旧日本軍の兵器工場病院建物は保存すべきか=韓国

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    • 1名無し2023/01/26(Thu) 16:58:53ID:g1Mjc0Nzg(1/1)NG報告

      富平(プピョン)米軍基地のキャンプマーケットには、旧日本軍の造兵廠(兵器工場)の病院として使われた建物があります。造兵廠は日本による植民統治時代に日本軍が兵器を作り保管していた施設で、朝鮮人が強制労働で建てたものです。この造兵廠には1945年の解放後に米軍の部隊が建てられ、造兵廠病院の建物は米軍も病院として使用していました。しかし、朝鮮戦争中にほとんど焼失し、米軍は残った病院の建物を多目的倉庫として活用しました。現在、植民統治時代に建てられた建物のうち残っているのは一棟だけです。

       富平米軍基地が返還され、この建物の存置あるいは撤去をめぐる論争が始まりました。キャンプマーケット市民参加委員会でも、土地浄化費用と時間的制約などを理由に撤去しようという側と、歴史的意味を考慮して保存すべきという意見が拮抗しました。長い議論の末、2022年6月に市民参加委員会は撤去後に復元するという結論を下し、仁川市も国防部に「事後復元を前提とした撤去」の方向性を通知しました。しかし、文化財庁が約2カ月後の8月に撤去猶予を要請し、仁川市は結局撤去を留保しました。

       その後、国防部、仁川市、文化財庁は造兵廠病院の建物をどのように処理するかについて改めて話し合いました。キャンプマーケット市民参加委員会でも同様に論争が繰り広げられました。9月に国防部、仁川市、文化財庁の3者が膝を突き合わせた結果、撤去する方向へと再び方針が傾きました。

       結局、国防部は2022年に造兵廠病院の建物活用計画を提示しなければ撤去するという内容を盛り込んだ公文書を仁川市に送りました。仁川市はこれに対し別途の公文書を送らず、国防部は2022年11月撤去のためのアスベスト(石綿)除去工事を行いました。このニュースが伝わると、地元の歴史学界から批判が相次ぎました。結局、仁川市は国防部に撤去留保を要請する公文を送り、国防部も仁川市と協議するまで撤去工事は中止することにしました。

       撤去は中断されましたが、キャンプマーケットの造兵廠建物をめぐる議論は終わっていません。むしろ撤去と中断を繰り返しながら利害関係者間の意見対立がさらに深まっています。

      http://japan.hani.co.kr/arti/politics/45704.html

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