(抜粋)
文大統領は任期当初から「民間と公共部門から腐敗を一掃する」と言っていた。ろうそくデモにより打ち立てられた現政権は、自らを「腐敗と繰り広げる戦争における道徳的に優れた戦士」と称して前面に押し出した。大統領の真意を疑う理由はない。
だが、それと同時に、朴正熙、全斗煥、そしてそれ以降民主的に選出された大統領たちの誠意も疑う理由がなかった。彼らはすべて、統治初期は腐敗に立ち向かった。
韓国が少しずつ良くなりつつあることも事実だ。しかし、政治家たちがこの問題を解決する適任者なのかは疑問だ。政治家は腐敗を武器のように使う。「他人を攻撃するために使うことができればOK、私を攻撃するために使われるなら隠さなければ」といった具合だ。彼らにとって腐敗の改善は、政治的に有利か不利かに比べ、副次的な問題だ。腐敗清算キャンペーンが成功していない理由はここにあるのかもしれない。
では、どうすべきなのだろうか? この問題をめぐる議論は、同じ国民に対する非難ではなく、共感から出発しなければならないと私は考える。身近な腐敗の多くが、我々特有の道徳的な善の観念に歴史的根源を置いていることを認識するのが出発点だ。
例えば、1950年代の官僚たちはろくに給料を受け取れなかった。ほとんどは自身が持つ権限を利用して金を稼がなければならなかった。子どもたちを食べさせ、より良い生活ができるよう教育するためだった。
彼らにとっては大家族だけでなく、社会的なつながりの中にある人々を助けなければならない道徳的義務があった。議論の余地こそあるが、彼らにとってはそれが「国家」だった。大家族と所属集団は、彼らが負う道徳的義務の受益者だった。
腐敗の根源を抜本塞源(そくげん)するため、我々は「かつての世代の道徳的義務は今はもうない」ことを自分たちに教え込まなければならない。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/03/26/2021032680146.html
結論を言わせてもらえば、霊的に生まれ変わらない限り、韓国社会からは「腐敗」は無くならない。
【寄稿】「ろうそく政府」でなぜ腐敗は消えなかったのか」
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