もし、ワシントン駐在の特派員が、英語をうまく操れないせいで英語での取材ができず、バイデン米大統領やトランプ前米大統領(共和党の次期大統領選候補)に質問する絶好のチャンスに英語で質問できなかったとしたら?
東京特派員が東京で日本語ができず、グーグルの自動翻訳やパパゴ(韓国ネイバーの翻訳サイト)に頼ってばかりで机に張り付いているだけだったら? パリの特派員がフランス語を一言も理解できず、通訳者がいないと取材も何もできないとしたら?
韓国と韓半島、北東アジア情勢を取材するためにソウルに派遣された特派員が、韓国の主要日刊紙も読めずに英字新聞ばかり探して読んでいるとしたら?
現場の最前線で直接会って、質問して話を聞いて、それを文章にするのがジャーナリズムの基本原則だと考えれば、このような特派員は決して良い点数はもらえないでしょう。
私はソウル中心部の光化門に勤務していた時、チャンスを見つけては欧米圏の新聞・テレビ・通信社のソウル特派員たちと会い、いろいろな話を聞くことを楽しんだものでした。大学でジャーナリズムを専攻したため、ジャーナリズム先進国の記者たちから何かしら学べるだろう、という漠然とした期待があったからです。
しかし、全員とは言いませんが、ソウル駐在の外信記者は韓国語がほとんどできないケースが大半でした。「アンニョンハセヨ(こんにちは)」「コマッスムニダ(ありがとうございます)」「オルマエヨ(いくらですか)?」「チョヌン ジェイク(仮名)イムニダ(私の名前はジェイクです)」、彼らの韓国語はほとんどこれらの域を出ませんでした。
今月9日、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の記者会見が行われた時も、ソウル駐在の外信記者たちの素顔があらためて露呈しました。記者会見で4人の外信記者が質問をしたのですが、韓国語で質問できたのは日本の新聞記者1人だけで、残りの記者は韓国語で質問することができなかったのです。
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/05/14/2024051480204.html韓国語は大人気ってあれだけ朝鮮人は言ってるのに、コレ?ww
パンにハムをはさむニダ!
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名無し2024/05/20(Mon) 16:41:41(1/1)
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無茶言うなよ。
外国人記者だって好きで半島に派遣されてるわけじゃ無いんだよ。
日本にも日本の英字新聞を要約して本国に送信している外国人記者はいるだろう。
そいつらは政府の記者会見には出てこないくせに外国人記者クラブの会見や左翼の会見には出たりする。>韓国と韓半島、北東アジア情勢を取材するためにソウルに派遣された特派員が、韓国の主要日刊紙も読めずに英字新聞ばかり探して読んでいるとしたら?
これは駄目だね。
韓国は特殊だから、英字新聞では韓国の扇動や世論は読み解けない。>>8
最後の2行だけ読めばいいって聞いたな。韓国マスコミの特徴
日帝がどれだけひどいのか書く
韓国がどれだけ優秀なのか書く
韓国がどれだけ被害にあっているのかを書く
文句と恨みを書く
なにか社会問題があったとしても
韓国国民の知りたいことは
日帝がどんなに酷いのか
韓民族がどれほど優秀なのか
の二点であり
マスコミはそれを報道する
ちなみに北朝鮮のマスコミは
米帝と傀儡朝鮮(韓国)がどんなにひどいのか
金正恩がどんなに素晴らしいのか
の二点を報道する
南北とも朝鮮人なので方向性は同じw- 11
名無し2024/05/21(Tue) 00:54:37(1/1)
このレスは削除されています
[記者が出会った世界]日本、好感と非好感の間
日本に対しては昔から漠然とした好感があった。中高校時代、海賊版で見た「ドラゴンボール」、「スラムダンク」が始まりではなかったかと思う。友人たちと振り返り、恥ずかしかった漫画がきっかけとなり、映画、小説などで好感の対象が広がり、「こんなに楽しいものを作り出す国はどんなところだろうか」と思った気がしたようだ。
去る3年、東京特派員生活は日本に対する漠然とした好感を生かして知った具体的な好感に変えておいた。
木、花に対する日本人の愛好はとても印象的だった。主に単独住宅の話ではあるが、方言だけの空間でもあれば木と花を育てる。狭い庭園が見事に見える塊の木々を育てる家も少なくない。ほとんど習慣化したのではないかと思うこのような文化のおかげで、東京住宅街の路地を歩くのはかなり楽しい。
基礎秩序をよく守るのは学ぶべき点だ。代表的なのが交通秩序遵守だ。渡り木前の停車線を越える車は珍しい。
柔軟性なしとゆっくりは発展が遅滞し、ダイナミックでなかった日本の象徴のように話すが、違って見る隅がある。日本生活を始める頃、区役所で書類を一枚取り除くのに数時間待って、銀行カードを受け取るのに満月がかかるという話を聞いたとき、旗艦をした記憶はまだ鮮明だ。
去る3年日本生活は全般的な「親日」の過程ではなかったかという考えがある。日本は私たちと違う魅力を持っており、学ぶことも多くの国が明らかである。だが親日というには蒸し蒸して不快でもある。何より、朝鮮半島侵略に対する無知性、没塩治は経験するたびに腫れが浮かんだ。
日帝強占期の朝鮮人強制労働の現場である使徒鉱山を昨年ユネスコ世界遺産に登載していた約束を手のひらひっくり返したようだった時は荒涼とした。歴代最悪と評価された両国関係を好転させるため、ユン・ソク熱政府が持った努力を傾けた時も、日本政府は一度もきちんとした反省をしなかった。
韓国と日本が今よりも良好な関係を作っていくというのは、3年間の日本生活から始まるそれなりの推測であり強い風だ。私たちに良く嫌いの境界がどの国よりも鮮明な日本なのかで、その過程はたくさんガチャガチャしたという予想をしてみる。両国がもう少し近くなり、真の意味の親しい、親日が増えることを期待する。
尹大統領に「アンニョンハセヨ」だけ…韓国語ができないソウルの外国特派員
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