「三田渡の恥辱」で有名な丙子胡乱で朝鮮に攻め込んだ清軍は3万人だった

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    • 1名無し2019/02/22(Fri) 11:41:27ID:MwMjYxNzg(1/1)NG報告

      「三田渡(三田渡)の恥辱」は民族史のトラウマだ。賃金が3回ひざまずい九回頭をジョアリヌン「サムグェグゴ二(三跪九叩頭)」の恥辱を受けたのは韓国史で類例がなかった。執権層の無能に批判が集まっは当然である。ところが、為政者の責任だけで回して怒りとやめだろうか。

      青大使専攻の旧ボムジン(50)ソウル大教授は、断罪に偏った丙子胡乱の真相をきちんと究明するのが先だと思う。通説に「虚偽事実」があまりにも多いということである。今週出てきた著書「丙子胡乱、フン太地の戦争」(カササギ)は、朝鮮と清の両方の記録、特に満州語史料を活用して、私たちが知らなかった丙子胡乱の真実に近づく。

      ①青軍30だけ虚偽、実際には3万4000人の

      最も基本的な数字から間違っている。清軍の数字を置いてジュファパチェミョンギルは「十数万」、人工実録は'30万」とした。最も広く受け入れられている数字は、12万8000人。1980年代、国防部が発表した「丙子胡乱社」だ。満州語の記録を分析した旧教授は丙子胡乱に参戦した清軍正規軍を3万4000人とみなす。満州族の人口構成を分析すると、動員可能な兵力最大値は3万2000人だった。このうち70%の2万2000人を投入して、同盟勢力であるモンゴルのボトル1万2000人を加えて3万4000人を満たしたものである。ホラン当時朝鮮人50が、60だけが捕虜として連れて行かれたという通説も誇張とした。当時清人口が240万に満たないためにどのように捕虜60だけ連れて行って食べさせることができるかなどの理由からだ。

      http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2019/02/22/2019022200141.html

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