日本人の和服とモンゴル人のデールは歴史的な経緯で大衆まで普及した民族衣装ですが、韓国人の韓服は歴史的に大衆にまで普及した経緯は無く、中国人の漢服は清朝の時代に途絶えてます
清朝の服は満州服をベースに漢服を融合した『清服』であり清朝後期には大衆にまで普及しました。チャイナドレスも清服であり、ベトナム人の民族衣装のアオザイも清服の影響を受けてます
韓国人の韓服は貴族と両班(ただし白色のみ)の服です。超差別社会の李氏朝鮮は常人(元新羅)、奴婢(元後百済)の大衆までは普及してないので民族衣装とは言えないですね
モンゴル・デールは蒙古、匈奴、満州に連なる遊牧騎馬民族の実用性を持った服であり古くから大衆に浸透した民族衣装と言えます
和服は武家の簡易衣装からであり大衆に広まりました。日本の宮廷衣装は『束帯』『十二単』であって当然大衆には広まってません
【日本男性・公家】
束帯(正装)→衣冠(簡易正装)→衣直(日常)→狩衣(武士公家)
【日本男性・武家】
束帯→衣冠→衣直→長直垂→狩衣→大紋→素襖→狩衣→裃→黒紋付
男性武家は朝廷出仕と江戸城内で使い分けます
【日本女性・公家】
十二単→被→小袖(振袖)
【日本女性・武家】
打掛→越巻→小袖
武家の簡易衣装の羽織、袴、小袖が普及して現代の和服の原型になった。日本は公家衣装と庶民衣装は内容が違います。来月22日の天皇陛下『即位の礼 正殿の儀』は当然宮廷衣装であり日本人でも庶民は馴染みがない衣装です
超差別社会だった李氏朝鮮の宮廷衣装を韓国人が民族衣装とするのには違和感を感じます
【民族衣装で解る歴史】和服とモンゴルデールは民族衣装だけど中国の漢服と韓国の韓服は民族衣装ではない
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