日本のアレキサンダー大王のアーチ型横穴群で
ギリシャ文字と北欧のルーン文字が発見!
Κ (k)
Υ (i )
ω/Ω (o)
Λ (L)
Ι/ι (i)
Ν/ν(n)
読んでみると
KYo (?..) L, Lin
ΛΙΝ (Lin)
>Νίνα Λιν ロシア人
ギリシャ人名だねww
KYoLという単語を検索したら
ロシアの黒海の湖だね
この人はアレキサンダー大王の配下の兵士だったが、
スキタイのロシア人だったんだ突厥帝国の阿史那氏 Ashina ➡Tocharian トハラ人のāśna
トハラ人は紀元前2000年前からウイグルと甘粛省、インド、韓半島と日本に定着した民族だ
彼らの起源は北欧系のスキタイだろう
実は日本の宮廷雅楽の多くはトカラ人の舞楽からきている。
亀茲楽(きじがく)、つまりトカラ人の舞楽であるからである。雅楽で使われる楽器である、笙(しょう)、
篳篥(ひちりき)、羯鼓(かっこ)、琵琶、箏(そう)、すべて亀茲楽のものである。
https://note.com/kodaishi_masato/n/nb6507fcb415b
He further links *A-ši-na to the Xiongnu title 閼氏, which was pronounced ât-zie in Late Middle Chinese,meant "wife of a ruler",
彼はさらに、A-ši-naを突厥帝国(匈奴)の閼氏(=金閼智=源氏) とリンクしています。
これは「統治者の妻」を意味する中後期中国語でât-zieと発音されました
>>
閼氏(=金閼智=源氏)=Ashina ➡Tocharian トハラ人のāśna
=Alga=Olga 北欧のノルディック語とロシア語の奥さんという意味!突厥帝国の阿史那氏 Ashina ➡Tocharian トハラ人のāśna
in Tocharian āśna- "blue, dark" (from Khotan-Saka and Sogdian). There is textual support for either of these versions in the Göktürk Orkhon inscriptions, in which the Göktürks are described as the "Blue Turks"; being descended from the marriage between Blue Sky and the Brown Earth.
トカリア語 āśna - "blue, dark"(ホタン·サカとソグド語から)です。突厥帝国 Göktürk Orkhon 碑文には、
これらのいずれかのバージョンがテキストでサポートされています。 Göktürksは「ブルー·タークス」と表現されています。ブルー·スカイとブラウン·アースの結婚の子孫です
https://en.wikipedia.org/wiki/Ashina_tribe
>>
突厥帝国 Göktürk 人々は青い瞳の白人と茶色の瞳の黄色人種の結婚後の人種だと記録!
突厥帝国(552-744年)の5代 カガン 沙鉢略可汗 Ïšbara Qağhan (阿史那攝圖) 581- 587
(ashina shetu or setu、「white dragon」という意味)の称号も
沙鉢略(または始波羅)でした。突厥碑文に基づき、この名前は(Ishbara)」と読みます
>>
日本の源氏が突厥帝国の白人王だったね🤣🤣ヨーロッパと韓国と日本の同じ発音!
what 何
韓国語 = muo, フィンランド語 = mitä エストニア語= mida
日本語 = 「なん」nan 「なに」nani
カザフスタン語 = ne トルコ語 = ne アゼルバイジャン語 = nə
where どこ
韓国語 = odi ルーマニア語 = unde (onde) ポルトガル語 = onde
日本語 = doko 古語 イズコダ? izkuda ?ロシア語 gde ですが
どこから dokokara どこだ? = ロシア語 Изкуда( Izkuda)
どこまで dokomade どこだ?= ロシア語 докуда(dokuda)
この単語は日本語とロシア語は古語すら100%同じだ🤣
why なぜ , どうして
韓国語 = whe =英語 why
日本語 = naze , dousite
トルコ語 = neden カザフスタン語 = nege
ルーマニア語 = de ce ブルガリア語 = zashto (=dashto)
日本語 =なぜ nazeはトルコとカザフスタンから由来し、
日本語 =どうして dousiteはルーマニアなどのバルカン半島から由来するんだよ
やはり源氏はヨーロッパのバルカン半島の末裔であり、平氏はカザフスタンの高句麗系の末裔だった
YouTubehttps://youtu.be/2gjIiMl_hkE平安時代以降 「どこ」
「いずく」が「いずこ」に変化し、さらに「どこ」へと音変化しましたww
平安時代以前は
日本人はロシア語「いずく」 Изкуда( Izkuda) を
使ったっていう確かな証拠だったね 🤣🤣wwwwwww
なぜロシア語(Izkoda)じゃなくて
(Izkuda)だったことに気づいた
初めから日本語は「いずく」 (Izkuda)だったという事実www
それなら、「どこ」も昔は
ロシア語のように「どく」докуда(dokuda)だったんだろうなwwwwwwwwwwwwwww平安時代以前は
日本人はロシア語を使ったロシア人だった🤣 wwwwwwwwwww
はじめは縄文人がロシア人だと思ったが
弥生時代には日本人はロシア人(=伽耶人=アレクサンダー大王の配下のロシアのスキタイ兵士)で、
古墳時代には百済人だった
where どこ
韓国語 = ódi ギリシャ語 = ópou
ルーマニア語 = unde (onde) ポルトガル語 = onde
韓国語 どこから dokokara どこだ?=マケドニア語 od kade (これ発見🤣)
日本語 = doko 古語 イズコダ? izkuda ?「いずく」 (Izkuda)
ロシア語 gde ですが
どこから dokokara どこだ? = ロシア語 Изкуда( Izkuda)
どこまで dokomade どこだ?= ロシア語 докуда(dokuda)
古代には韓国語where 「どこ」 はマケドニア語とギリシャ語が同じで
日本語はロシア語と同じだ
これは偶然じゃないwwwwwwwwwww伽耶古墳のアレクサンダー大王の
ヴィーナス女神の銀貨の文字は
P(又はD) Ι Α(又はΛ 又はΔ) Τ Ω
riato ?
rilto ?
ridto?お前らもう少し歴史を勉強した方がいいと思うぞ
授業中寝てただろ?
>>469
いいじゃんw
ノーベル賞狙えるよ👍ww
通典 高句麗傳, 卷186
>>高麗王の都が長安城 (=中国の西安市) 🤣🤣
>>高句麗の領土は東西の長さが2,356kmだった🤣🤣
東晋以来、その高麗王が住んでいた平壌城、つまり漢楽浪郡 王險城(=王儉城)でした。
彼は慕容皝(=バクトリア王, 源氏、新羅金氏)に来て伐採した後に国内の城邑に移住し、
この城邑に遷都しました。長安城(=中国の西安市が高句麗の都)とも呼ばれ、
>>慕容皝(=バクトリア王)が 敗戦前にはバクトリア王の都が長安城であったww
山に沿って屈曲して、南は浿水(=揚子江=長江)に臨んで、遼東南千余里にあります。城内に倉庫に機械を積んでおいて、盗賊たちが来て一緒に守りました。王はその傍らに宮を建てた。
その外に国内城と汉城があります。また、別都です。遼東、玄菟など数十の城があり、みんなお互いを統治する役所を持っている。その土地は後漢の時に2千里です。魏に至るまで南北が次第に狭くなって,やっと千余里しかならない。
隋時代には高句麗は東西が6000里に次第に拡張された
>>高句麗の領土は東西の長さが2,356kmだった🤣🤣
自东晋以后,其王所居平壤城,即汉乐浪郡王险城。自为慕容皝来伐,后徙国内城,移都此城。亦曰长安城,随山屈曲,南临𬇙水,在辽东南千馀里。城内唯积仓储器械,寇贼至,方入同守。王别为宅于其侧。其外有国内城及汉城,亦别都也。复有辽东、玄菟等数十城,皆置官司以相统摄焉。其地后汉时方二千里。至魏南北渐狭,才千馀里。至隋渐大,东西六千里
https://zh.wikisource.org/zh-hans/%E9%80%9A%E5%85%B8/%E5%8D%B7186通典 高句麗傳, 卷186
>>高麗王の都が長安城 (=中国の西安市) 🤣🤣
>韓国の高句麗の領土は東西の長さが2,356kmだった🤣🤣
その当時、韓国が中国を統治していたのですねww
東晋以来、その高麗王が住んでいた平壌城、つまり漢楽浪郡 王險城(=王儉城)でした。
彼は慕容皝(=バクトリア王, 源氏、新羅金氏)に来て伐採した後に国内の城邑に移住し、
この城邑に遷都しました。長安城(=中国の西安市が高句麗の都)とも呼ばれ、
>>慕容皝(=バクトリア王)が 敗戦前にはバクトリア王の都が長安城であったww
山に沿って屈曲して、南は浿水(=揚子江=長江)に臨んで、遼東南千余里にあります。城内に倉庫に機械を積んでおいて、盗賊たちが来て一緒に守りました。王はその傍らに宮を建てた。
その外に国内城と汉城があります。また、別都です。遼東、玄菟など数十の城があり、みんなお互いを統治する役所を持っている。その土地は後漢の時に2千里です。魏に至るまで南北が次第に狭くなって,やっと千余里しかならない。
隋時代には高句麗は東西が6000里に次第に拡張された
>>高句麗の領土は東西の長さが2,356kmだった🤣🤣
自东晋以后,其王所居平壤城,即汉乐浪郡王险城。自为慕容皝来伐,后徙国内城,移都此城。亦曰长安城,随山屈曲,南临𬇙水,在辽东南千馀里。城内唯积仓储器械,寇贼至,方入同守。王别为宅于其侧。其外有国内城及汉城,亦别都也。复有辽东、玄菟等数十城,皆置官司以相统摄焉。其地后汉时方二千里。至魏南北渐狭,才千馀里。至隋渐大,东西六千里
https://zh.wikisource.org/zh-hans/%E9%80%9A%E5%85%B8/%E5%8D%B7186高麗王が中国の西安市の長安城を
征服したという記録だねww
これ
通典 高句麗傳, 卷186通典 高句麗傳, 卷186
隋時代には高句麗は東西が6000里に次第に拡張された
>>高句麗の領土は東西の長さが2,356kmだった🤣🤣
高麗が中国を支配していたとすれば、
隋と唐はウイグルとバクトリア(ウズベキスタン及びアフガニスタン)地域が都だったろうねww>>475
寒冷地である朝鮮半島で、南国発祥の「米」が発展するわけないじゃん!高句麗と韓国人は関係ありません
1000年後ピラミッドからSamsungのスマホが発見されたら
エジプトは韓国が支配してた事に成るのか?< # `∀´>気がついたら生えてたニダ
>>466
コインと稲作が、どう関係するのか?
説明してよ!>>491
ほれ!早よ!説明してみろや!>>493
説明、まだ〜?wwwwwwwwwwwwww>>496
だから、稲作と何んの関係があるのか?
説明してみろよ!韓国キチガイ連中で一番ヤバいの間違いなく>>496やな
稲作の発展は東南アジアと中国南部由来
陸路で伝播してれば中国北部でも稲作の履歴はあるはずだが全くない。
海路なら当然日本を経由するよね。朝鮮半島は稲作をするには寒冷地過ぎます
朝鮮半島で米が多く取れる様になったのは寒さに強いジャポニカ米が導入された近代になってからです
稲作はどこから来たか partII
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