という態度をいつまでも続けて毅然たる態度を取らないほうが不満だわな。
朝鮮人の嘘がバレて朝鮮人が、朝鮮人の嘘を真っ向否定する日本人を恐れて日本に来なくなったのは良いことだ。
嘘つきユンミヒャンが朝鮮総連参りしてることを報道したのもアメリカCIAのおかげだろう。朝鮮人の供養なんか、朝鮮人が勝手にやればいいだろ。
きちんと手続きを踏んで、法律や条例に厳守してな。
そうしないと群馬県の時みたいになるぞwww朝鮮総連を覗いたとき、朝鮮総連も、また、こちらを覗いているニダ。
byユンミヒャン来るな、そして呼ぶな
安易な対応で日本にまた不意打ちを食らった韓国外交部
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