- あどけなさも残る台湾出身の少年工。戦時中の昭和18(1943)年から2年間で計8400人以上の10代の台湾出身の少年が神奈川の「高座海軍工廠(こうしょう)」で、戦闘機「雷電」の製造に携わる一方、勉学を続ける「半読半工」の生活を送った(台湾高座会留日75周年歓迎大会事務局提供) 
 韓国で相次ぐ、いわゆる「徴用工」訴訟の理不尽な判決を聞くたびに、ウンザリしている日本人は多いだろう。なぜこの国(韓国)は、国同士の約束や取り決めを守らないのか…と。
 万が一、韓国人(元徴用工)に補償する必要があるのならば韓国政府が行うべき問題である。日本と韓国は昭和40(1965)年の日韓請求権協定によって、これらの問題は解決済みであることで合意しているのだから。
 日本は当時の国力からすれば重い負担である巨額のカネを支払い、韓国はその資金を使って?漢(ハン)江(ガン)の奇跡?と呼ばれた飛躍的な経済発展を成し遂げることができたのではなかったか。そして、日本統治時代の鉱工業施設を?居抜き?で受け継いだがゆえに終戦後、経済で一歩リードした北朝鮮を韓国は1970年代になって、ようやく追い抜くことができたのである。
 https://www.sankei.com/article/20220119-QR6JKWATANPXNNWSUY77AJLSOQ/
日本を今も忘れぬ「台湾少年工」
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