韓国人の民族的(人種的)自負心や韓国起源説は主な嫌韓ネタである。
しかし、それらはただ単に韓国人を嘲笑するためのネタに過ぎず、なぜ韓国人が日本人、中国人、東南アジア人など隣国の人達に対して人種的優越感に浸るようになったか、なぜ韓国人が彼らの歴史や文化を自分のものだと主張するようになったかを真剣に考察しようとする人間はあまり見ない。
私はそれらの経緯に関わっているのは騎馬民族説だと思っている。
韓国人達は自分達のことをかつて世界を征服し漢族を支配下に置いた騎馬民族の末裔だと思い込み、それを誇らしく思っている。
騎馬民族は人種的に優秀で、自分達は騎馬民族の末裔だから優秀な民族と言えるという思考回路である。
韓国人達が日本人の先祖は韓国人だと言い出したのは、そもそも江上波夫の騎馬民族説がその発端である。
韓国人が漢字とか中国の古代文明に対して韓国起源を主張するようになったのも、「殷は騎馬民族に建てられており、漢民族とは一切関係がない」と主張した岡田英弘の持論と何らかの関係があると疑っている。
韓国人も殷も東夷の騎馬民族だから殷の歴史も韓国の歴史だという理屈である。
そもそも韓国人や日本人を同じ騎馬民族と見做し、騎馬民族の優越性を強調する見方は戦前日本の学者達が当時日本の大陸進出を正当化する目的を持って唱えた歴史観だと思われる。
同じアルタイ語族に属し、同じ先祖の血を分けたツラン民族同法である日本人、朝鮮人、モンゴル人、満州人、ハンガリー人、フィンランド人が協力して悪辣に白人や漢族の植民地主義に対抗すべきという「ツラン民族圏」つまり「大アジア主義」という概念の構想は既に日本で行われていたよ思われる。
そして一部の韓国人達によって作り出されたトンデモ歴史はその大アジア主義の延長線上にあるというのが私が引き出した結論である。
しかし別の掲示板でこのようなことを持ち出したら「日本のせいにするな」みたいな反応が返ってきたと覚えているが、ここにいる皆はどう思うのか聞いてもらいたい。因みに
日本原住民と言われる、熊蘇や蝦夷は
熊蘇はポリネシアン系の風習
蝦夷やアイヌは中南米のインディオ系の風習
と言われています
東日本と西日本は地質学的、民俗学的にもフォッサマグナで分断されていますが、これは先のとんでも説によると東日本も西日本は別々の島で、激突して日本列島になったとのこと
西日本は徐福集団が渡来して熊蘇と和合し弥生文化へ
東日本は縄文文化へとなる
ここにフォッサマグナでの文化の分断があると言うことみたいです
んー朝鮮の出番は、やはりないようですねw何度もごめんなさい
秦氏原始キリスト教説
かなり突飛な話ですが、佐伯好郎氏の研究として、秦氏景教徒説があります
ただ景教徒とした場合、時系列が合わないので遺稿となった論文では原始キリスト教と改めたとのことです>>86
トンデモ説が生じるほとんど共通の理由は色目人が周辺に現れたときの過敏反応。
だが古代東ユーラシアには結構白人系がいたようで、
安史の乱以降に漢人の拡大があって追放された。
そういう意味では今だってロシア系が大勢いるし別に特別なことではない。
朝鮮半島経由の民族移動については、先述のレスにもあるように、
海洋移動の者が船を置いて渡し舟のように対馬海峡を渡るのはあまりにもナンセンスで、
"陸地同士が近づいている箇所"にあまり意味はない。
遣唐使も舟で黄河を上って直接長安まで行ってるし。
古代の移動は、紀元前数百年から鉄や青銅を伝播してる北方系による北方ルートや、
遠くマダガスカルまで移動している海洋商人のマレーポリネシアが到達している可能性の方が、
十分に考えられる。秀吉軍と戦った資料に騎馬なんてこれっぽちも書かれていない
モンゴルと違い馬を多数養える環境も無いのにどうすればこんな妄想に・・・
弓兵はモンゴル式が過去に属国だったので保有してたでしょうけど>>86
歴史のロマンですねぇ(^▽^)/>>91
秦氏を否定してはいないが、
それよりも、遠くのカルト聖書話を見てロマンを感じるよりも、
近くのペルシャ系が東ユーラシアの文字体系に
多大に影響を与えてる話の方がよほどロマンを感じる。
その意味がわからないからUFOや心霊現象に近い感覚で聖書を追うのでしょう。
日本刀の製鉄法「たたら製鉄」をカザフスタンの研究者が文化痕跡の研究に来たり、
現実的な話がいくらでもある。
それを知らない人達が、一足飛びに神器の八咫鏡に「へブライ語が書かれている」とか言い出すんでしょう。
中東の文字は百年前まで清国全土で使われてます。
日本にセム文字がある可能性にははなんの疑問も無い。
だからといって別にそれが"ヘブライ語"には全然ならないのですよ。
奇跡的にイスラエル語だとしても古代語と今の言葉も違うし、
「イスラエル」や「ユダヤ」の概念も違う。かすりもしてない。
そんなことより唐招提寺の住職がソグド人(ペルシャ人)だったことでも調べとけ、という感じ。仮に大和朝廷の中心に蝦夷人が多数いた、という説があったらどう考えるのでしょうね。
中華系や果てはユダヤ系なら納得する。
でも俘囚の末裔だったら何がいけないのでしょう。
ゆがんだ日本式中華思想でみっともないブランド志向だと思います。>>93
スレ違い 申し訳ないです。
個人の勝手な ロマンの話ですが
グレートジャーニーで縄文人は3~5度に渡って 日本にやってきたと思ってます。
日本人のD系統遺伝子はY遺伝子YAP型に分類されるのですが YAP型は Y遺伝子の中でも古い系統の遺伝子で日本人は東アジアの中で最も古い遺伝子である事がわかります。
このYAP型をもつのが DとE
D系統が相当な頻度で存在するのが日本 チベット アンダマン諸島
E系統が相当な頻度で存在するのが アフリカ 地中海沿いの中東からイタリア南端にかけてです。
私はまず 日本から分かれたから それぞれ 明確な目的を持って帰ってきた説を支持してます。 遺伝子を追いかけるのも 日本人とはなんぞやを考える上で 面白いですよ。>>82
まさか。
俺も信じちゃいませんよ。
>要は渡来ルートを朝鮮半島経由に限定する思考法が極めて稚拙だと言ってるだけだ。
>江上説は当然戦後だろ。ミカドを大陸人にしちまったんだから。
>戦前でそんなのあるわけないじゃん。
喜田 貞吉の「日鮮両民族同祖論」はどうです?
あれは中国から朝鮮半島を経由して「天孫降臨」した
「天孫民族」が国津神を信仰する日本列島の先住民族を撫育して同化して僕らも今日から清く正しい「天孫民族」
的な話じゃないっすか
だから朝鮮海峡を挟んで北と南で同じ民族。
天皇というのも「天孫の嫡統を継承し給える我が皇室」と言うわけで。
喜田貞吉著作集で一応読んだんですけど、それが結構前なんでうろ覚え。
この説が出たのが1919年。まだまだ日本の考古学は揺籃期で、
喜田貞吉にしても使える考古学上の資料が無かったらしく、記紀神話の記述、日韓の言語学と民族学上の類似点を論ずるに留まってました。
何せ神武東遷を実証しようとしたら真逆の調査結果が出たことでおなじみ大正元年の西都原古墳群の調査から10年と経っていない。
30年代、40年代と不自由な環境ながらも出土資料の蓄積と研究の進展がなされ、
戦後出てくるのが「日鮮両民族同祖論」の考古学版焼き直しであるところの「騎馬民族征服王朝説」であるわけで。
たぶんそのあたりの話をしてるんじゃないかなと。>>98
おお! 失礼しました。
ロマンの話ですね。>>100
ロマンは持ちたいですね。(^▽^)/전혀 그런 자부심같은건 없다. ㅋ
>>96
江上さんは戦前の大陸起源論を戦後向きに直して発表したんでしょうね。
日鮮同祖論は海外で悪名高き日本の侵略主義の根拠とされていますね。
海外での日本の一般情報:
・日本は国家神道以外の信仰を壊滅するために、山岳にある由来不明の石造遺跡を全て破壊した。
・日本は莫大な費用をかけて日本と朝鮮が同祖である証拠を、調査あるいは捏造した。
海外といっても韓国中国ではなく欧米含めた全般です。
日本人はなぜ日本がナチスと同系列に扱われるのかいつもよくわかっていませんが、
こんな不気味な話を事実とされているからですね。
ところで戦前の日本研究では民俗学と民族論がよく協調して研究されてますね。
ニコライ・ネフスキーはアイヌと宮古方言を中心に研究した東洋学者で、
日本辺縁言語研究の第一人者だった。ネフスキーさんと喜田さんは交流あったのでは。
金田一京助や柳田国男と情報交換していたらしいけど。
ロシア人だが漢文漢学のスペシャリストで西夏文字まで研究している。
戦前の純粋な民俗・民族研究はいつか時代とともにプロパガンダに関わるようになり途中で潰えた。
それを掘り起こす過程で、今度は戦後風に『天皇が朝鮮系』という少し露骨な物言いで発表されたのが江上さん説でしょう。ニコライネフスキーのサンクトペテルブルグでの日本語の師匠が、4人目のシベリア単独横断の黒野義文というのも面白い。
アジア、ヨーロッパ、インド人、北米インディアンにも親戚を持つトルキ スタン の男。
Turks の移動YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=LDI7j1eftqk
>>104
ですです。(^▽^)/
面白い事は山ほど出てくるんですけど・・・。
別のスレ立てが必要ですね。> 自説と違うからってなでも
秦氏はあなたと相手の"自説"や"他説"ではありません。
秦河勝は日本史上ですさまじく有名な渡来人。
違うとも言ってないのに通じてない、この欺瞞が身の毛のよだつ思い。騎馬民族は馬の去勢の知識を持っている
メス馬が発情するとオス馬が暴れて手が付けられなくなってしまう
日本にはずっと去勢の知識が無く
戦国時代には発情したメス馬がいると、
騎馬武者が乗った馬が暴れて制御できなくなっていた
日本に去勢の知識が無かったことは、日本に騎馬民族が来ていないことの証拠だと考えられる>>105
>日鮮同祖論は海外で悪名高き日本の侵略主義の根拠とされていますね。
そ、そ。
朝鮮における植民地支配の正当化のために「日鮮同祖論」が必要とされていた時代です
喜田貞吉が「日鮮両民族同祖論」を著した1919年と言う年は特にそういう時期です
神話や言語に見られる類似点だとか、意地でも「天孫降臨」を実証しようとしているあたりとかは
「騎馬民族征服王朝説」は、まんま「日鮮両民族同祖論」の引き写し
古くなったところを訂正し、ちょっとした脚色を加えたに過ぎない
ただ江上 波夫の博覧強記っぷりが物凄いから
いい加減な説なのにも関わらず妙な説得力が出てきちまったんだな
>・日本は国家神道以外の信仰を壊滅するために、山岳にある由来不明の石造遺跡を全て破壊した。
>・日本は莫大な費用をかけて日本と朝鮮が同祖である証拠を、調査あるいは捏造した。
>海外といっても韓国中国ではなく欧米含めた全般です。
>日本人はなぜ日本がナチスと同系列に扱われるのかいつもよくわかっていませんが、
>こんな不気味な話を事実とされているからですね。
日本考古学の研究者が冷遇されほぼ手弁当で研究をしてた頃
「興亜院」やら南満州鉄道やら、あるいは「満州国」政府やら朝鮮総督府やら、胡散臭いところから潤沢な研究費を貰って調査をしていたのが
江上 波夫やそのお師匠さん方にあたる日本の東アジア考古学の先学ですからして
日本の史学史の暗部であります>>114
日本の考古学が海外の日本調査より遥かに後進だったわけです。
彼らは既に大和言葉どころか古モンゴロイド系に由来するものと、漢語の研究、さらには中国で解明されない亜種の漢字まで研究していた。
1600年代に『日本誌』を書いたケンペルは、スウェーデンの学会で清朝顧問のスパサリーというロシア人から康熙帝がネルチンスク条約の際に行った満州調査の書籍を交換。日本側の沿海州人到来と同相当の調査が大陸側にもあることを確認したりしている。
金をいくら費やすのがいいか悪いかわかりませんが、彼らのロマンを追う本金の情熱と、日本人の研究への敬意の薄い視点と、どちらが正しいのかよくわかりません。
戦前では、欧州とアメリカのプロパガンダ系人類学者たちは"漢族西方起源説"という論を主張していたようです。今でもwikiなんかで簡単に検索できます。もちろん現在は否定されています。
列強全盛の当時、彼らが一度言い出したら、きっと既成事実化してしまうところでしょう。
日本の研究軽視は今でも研究者をアメリカに渡米させていますね。
私はその辺りは「日本の史学の暗部」という説にあまり同調できません。
その考え方は戦後日本人が作り出したものだったんですね。知らなかった。朝鮮民族は自負心を持つだけの文化と歴史を持っていない。
朝鮮民族は朝鮮半島を通過した民族から文化を受け継いで居ない。
朝鮮民族は雑種であって何かの文化を継承しているとは言えない。単純に、「韓国発祥で世界に広まったもの」を知らない。
韓国がオリジナルで、かつ、それが有用なものなら近隣諸国に広まっているはずですよね。>>110
ID変わってると思うが、レスしとく
まぁ好きにしたら?
スレちだから無用な論争はしないけど、
>数万得前のマンモスと同時期の人類の移動と、
紀元後の日本海北方からの人の移動は愕然とするほどかけ離れているし、
そういったことが理解できないで無用に反論だけに酔うような者はUFO心霊研究家と1mmの差も無く同じ。
吐き気がするほどおぞましい。
このコメントから見えるのは、
可哀想な人
ってイメージだよね。
自分では逆転サヨナラ満塁ホームラン級の例えと思ってるのかな?
話をすり替えて悦に入る白馬鹿君クラスだよ。
吐き気がする程おぞましいなら見なけりゃいい話だし普通の常識ある大人なら、こんなコメントはしないよね。
吐き気がする程おぞましくても、もう少しセンス良く、人を不快にしないコメント書けよなw
まぁ私もあんたのおかげで似たようなモンになりさがってしまったけどw>>111
ついでに言うと
あなた、日本語不自由?
>自説と違うから
の部分がどこを指してるか伝わらんかったようでスマンこってす
俺の文章能力のなさなんやろね。
因みに秦氏の話とちゃうでぇw
そうやって話をすり替えて、
>違うとも言ってないのに通じてない、この欺瞞が身の毛のよだつ思い
してて楽しい?
もうレスはつけてくれなくていいよ。
センスの欠片もないコメントみて不快になりたくないし、オヌシも身の毛のよだつ思いwしたくないやろ?
お互い不快な思いしたくないやろ?>>34OPの人に言ってるんじゃないの?
まず、騎馬民族がそんなに凄いの?という疑問があるんだけど…戦争に強いだけでしょ。それでは国が維持出来ないし、国民も幸せにならない。同じ条件なら民主国家より独裁国家の方が軍隊強いよね…そういう事だよ。今は民主国家にして、国民を豊かにして、条件を変えてしまう方が最終的に強いと思う。平和国家日本の自衛隊の方が北朝鮮の軍隊より強い…そういう事だよ。歴史的に見ても騎馬民族なんて最終的に負け組になっているじゃん。
逆に言えば朝鮮人は騎馬民族だから、怒りやすく、建設的な考え方をせず、知的水準が低い為に国が栄えず、最終的に負け組になるんだよ。
本当に騎馬民族の血を引いているかは関係なく、騎馬民族気分だから失敗ばかりなんだよ。日本人は農耕民族が先祖と思っているし、アメリカ人は敬虔なプロテスタントが先祖だと思っている。現在、世界に覇を唱えている国に先祖が騎馬民族と思っている国はない。つまり、騎馬民族と考える事が負け組の一歩だよ。騎馬民族の特徴と考えられているものが国を発展させるのに向いてないんだよ。朝鮮人の欠点はそこそこら出ていると思うよ。
朝鮮人は偽装するの得意なんだから、明日から農耕民族になろう!あっ…イスラム国の人は騎馬民族と考えてそうだね。あの程度の愚かな思想なんだよ。人間が生きていくためには、狩猟も農耕もしていたに決まっているんだよ。騎馬民族、農耕民族というのは思想の一種なんだよ。日本でも戦国時代だけ見れば狩猟民族だよ。モンゴルも現代では農耕民族だね。結局、農耕民族、狩猟民族というのは魂の置き方、思想なんだよ。そして自分を狩猟民族と考えるのは国の発展に向いてないんだよ。
各地の秦さん達が「私らは遠いユダヤの子孫なんだぁ」って笑って言うのは微笑ましい。
しかし怪しい活動をする宗教団体もいるのでね。
イスラエル人の間で"幕○"という団体は普通に有名らしい。
よく聖地に行って同祖宣伝などしてるよう。
困った日本人団体の深情け、として迷惑がられてる。>>115
日本考古学を、文献史でも同じですが、突き詰めていくと必ず記紀神話との矛盾に対峙しなければならない時が来ますからな
いきおいお上からも睨まれており、おのずからその研究も委縮したものとならざるを得なかった
「東亜考古学」はその点そういった束縛はありませんでしたからね
中国人の起源がどうであろうが記紀神話との矛盾は基本的に発生し得ないわけですから
戦前の日本考古学に対する研究の低調さと、それと対照的な日本人考古学者による東アジア考古学への傾倒は
つまるところそういう背景があったからでして
じっさい、戦前の研究者が記紀神話との対峙を可能な限り避けていたのは確かな話で
とくに古墳時代に関しては型式学上の研究に終始し
天皇制とも関わって来る政治史や経済史の分野にはほとんど立ち入ってない
そう言った事に対する言及は第二次大戦後の小林 行雄らによる三角縁神獣鏡の議論等を待たなければならなかったのです
そして記紀神話と考古学上の知見が矛盾するとき
とりあえず記紀神話の記述を立てざるを得ない、そういう抑圧があった訳ですちょっとだけ脱線して具体的な話をすれば
エドワード・モースによる大森貝墟の発掘からしてそうだった
石器時代についての記述は記紀神話にはありませんからして
従って日本民族の歴史では無いとして
現在の東博の前身である帝国博物館に当初は縄文時代の資料が収められなかったって話があります
一番まずかったのは「大森貝墟」の出土資料に今日から見れば他に出土例が無いわけでは無いが物凄いレアケースである食人の痕跡っぽいのが見つかっちまった事で……w
(戦後の調査で確か愛知県の伊川津貝塚から似たような人骨は出てはいるんだな。他にあったっけ?)
しかし栄えある我が大和民族はそんな野蛮な事をするはずがない!と言う次第
しかしアイヌは食人はやりませんから、縄文人は「アイヌ」でも無い。さらに「先住民族」がいる。アイヌの伝承にはコロボックルと言うのがいる
そう言った背景のもと坪井 正五郎らによる「コロポックル論争」(1918年)に代表される縄文研究における明治から大正にかけての「人種交代説」が唱えられまして
例えば喜田 貞吉も「日本民族概論」(1919年)において縄文文化の担い手を「先住民族」である「アイヌ」民族のものと理解し
その終末の年代を1936年の「ミネルヴァ論争」では鎌倉時代まで併行するとしていました
そして弥生土器は同じく「先住民族」の「隼人族」のもの
土師器と現在で言う須恵器が「天孫民族」のもの、であると理解しているわけですね
これについてはちょうど浜田青陵らによる1910年代末から20年代にかけての大阪府国府遺跡、鹿児島県の指宿遺跡の発掘によって
縄文土器と弥生土器とが人種・民族差ではなく時間差によるものであることが層位的に示されたちょうどその頃ではあるので
仕方のない話ではあるのですが……
少なくとも日本考古学が20世紀初頭に「人種交代説」の袋小路に迷い込んでしまったのは
記紀神話と矛盾する知見を日本民族の歴史から切り離して考えようとしたところにあるのです。
つまるところ「皇国史観」と言う訳で
何を言いたいかと言うかというと「騎馬民族征服王朝説」の直接の引用元じゃ無いが
こういう学史があったよというお話でした。こうした「皇国史観」の束縛、
そして戦前の東アジア考古学の研究者たちが結果として日本の帝国主義的政策のお先棒を担いじまった事に対する職業倫理上、道義上の責任ですな
このあたりはやはり問題だったと私は思いますそれはないかと思います。騎馬民族なら移住地は温帯な平地にしないとせっかくの先祖の経験が活かせず困るでしょう。逃げて追われて来たならまだしも騎馬民族が馬を捨てるとは思えない。食べ物も雑穀を食べてたようですし、それもおかしい。中央アジアの騎馬民族由来の国は肉はヤギ、後ヤギの乳、持ち運び保存のきくパン、酒は乳でつくってる。韓国は中国、日本のような食生活や習慣ばかり。これで騎馬民族と言われても信じられない。
騎馬民族の最終形態は定住民です。
それは世界各地に数多存在します。
>>126
ネフスキーはおしら様神についても研究していた。
天明天保でも食人はあったし、
遺伝子や原始人の生態の研究は素人の私からみると
動物学をやってるかのようですね。
犬や猫の品種研究のような。
人間は家畜ではないので特殊な生態の文化史をやるよりも、
言語や文字・暦・学問・信仰・農業技術・武器などを知ることを目的とする方がよいと思います。
欧米の人が貝塚を発見したのは面白い話ですが、
彼らの視点での東洋人観察になることは否めないような気がします。>犬や猫の品種研究のような。
www
層位学も型式学も元をただせば自然科学からの援用ですからね
いかんせん人文系の論文らしからぬ色気の無さにならざるを得ない
>彼らの視点での東洋人観察になることは否めないような気がします。
なんだかんだ言って研究と言うのは当地の人がやるのが一番ですからね
例えば江戸時代の田村三省は「会津石譜」の中で鉄器が無い時代があり、石器はその時代の産物であると、
丘陵地帯から見つかるのはそのようなところに村落があったからである、と
トムセンの三時代区分法を知らずにここまでたどり着けてるわけですから。
ただE・S・モースが大森貝塚発掘において採った方法論と言うのは
世界的に見てもあの当時最新のものであったことは日本考古学にとって幸運だったと思います。
日本の考古学者たちがその水準まで追いつくまで数十年と言う長い年月がその後かかる訳ではありますが
良い道しるべとなったことではありましょう
添付した実測図なぞは今日でも使えるレベルです
今度ネフスキーが書いた本読んでみます。
いい人を紹介してもらいました。
ありがとうございます。>>131
ああ面白い。
江戸時代の日本の考古学ですね。
彼らは同時代で着火のために石を使っていたにも関わらず、
原始人が石で農耕用具を作ることは画期的な発見だった。
逆に言えば、現在と同様高度な便利社会に浸かって暮らすのが日常であったため、
鉄すら無い時代を文明技術で発掘して読み解いた。
もう現在の考察レベルと変わらない。
欧米人はアイヌにとかく興味を持ちたがるが、
その学問自体は日本が近代黎明期に発見した説を借用してるだけにすぎない。
近代は江戸時代中頃から始まってますね。
アイヌのさらに北にはオホーツク文化があり、
大陸の靺鞨文化と関連すると言われていますね。
みしはせ(粛慎)は記紀にも記述がある。
記録の無い時代と記録のある時代がうまく繋がると面白いですね。>>1
イギリスの国旗です>>81
朱子学儒教は属国を無能化洗脳する道具ってね。
洗脳奴隷を自由にすると生み出される国が韓国。
人間学的には非常に面白い試みだと思うが、日本国の隣で実験やるな。>>1
韓国人のやる事成す事全て普通ではないんですよ。
普通ではなく異常なんです。だから世界から理解
されないのです。韓国人は騎馬民族から追い出された民族だろ?
それが真実なんだよ。
韓国人の民族的自負心と騎馬民族説
136
ツイートLINEお気に入り
109
18