韓国の民間団体が批判する 「日本軍が行っていた性奴隷制度 = 従軍慰安婦制度」 を語るには、朝鮮の妓生(kiisen)制度について知らなければなりません。
李氏朝鮮王朝時代には全ての国民は、良民(両班、中人、常人)と賤民(奴婢、白丁)という階層に分けられていました。そして奴婢の階層の中に、いわゆる妓生の身分が存在していました。妓生は「奴婢随母法」で規定された身分である「妓籍(kijyo)」に属する女性達を指し、「妓生庁」という役所で管理されていました。
さらに細かく見ると、妓生は一牌、ニ牌、三牌という三階層に分類されていました。一牌は官位を与えられる者もいたようですが、三牌にいたっては単なる売春婦でした。妓生は世襲される身分であり、母が売春婦なら女の子供も売春婦である、と国家が戸籍制度で定義していました。つまり、朝鮮では古くより社会制度として世襲される性奴隷制度を実施していたのです。
妓籍の子供は庶属(sojyoku)と呼ばれ、男子は中人に移籍する事もありましたが、女子は妓籍から抜ける事は決してありませんでした。さらに庶属の売買は自由であり、親(または所有者)は売買することで金銭を得ていました。
売春そのものは世界中いつの時代にも存在したし、現在も存在しています。しかし朝鮮のように国家として性奴隷制度を確立していた社会は稀でしょう。
妓生をその慰安相手の階層で分けると次のようになっていました。
「女妓」=支那使臣の接待専用の売春婦
「官妓」=官吏専属の売春婦
「軍妓」=軍に付属する売春婦
「辺妓」=国境などの辺境に駐在する軍隊の為の売春婦
この「軍妓」、「辺妓」が朝鮮の国策による「従軍慰安婦」でした。
1886年に奴婢身分世襲が禁止されましたが、社会制度、経済制度としての妓籍制度の根は深く、実際は日本統治時代にも継続していました。戦前の貧しい半島ではこのような社会風土もあり、慰安婦募集には多数の応募がありました。また、法的手続きを踏めば人身売買も認められていました。
参考文献(文中に引用したもの
川村湊『妓生』、作品社、二〇〇一年
今西竜「朝鮮白丁考」『芸文』九巻四号、一九一八年
従軍慰安婦制度は長い歴史を持つ「朝鮮の公務員制度」だった
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