韓国の済州島(チェジュド)で10月中旬に行われた韓国主催の国際観艦式観艦式で、海上自衛隊の旭日旗の掲揚を妨害するため、韓国側が参加各国に軍艦旗使用を自粛するよう要請した問題は、各国海軍が要請を黙殺して終了した。かたや韓国海軍は「抗日の英雄」李舜臣(イ・スンシン)が掲げたとされる旗と同じ図案の旗を用意。文在寅(ムン・ジェイン)大統領が駆逐艦で演説した際、背景に広げてみせた。韓国では無敵の名将とされ、首都ソウルに立像がそびえるほどの李舜臣だが、軍事的に見ると切ない現実が浮かび上がる
文禄・慶長の役で朝鮮の水軍を率いて日本軍と戦い活躍したとされる李舜臣。特に文禄の役における閑山島(かんざんとう)海戦(1592年)では脇坂安治率いる水軍を海上で撃破した、あるいは慶長の役の鳴梁(めいりょう)海戦(1597年)では藤堂高虎ら日本の武将を苦しめ海戦に勝利した-とされるが、朝鮮側と日本側の記録では戦果が異なり、朝鮮側では大勝利の評価が、日本側ではわずかな被害であったりする。
戦役中最大の海戦とされる鳴梁海戦でも、日本側の被害は数十人が戦死というレベル。この戦闘では朝鮮水軍が撤退し、鳴梁海峡の制海権は日本のものとなって終了している。「大海戦で朝鮮圧勝」とは言い難いが、後世、名将との評価が一人歩きしていく。(続きはソース記事で)
https://www.sankei.com/west/news/181030/wst1810300004-n1.html真の英雄 豊臣秀吉!
空想百科事典で見たような
たしか2~3行くらい解説が書いてあった自然の力で敵が全滅
韓国 李舜臣は英雄nida
日本 神風が吹いた
李舜臣って一生を見ると特に英雄って呼べるほどの功績は無いんだけど他があまりにも酷すぎるんで相対的に祭り上げられてるだけな鳴梁海峡の制海権は日本のものとなって終了している。
鳴梁海峡の制海権は日本のものとなって終了している。
鳴梁海峡の制海権は日本のものとなって終了している。
鳴梁海峡の制海権は日本のものとなって終了している。
防衛期間1日で大勝利の大英雄
映画化して大ヒット!でも一日防衛、翌日逃亡。因みに元記事のラスト。
ちなみに文大統領が掲げさせた旗は「帥字旗」と呼ばれ、指揮官の居場所(座乗艦など)を示す旗だが、こちらも歴史がある。1866年に朝鮮軍が米国測量船ジェネラル・シャーマン号を焼き討ちした事件の5年後、米海軍は事件への謝罪と開国、通商などを求め米艦5隻を派遣した。朝鮮海軍は反撃したものの根拠地3カ所を攻撃され事実上壊滅。上陸した米海兵隊により「帥字旗」は持ち去られ、2007年に長期貸与という形で里帰りしている。映画が史実nida
【『日本は操作のイメージ』という韓国人に見せたい内容】
当時、韓国海軍には海戦遺跡発掘団という組織があり、その発掘団が統営(トンヨン)市閉山島(ハンサンド)沖で小型砲(銃筒)を発見、引き上げた。砲身に「亀艦」「萬歴丙申」などと刻まれていたことから、1596年に鋳造され亀船に搭載されていたものと分析され、世間の話題をさらった。閉山島は李舜臣が根拠地としていた場所でもあり、発見から4日後には専門家がその価値に太鼓判を押し、発見17日後にして韓国国宝274号に指定された。
また銃筒には「亀艦黄子 驚敵船 一射敵船 必水葬」(亀船の砲は驚く敵船を砲撃1発で沈める)との銘文もあり、韓国海軍では当時「一射敵船~」がモットーのように用いられたという。
銘文の鮮明さなどから「おかしい」という声はあったが、李舜臣が日本=豊臣軍に初めて迎撃戦を行ってから400年の節目という話題性のなか、異論は注目されなかった。
しかし4年後の96年6月に発掘団の団長だった海軍大佐が収賄罪で逮捕され、その捜査時に真相が判明した。大佐は発掘団がまったく実績を上げられない事に悩み、鋳物工場も営む知人の骨董商に銃筒を作らせていたのだ。そのあとは自分で海に沈め、自分で“発見”し、ひきあげていた。
ねつ造発覚後、国宝指定のための鑑定作業がわずか30分だったことなど連鎖的に問題が発覚した。事件以前にこの骨董商が海軍に寄贈していた「朝鮮時代の青銅測雨器」も偽物と判明。また同団が94年に引き上げた亀船の一部部材も偽物だったことがわかった。大佐の逮捕から2カ月後、「李舜臣の亀船」の銃筒は国宝指定を解除され、国宝274号は欠番となった。日韓併合の時には内鮮一体の為に日本が英雄像を作り上げた
独立後に反日の英雄として韓国で奉り上げられた
実際は開戦中に一度も釜山港が韓国海軍によって閉鎖されたことはない。これが現実>>1
Z旗だけだとただの救難要請だよ。
軍艦旗、大将旗が無いと。>>1
英雄のいない韓国で、李舜臣を英雄として取り上げたのも、
日本だしね…。>>14
さすがに、地元の海軍が潮の流れを無視するわけないし、潮流を戦略に入れてなければ大群に正面突撃とか無謀な攻撃になる。
現代だと橋が架かってる幅の狭い海峡で、人数の不利を減らして海流に乗っちゃうと止まれなくて敵陣深くまで誘い込まれて包囲されると予測できる位置から後ろにダミー並べて戦った。
海流+風で逃げたら敵は疑って追えないと理解して戦ってる。
グーグルマップで見た感じだと、海峡に近づくほど吸い込むように流れが速くなる場所だ。>>1
戦死した無敗の大将軍w
李舜臣って誰? 旭日旗NOの韓国最大の“英雄”とは
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