論点は、
売春婦の立ち位置が、少なくとも中世において日本と欧米と違うのかどうか?
キリスト教の七つの大罪の一つ?日本文学では永井荷風「墨東綺譚」が昭和初期の私娼窟の姿を伝えてくれます。
徳田秋声「或売笑婦の話」は青空文庫で読めます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000023/card4762.html韓国ではキリスト教徒が最大勢力だと思うが、その戒律はあまり守られてないみたいだけど
例えば
偶像崇拝の禁止・・・慰安婦像がある
姦淫の禁止・・・性犯罪や自慰行為の多発
盗まない・・・技術や文化の盗用が多い
偽証の禁止・・・歴史を捏造し、教育してる
隣人の財産を欲しない・・・止まることのないお代わりの要求
その他色々
ローマ法王「韓国人は倫理的に生まれ変わるよう望む」文学なら伊豆の踊子のような旅芸人も
客をとるからね従軍慰安婦なら、兵隊やくざだね
そうか、海外の人に、蝶々夫人を性奴隷だと思いますか? と聞いてみたいね。
誤解を解く一歩になるかな? どうだろうか。>>1
娼婦では無いけど、将来を見越して養ったビッチの奴隷になる主人公の心情を書く。耽美主義を代表的な作品の谷崎潤一郎の『痴人の愛』(CHIJIN-NO-AI)とか... 大正時代に発表された作品で、100年以上前の小説としては、なかなかです。
今でも結構面白いと思うのですが...作品中のヒロイン?のナオミは、明らかに「肉便器」と同じニュアンスで、呼ばれている事が示唆されている点で、直接的な性的な表現はありませんが、妄想が好きな人は、男性の下半身に訴えかける部分があるかも。
日本文学の性解放については、先進的(性進的?)だったかもしれません。
本題に戻りまして、娼婦を扱う作品は、wiki等でも、結構見つかるのですが、明らかに「親に売られる」と言うパターンの海外小説は、よくわかりませんでした。
ざっと調べて、近そうなものをピックアップしてみました。
春香伝(춘향전)(李氏朝鮮時代からある話らしく、日本統治時代朝鮮頃に、艶っぽい小説創作も増える。)
Nana (フランス エミール・ゾラ 1879年)
ファニー・ヒル(Fanny Hill イギリス 1748年頃)
「春香伝」は、妓生身分だった為、否応無しに権力者のおもちゃにされそうになるのを、懸命に拒否して、将来を誓い合った人との純愛を貫く話です。出自が元で、強制されるパターンと言う意味では「親に売られる」に近いかもしれません。
「Nana」は、家庭崩壊して家でした出自。親に売られた訳ではありませんが、家出するのも、止む得ない事情と言う意味では、近いかもしれません。
「ファニー・ヒル」は、貧困により故郷を離れて売春宿で働く出自を持つ。明確に親に売られた訳ではありませんが、貧困により止む得ないという状況は近いかもしれません。
完全に西側ネタかな? 討論ではないかも。ルイ15世の公妾、デュ・バリー夫人は娼婦上がだし、
エミール・ゾラの小説「ナナ」のモデルは
パリ社交界の高級娼婦、コーラ・パールだ。
ドストエフスキーの「罪と罰」の
ソーニャは娼婦をしながら家族を養っている聖母マリアのような女性だ。主人公ラスコリーニコフは彼女の姿を通して人間世界と和解(改心)していく。
そもそも新約聖書のマグダラのマリアは娼婦であり
イエスに心情的に最も近い女性のように描かれている。
慰安婦は日本軍の天使だったのではないのかなぁ。>>14
「田村泰次郎選集2/応召から敗戦直後まで」(日本図書センター 2005)によれば、
『「春婦傳」は「日本小説」創刊号(1947年4月1日発行、大地書房)に掲載予定であったが、GHQの検閲によって削除された。GHQによれば、削除の理由は'Criticism of Koreans'(朝鮮人への批判)であった。泰次郎のオリジナルの本文では、作品に登場する慰安婦は春美を含め、「みんな本当の朝鮮の名前があるのだつたが、いづれも故郷の家の苦しさのために、天津の曙町へ前借で買はれてきてから、日本名をつけていた」と.彼女たちが朝鮮人であったことが明確に書かれている。また成田中尉は春美に向かって「馬鹿野郎、たかがチョウセン・ピイの分際で、なにをいふか」と暴言を吐いている。だが改稿の後、「朝鮮の名前がある」「チョウセン」の部分が削除されており、彼女たちが朝鮮人であることが特定できないように曖昧な表現になっている。戦場の実情を伝えようとした泰次郎の文字を理解する手がかりの一つとして、この検閲調書は重要な意味を持つと思われる。』
(文書名:CIVIL CENSORSHIP DETACHMENT / PPB DPstrict I,Press-Publications JP/TOK/PPB/o/52 22 May 1947)
とのことです。>>15
徳田秋声『或売笑婦の話』読みました
「それあ、そんな人は家うちにも偶たまにはあるのさ。それあ可笑をかしいのよ。七しちおき八おきして、終しまひにその男のために年期を増すなんて逆上のぼせ方をして、そのためにお客がすつかり落ちてしまつて、男にも棄てられてしまふつて言つた風なの。そんなのが江戸児に多いのよ。第一若いお客といへば、まあお店者たなものか独身ものの勤め人なんだから、深くでもなれば、お互ひの身の破滅ときまつてゐるんですからね。それかといつて、貴方あなたのやうなお母さんの秘蔵息子を瞞だませば尚なほ罪が深いでせう。先のある人を、学校でもしくじらせてごらんなさい、それこそ大変だわ。」
このあたりが、当時の考え方でしょうか>>16
>売春婦も吉原の大夫みたいなのもいれば
『たけくらべ』のヒロインは吉原の大夫(予定)だったよね
そのあたりになると、社会的地位は低くないらしい
>EUならスラブや白人奴隷を宗教違うアラブとの交易品にしてたし
日本でも安土桃山時代に、西洋人はキリスト教を布教する一方で、奴隷貿易をしていたわけだし、その倫理観はわからない
が、あまり時代を遡ってしまうと話が変わる>>18
現代でも、
スナックで働くのはセーフ
ソープで働くのはアウトみたいな感じ?
あまり、誰も彼も売春婦だったと言ってしまうのはどうでしょう?>>21
>日本文学の性解放については、先進的(性進的?)だったかもしれません。
『源氏物語』からして、夜這いと不倫の話なのですからそんなタブーは最初っから無かったのでしょう
>「春香伝」は、妓生身分だった為、否応無しに権力者のおもちゃにされそうになるのを、懸命に拒否して、将来を誓い合った人との純愛を貫く話です。
その権力者を日本軍に置き換えると、日本人は悪役になるわけですね
「Nana」「ファニー・ヒル」はwikiで調べる限り社会に対する敵対者として語られているような感じ?
その辺が、日本文学と違う気がしますね
知識が無いので憶測ですが>>22
ドストエフスキーの「罪と罰」は登場人物がやたら多い
キリスト教に関するネタであると言う先入観で敷居が高いのですが
>そもそも新約聖書のマグダラのマリアは娼婦であり
それ以上言ってはなりません。
世界の半分を敵にすることになります(^^;)>>23
ピエール・ロティの「お菊さん」
開国時の日本がフランス人にどう思われていたのかわかりそうな話ですね>>24
そんなことも世襲で決められていたのですね
とにかく、李氏朝鮮が複雑な身分制度を持っていたことはわかりました。たぶん古代は娼婦=汚れた女・悪い女ってイメージは世界のどこにもなかった。神殿娼婦や日本でも歩き巫女みたいに売春と宗教が関わってるパターンも多かった。
それが例えばキリスト教やイスラム教みたいに女性の貞潔を重んじる宗教が広がることで、娼婦=罪の女、のようなイメージが付加されていったんじゃないかな。
だから欧米では、どんな事情があろうとも娼婦は汚れた女で罪の女、つまりその女性自身が罪人であって、蔑まれたり忌避される対象であることに間違いはなかった。
マグダラのマリアを例にするなら、彼女は性的不品行なかつての己を悔やみイエスに従ったからこそ聖女とされて、「悔悛した娼婦の守護聖人」になった。
でも日本では、少なくとも江戸時代末期までは違ってた。
娼婦はもちろんその女性自身が罪深い悪女である場合もあるけれど、基本的に悪いのは女衒と楼主、次に悪いのが売った親、売られた女性には罪はない、哀れな女性と見られることが多かった。
さらに言えば「身を売って親を助けた孝行娘」と美化される場合もあった。
この感覚の違いって絶対に大きい。と思う。ドストエフさんが苦手なら
「欲望という名の電車」主人公ブランチは
夫が同性愛者だったことで精神不安になり
娼婦まがいの境遇に身を落として妹のところにころがりこむ話。
井原西鶴の「好色一代女」に似ていないこともないが、
娼婦というのは実存的テーマ性があるわけです。
源氏物語だって、夕顔も浮舟も、それから六条御息所だって
或る意味で高級娼婦みたいなわけですが。
遊女との色恋をテーマにした作品としては「春香伝」よりも、
近松門左衛門の「心中天網島」のほうがはるかに傑作です。>>33
まさしくその通りだと思います。
著者は単行本の序文で次のように書いています。
「戦争の間、大陸奥地に配置せられた私たち下級兵士たちと一緒に日本軍の将校やその情婦たちである後方の日本の娼婦たちから軽蔑されながら,銃火の中に生き、その青春と肉体を亡ぼし去った娘子軍はどれだけ多数に上るのだろう。日本の女達は前線にも出てこれないくせに、将校とぐるになって、私たち下級兵士を軽蔑した。私は彼女たち娘子軍への泣きたいような慕情と、日本の女たちへの復讐的な気持ちでこれを書いた。」
おそらくこれは当時の日本軍の兵士たちの実感に近いのではないでしょうか。
「慰安婦は日本軍の天使だったのではないのかなぁ。」と書いておられる方がありましたが、私も同感です。>>37
そろそろ、私の付け焼き刃の知識では、ついていけなくなりました。
(付け焼き刃の元は、ラノベの『文学少女』シリーズ。(^^;))
源氏物語は、若紫をさらってしまうところまでは読んだのですが、
そのあたりで挫折
女性作家や女性文学者が『この時代にこれだけの恋愛小説があるのは世界的にもすごい』と持ち上げていますが
西洋でその時代に源氏物語を出版しようものなら、教会により発禁処分を受けて宗教裁判にかけられてしまうからでないか?
と思ったりしています。>>40
強制連行をしたというなら徹底的に抵抗したという記録が残っているだろうが、そんなものはない
朝鮮人を騙したと言うなら、朝鮮語を話せる朝鮮人だろう。日本人ではないね。レスビアに宛てた、古代ローマの詩人カトゥルスの遣る瀬無いラブポエム集とかも娼婦ものに入ると思うんですよ(小説ではないけど)
古代ローマは娼婦で一杯だ(笑)『・・お兄さん~♪プラス、一万で「生」、オッケーだよ~ん♪』
というキムチ女の誘惑に負けて「生」でやって、ビョーキもらう方も悪いと思うから
自業自得の奴もいるだろうな。>>45
キリスト教が蔓延する前は、もっとフリーダムで明るい社会だったのかも
これに対抗できるのは、
日本では万葉集の額田王
『茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る』かも?
不倫の詩など実名で残すなよと、学生の頃思いました>>44>>47
それが実は他の性病ならともかくとして梅毒についてはそうでもなさそうです。
梅毒は当時不治であることに間違いはありませんが感染中に症状の出ない潜伏期が数年~十年ほど存在しているために、そのときに治ったと思ってしまうケースが多いそう。
しかも一回感染すると妊娠もしづらくなるため、女郎さんたちの間では「鳥屋につく」(※梅毒にかかって初期症状が出る→潜伏期で症状が落ち着く)と「遊女として一人前」とされたりしたそうです。
この潜伏期と不顕在感染があいまって、江戸末期になると開国日本に来た外国人が驚くくらいに日本人の間に梅毒が蔓延していたりします。
梅毒は「罹ってもすぐに死ぬわけじゃない病」だったわけで、それに比べれば盲腸や虫歯のようなものの方が江戸時代人にとっては辛かったり命の危機を感じる病だったのではないかと。>>49
潜伏期間で治ったと考えてしまうのですか
それでは、梅毒を広めているようなものですよね>>55
そうなんだ。
そう聞くとおもしろそうだね。
ちょっと挑戦してみるかな。
ID変わってるかも知れないけど54です。
おすすめありがとう。日本ではないがダブリンに実在した修道所。
七つの大罪、カトリックで虚飾、怠惰、嫉妬、憤怒、色欲など。
イエスの足を髪の毛でぬぐい、接吻して香油を塗ったり、イエスの喪葬時にも香油を準備したマグダラのマリア。聖書の「罪深い女」はマグダラのマリアであったともされ、七つの悪を排除したともされる。
娼婦や姦通やレイプやふしだらな性問題をかかえた罪深き女の保護や更生施設が中世からあり、各地でマグダレン施設となった。マグダラのマリアからマグダレン・ ランドリーズ(洗濯施設)へ、1996年までアイルランドに実在した女性保護の更生修道院、苦役で修道女や神父の虐待されていた。YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=vzFMDRSOc00
聖母慰安婦像崇拝でマグダレン化.>>54
桜庭一樹は大ファンでした。(ちょっと過去形)
講演会に行って、単行本(砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない)にサインをもらったこともあります。
初期作はよくこれでデビューさせてもらったというレベルでしたが、
突然、開花した感じ
思春期の感情表現がうまい
『少女七竈と七人の可愛そうな大人』もお勧め>>57
一神教は、とかく正義を振りかざしたがりますよね
親鸞の悪人正機説ような考え方はないのでしょうか?- 61
名無し2023/03/10(Fri) 10:29:43(1/1)
このレスは削除されています
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名無し2023/03/10(Fri) 10:36:45(1/1)
このレスは削除されています
売春婦と日本文学
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