昔から宗教はどの時点で定着されるし色んな形をして人の心の何処かにいるのだが。。。
そうね、僕が知りたいのは普段のカルト宗教ではなく所謂メインストリームの宗教だね。
韓国の場合はキリスト教、仏教、カトリックになる。
因みに韓国の場合、OECD加入国としては信仰心が高いのが事実である。
先進国になるほど信仰心は下がり、宗教を持っていない者が多くなるが
経済が発展を進め、生活が良くなってもまだ50%の人口が信仰心を持っているね。
でも宗教の自由は確かにある。他に国教がある国もいるが韓国はそうではない。
面白いのは高麗や朝鮮の時建たれた仏堂の裏には民間で仕えた雑神の堂があるw
これを見れば昔から我らは昔から宗教を幸運を持ってくる何かで考えたかも知らない。
で、今の韓国では宗教がどう進んでいるのかの雑談だが
仏教の信者の数は年が通るほど減少している。仏堂を行っても年寄りの方しかいない。
キリスト教は若者が多く極端的である。そりゃ唯一神だからな。
カトリックはよく分からん。何か静かで人気ないのが今の特徴だ。
でも一番数多いのは「信仰心を持っていない者」だ。僕もその一つである。
他にイスラムやヒンドゥーは外国人の方とその子孫がいる。
ミョンドンにはムスリムのモスクがあってハラル食品も売っている。
個人的にテロリスト等がムスリムなので過激化されていないのか分からんが
俺が対話してみた留学生のムスリムは皆優しかったせいで余計ない心配だったかもしらない。>>1
日本で主流なのは神道と仏教。
ただし、現在では両方とも、一般人にとっては宗教と言うよりも文化的な慣習的になってる。
ここ最近は西洋の宗教行事が、お祭りイベントとして新しく導入されてる。(ハロウィン、イースター等)그게 미개한거지 ㅅㅂ;; 그딴거 믿지말고 과학을 믿어라
日本の基本的かつ伝統的な宗教は儒教、仏教、道教、神道である。
これらがお互いに影響しあい、千年以上の歴史の中で、最後には神仏習合という日本独特の宗教感が生まれた。
外面的には寺の中に神社があり、神社の中に寺があり、教義、哲学の面では儒教、道教の要素も入っている。
日本独特な宗教感で、外国人の目から見れば不思議だろうが日本においては普通のことである。
むしろ、日本人から見れば、宗教が戦争の原因となる西洋の価値観が異様に映る。
このような日本的宗教感が、現代世界において意味を持ち始めたのが昨今の傾向である。
異なった神を信仰する者、つまり、異なった考え方や習慣を持つ者が共存して行き、ただ共存して行くだけでなく、影響し合うことでさらに発展して行く。
永い伝統と歴史の中で実際に作り上げられたものであって、単なる概念上のモデルではない。試行錯誤を経て完成された、当に現代世界が目指すべきモデルが日本の宗教感である。>>40 원래 무당은 삼국시대에는 위상이 높았다. 그런데 조선시대에 유교가 기본이 되었는데 유교는 現世中心的이라서 雜鬼, 迷信들을 打破했다. 그래서 무당은 천한 직업으로 전락해버렸는데, 또 그만큼 민중들과 더 친숙해졌다.
지금도 동네에 한명씩 무당이 있을 정도로 무당은 사람들과 가까이 있다. 너무 많고 자주 보니까 관광상품으로 할 생각을 안 하는듯. 그리고 무당의 이미지가 좋은 편은 아니다. 특히 박근혜 - 최순실 사건으로 무당의 이미지가 더 나빠진 것 같기도 하고 ㅋㅋ
무당을 관광상품화 하기에는 사람들의 인식이 그다지 좋은 편은 아니라서 못하는 것 같다. 친숙하지만 인식은 안 좋은 이런 상황色々な意味で「信仰」を全面に出している、実の宗教は「創価学会」だけだろ。
伝統のシャーマンとトンスルを売りにするべき
>>27
中国や韓国の集団戦闘スタイルは、西洋に似ていると言えるかもしれない
でも、日本の集団戦闘スタイルは、東南アジアがルーツなんだよ
日本という国は、中国が父で、東南アジアが母、欧米が教師の国だからさ
たとえば、日本の弓は東南アジア起源の長弓で、中国や韓国みたいにモンゴル起源の短弓は使わない
韓国の歴史書にも書いてあるけれど、侍の戦闘スタイルは飛び跳ねて刀を振り回しながら駆け抜けるような「個人個人の突破力」に象徴されていて、西洋や中国や韓国みたいな「前線と前線の押し合い」とは異なる
日本兵は歩兵なのに騎馬のような突破力と機動力で戦う
日本刀はそのように進化した刀だ
まさしく島国ならではのガラパゴスだねw
ID:cyOTg4ODcのコメントは誤解を招きかねないけど、西洋中韓と日本の戦闘スタイルの違いが分かれば、彼の言うことも理解してもらえると思う>>1
お前らのなんちゃってウリスト教と日本の古来から根付く宗教と
同列に語るなよw私は民族の宗教観は、「建前」に現れると考えている
本音=個人の個人的な考え
建前=個人の社会的な考え
自分達の信じる社会正義こそ、宗教の教えや形だと言えるでしょう?
蛇足になるが、日本人でも韓国人でも、建前=嘘という人は、社会的でない人だと思うw
韓国人の「建前」は、儒教的序列が強いように感じる
韓国人の共有意識は、序列に基づいているように見える
だから、韓国人の多くが信じる宗教は、キリスト教や仏教ではなく儒教だと、私は思っている
一方、日本人の「建前」は仏教的である
序列ではなく、平等・対等・自助・共助、多分に偽善的でもある
だが、日本人の本音は神道的である
畏れなどの感情に直結していたり、八百万の神=八百万の価値観に寛容であったり、善悪を問うよりも受け身的に備えを重視したりする
よって、韓国の国教は儒教、日本の国教は神仏混合だと思う>>45 역시 섬나라들의 문화는 조금씩 다른 것 같다.
영국도 마찬가지>>48
朝鮮半島の歴史経験には儒教や中華思想の影響があり、それらは現在もなお韓国社会秩序の一端を獲得していると考える日本人がいるからだと思いますよ。
そこから飛躍して、あなた方には伝統的にあらゆる生活の場面で華夷意識が現れていると考える人がいます。この判断が発言者の実体験に基づくものなのか、私は知りません…。
日本で儒教を政治に組み込もうとした人物は徳川光圀が最後。
17世紀の人です。
日本人は古い人間・中小企業・大企業ほど序列を気にし、年功序列も多いですが、ゼロ年代(2000年代)頃に年功序列から一歩引いたスタンス、多様性を求めはじめ、サブカルとか性的マイノリティー(LGBT)とかIT革命などの大衆文化や風潮が興隆しました。
序列だどうだと言うのはダサい、古くさい、つまらない人間という意識が広がっています。
もし、韓国人は序列意識が強いと日本人が指摘することがあったら上記の理由です。
主に嘲笑の意味で使用するので、誰かが韓国人を傷付けていたらすみません。
日本の宗教は、スレッドの日本人たちが語ったように、さまざまな捉え方考え方があります。
それとは別に、日本社会が培ってきた風習もあります。
お盆やお彼岸には実家に帰り、親兄弟とひとときを過ごします。家が近い親戚も弔問にやってきて「お線香をあげさせてね」といって、のんびり世間話をしたり。
合理的な現代人でも、このような供養を通じて縁を作り出す側面があります。
Halloweenは仮装で大騒ぎ、Christmasにはチキンとケーキを食べて、正月にはお餅でときどき死者を出します。
神道の“神人共食”という考え方です。おめでたい日には、みんな一緒に楽しんで、食べてたくさん笑って明日からまた頑張ろう!みたいな意味です。
私の知っている日本人の宗教観はそんな印象です。>>50
質問者は「日本人も韓国人と同じように目上の人の人に敬語を使う文化なのに、
なぜ日本人は韓国人に年齢での序列に厳しいと言うの?」と聞いておられるんだから
ちょっと答えがずれていて回答になっていないと感じてしまいましたね。>>54
それは貴方が恵まれた環境にいるからだと思う。
神仏を親として信者を子供としたら衣食住足りてる時はなんの不満も無いから
自分が信者だと言う事は忘れる。
信仰していると言う気持ちも無いもんだ。
でももしこう言う人達が何か不幸があった時
自分の子供が行方が知らなくなって心配になった時
毎日の食べ物に困るようになったような極限状況になると
人間はその時になって初めて手を合わせるもんだよ。
都合が良いと言えばそうだけど神仏の愛と言うものはそう言うもの。
普段は何もしないで放っておくもの。
ただ何かあった時に助けてくれる拠り所となるのが神仏だと思う。
そんなもんじゃないの?
普段からお祈りしてろとか神様に愛される為には常日頃勉強しろとか
お布施しろなんてのは論外だと思う。
大体親というものは子供が危機的な状況になって初めて助けてくれるもんだよ。
その時に俺は神仏に助けられたんだなって初めて理解するものだと思う。神社に居る霊は地域を縛る霊
寺は人が肉体を失った後の世界とのアクセスの場
アブラハムの神は、その両方を司っている
神社に居る霊の中にも階級があって稲荷の様な点在している神社は比較的階級が低い
しかし物質的な富や世俗的な願い事をするには向いている
仏教やキリスト教は人が肉体を失った後、想念の世界に入った時に天国へ行く為の導きや教えなので神社に居る霊とは関わりは薄い
それと神社に居る霊は時間帯によって出張しているので不在中に手を合わせて祈っても効果はない
霊感の強い人は在宅か否かを波動によって判断する事ができる日本では儒教は宗教ではなく学問の儒学です。律令や法度やの法律を作る時のベースとして参考にした
ただ儒教は年功序列が強くなる為に社会変化や革新性や寛容性が乏しくなる。芸術国の日本では馴染まなかったので学問止まりだったということです>>54
それ以前に、日本人は自然信仰なんだよ
「万物に御霊が宿る」感覚を誰もが持ってる
だから、どこでもかしこでもお辞儀するのさ
特に「場」に対する敬意は、日本人特有の信仰心だ
なんでも神様になるんだから、他の宗教への感覚が
優柔不断になる
なんでも空気のように、尊重しちゃうから
日本人にとって神は、そこら中にいるありきたりの存在なんだ
それが日本人の宗教観
君には違和感があるかい?日本にキリスト教が根付かないのは当然だ
強固な多神教の国として、長い歴史の積み重ねを持ってるんだから
協調を重視する和の精神と、善悪を二分するキリスト教は相容れない
宣教師が日本の庶民に、主を信じれば天国へいけると説いても
先祖はどうなるかと問われて、信仰のない者は地獄へ落ちてると言われ
じゃあおいらも地獄でいいと返されて、困ってしまったという
個人的には、日本の宗教観の方が、健全だと感じる
それも日本人だからかな>>58
確かに年功序列はあるけど、斬新なアイデアが年齢問わずに採用もされるのも日本社会なのです
「老いては子に従え」は年配者への戒めの言葉もあります
合理性を失なわない程度の儒教なので、日本では儒学という学問止まりなのですよ神道と日本仏教は相性が良いのです
自然と一体化して「願い」「お祓い」の神道
人間社会や天災からの「苦」からの解放を説く仏教
お互いが補完関係にある
これに儒教ほど原理主義化せずに合理性のある儒学
これが宗教というより、日常習慣に溶け込んだのが日本ですちなみに神社にいる霊にも階級があると述べたが
低ければ低いほど世俗的になり友達的な関係に近くなる
高ければ高いほど祈った者の精神的な改善を求めて来るので祈る内容によっては逆に懲らしめられる事がある
教育者に近い
低層程簡単に友達になり易く祈りの効果に即効性があるとも言えるが
祈りが成就した途端に感謝や貢ぎ物を辞めると攻撃性を帯びるので厄介な存在になる事がしばしばある
その点は人間と変わりはない>>64
一応弓道をやっていたものだけど。
日本の和弓はかなり恐ろしい武器だったようで
何しろ洋弓と言うのは意外と短距離しか狙えないものだったんだけど
日本の弓は斜め45度に発射して敵陣に真上から落ちてくるものだったようで
これが何百〜何千人という射手が一斉に射るもんだから
何かの陰に隠れないと頭上から射抜かれてしまう。
洋弓は馬上から射る事なども想定してたから近場の接近戦で無いと意味がなかった。
今でも弓道では距離の長い的を射る事があるけど
かなり恐ろしい武器だったようだよね。メインウェポンの弓戦で蒙古兵より鎌倉武士が有利に戦えたことが勝因ですね
- 71名無し2018/08/27(Mon) 06:52:31(1/3)
このレスは削除されています
>>72
書くと思った(笑)- 74名無し2018/08/27(Mon) 18:03:44(3/3)
- 75名無し2018/08/27(Mon) 19:18:24(2/3)
- 76名無し2018/08/27(Mon) 19:19:46(3/3)
このレスは削除されています
>>74
てか雰囲気悪くなるからお前西側来るな。>>75
通報しておきますた(≧∇≦)>>28
나도 굿하는게 미신이라고 보긴 하는데 지방충이니 틀딱 운운하는 너는 확실히 미개함.>>64
평소 사거리나 위력면에서 합성궁이 우수합니다만 덥고 습한 기후에서 아교가 녹아버리는 치명적인 단점이 있습니다. 그래서 일본 기후에서는 단일궁인 和弓 절대적으로 유리하죠.>>1
キリスト教の中の宗派がカトリックでは??
ちなみに嫁は仏教、俺カトリックで、娘はプロテスタント、息子の神はお金なんだけど。
日本人ほど宗教にいい加減な国民は居ないのでは!!?昔の中国は、日本のことを「倭(わ)」と呼んだ
韓国は漢字を捨てたので、「倭」という漢字の意味が理解できなくなっていると思う
中国ですら、簡体字を使うようになって「倭」の意味が理解できなくなっている
実際、こういうコメントは翻訳によって意味不明になるのを承知で書く
「倭」という漢字は、左側が「人」を意味して、右側の「委」は「ゆだねる」「まかせる」「くわしい」という意味で、その2つを合わせてできている
つまり、「倭」という漢字の意味は「委ねる人」という意味だ
「委」という漢字は、今でも「委員会」「委託」「委譲」などで使う
もともとは、稲穂を掲げて踊る女(シャーマン)を表現している
大昔の日本は政治的な決定を王による決定や貴族による会議ではなく、シャーマンに委ねていた
それで中国人は日本を「倭」と呼んだのだ
よく「倭」の意味を「小さい人」とする誤訳がある
「小さい」を意味する漢字は「矮(わい)」という漢字で、「倭(わ)」に似ているが別の漢字
大昔の倭人が政治決定を委ねていたシャーマンが、どんな神を信じて、どんな占いをしていたのかは不明
でも、それが神道のひとつの起源になっていることは間違いないと思う日本の宗教は、歴史的に多神教であった
とくに神道では、800万の神々がいるとする
日本には、武道、茶道、華道など様々な「○○道」があるが、これらは神道の概念に基づいている
一神教の神は「唯一絶対根源の存在」である
根源から枝分かれして末端に、様々な現象や物質、生物に至る
一方、神道の神々は、様々な現象や物質、生物に宿る「末端の存在」である
無限にある(800万の)末端から遡って唯一絶対根源に至る
この神道の概念によって、日本では雑多な「○○道」という文化が肯定され、発展した
そもそも神道には教典がなく、多彩な文化に寛容である
私の知り合いは「日本ツインテール協会」に参加し、女子の髪を2つに分けた美しさを追い求める「ツインテール道」に日々邁進している
ちなみに、そいつは30歳を過ぎた男だ
一神教の国だと唯一絶対根源の神の教えがあり、こういう雑多な「○○道」という文化が肯定され、発展することは難しいと思われる
日本では儒教も組織論的な部分でしか取り入れなかったのが良かった
「対等」という概念を否定する儒教は、仏教や神道と対立する
儒教をもっと広く取り入れていたら、きっと「ツインテール道」などは社会に潰されただろう
日本でオタク文化が花開いたのにも理由がある
日本でキリスト教やイスラム教が流行らないのにも理由がある
神道や仏教は文化的な自由を約束してくれる
個人がやりたいことを自由に楽しんでいい(ただし、法に違反しない範囲で)
それこそが唯一絶対寛容な神の姿ではないかな
日本の宗教はどの様に進んでいるの?
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