이 시는 오직 한국어의 울림으로만 진정한 아름다움을 느낄 수 있다.
일본인들은 이 시의 감성을 제대로 이해하지 못할 것이다.아니 대체 어쩌라는거야 일본사이트에 이런걸 올려서 뭐해
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名無し2017/12/26(Tue) 20:07:22(1/1)
ハングルはあまりにも優秀な言語なので、他言語に正しく翻訳できない
ノーベル文学賞を韓国人が取れないのもそれが理由
ノーベル文学賞を二度しか取っていない劣等言語の日本語が到底及ばないレベルです>>4
朝鮮ポエムにピッタリのイメージ画像>>8
<丶`∀´>4000ウォンぐらいニダ。>>4
朝鮮ポエムを一撃で粉砕したなw>>1
そんな暇が有ったら国花、木槿の歌でも作ってやれよ。日本には桜の歌が山ほど有るぞ。>>7
状況はよくわからないけど、
やるせなさは伝わり過ぎて怖い。無駄なことを
文学など原語を解せねば本来の情緒は伝わらぬ
日本の詩をここに載せたとて同じ事
機械翻訳では滑稽なものにしか成らぬ(´・ω・`)>>1
韓国人ってすぐ自分の世界に入って
自分を美しいもの(これなら花)に例えて
恥ずかしい詩をポエる
…側からみたら痛々しい>>2
韓国人じゃないからね
理解する必要もない金素月「つつじの花」
キム・ソウォル 「チンダルレ コッ」
김소월 - 진달래꽃
나 보기가 역겨워
私が疎ましくなって
가실 때에는
去って行かれる時には
말없이 고이 보내드리오리다.
黙ってきれいに行かせてあげましょう
영변에 약산
寧辺には薬山
진달래꽃
そのつつじの花を
아름 따다 가실 길에 뿌리오리다.
一抱え摘んで あなたの行かれる道に撒きましょう
(続く)>>16
(続き)
가시는 걸음 걸음
行く道 行く道
놓인 그 꽃을
撒かれたその花を
사뿐히 즈려 밟고 가시옶소서.
そっとつま先で踏みながら行かれますように
나 보기가 역겨워
私が疎ましくなって
가실 때에는
去って行かれる時には
죽어도 아니 눈물 흘리오리다.
死んでも涙は流しません
https://blogs.yahoo.co.jp/tolmengi/45544981.html韓国語のせいで変になったので日本語部分のみ記載。
私が疎ましくなって
去って行かれる時には
黙ってきれいに行かせてあげましょう
寧辺には薬山
そのつつじの花を
一抱え摘んで あなたの行かれる道に撒きましょう
行く道 行く道
撒かれたその花を
そっとつま先で踏みながら行かれますように
私が疎ましくなって
去って行かれる時には
死んでも涙は流しません>>18
解説文
最も知られている詩だが、最も誤読されている詩でもある。大部分の人は「つつじの花」が別れの詩だと思っているが、これは決して別れだけを歌った単純な詩ではない。なぜなら[行かれる時は]「~しましょう」と未来推定形で書かれているからだ。英文ならif で始まる仮定法と意思未来で叙述された文章なのである。
従って実際の意味で見れば、恋人は現在自分を嫌ってはおらず、去って行くものでもない。むしろ彼らは今、熱烈に愛し合っている最中だ。それにも関わらず、この詩は韓国の別れの歌の代表として読まれてきた。時制を無視し、現在や過去形で書かれた別れの歌と同一視してきたためだ。
高麗時代の歌謡「カシリ」を始め、「十里も行けずに足が痛む」の「アリラン」民謡に至るまで、別れを歌った詩は100%その状況を過去形や過去形で陳述してきた中で、金素月の「つつじの花」だけが未来推定形になっている。詩全体が「万一」という仮定で展開している。ツツジが咲く時期って、肌寒い春がある程度過ぎて、暖かくなった4月末~6月頃だろ?
おまけに半常緑樹だから、冬に葉が全て落ちるとは限らない。
ツツジの花が咲く頃には、ツツジの葉は既に展開してるし、周りの草木も殆ど既に葉が出てる頃だから、新緑の時期も既に過ぎてる。
つまりツツジは、咲く時期も樹も、別れでも、旅立ちのイメージでもないよな。
別れのイメージなら、まだ周りも落葉してる時期だから、早春に花が咲くか、秋に象徴的に紅葉してる樹種があるだろ。ウメとかイチョウとか。
つまり、別れのイメージにツツジを挙げるのは、
汗ばむ夏期のスイカに、別れのイメージがあると言われるぐらい共感がない。
김소월, 「진달래꽃」
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