両国の王族の姓は金氏ですが、これについて思ったことがあります。
新羅が法興王の代に加羅を滅ぼした際、加羅王族は新羅の貴族階級の中に組み込まれたそうです。
新羅でいつ頃姓が使われるようになったのかは分かりませんが、姓が使われ始めた頃に、新羅王族は旧加羅王族に金氏の姓を与えた、という可能性はあるでしょうか?
そのように考える理由は、新羅の神文王の代に、新羅南西部に置いていた報徳国という国の王として即位させていた旧高句麗王族の安勝(安舜)に、金氏の姓を与え、新羅の貴族に取り込んだからです。
皆さんはどう思いますか?気付いたらこのスレが東?中央?に飛んでました。
管理人さんありがとうございます。最近、韓国人いないんだよな。
>>3 ↑来てもコレだからw
その疑問の答えにどのような歴史的意義があるのですか?
>>4
見たの?先週に引き続いて思ったけど、歴史カテって本当にキチ○イみたいなの多いよね
ここにスレ建てようとしても皆非認証押すから、結局西に建ててから管理人さんにここに移してもらう他ないし
非認証押す奴らさあ、こういうスレの何が気に食わないの?
何規約違反でもしてる?
してないんだったら黙って認証しろや
非認証押せるんだから手間じゃないだろ>>9
すみません
認証じゃなくて承認でした>>16
日韓古代交流史――倭はどこにあったのか――(解法者)■■■
◆◆◆ 倭はどこにあったのか(1) 投稿者:解法者 投稿日:2010年 6月20日(日)13時00分41秒 ◆◆◆
中国の文書に「倭」が現れたのは『山海経』という地理書である。この書物は紀元前1世紀にあったというほか成立がはっきりしない。その書物の「海内経」に『蓋国在鉅燕南倭北倭属燕』という記述がある。
ここにいう「燕」は中国の戦国時代(紀元前403年〔晋が韓・魏・趙の3国に分かれて〕から紀元前221年〔秦が中国を統一するまで〕の間に栄えた国家であるが、「鉅」〔強大の意〕とあることから紀元前4世紀末から3世紀初のころであると考えられる。
つまり「倭」はそのころの所在を示すものと考えてよい。「蓋国」とは不詳であるが、高句麗には「西蓋馬」があり(『漢書』地理志)、「蓋馬大山」があった(『魏志』沃沮伝)とあるから、そのことを意味すると思われる。さて、この読み方であるが、
『蓋国は鉅燕の南、倭の北に在り倭は燕に属す』と読む者がいる
(『古代王権の原像』山尾幸久学生社 2003年9月10日 61頁、「日本列島と朝鮮半島」〔『古代を考える 日本と朝鮮』武田幸久 吉川弘文館2005年1月1日 13頁〕)。しかし、
私は『蓋国は鉅燕の南に在り、
南倭・北倭は燕に属す』と読みたい。◎金官加羅の王姓は金氏、または中臣氏。
奈勿王の時に独立して新羅を建て
その子孫がhuzihara氏になり…
huzihara氏の祖であり、磐井の祖であり、紀氏の祖である…東表国王クルタシロスとは…
日本史では孝元天皇になっています。
同じく…2012年 07月
金官加羅 1 「日本人のルーツふたたび」
http://plaza.rakuten.co.jp/Phoenix3/diary/200805050000/より
日本最古の王朝、【天の王朝】とは、インド十六王朝の日神系のことです。
【東表・豊日国】のことで、朝鮮の狗邪韓国(駕洛国・金官加羅)を飛地としていました。
【東表国】とは元来、東方のオッフル(サマリア)国を表します。
サマリアのオッフル国の植民市、九州の豊国、朝鮮南部、金官加羅でありました。
東表国の王はエビス王の【クルタシロス】といい、金官加羅の首露王のことですが【クルタシロス】とは、タルシシ船を意味し、【シロス】は、治政者、王を意味 しソロモンの製鉄コロニーでありました。ソロモンの父、ダビデが建国した当時エルサレムを支配していたエブス人は、エジプトから撤退した、かつてのヒクソ スでヒクソスになる以前はアビシニアでした。
アビシニアとは元来【混血者】の意味で日本のエビス(エミシ・夷)もアビシニアの意味です。BC8、7世紀にアビシニア(エブス)人と現在のソマリアにいたオッフル人の植民地が北九州東部の豊国地方の東表国で、駕洛国または金官加羅国にも飛地したのです。
金官加羅の王姓は金氏、または中臣氏です。奈勿王の時に独立して新羅を建てその子孫が
huzihara 氏になります。
北宋版【通典】は倭国王師升(しろす)の国を【倭面土国】とし、『釈日本紀解題』はこれを【倭面国】としています。
【北倭記】を総合しますと『箕子朝鮮が亡びたとき、その上将卓が馬韓に逃れて、辰韓の王となった。のちに東表国(倭面国)エビス王クルタシロスから鳥栖河と背振山脈の間の地を譲られた』
鴨緑江の流域に前方後円型古墳の原型が発見されましたが、これは箕子朝鮮の古墳になります。
馬韓人に領土を与えたという【東表国王クルタシロス】が【倭面土国王師升】のことです。
このシロス王は駕洛史では金官国の【首露王】になっていますし、新羅史では金氏の祖の首留
日本史では孝元天皇になっています。で、新羅王族の姓(慶州金氏)と加羅王族の姓(金海金氏)のお話はいずこへ?
>>22
慕容씨는 신라 왕족
어머니는 公孫氏는 가야 왕족
일본의 왜국의 고대의 Himiko 여왕이 公孫氏의 공주였다
公孫氏는 왜인의 Fujihara씨로
금발의 눈동자가 파란 백인였다>>25
此処はスレッド違いだから、下記のスレッドをお勧めするよ。
https://kaikai.ch/board/2249/
藤原氏について(中臣鎌足)もレス40と43で客観的に議論されてるから、読んできたらどうかな?
百済クンの大好きな百済に関する当時の最大領土も書き込まれてるからお勧めします。>>26
ありがとうございます。
その可能性もあるかもしれまでんね。
新羅と加羅ではないのですが、夫余と高句麗と百済の王族が同族だというのは見かけました。
新羅が建国される前に、高句麗か百済から、また王族が半島南東部に国を建てていれば、夫余民族同士の戦記が出来上がっていたと思います。가야는 伽倻/加耶 라고 표기하는 듯 합니다.
>>29
ありがとうございます。
karaより、kayaの呼び名の方が一般的なのですね。
これからは伽倻/加耶と表記するようにします。百済君のトンデモ歴史を肯定する韓国人、未だ現れずww
>>32
百済と日本馬は対州馬で背が低い
百済系の天智天皇の蘇我氏は対州馬に乗っていたwww
新羅と伽倻系の仁徳天皇と藤原氏は白人で、
背の高いペルシャのArabian horseの白馬に乗っていた。많은 바보들이 상상력을 발휘하고 있구나.
>>35
바보들이 하는 말은 잘 이해가 되지 않는다.
본인은 십자군 전쟁에 참전했던 자랑스런 기사(knight)의 후손으로 Lebanon에서 태어났다.
mother tongue은 아르메니아어(հայերեն)이다.>>35
kaikai에서 내가 쓴 thread에 반박한 사람이 있느냐?
그 놈 아직도 살아있느냐?
新羅王族の姓(慶州金氏)と加羅王族の姓(金海金氏)について
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