朝鮮史において奴婢の多さは異常で、同族を奴隷にするという訳の解らない状態になってる
ただこれが「同族ではない」と考えれば矛盾はなくなります
古代朝鮮史において奴婢制度は廃止になったり復活したりしてますが、高麗王朝時から身分制度が確立しました
高麗の朝鮮半島侵攻で後百済は高麗に最後まで抵抗した為に百済の民は奴婢となりました。更に奴婢随母法により「奴婢の子は奴婢」という過酷な身分制度も作られました
元朝支配時代にモンゴルから高麗の従東行省に赴任にした皇族コルギスが高麗王の忠烈王に奴婢制度の廃止を求めたが、忠烈王は「我が始祖は賤類とは種類が違う」と受け入れなかった
この完成した奴婢随母法はそのまま李氏朝鮮でも継続した。百済の民は約1000年も奴婢として扱われたのです
ただこれは古代の百済人(漢人)が北方民族を嫌ったことに関係してるのかも知れません
高麗の侵略により百済の民は奴婢とされ、奴婢随母法で「母が奴婢なら子も奴婢」という身分制度が確定した
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