【奪おうとして】対馬島は韓国の地【奪われる】

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    • 1名無し2022/07/03(Sun) 01:03:01ID:Q4Mzc4MDI(1/1)NG報告

      奪おうとして奪われる(3)ハンヨンホ詩人
      ※テマド=「対馬島」の韓国語読み、以下「対馬島」。

      「対馬島は、韓国の地」であることを明らかにする根拠は、「独島は日本の地」と強引に主張することより、比較にならないほど多い。

      対馬島は、釜山から最短距離が49.5kmで、日本の福岡(134km)より遥かにに近い。1822年に編纂された『慶尚道邑誌』をはじめ、『三国接壌図』、『朝鮮八道地図原本』などは対馬島が釜山東莱(トンレ)府の付属島嶼として、地理的・歴史的・文献上にて、我々の地であることを明確にした。

      さらに意味深い証言もある。対馬島の初代島主として崇められるソウシゲヒサ(宗重尚)と関連し、「元来、我が国のソン(宋)氏として対馬島に入って姓をジョン(宗)氏に変えて、代々島主になった」という記録(1740年刊行の『東莱[トンレ]府誌』)だ。対馬島の日本名である「ツシマ」の由来と相まって、深く推察できる証言だ。

      全ての固有名詞にはそれなりの淵源がある。日本の場合も、「東のソウル」という意を持つトウキョウ(東京)、古代日本に渡った百済の遺民たちが「新しい国家」を建てるという決意を込めて名付けた「ナラ(奈良)」などジミョン(地名)の由来と意味が様々だ。

      しかし、特に「ツシマ」については、はっきりとした由来を見つけることが出来なかった。「ツシマ」がどうして、そのように呼ばれることになったのか、日本の学者たちも答えを見つけられなかった謎を、快刀乱麻で解き明かした人は故ヤン・ジュドン東国(トングク)大教授だった。元は英文学者だったが、チャウン(借音)文字である郷札として使われた新羅時代の郷歌研究と解釈を、日本人学者たちが引き受けてきたことに憤慨し、郷歌研究に方向を変えた方だった。

      http://www.cctimes.kr/news/articleView.html?idxno=710316

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