上から下に読んで、右から左に読む構成されているが、その方が日本人には、より便利ですか?
>>26
そうなのですね ^ ^
韓国でも、このような意見もあるみたいで興味深いです。
https://ko.m.wikipedia.org/wiki/한자_부활聖書かな。
>>28
聖書ですね ^ ^
創世記 第1章
1 はじめに神は天と地とを創造された。
2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
6 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。
7 そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。
8 神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。
9 神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。
10 神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。
11 神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。
12 地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。
13 夕となり、また朝となった。第三日である。
14 神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、、、>>29
>>29
朝鮮人は、本当にキリスト教信者が多いですね。
学生時代に知り合った韓国人留学生のお姉さんもクリスチャンだったし。
韓国ドラマや韓国映画は邦画と比べると「復讐」をテーマにした作品が圧倒的に多いです。
韓国はキリスト教信奉者の多い国家だから復讐モノを作らせると本当に素晴らしいのもまた事実。
キリスト教はニーチェが看破したように復讐の宗教であり、復讐哲学はイコール恨み、つまりルサンチマンですからね。
朝鮮人の恨(ハン)とキリスト教の復讐哲学ルサンチマンはすごく共通しますからこれだけ韓国にキリスト教が普及したのだと思います。そして、だからこそ韓国映画韓国ドラマは「復讐」をテーマにした作品が圧倒的に多いのではないでしょうか?
韓国ドラマ復讐三部作と言われている
復活 ーー オム・テウン
魔王 ーー チュ・ジフン
サメ ーー キム・ナムギル
の3作はどれもストーリーが凝っていて面白いですよね。ドンドンはドンドコの父なりw
https://sites.google.com/site/ysahnks/home/genesis>>32
「キリスト教はニーチェが看破したように復讐の宗教であり、復讐哲学はイコール恨み、つまりルサンチマン」
と言い切るのは危険だよ。
あくまで数多いる哲学者の一人が提唱しただけで有り正解では無い
その後の哲学者が修正を加えたり、反論したり、増強したりしてるしね
そもそもニーチェ自身に学会とキリスト教に対するルサンチマンを抱えてた
幼少期に亡くなった牧師の父、母との喧嘩、次々と死んでく家族、社会構造など
それを参考に「看破した」などと、あたかも正解のように言うのはどうかと思う
構造的に死後の身分改革による復讐(?)の部分が有るのは事実だが
イスラム教や仏教の一部もその要素(死後の昇華)を内包してるからね
「弱き者や正しき者が死後に救われる」これは、まやかしで有っても成立する
では「仏教も復讐の宗教で有る」と言い切れるかと言うと、違う
本来キリスト教は、それが現実とかけ離れて居ようとも「愛と赦し」の宗教
それを「キリスト教は復讐の宗教だから韓国人は復讐映画上手いよねー」とか
全力で喧嘩を売るのは問題なんじゃないか?ヤハウェは妬みの神なれば
ニーチェを理解する上では、
ルサンチマンは「復讐」というより「妬み」や「恨み」だと考えた方が
わかりやすいと思うけど。
つまり。
高貴なもの、力のあって優れたものが 善いものだとするのが「支配者道徳」
弱きもの、貧しきもの、病んでいるものが 神に愛される善いものだとするのが「奴隷道徳」
支配者の強さや高貴さは 実は憎むべきものであって、
弱いもの、貧しきもの、病んでいるものへの同情が大切であると
利他主義を説くのが、キリスト教。
このように価値観の転換を生み出したのが、
ユダヤ民族の 支配者民族に対する「ルサンチマン」、
つまり「恨み」や「妬み」の感情である。韓民族の「恨」が、「ルサンチマン」とよく似ていて、
だからこそ、韓国では キリスト教が広く受け入れられたというのは、
その通りだろうと思う。
でも だから韓国には「復讐」をテーマにした映画が多いというのは、
飛躍が過ぎるというか、
そもそも ニーチェを理解していないんじゃないの?
って 思うよ。キリスト教は 愛と赦しの宗教なんだけれど、
この場合の「愛」とは「赦す」ことなんだよね。
日本の場合 赦すというより 「水に流す」
つまり 時間が物事の痛みを和らげると考える人が多い。
一方 キリスト教社会では、
1.すべての人は罪(現在)をもつ。
2.あなたが他人を赦すことで、神様もあなたを赦してくれる。
こう考えることで、積極的に赦しを意識する。
1.赦すことで、悪感情の循環を絶つ。
2.赦すことで 自分も解放される。
ここが 延々と恨を抱え続けることで、
生きる力を引き出そうとする 韓国人とキリスト教の違い。日本式の「水を流す」で、
本当に強い恨みや悲しみという感情を 本当に昇華できるのか、
怪しいものなんだけれど、
そういうときには 仏教に頼るんじゃないかと思う。
仏教の場合は 執着する心は「煩悩」なので、
捨てることで 苦しみから解放されると考える。
だから 延々と座禅をしたり、〇〇道と言われるものに精進したり、
一つのことに打ち込んで、自分を忘れるほど没頭することで、
日本人は救われる。>>22
ルビの方が漢字より画数が多い可能性もあるからね。
中二病みたいになっちゃう。
アクセラレータ(一方通行)
日本 4+5
일본 5+6?>>41
違う?
恨から 生きていく力を引き出す
韓国人の方法を教えて?
できれば 曹くんの言葉でお願いします。
どこからか 引用してきた説明だとわかりにくいから。ルサンチマン= ressentiment
フランス語。
ちゃんと 翻訳されてるかな?>>44
恨と復讐をテーマにした映画を結びつけるのはおかしいと
私も指摘した。
でも 韓国人は恨をもつことで、
生きる力を引き出すと 説明をどこかで読んだけどな。
恨プリ(恨をはらす)
恨嘆
についても 教えてくれる?>>43 辞書的な意味で探してみましたが、ressentimentは"1.怨恨、2.間接的に表す怒り、3.敗北主義的なすねた態度"で説明されていますが、韓国の"恨"をそれで説明することはできません。 実際、韓国の「恨」は世界のどんな単語でも一度には説明できない独特な韓国の情緒です。 「韓国民族文化大百科事典」によると、「西洋でも情緒の基調的特質としての同一概念である[恨]は見られない。 (怨, 寃) と(恨)に近い英語では「regret(遺憾)」と「resentment怨望」、「rancour(敵意)」という言葉があるが、意味的には「恨」とは程遠い。 「resentment」はむしろ怨恨よりは(憤慨/憤愾)により近く、「resentful」も冤痛よりは憤痛に近い。"と説明されています.
>>52 和解と許しの概念があります。 それも「恨」の文化から始まったのです。 韓国民族文化大百科事典の内容の一部を引用すると、「しかし重要なことは、古代小説とは違って、新小説以後の小説では"恨"が復讐を通じて解冤をしていないという点だ。 "恨"の感情は、復讐の意志で解冤されず、容赦と和解で解禁され、小説美学として受け入れられている。 また、(恨みをくれた人)側で罪の意識を持って積極的に解いてあげようと思う。 韓国の現代小説で、"恨"の感情はヒューマニズムでは克服されており、特に6・25戦争小説たちは怨恨感情を和解と許しによって解決して民族の同質性を模索しようとしていることは幸いなことだと言える。"となっています。
>>53 6.25戦争以後に
>>52 あなたの話がよくわかりました。
>>56 うーん、そうですね。
>>47
「恨」を韓国の wikipedia で調べてみたら
https://ko.m.wikipedia.org/wiki/한_(문화)
(冒頭部分 意訳)
恨(ハン)は韓国文化で、悔しくて悔しくて、たまらない心に残ったことをいう。 自分の意思ではなく、他人や天災などによっての喪失の感情が長期間熟成した結果での胸に抱いた情緒を示す。 他の何かで慰められ、埋め合わすことはできるが、恨みを抱かせた根本から補償を受けなければ解消されないというのが「恨」の特徴だ。
と記載されていたので、個人的には理解出来たような気がします。
まとめると、あくまでも自分自身の行動の結果ではなく、第三者もしくは、環境によって受けたと思われる(思い込む?)「負の集合体」で、立場が逆転しない限り、根本的な解消案はないような気がします。>>32
インターネットで歩き回るの材料を持って来たんですよね。w>>39
原始仏教の頃からそうなのだけど
執着が自分自身の行動を害するようならば
自分がその執着で害されていることを自覚し
その執着を捨て、澱まない元の流れに戻りなさい。
ということなので、まあある種の自己精神分析みたいなものだし
「誰か(神様?)が執着からくる苦しみを取り去ってくれる」ではなくて
「自分が自分で執着していることで苦しんでることを自覚しなさい」だからね。
日本の場合、この仏教(個々の苦しみは個々それぞれが解決すべきものだ)と
神道(神は全てのものに宿り、多種多様なものだ)が深く社会に浸透しているために
自分を害するほどの恨みを持たないようにするし、特定の何かが自分を救ってくれるとも思っていないという。>>62
そうなのですね。
聖書には難しい漢字語の単語が多いので、読むのが大変ですよね ^ ^>>62
キリスト教は日本と経済交流を始める前から朝鮮半島で布教を始めています。
しかし、日本と同じで弾圧されていました。
(当時の宗教は侵略の先鋒として、相手国の民を扇動するものでした)
本格的な布教は米朝修好通商条約(1882年)の開始でしょう。
3.1独立運動の民族代表にもキリスト教が居ます。(ちょっと笑える)
日本語経由していない翻訳聖書がきっとあるはず。
見つかれば国宝級かもしれない。>>68
発作が出ているぞ。落ち着け。>>68
ハングル識字率と漢字識字率の差なんですよね。
国民に伝達手段として文字を語るならハングル識字率で充分賄えてましたから。
両班が使ってた漢字文は一般国民に知らさない手段みたいな物でしたから。
李氏朝鮮の階級制度の弊害ですかね。ヘブライ語やアラビア語はいまでも横書き右から左読み
また、古代では牛耕式といって右から左へ書いていって
行末に来たら次の行は左から右へ書いて〜を繰り返す書き方も。
(BSで流れてる世界のニュースをそのまま流す番組で
アルジャジーラとかアラビア文字字幕が逆に流れていて面白い)>>72
古代エジプトからギリシャ、ローマと巻物文化だったよ
Codex(本)の歴史も古いけど、4世紀から8世紀までにかけて変換された様だ
任命書などは最近まで残ってたみたいだけど
縦も横も有る
日本の本
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