秋はクラシックカーイベントの季節
韓国ではクラシックカーを愛でる文化ってある?
あるならどんなイベントや集まりがあるのか教えて下さい>>48
あの頃のTS1300は 110サニーのワンメーク状態でしたもんね
中山サーキットでは 110サニー(TS)のタイムが
N1ワンダーシビックが出てもなかなか 更新されませでしたよw>>55
乗った事ありますが、あれもサスが弱くてね。
ノーマルだとコーナリングは汗かきましたよ。
あの後のモデルチェンジ・モデルは足回りはかなり改善されました。
トルクはどうかな?2000ccはかなり良くなりましたが・・・。
あ、ロータリー使いはトルク不足が泣き所でしたね。
普段プレストREならトルク感は太く感じられたでしょうね。>>57
はい、クラッチはカートリッジ・タイプとか言ってましたね。
義兄のはトラブルも無く、非常にアタリの車でした。
確かにFFの癖が強くて、タックインを利用して曲がるのを練習しないと、
あの車は速いタイムは出ないでしょうね。>>62
>155ツインスパークのワイドボディが かっこいいと思います
同意します。
DTMで優勝した時は「アルファ復活」を感じたものです。
ジュリア1750GT!
いいな、ごく短い間1300GTジュニアは乗った事あります。
正常に動くようにして手放しちゃったんですが・・・。>>63
バタハチは トップをトランクに入れる時
リアスピーカーのコーンを突き破った思い出がww
その点、カプチーノの三分割は楽でしたねダットサン・ブルーバード510
「ラリーの日産」と云われたのがこれ
石原プロモーション石原裕次郎主演の映画「栄光への5000キロ」
510SSS(スーパー スポーツ セダン)も 当然 ポルシェサーボシンクロ搭載です
新型610ブルが発売されても 人気は衰えず併売されておりました
私が 73年に大学で整備士の勉強してた時の実習車ですので懐かしいっすムスタングのパクリは セリカだけでは在りません
セリカLBどころか ダルマセリカより2ヶ月前に
コルトギャランGTOが発売されました
最高性能モデルが DOHC2連ソレックスのMR
ツインキャブ スポーツモデルがMⅡ 廉価版がMⅠ
外観の見分け方は サイドのラインがダックテールに回り込むのがMRです
MRは高価でしたので余り売れず MⅡが最も売れましたが
MⅡ搭載と同じサターンエンジンを初代ランサーに積んで
あれだけラリーで活躍しましたから MⅡでも戦闘力は相当高かったですね
MRは1600cc 125PS/6800rpmとクラス最高出力で
同クラスのレビン2T-G型 115ps/6,400rpmより強力でした俺が子供の頃、知り合いの雑貨屋の兄ちゃんがスカイラインの
一番高いやつを買うから持って来いと、ディーラーに言ったら、
ラジオどころか装備が酷すぎる車をディーラーが持って来た
と騒いでたが、今思えばそれがハコスカGT-Rだったんだよね。
兄ちゃんは我慢して買ったらしいけど。>>49
グレード名はあったのかちょっと記憶がありません。 ハンドメイドの1800でフェンダーに付いてた唐獅子のエンブレムが青いやつです。1600が赤でECが黄色だったと思います。
動画のキャプですが画像つけておきますね。それにしても「日韓」なのに、
韓国人が全く来ないね。
「ヒュンダイ・ポニー」出てきても、
まあ言う言葉も無いけどね。>>71 スレのコルトギャランGTO MⅡの サターンEGを
軽量ボディに搭載したのが 初代ランサー1600GSR
それ迄三菱はコルト1500SSで戦っておりましたが
1973のサザンクロスラリーで初代ランサーをデビューさせ
1976年まで、三菱車5連覇という偉業を達成しました
プライベーターも それ迄駆ってた 510ブルやB110サニーから
挙って 乗り換えた ラリー用ベースの名器です昔、いとこの叔父さんが、ハコスカワゴンに乗ってて、
電動でリアハッチのガラスが上下したのは、驚いたよ。>>79
マークⅡのワゴンは人気ありましたよ。
サーファーが多かったけど、弟は「ナカミチ・フルキット」入れて、
リスニング・ルームにしてました。
ワゴンらしいデザインとゆるい乗り味は中々用途にぴったりでした。>>83
私の現行愛車 2台ともクーラー無いですw
寒がりなので ヒーターは付いてますけど 真夏のサーキット走行で
ヒート気味になれば ラジエターの補助でヒーター炊いてますよw皇室の御料車としてわずか7台しか製造されなかったリムジン、プリンス・ロイヤル。「自動車の最高峰を国産車で」という信念のもとに製造されました。
プリンス自動車工業が開発した自動車ですが、皇室納車時には日産に吸収合併されていたため、正式名称は日産・プリンス・ロイヤルです。
プリンスが特別に開発したエンジンは水冷V型8気筒、排気量6373ccで、これは史上最大の日本製自動車エンジンになります。
変速機構は3速AT。しかし、AT自体が当時日本ではまだ発展途上だったことから、信頼性などを考慮しGM製のものを導入。タイヤはプリンス社を資本・経営面で大きな力を持っていたブリヂストン製です。
プリンスが御料車開発を担うきっかけとなったのは、明仁親王(今上天皇)の車好き。明仁親王は自ら自動車を運転するのが趣味であり、1954年に献上されたプリンス・セダン以来スカイラインやグロリアなどのプリンス車を愛用なされていました。
プリンス車がもともと公用車としての納入実績も高かったことも理由のひとつになりました。
また、会社が都内にあったためメンテナンスの面でもプリンス自動車は好都合だったようです。ロイヤル・プリンスには御料車ならではのこだわりが多くつまっています。
例えば内装。侍従用の補助席もある8人乗りの室内はほぼ手作り!当時可能な限りの最高級の品質を追い求め、全席は耐久性を意識した革張り、貴賓席には最高級の毛織物を使用し、柔らかかつ滑りにくいシートを実現しました。
外装の面では外部から攻撃を防ぐため、窓ガラス、ドアに防弾対策が施されています。
ボディの塗装はあえて特殊なものは塗られていません。これは、地方での歓迎の際に国民が御料車を囲み手や小旗で車に傷付けてしまったとしても、どの自動車工場でも修復がすばやく出来るようにとの配慮です。こだわりの高さを感じますね。
昭和天皇陛下に長年愛用されました。>>87
天皇陛下って 皇太子時代、 余りにお忍びで しかも 無免許運転で
ご学友と東宮から出て行くので 警護に困った警視総監が
墨で手書きした自動車免許を お渡ししたって聞きましたよw
今は ちゃんとした免許を更新されて しかも高齢者講習迄受けられ
インデグラ4ドアHT(5MTですが 残念ながらVTECでは無いらしい)を駆って
美智子皇后様と デートしてらっしゃいますね(後席の護衛が邪魔だと思われw)
素晴らしいw>>89
Hinoコンテッサ1300クーペなら 私が厨房の頃 普通に走ってましたよ
明日は 私が幼稚園の頃のタクシーだった日野をウプしませうw>>91
ベレGはリア脚が突然破綻しますので 70年代中期には もう人気無かったですね
凝った足回りで ネガキャン 付いてカッコ良かったんですけどね
私は 板バネよりはマシかな?って感じました韓国にもジョルジェ・ジュジャーロ・デザインのヒョンデ・ポニー(中身は三菱ランサーだったか?)やデウ(?)マティスがある。是非、写真をUPしてほしいnida。
>>91
ベレットGTR
私が免許取得時には まだ新車が手に入りましたが
116万円のGTRを 友人達は 誰も買いませんでしたね
117クーペの廉価版XTが 「117史上初の100万円切り!」
なんて CMされると 当然 そっちを買ってしまいます
ケンメリGTも確か 108万だったような
クラシックカー好きのスレ
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