>>1 スレを分けた方がいい
>>1
>>2で指摘した説の出典例は次の様なものです。
「『皮相上滑りの開化』への疑念と民権思想の原基 : 分水嶺としての「征韓論争」と群島性のヴィジョン」柴田庄一 著 名古屋大学 2009-10-09 「言語文化論集. 31(1)」に掲載
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8691237/1?viewMode=>>1
>2.聖徳太子は実在の人物ではない。
聖徳太子は中国王朝へ盛大に喧嘩を売った人物。
日本の歴史学者には、GHQ統治時代に棚ぼたで東大教授の席を得た共産主義者(中国共産党の犬)の残党が多いので、そいつらの逆恨みで架空の人物とされた。
時空を超えた、日本と中国の戦争が展開されている。
負けるな聖徳太子! NHKをぶっ壊せ!異説が出てくるのは歴史研究が進むからだ
また、言論の自由がある
韓国の歴史研究家が韓国identityのため朝鮮の史実をねじ曲げる研究をするのとは違う。また、韓国自虐の歴史言うと国家国民に葬られてしまう。
ちょっと本題から外れているな
聖徳太子の一万円札の肖像画は聖徳太子と違うという学説があるそういえば新しい歴史教科書から聖徳太子は消えるんだよな。
消えるというか、厩戸王(聖徳太子)になるようだ。>>12
歴史の真実なんて誰にも解らないよな。
下手すると当時の当事者自身も解ってなかったりする。
クララが言ってたけど、日本の場合、教科書に載るのは一番無難な学説。
時が経てば新たな史料が発見されて、実は異説の方が真実でしたなんてことは十分にありえる事。
むしろ、韓国人の知る韓国の歴史に異説が存在するのか知りたい。
そもそも史料に基づかず作り上げた歴史だから、異説もへったくれもあったもんじゃないと思うんだ。>>1
>>4で聖徳太子については、実在前提に答えましたが、実在しないとするのは、聖徳太子については、余りに尾ひれが付き過ぎて、宗教じみる程に、その実態が膨れ上がってしまったからです。
個人的には、文献を追ってませんので、何とも言えませんが、水戸黄門的に物語が作られ虚像が生成されている面も在るかと思います。一万円札が聖徳太子だった頃には、鼠講で集金した宗教団体紛いの団体も出来たくらいの有名な古代人なのです。
聖徳太子が尾ヒレ付きの超人的能力を持った実在と信じれば宗教ですが、そうありたいと思う心は、歴史上の実在と切離して考えるべきでしょう。
実在しないとしても、十七条憲法は存在します。外交文書の記録も残っています。そんなことをした人物は居た、少なくともモデルは居たと、歴史学的には視るべきでしょう。それが厩戸皇子なのです。
史料に基づく範囲で実在、そうでない範囲は虚像で存在しない。それで良いと自分は思っています。>>1
日本の歴史学術用語としての「征韓論」と、韓国のプロパガンダ用語の「征韓論」の間には、ニュアンスの違いが大きいと思うのだけれど、具体的にどういう意味あいで「征韓論」という言葉を使ってるの?1.西郷隆盛は征韓論を主張していなかった。
正解
西郷隆盛が政府に留まっていたら
今頃朝鮮半島はロシアの領土西日本には、太子という地名や、太子堂があちこちにあります、
架空の存在というのは、ちょっと無理がある어....쇼토쿠 태자가 진짜 실존인물이 아니야?
>>18
実在した
諸説ある、詳しい説明しても曲解しそうだ
あえてざっくりと結論を言っておくわ(´・ω・`)>>1
聖徳太子を描いたとされる、有名な絵があり、教科書にも掲載されていたが、
現在では疑問視、あるいは、違う人物では無いか、と否定されている。
しかし、聖徳太子が、隋の煬帝に「日出処の天子、書を没する処の天子に致す。つつがなきや・・」
という手紙を送ったのは事実であり(煬帝は激怒した、と伝えられる)、
その存在自体を否定する事は難しい。
「十七条憲法」や「冠位十二階」を定めたのも彼で、二つの制度は実際に施行された。
日本では聖徳太子は、国民的に尊敬される偉人である。
しかし、日本人はFACTを最重要視する。事実に反する事は教えない。
研究が進み、聖徳太子という単語を完全に廃止する日が来る可能性はある。>>1
> そして、この二つのほかに、何か有名な異說か?
1と2はもう回答したので、おまけで、「異説」について、一言たれます。
日本の歴史は7世紀以降が、大和王権が有史期にやっと入ります。それでも飛鳥時代等、古いものは文献は遺っていても、照合する史料が無く検証が充分にした上での論説を立てることは出来ません。出来るのは精々、時代背景の研究で記述が時代に沿わないときに、その文献が否定される程度です。今の「韓国人」が信じて物心共に支援することで成立している「所謂『従軍慰安婦』騒動」の「元慰安婦」の証言で、①年齢年代が合わない②敵性語(英語)由来の逸話が入る③クリスマス休暇が在る④ジープ、ヘリコプター等戦後の装備が出て来る⑤日本軍軍服の構造が異なる等、「朝鮮動乱」か「ベトナム戦争参加?」或いは「売春or遠征」の経験か「創作」とされることと同じ考察によります。
一方、7世紀以降に成ると、日記等の照合可能な文献の研究が進み、従来の解釈への異論が発表されることも在ります。その場合は一聴に値する発見として、解釈の見直しに結び付くことが在ります。近年新羅時代の四面木簡として発掘された如く、解釈が追加されることも在る訳です。無論、本物ならばですが(笑)
基本、歴史というものは、時の経過と共に産まれますが、生じたもの総てが、記録されることは在りません。その多くは情報として殆どが残りません。口伝でも記録文献でも勢力の在る集団のものは時の価値観に基づきより多く残りますが、それが遷移すると、能く消去改竄が次々に重ねられる以外に、言葉の意味が推移したり、書き手の意図とは異なる、後世の価値観で解釈されたりと、状況によっては、史実とは無縁のものにも化けるし、今の「韓国人」の様に、記録は全て焼かれた、皆殺され埋められたと決め付け、扁桃体反応を熾し、「映画を創り」、「皆に見せ」、「これが証拠」と「吠え続けれは」、願望に沿った「歴史定まる」と考える様なら、それは捏造詐欺による集金活動に過ぎす。益々歴史は拡散され見えなく成ってしまいます。
以上、「異説」には色々在りますので、注意しましょうね。聖徳太子というのは誰なのかということだが
聖徳太子は居ないがそれに該当する人物は存在する
ずばり多利思比孤である
俀王姓阿毎字多利思北孤 號阿輩雞彌土偶は宇宙人だったとされる説
>>24
示された漢字は
「たらしひこ」
「倭王 姓 あめたらしひこ 号 おおきみ」
となります。
「あめたらしひこ」は、天(あめ)から降りてきた(たらし)男(ひこ)と言う意味で、中国式に言えば「天子」です。「おおきみ」は「大王」の訓読みです。
つまり、これは普通に読むと当時の天皇を指していると解釈するのが自然。
ところが、記紀ではこの時代は推古天皇と言う女帝が治めたことになっている。
したがって、記紀のこの時代の記述はフィクションである、というのが岡田英弘の説です。
十七条の憲法や冠位十二階を定め、日本と言う国の最初の形をつくった人は間違いなく実在するはずですが、それが聖徳太子かどうかは非常に怪しいと思います。>>21
本当なんだってば~。
謙信女性説を匂わす文献が多すぎるし、戦略もも行き当たりばったりで何がしたいのかわからず感情的だし。
会津上杉神社に謙信の遺骸があるから調べれば解るんだけど、嫌がる氏子どもと失業に怯えるGACKTのせいで調査出来ないんだよぉ。>>28
アメタラシヒコの「妻」と言う記載も隋書にはありますね。妻の号は「キミ」だそうです。
あぐらをかいて座る、と言う記載もあります。妻をめとり、あぐらをかく女性が古代日本に存在したとはあまり考えられません。
隋書ではありませんが、卑弥呼は古代日本語の「ひめみこ」に対応すると考えられます。つまり、中国に「彦」は男性、「姫」は女性という、最低限の日本語は伝わっていただろうと考えられます。男女は間違えないんじゃないですかね。
私は歴史の専門家とかでは全くありませんので、違ったら申し訳ありませんが。>>8
上杉謙信女性説は八切止夫の創作したトンデモ説の一つだな。
八切止夫というのはなかなか教養のある人で、その教養を悪用してトンデモ説をいろいろ創作し、時代小説や伝奇小説、歴史マンガ、アニメに大きな影響をあたえている。
日本史のトンデモ説のほとんどは、八切止夫にルーツがあるといっても過言ではないが、トンデモ本を書く人は全部自分で考えたかのように書くので、八切の名前は現在ではあまり知られていない。しかし、八切がトンデモ業界の巨人であることは間違いない。明智光秀の千利休説には、ロマンがある。
>>31
明智光秀 、天海僧正説もあるね私の勝手な解釈だけど
聖徳太子は異名か称号のようなもので、特定の人物でなかった可能性もあるため、
聖徳太子はいなかった説が出てきたという風に理解しているのだが... どうだろう?韓国にも、ロマン溢れる異説があるのかしら?
>>33
岡田英弘という人の本を読むと「建国神話はどこの国もウソだらけなので、事実の反映と考えてはならない」とあります。実際、例に出されていた(確か)マレーシアの建国神話は、時代が数百年前と新しく、他国の記録と簡単に付き合わせて検証できましたが、かなり大胆にウソでした。
記紀は、まごうことなき建国神話であるため、記紀では推古天皇という女帝を頂いている時代のはずなのに、中国の史書ではアメタラシヒコが倭王と書かれていたりします。ウソをつく必要がないのは中国なので、この場合は記紀がウソでしょう。したがって同時代の聖徳太子も実在性は非常に怪しい。
>>33氏の仰るように、十七条の憲法や冠位十二階を作り出した業績を、聖徳太子と言う架空の人物のものとしてストーリーを成立させた…ということはあり得ると思います。>>35
たぶん「アメタラシヒコ」は天下りし王、つまり日本からの使者が天皇の説明し、それを書き留めたんだと思う。聖徳太子ねぇ…。
多分確実なのは「聖徳太子と言う諡を持つ、古代日本の皇族は実在し、生前の一時期に廐戸王と呼ばれていた」と言う事だけで、
その業績とされている事の中に、他の人の行なったことや、結果として素晴らしくなったこと、架空の物語までも紛れ込んだから、
存在そのものを無かったことにしたい学者やら、センセーショナルな発表をする売名学者の、標的にされているのだろうね。메이지덴노 代役説/가짜説은?
>>1
聖徳太子の件は
聖徳太子は存命中は厩戸皇子(うまやどのみこ)と呼ばれていた
聖徳太子と呼ばれるようになったのは没後100ほど経ってからだ
それまでの歴史的な資料には厩戸皇子と記されている
だから「聖徳太子」と呼ぶのをやめて「厩戸皇子」と呼ぶことにしようというだけの話だ
聖徳太子はいなかったという話ではない>>1
>1.西郷隆盛は征韓論を主張していなかった。
これはその通りだと思ってる
明治維新という革命で徳川幕府を倒した新政権に対して朝鮮は
あれこれやといちゃもんをつけて外交を持とうとしなかった
そこで西郷が、私が朝鮮に行って話をつけて来ようと言った
それに対して明治政府の人達が、
そんな事したら愚かで卑怯な朝鮮に西郷が暗殺されるかもしれないからやめて下さいと訴えた
そしたら西郷は、そうなったら朝鮮を征伐すればいいと言ったのだ韓国には、語るべき自国の歴史がないから、ファンタジーに偏るのかな?
>>1
【1】西郷隆盛の征韓論
西郷隆盛は議事録や公式発言等で征韓論を唱えた事実はありません。
文書類で残っている閣議で西郷達征韓派とされた参議が主張した内容は、明治維新以降、朝鮮政府が行っていた天皇侮辱発言、大使館の役割を果たしていた釜山の倭館(日本人居留地)への投石や食料販売の禁止等の嫌がらせを止めさせ、朝鮮を開国させて日本と同盟を結ぶ為の全権大使に西郷隆盛を任命してほしいというものです。
朝鮮を攻めようと主張していたのは板垣退助一人だけで、その板垣へ書いた西郷の手紙で、自分(西郷隆盛)が朝鮮へ全権大使として開国要求をしに行って、もし殺されたなら、それを口実にして朝鮮を攻めれば良いと書いた事で、西郷も朝鮮を征服するつもりだったと解釈されているのです。
西郷隆盛は、主君であり師匠であった島津斉彬が唱えていた、日本、清、朝鮮が同盟を組んで欧米列強による侵略からアジアを守ろうという理想の実現の為に、まずは朝鮮を開国させたかったというだけです。
【2】聖徳太子の実在性
聖徳太子とは、用明天皇の第二皇子で後に推古天皇の摂政兼皇太子を勤めながら推古天皇よりも先に死んでしまった厩戸皇子へ、死後約100年経ってから贈られた諡号です。
その100年間の間に、厩戸皇子の業績に多くの人の業績と様々な伝説が付加されていき、超人的な能力を持つ人物「聖徳太子」に仕立て上げられ1400年もの間、それが事実とされてきました。
しかし、当時の文献や、諸制度が整備された時系列など緻密な分析を行っていくと、「聖徳太子」の業績とされている内容の多くは、厩戸皇子とは別人の業績だったり、厩戸皇子の死後の出来事だったりという事が分かってきました。
だから、死後「聖徳太子」と呼ばれた厩戸皇子は実在の人物なのですが、日本人が1400年間信じてきた「聖徳太子」の業績は虚像だったというわけです。>>11
古事記が偽書というのはどうだろうな
古事記編纂者の稗田阿礼の墓が発見されたし上代特殊仮名遣が古事記に使われてるわけで戦国時代以前の細かな事件・人物の通説に対しての異説ならそれこそ大量にある。
しかし、それぞれの地元以外で関心を払われているような例は少ないのではないかと。
江戸期以降になると、文献の発見や再検討で通説が覆ることは結構あるが、異説は逆に生まれにくい。日本で一番、異説が多くて有名なのは、やっぱり本能寺の変かな?
>>50
本能寺の変は、原因とされる説が異常に多くてまだ特定されていないので通説自体が無いため異説も無い。
変の後の、織田信長が実は生きていたとか、明智光秀が南光坊天海になったというのが異説だけどあまり多く無い。https://www.touken-world.jp/strange_story/
こういうサイトがあるんですね。>>1西郷隆盛は、征韓論者では無い。話し合いで、朝鮮との国交正常化するために、朝鮮に使節として行く予定だった。本当の征韓論者は、岩倉具視、山県有朋です。この2人は、武力で朝鮮を西部を企んでいた。西郷隆盛が平和的に国交正常化するのが嫌だった。だから、岩倉具視が西郷隆盛に、征韓論者というレッテルを貼って、妨害した。聖徳太子、厩戸皇子は、実在人物です。皇族で、推古女帝下で首相だった。
>>52
日本史と聞くと、学校で習うような堅いイメージを持つ人が多いかもしれません。しかし、まだまだ日本史には学校で教えてもらえていない、数々の珍説があるのです。刀剣ワールドでは戦国武将を主に、様々な珍説をまとめました。あの人物の意外すぎる一面や、びっくり仰天な珍説をお楽しみ下さい。
일본역사의 異說 두가지에 대해 질문.txt
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