陽暦1月1日新正(元旦)を正月に定めて旧暦の正月を祝えないように強要したのは日帝。
新正と旧正月を同時に祝うことを「二重過歳(年越し)」と追い詰めたのも日帝。
1896年、親日キム・ホンジプ(金弘集)内閣が陰暦を廃止した後、日帝強制占領期間に入って陽暦の使用を促進しようと旧正月抹殺に出た。
陽暦の正月を祝うことは日帝残滓。
旧暦の正月を追い出して陽暦の正月を強制的に祝うようにしようと日帝はいくつかの卑怯な政策を施行した。
旧暦の正月を公休日に定めないのはもちろん、旧正月に官庁や学校で早退したり遅く出勤・登校することを禁止した。
また、地域別に附逆や清掃活動をさせて旧正月を祝うことを邪魔した。
また、一線の公務員や警察を動員して茶礼(陰暦の元旦等に行う祭祀)を行えないように組織的に妨害した。
正月を控えて牛の屠殺を禁止したり餅屋と肉屋の営業をできないようにした。
一例で旧正月に全北任実郡屯南面村役場の職員らは旧暦正月を控えて各戸を訪れ歩いてモチを作れないようにした為、モチを作って洞庁で人々が分け合って食べたという報道がある。
旧正月を祝えないようにして陽暦の正月を祝うことを促す政策は光復後も続いた。
新生には何日も連休を与えて通行禁止を解除したし、電気も切れることなく提供して、徹夜放送もした。
正月賞与金は旧正月には与えず新生に与えるように強制したこともあった。
しかし、旧正月には日帝強制占期と同様、官庁は正常勤務をさせ、学校も正規授業をした。
しかしいくら「旧正月抹殺」政策を実施しても数千年間の伝統をなくすことはできなかった。
新生は「日本の正月」という認識もあって国民の抵抗感がさらに強かった。
国民は新生には何の関心もなかったし旧正月にはどのようにしてでも正月の晴れ着を着飾って茶礼を行った。
駅やバスターミナルは帰省客で混みあった。旧正月を正月と認定し公休日に指定しようという世論は弱くならなかったが政府は決断を下すことができなかった。
ソウル新聞
http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20180101026003
陽暦の正月は日帝残滓。日帝は卑怯な政策で韓国の数千年の歴史を抹殺した。
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