西暦900年代半ばにデンマークとノルウェー南部を無血統合したのは偉大なハーラル1世「青歯王」だが、彼は現在、主にスマホとイヤホンを無線で統合する業務に勤しんでいる。豆知識だ。
話を元に戻す。
西暦1066年、フランス国王臣下ノルマンディー公ギヨーム2世がイングランド王ハロルド2世を倒し、ノルマン朝イングランド王ウィリアム1世として即位する。「ノルマン・コンクエスト」である。ノルマン人がイングランドを征服してやったぜという事だ。
そもそもノルマンディー公国って何、という話だが、ロロという乱暴者のヴァイキングがフランス国王の足元みてフランス国王にフランス北部の土地の支配を許可してもらって出来たヴァイキングの国である。(ノルマンディー上陸作戦があった辺りだ)
ノルマン朝ウィリアム1世は正真正銘ヴァイキングの末裔なのである。
さてそのヴァイキングの末裔たる新国王がブリデン島に持ち込んだのはヴァイキングの酒と娘である。これは嘘である。
彼が島に持ち込んだのは多くのフランス文化と大量のフランス語語彙である。
イングランドは実質的にその後数百年二重言語国家であったのだ。支配者層が使用した上位言語はフランス語(及びラテン語)であり庶民の言語は西ゲルマン語課「中英語」、そして辺境地には古いタイプの印欧語話者が存在するといった感じであったのだ。まあ百済みたいなもんだ。
二重言語であった面影を今に残す例として、
牛(COW)牛肉(BEEF←仏語由来)
羊(SHEEP)羊肉(MUTTON←仏語由来)
みたいなものがある。
支配者層食文化のおフランス語彙が残ったのである。
ゲルマン語課所属の当時の中英語は、島に存在した古いタイプの印欧語の要素や、ラテン語の語彙を取り込みつつ、以降フランス語のエッセンスをたっぷり振りかけられ、簡素化しながら近代英語へと変容していく。
ブリデン諸島の人間集団及び言語は斯様な感じでご近所の影響を多様に受けつつ形成され現在に至っているのだ。
そしてここに登場したホワイトホークウーマン以降の出演者、出演集団は漏れなくステップの非定住民ヤムナヤ・ホライズン由来集団のDNAを受け継いでる人々である。
「国家間遺伝的類縁性は地理的距離及び言語類縁性と概ね強い相関性を有する」
大した文字数も書けない。超端折った内容となったが、感覚的に成程ねー、と感じてくれたら幸いだ。4、印欧語発見の顛末
「全ての印欧語は単一の先史言語を祖先とする」んじゃないかと思う。
サンスクリット語とラテン語等ヨーロッパ言語に文法、語彙の極めて高い類似性を見出したこのインド在住法律家の純粋な知的見解は、比較言語学、ヨーロッパ通時言語学の出発点となり、後にグリムの法則等印欧語の音韻対応研究などの成果を産み出すことになるが、その一方で帝国主義時代に突入しつつあったヨーロッパ人達に「稲作はどこから来たか」ならぬヨーロッパ人とは何者でどこから来たかといった自らのルーツ探しにも旅立たせることになる。
その道程でインド在住法律家の言語学上の知見には、19世紀ダーウィニズムや、ダーウィンの従弟の論説等の生物学的要素が纏わりつくように絡み合ってくる。人種という概念が考案され、アリヤ、アーリアと自称していたらしい北インド、ヨーロッパ人の共通祖語を話していたとされた先史言語話者、そしてその子孫であるヨーロッパ人は背が高く、明るい髪と青い目、健康な肉体と優れた知性を併せ持つ最も優れた1つの人種であると断定されるに至る。そんなこんなで、
「インド、ペルシャに侵入したアーリアンは混血して堕落したのであり」
「ヨーロッパ人はアーリアン、その純血性を保たなければならない」
といったロジックが形成されていく。
イギリスでは、「劣った人種である黄色人種、黒人は白人が支配指導するのは当然であり、鉄道を敷き、医療を施し、用水路を整備し、教育を授ける事は白人の義務であり、責任であり、非ヨーロッパ人種に対し実施しなければならない利他的事業である。」といった何とも素晴らしい言説が広く認知されるに至る。
帝国主義の拡大と自然科学の発展は車の両輪の如く関係性であった事は否定出来ない事実ではあるが、背景には帝国主義による植民地支配の正当化という側面があったことは言うまでもない。
ドイツでは、概論程度を履修してる人であれば誰もが知る超有名人ながらも歴史から抹殺された人、グスタフ・コッシナが登場する。
「限定可能な考古学上の文化領域は特定の民族と一致する」縄目文土器と呼ばれる土器の地理的分布とゲルマン語を話す地域の重複を根拠に、ドイツ人のルーツが縄目文土器にあるとした上で、それらが出土する地域を自己領土と主張する権利があると彼は仰ったのだ。(彼自身は1931年に亡くなっている。)因みに当時発掘されていた縄目文土器の分布地域とは当時のポーランド、チェコスロバキア、ロシア西部である。
この言説は第一次世界大戦に敗れたドイツ人のナショナリズムを煽り、ナチスは当然の如く飛び付くよな。
ナチスはコッシナ学派の考古学的理論を「自らの世界観の教条」とし、「教条理論に基づく他国侵略は学術的見解に担保された正当な行為である」とした。また、ドイツゲルマン民族は最も優れた純血性を保つアーリアンで、その純血性を保つ事を絶対としたのがヒトラーである。結果ホロコーストも「正当性を担保する理論を有する生物学的な帰結的行為」とされた。
1法律家の言語学上の知見は百数十年間でこのように斜め上方向にすっ飛んで行ったのである。名誉アーリアンという奇天烈な称号を賜った集団も極東に存在したようだ。
印欧語発見という知見が辿った1つの顛末はこんな感じである。現在に至っても姿かたちを変えマッドなサイエンスであるアーリアン信奉者は欧米ではまだまだ元気である。
そもそもホモ・サピエンスに純血も雑種も何もあったものではないのだが、前述した通りアーリアンなるものの正体であるヤムナヤ・ホライズン由来集団は雑多な交雑民でありホロコースト対象となったロマ同様、非定住生活を営んでいたのだ。
尚、コッシナが着目した縄目文土器の分布と拡散は実の所ヨーロッパに進出したヤムナヤ・ホライズン由来集団が大きく関与している。皮肉なことではある。
歪んだ思想と確証バイアスに基づく言語学、遺伝学、人類学、考古学上知見の稚拙で断片的恣意的流用は、事実からは遠く逸脱し、他者への差別し、貶め、自らの矮小な自尊心、アイデンティティ、願望妄想を満たすためだけの道具としてしか機能しない。」
という事である。
現代の研究者にとってこの様な歴史的負債は言うまでもなく基礎的な教訓となっている。
しかしそういう知識、知性が全く欠落している連中は沢山いる。
ちょっと小難しくなったな。さて、諸々書いたがお問い合わせにまず1つ答える
ヨーロッパ全体を俯瞰すれば、南ヨーロッパ集団より北ヨーロッパ集団の方がヤムナヤ・ホライズン由来ゲノム比率が高くなるクラインが存在する。ヨーロッパ全体を一括りにして遺伝的類縁性を日韓と比較するのはちょっと難しい。と言うかそのようなデータの存在を申し訳ないが俺は知らない。しかし下記は返答出来る。
英集団と仏集団は、日集団と韓集団の遺伝的類縁性より同質性、類縁性が高い。
英集団と印集団は、日集団と韓集団の遺伝的類縁性より同質性、類縁性が低い。
アホの玩具にされたくないため論拠資料の添付は控える。
歴史的経緯を踏まえれば至極当然だろう。諸々書いた内容からも何となく納得できるのではないか。
因みに日本人集団と最も遺伝的類縁性が高い国民集団は言うまでもなく韓国人集団なのだが、それをどう捉えるかということは各個人の知性とアイデンティティに基づく主観に委ねるしかないという事だ。絶対的尺度など存在しない
イギリスは近代に於いてインドを植民地支配していたが、その実態はたった数万の兵士と数万人の役人、そして数十万人を超える実業家により3億人のインド人を支配するという重商主義的支配がその基盤となっており、現在においてイギリス植民地支配時のインド地域への遺伝的痕跡はほぼ皆無と言えるものでしかなく、英印の遺伝的類縁性、同質性の顕現主要因はヤムナヤ・ホライズン由来集団の進出時に生じたイベントまで遡るものとなる。人種概念による白人至上主義及びインドに存在するカースト制もまた遺伝的痕跡を残さなかった大きな要因でもあるだろう
一般論だがそもそも支配期間が短期間かつ、農耕が既に開始され多数の農耕民が存在する被支配地域に於いては、積極的な「入植」と「虐殺」なしには大きな遺伝的変容は容易に生じるものでは無い。元の高麗支配等にも言えることだ。
1700年代後半オーストラリアに於いてイギリス人の入植が開始される。タスマニアではカンガルー同様ハンティング動物と化したアボリジニが文字通り1人残らず島からその姿を消すこととなる。
ほんの数十年で当該地域住民の遺伝子も地域言語も大きく変容した極端な事例の1つである。
尚、ヤムナヤ・ホライズン由来集団のヨーロッパ進出時には疫病の持ち込みがあったことが示唆されている。
話がちょっとズレたがまず1つ返答した。もう1つのお問い合わせだが、フィンランド語、ハンガリー語は印欧語ではない。指摘の通りバスク語も同様だ。
バスク語は印欧語話者集団がヨーロッパに進出してきた中、唯一残った先住在来民由来の言語としか考えられないだろう。しかしながら正確なところは俺もよく分からん。
フィンランド語、ハンガリー語は共にウラル語族であり、印欧語のヨーロッパ進出とは異なる経路を辿り双方共ウラル山脈南方からヨーロッパへ流入した集団の言語とされている。
しかしフィンランド語、ハンガリー語のヨーロッパへの流入時期は大きく異なる。
ハンガリー語話者である遊牧生活者マジャール人集団が西方に移動しつつカルパチア山脈を越えて既に印欧語話者で埋め尽くされていた中央ヨーロッパにやって来たのは西暦800年代であり、カルパチア盆地に国家を形成したのは西暦900年代である。カルパチア盆地居住民にハンガリー語への言語交替が生じると共に小規模集団であったマジャール人も遺伝子レベルに於いては時を経る中で地域集団と同化していったものと思われる。
フィンランド語話者のヨーロッパ流入はハンガリー語より遥かに古く新石器時代~銅器時代まで遡るようだ。フィンランド語話者はそもそもごく近現代に至るまで独自の国家を有した歴史を持たない。フィンランド語話者はその歴史の大部分を両隣の国家に従属する中で、DNAレベルでは長期間を経る過程で周辺集団と同化しつつも独自の言語を有する言語集団としての血脈は保ち続けた集団と言える。
「金で札買えば天国に行けるなんて言ってるローマ教皇の言うことなんて聞くな。聖書だけを信じろ。」ってルターとか言う男が言ってるみたいだけど、この田舎のどこに聖書なんてあんのよ、そんなのないとなる。作れよとなる。じゃ作るべとなる。
フィンランド語に限らず宗教改革を契機とした主に北ヨーロッパ各国語による聖書訳出は各国言語の共通語(標準語)形成に多大な役割を果たしている。1500年代のアルファベットによるフィンランド語聖書訳出はフィンランド語話者にとっては恐らく初めて広く行き渡った自国語文字化書籍であり、後の独立運動に繋がる言語集団としてのアイデンティティ形成の萌芽の1つとなり、言語集団としての血脈を保つ大きな要素となったと言えるのではないかな。
以上、ほんの少しでも広角で奥行きを伴った理解に繋がってくれればと思う。終わりだ。>>1
どこからなんてどうでも良い。
日本の米は世界一美味しい。品種改良に並々ならぬ努力をした結果だから。
韓国に品種改良は不可能だろ?そんな知識も無いから。日本米をバカにするな。>>319
長文ご苦労さん。中々しゃれた語り口、貴殿只者じゃないニダね?
〉最も遺伝的類縁性が高い国民集団は言うまでもなく韓国人集団
これについては修正意見もないかね?鶏はどこから来たのか。
東南アジアのセキショクヤケイを飼育したもの。
弥⽣時代に導⼊されたと考えられている。
●弥生文化におけるニワトリの継代飼育を初めて実証。
●日本列島最古のニワトリの骨の年代(紀元前3世紀~4世紀)を確定。
●コラーゲンタンパクの質量分析によるニワトリの骨の同定の有効性を実証。
唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町)から、紀元前3世紀~4世紀の日本列島最古のニワトリの雛の骨。
The earliest evidence of domestic chickens in the Japanese Archipelago(日本列島におけるニワトリの最古の証拠)https://www.hokudai.ac.jp/news/2023/04/post-1218.html
紀元前3世紀~4世紀は東アジアにニワトリが導⼊された下限とみなすことができるものでもある。
記録から紀元前641年までに中国にはニワトリがいたと考えられる。
導⼊初期に、その性⽐が著しく雄に偏る例は世界的にも類例が知ら
れていません。このような傾向が朝鮮半島や中国東部など他の東アジア地域でも⼀般的であったのかな
どの解明も今後の課題>>322
〉導⼊初期に、その性⽐が著しく雄に偏る例は世界的にも類例が知られていません
どう言うこと?「登呂遺跡」日韓で共同研究 3月、静岡で初の国際シンポ 稲作伝来の歴史に迫る
国指定特別史跡「登呂遺跡」の学術的価値や利活用策を探る日韓初の国際シンポジウムが2024年3月、静岡市駿河区の市立登呂博物館で開かれることが23日までに、市などへの取材で分かった。市や静岡大の研究者が中心となって開催。登呂遺跡より古く、韓国で本格的な農耕文化が始まった遺跡の一つとされる「松菊里(しょうきくり、ソングンニ)遺跡」の調査研究に携わる同国の大学教授らを招き、稲作伝来の起源や発展の歴史に迫る。23年に発見80年を迎えた登呂遺跡を共同研究し、国外に発信する好機とする。
市や静岡大によると、登呂遺跡に関する国際シンポは初めて。松菊里遺跡は静岡県が友好協定を結ぶ忠清南道の扶余郡に位置し、登呂が1~5世紀ごろであるのに対して、松菊里は紀元前9~4世紀ごろの遺跡で、稲や雑穀が多数出土している。
国際シンポには、日本側から登呂遺跡の調査研究を行っている静岡大の篠原和大教授や静岡市の学芸員、韓国側から韓国伝統文化大学校(忠清南道扶余郡)の李基星[イキソン]教授や現地の行政関係者が参加する。併せて両国の考古学者らによる国際研究会も開き、日韓の農耕文化研究の最新の動向について意見交換する予定。
静岡大と韓国伝統文化大は農耕文化の研究に関する交流協定を結ぶ方向でも調整している。17年、同博物館で両学生の交流会「考古学学生会議」が開催された時から協定締結の話は出ていたが、コロナ禍が重なり中断。韓国伝統文化大側からの誘いを受け、篠原教授が23年3月に渡韓し、協議を再開させた。その後、両自治体の担当者も加わり本格的な交流に向けた話し合いを進める中で、国際シンポ開催の機運が高まった。
篠原教授は「それぞれの国で、本格的な農耕文化の始まりとして代表的な遺跡同士が交流することで、登呂の価値が高められることが大きな意義になる。農耕文化の起源や過程はまだ分かっていないことが多く、共同研究で明らかになることも多いと期待している」と強調する。- 327名無し2024/01/24(Wed) 21:53:01(1/1)
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- 329名無し2024/01/24(Wed) 22:03:20(1/1)
このレスは削除されています
>>328
ルートが1つだけとも限らないし、途中までで途絶えた可能性もあるし、道中に「マウント取りクソ半島ヤクザ」さえいなければ、純粋に学術的に楽しめる話なんだがな。
「マウント取りクソ半島ヤクザ」は、縄張り通ったらみかじめ料払えと鬱陶しい。朝鮮半島は人が住んでいなかったので絡むことはない
>>324
こういうのをカスチョンとやる価値なんか全くないのに、迎合のつもりかやる奴もいるからな。まあ、それをいったら上皇陛下も無駄な種撒いてくれたけどね。シナチョンは地域名に過ぎないんよね>>326
>>327
ハツカネズミの遺伝子研究も割に興味ある話題だよね
ハツカネズミは人間の家に寄生するので狩猟民族では生育しない(移動生活なので)
その遺伝子解析では約4000年前にインド地方のハツカネズミが中国南部を経由して日本に来ている。ということは4000年前に狩猟生活から脱却した一群が日本にいた。もうひとつ約2000年前に朝鮮半島経由でもハツカネズミが日本に渡来している
このことから朝鮮半島経由でもう一つの農耕民が2000年前にも日本に入ってきたことが分かるのだが、問題はその在り様なのだよな
朝鮮半島では日本併合に至るまで事実上水田が無かった。あったのは陸稲だけ。生産性は原始的なものなのに、陸稲しか存在しなかった
20世紀に至る最後まで水田稲作を実現出来なかったという事実だけで、いずれにしろ米作に関しての朝鮮は、ほぼ貢献度は無いという話だろう>>328
朝鮮半島の稲DNAに存在しないDNAが日本の稲に存在しているので②③のルートはあり得ませんね
日本列島或いは中国大陸から②③へ伝播してないと朝鮮稲のDNA配列の説明ができません最近までネ〇〇ヨの説信じてたがやっぱ学会では朝鮮半島渡来説は有力な説のままみたいね。
・複数渡来説は半島由来説を否定しない
・大陸由来の稲のDNAは半島渡来説を否定しない
・紀元前1000年以上前の寒冷化以前の気候を現在の気候で考えてる
・陸稲と水田稲作、稲と稲作技術の伝来を混同
・水田稲作跡と見られる南京里遺跡、オクキョン遺跡が日本最古の水田稲作跡を遡る
・プラントオパールは黄砂と同じく風に乗って飛来する、また地層が撹拌されるため年代測定には適さず疑問視されている。渡来時期の判断にはレプリカ法が確実。
・日本の初期の水田稲作跡の土器や農具が朝鮮半島と共通。
・朝鮮半島稲作伝来ルート否定の根拠に引用される佐藤洋一郎が半島ルートを否定していない
まあ半島南部は縄文人が住んでたんで彼らが伝えた可能性はあるがその彼らは誰から学んだのかって話にもなるな水田稲作自体が、「必要になったから出来た技術」と考えると、中国のような土地が多い場所で発展したのかも、正直、疑問だとは思う。
日本の様に土地が狭く限られており、その上、水が豊富でないと古代で必要とされるとはなかなか思えないんですよね。- 339名無し2024/03/12(Tue) 03:40:39(1/1)
このレスは削除されています
確定(比定)までは至ってないけど、年代的にも遺跡的にも道具的にも、日本から朝鮮半島南側、というのがどんどんと可能性が高くなってきていますね。
「紀元前1000年以上前の寒冷化以前の気候を現在の気候で考えてる」というのもそれで、今が半島で稲作出来ているから、というのは当時の気候では合わないのでは?という話です。
また、ソウル近郊で日本様式の遺物が見つかったのもそうなのですが、それ以前から韓国初の釜山の南にある新石器時代の加徳島で見つかった発掘人骨の核DNA検査の結果、縄文人的と判明した事や、船についても日本の木材が使われている事など、縄文時代には日本は海洋進出しており半島南側で居住を始めているのも確認されており、半島南側は強い日本の影響を受けていた事を示す証拠ばかりが見つかってきています。可能性が高い低い関係なく
朝鮮半島にはまともな水車がなく農耕が全く発展してないことが立証されてる
汗水流すことをプライドの無意味に高い朝鮮人がどうやって米作できようか
水車がない時点で話にならないんだよ>>342お米は日本から中国、中国から日本に水田が伝播した。
>>342
そうなんですよね。
水田ができた当時、倭人がその地域に住んでいた痕跡が考古学的に出てきているという。>>342だから殷で使われた甲骨文字は日本で使われていた神代文字からきている。そこから出来た漢字が日本に逆輸入のカタチで入ってきた。
>>335
オクヒョン遺跡の総評
「オクヒョン遺跡は複合遺跡であり、様々な時代の遺構が分布するが、その中で最も中心をなすのは青銅器時代である。青銅器時代の翡翠遺跡は大規模な集落が形成され発展した時期で、単独丘陵には住居地をはじめとする生活遺構の密集分布、曲部平地では農耕作地が分布しており、一単位の集落をより広い観点から見ることができる。住宅地の保存状態が良好で、ある丘陵に多数の住宅地が存在しており、住居配置を通じた相互の関係、集落内の空間活用など多様な面を研究できる資料を提供する。
そして、青銅器時代の集落と同時期の水田が共に調査されたという点は、当時社会を理解することに大きく寄与するものと考えられる。また、同じ範囲内で層位を異にしながら青銅器時代-三国時代-朝鮮時代の田んぼが調査されることで、時代別形態と土地利用方法、灌漑体系などを相互比較できる点は農業発達史の次元で重要な意味を持つと判断される。」
青銅器時代を含むいくつかの時代の集合遺跡の水田跡、ということしか分かっていない。炭素年代測定もされていない。朝鮮半島最古の水田跡で重要なのに既に埋め戻されている。>>346
日本より古いというのは日本発のデマに近い
「そもそも玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡のウソを始めたのは元国立歴史民俗博物館の藤尾慎一郎氏ただ一人であり、そう主張した2019年に同氏は副館長から一般研究員に降格しました。」>>338
別に水稲耕作や稲が日本起源と言っている訳ではなく、何の根拠もなく朝鮮半島由来と信じられていたのが、科学分析や遺跡発掘で中国直接由来と判明したというだけ。
今一生懸命ウィキやヤフーの質問箱でオクヒョン遺跡が古いと言い回ってるわ。よっぽど困るんだね。2019年の韓国の記事
[単独]朝鮮半島で最も古い「田んぼ遺跡」世宗市で見つけた
韓国高環境研究所
政府庁舎付近大平洞一帯で
3200年前、田ん農師跡跡発見
遺跡、地上8m下に埋もれており、田んぼの中の稲放射性炭素連帯測定「紀元前12~13世紀耕作」推定既存遺跡より400~500年先にアパートを設置予定学界「特別な保存対策を立てなければ」
大発見なのに続報無し、日本も韓国の学会も何も言ってない。紀元前12世紀って、日本より1世紀遡らせてるとこがやったなという感じ。そのうちこれも根拠にするんじゃねw朝鮮半島では古来より稲作は無理(笑)
理由1
寒い!
理由2
治水工事出来ない(技術が無い)(笑)>>340
こういう説がまかり通るのがカイカイとかネトウヨ系のブログとかインフルエンサーだけで学会では今も朝鮮半島南部から北部九州に伝来したという説が定説なので私は流石にこの手の陰謀論、願望論からは距離を取りたい。>>352
半島は15,000年B.P.は寒冷であ り,10,000年B.P.~10,000年B.P.以後は湿潤または乾燥な気候であった。6,750年B.P.以後は現在まで温暖化気候であるが,その間6,000年B.P.,―4,000年B.P., 2,500~1,000年B.P.には小氷期ともいえる3期の冷涼期 を挟んでいます。
基本的に寒いんですよ。
というので、あったかいわけではないんですよ(そういう機関もあるが)。また、発見されている最古の部分が、やはり半島南側ですね。>>324
登呂遺跡以降、あまりにも多くの遺跡が日本で発見されて、登呂遺跡の存在感が薄れてしまったから、「ここは一丁、登呂遺跡こそが重要な遺跡なんだ、とアピールしないと」という地域エゴの発露かね。
随分と迷惑な話だ。
縄文王朝に連なる民族集団が長らく水田稲作の導入を拒絶して入り込まないようにしていたから、東日本での水田稲作の普及がずっと遅れたのは事実なんだから(異論のある人はいるかもしれないが)、静岡県内では、登呂遺跡よりも、縄文遺跡の研究を進めてほしいんだけどな。登呂遺跡が重要な遺跡であることは、変わりようがないけど。
「水田稲作の普及は、富の蓄積と権力の集中を生み、それが縄文社会の構造を大きく変容させてしまう。だから、稲作によって食料が得やすくなるとしても、権力争いで抗争の絶えない社会の原因をもたらす水田稲作は取り入れるべきじゃない。」
それはそれで、1つの価値観として成立するわけだから、それを持って水田稲作導入前の縄文集団社会では高度な文化が発展しなかった、と捉えるのはナンセンス。
歴史を振り返れば、長い間には富の蓄積によって、周辺部落を統合していって、大きな勢力となり、大陸にも人を派遣して未知なる技術まで取り入れた稲作集団の勢力に飲み込まれていったわけだが、そうした権力闘争が比較的希薄だった時代・地域においてどんな文化が発展し、根付いていったのか。それが、現代日本民族とそれ以外の民族との差を生む大きな要因となった可能性があるのだから、そこのところを調べてほしいのだけど。
日本国内の古い稲作遺跡を敢えて無視する理由が判らない。まず連携して研究すべきは、そちらとだろう。
長年、登呂遺跡を元にした仮説が教えられてきたから、周辺は老害だらけなのかいな。2019年に過去の研究や成果を完全否定された考古学者が発狂中だしな
地方の観光事業投資も無駄になる
あと20年くらいは大きく発表はしないんじゃないかな?一個の遺跡や遺物で歴史が変わってた時代と違い科学データの蓄積による裏付けのある歴史に変わった
これで喜んだのは中国の学者、悲しんでいるのは日韓の学者、最終的には中華世界の影響下でしか無かったのが証明されたんだよな
遣隋使以降の日本の歴史と縄文人以外は>>352
寒冷化により北海道や青森の遺跡が放棄されたのが4500年前で朝鮮半島の遺跡や遺物が皆無になる無人化も同時期に起こっている
世界中の文明崩壊がいつ頃起こったかすらも知らないのか?>>357
その中国では毛沢東の大躍進政策で数千万人もの餓死者を出したわけだが…。
古代から続く中国の文化を根こそぎ破壊したのも毛沢東だしね。>>353
考古学を遺伝子学が完全否定している時代だぞ
20年前で知識の更新が止まってる馬鹿だって自覚しろ
歴史は遺伝子学者が裏付けした物以外はロマン領域になっている>>352
日本の方が技術があったみたいですけど?
http://www.ka-ahcs.org/tusin-7.html
「また朝鮮半島では前稿で述べた水田作を行うための必需農具である「畦塗り具」の検出が、わが国の弥生時代中期に相当する新昌洞遺跡から出土した 卓球のラケット状の至って素朴なものが初出となる。菜畑遺跡では「諸手鍬」と効率的だが、新昌洞遺跡の出土品はそれよりはるかに後進性を示す。 朝鮮半島での木製農具の検出は畠・畑作用の物が多く、水田遺構も「中国型」には不向きな小区画水田で、稲作での先進性はみられない。
そもそも稲作の朝鮮半島伝来説は、考古学調査によって早くに南京遺跡や松菊里遺跡でコメを検出し、わが国での朝鮮半島系遺物とみられる大量のモノの検出がありながら 水田遺構の検出が遅かったところから推測として唱えられ、それがモノと農業技術の相違を認識することもなく、繰り返し述べられてきたことによって 定説となってしまったようである。」>>353
ルイセンコになってるのは韓国人の方だよw去年から日本史の学校で使う教科書で弥生時代が2800年前からに、縄文時代が16000年前からに変わった
でも、この説って2~40年前に提唱されて20年前にはほぼ確定していた事案なんだよねw
一般で確認できるようになるには爺ら連中が騒ぎまくるんですごく時間かかるんだわ
渡来系弥生人の場合初期は長江系中国人、これが水稲を持ち込んだ
中期は燕人系縄文人(大陸に居た縄文人が燕人と混血して戻って来た)、が鉄器と青銅器を持ち込んだ
後期は長江系・黄河系・満州系縄文人でありこれが一気に人口増大した要因なんだ
詳しく調べたければヤポネシアゲノムで調べれば古代日本人と古代中国人、現代日中韓のDNAに関しては詳細に出ている
何故か大韓民国だけは協力してくれないので古代の朝鮮半島にいた人の情報は無いけどなwwwwhttps://www.nig.ac.jp/nig/ja/2021/04/research-highlights_ja/pr20210331.html
総説論文1:
東アジアにおける現代・古代のヒトゲノムデータを概観するとともに、これらの再解析をおこないました。その結果、縄文時代人のゲノムが弱いながら古代北シベリア集団のゲノムからの影響を受けていたことを発見しました。
の下の方にある図を見ると良く理解できると思うけど朝鮮半島の古代人DNA解析については現地の協力が全く無いんだwwwww
日中韓歴史研究から韓だけ除外されるのも当然だよな
稲作はどこから来たか partII
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