韓日関係、「善くないサマリア人」と共存する知恵を学ぶ時だ

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    • 1名無し2021/08/28(Sat) 20:10:57ID:AwNzYzMzI(1/2)NG報告

      ソウル地下鉄3号線の安国(アングク)駅5番乗り場の前に立って列車を待つときはいつも複雑な思いを抱く。5番乗り場のスクリーンドアには抗日詩が貼られているが、作者は李奉昌(イ・ボンチャン)義士だ。その最後の部分は「倭人を屠殺しよう」という内容だ。屠殺は肉屋で牛や豚を刃物で切って分けるという意味だ。なぜこのような詩をここに貼っているのか気になった。管轄部署に尋ねたところ「倭人(日本)大使館に行くには安国駅で降りなければいけないため」「安国駅一帯が独立運動の街であるため」という説明を聞いた。

      韓国に来る日本人がこれを読むとどんな気持ちになるだろうか。これは文明国家がすることではない。立場を変えて考えてみよう。東京銀座の電車駅に「朝鮮人を切り殺そう」という文字が貼られていれば、これを見た韓国人の気分はどうだろうか。「倭人を屠殺しよう」という詩句を見て複雑な気持ちになるのなら「土着倭寇」として攻撃されるかもしれない。
      111年前の1910年8月27日、韓日併合条約署名の前後の朝鮮は、自分たちも気づかないうちに日本に染まりつつあった。親日を犯しながらもそれが親日かどうかも知らずに慣れていった。1926年の李完用(イ・ワンヨン)の葬儀では行列が十里も続き、高宗の国葬以降で最も大きな規模だった。愛国志士には本当に申し訳ない話だが、その時代の韓国人は帝国大学を卒業し、高等文官試験に合格して郡守や判事に出世し、タクシーに乗って鍾路(チョンノ)の和信(ファシン)百貨店でショッピングをする人を羨んだ。
      https://s.japanese.joins.com/JArticle/282312?sectcode=140&servcode=100

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