国民全員が「強迫神経症」みたいな国。
確かに。でも、自分たちににもよく使ってると思う。「我々は精神を整えなければならない…」とか。
他人も自分達も追い詰めてるね。
色んな考え方があると感じられればもっと視野が広がり、自分達も楽になるだろうにねある程度気楽に考えればいいのにね
まあ出来ないからこそ言ってるのかもだけどまったく整えられてないしなw>>3
あれは「自分たち」に向けてはいるけど、
実はそのなかに肝心の「自分」が入ってなかったりする。
だから彼らの問題は一向に改善されない。馬鹿だから自分で考えることができなくて
偉い人から言われた通りしかできないから韓国人の考えを聞きたかったのだが
こういう質問には韓国人は答えてくれないのだろうか?
本来ただの疑問だったのだけど
何か不都合でもあるのかなあ。「韓国とは道徳志向性国家である。韓国は確かに道徳志向的な国家であるが、これは、韓国人がいつでもすべて道徳的に生きていることを意味するのではない。道徳志向的と道徳的とは異なるのである。道徳志向性は、人々のすべての言動を道徳に還元して評価する。つまりそれは道徳還元主義と表裏一体をなしているのだ。現代の日本は道徳志向性国家でない。これが韓国との決定的な違いである。しかしだからといって、韓国人が道徳的で日本人は不道徳的だ、ということではない。韓国人が『われらこそは道徳的な民族であって、日本人は不道徳な民族である』と主張するのは、韓国人が道徳的だからではなく、道徳志向性だからなのである。翻って日本人は没道徳的・現実主義的傾向が強いので、すべてを道徳に還元しない。しかし日本人が歴史上常に道徳志向的でなかったわけではない。かつては道徳志向的な時代もあったが、今はその志向性は弱まっているのである。いやむしろ、道徳志向性は日本では、古くから存在しこそすれ社会のすみずみまで浸透することはなかったのだ。」
>>8は、小倉紀蔵『韓国は一個の哲学である』の冒頭引用。
要は、儒教的名分論が韓国人の行動原理だと言う事。だから、説教じみた教条義的な言論が好きなのだと思う。韓国人の記者の書く記事もこういう文体が多い。だけど、それが実際の行動に反映されるかというとまた違う。韓国人の詐欺や偽証の多さからも、韓国人が道徳的な行動をするわけではないと簡単に分かる。彼らは「~しなければならない」と言っただけで、
既にそれを成し遂げたような満足感を得ています。
言うだけタダというやつです、経費ゼロです、安上がりです。
だから何一つ改善しない。
だから何度でも同じことで「~しなければならない」と言う。
彼らなりの、満足の永久機関なのです。>>1
中国の属国だった頃の、小中華思想から脱却してないから
「韓国は偉大な国家であるべき」という理念(願望)が、価値観の根源になってる
それが末端にまで浸透して、子供にも「お前は優秀でなければならない」と教育している
願望と現実の乖離を容認できないから、「どんな手段を使ってでも」結果を出そうとする
根っこが間違ってるので、どうにもなりません
そこを否定すると、「惨めなヘル朝鮮」と、一気に気力を失う
妄想と絶望に苛まれる病身民族
過剰なプライドを捨てる事ができずに、精神を病んでいる国家それは朝鮮人が自分さえよければよい、自分の利益を追求しているからだろ
だから単純に自分にとって都合のいいことを他人に押し付ける>>8
これは分かりやすいですね。朝鮮人の道徳に対する執拗な執着心が簡潔に記載されていますね。>>1
韓国人には「対等」という概念が理解できないから
韓国問題の難しさ - 日韓問題(初心者向け)
http://ch.nicovideo.jp/ooguchib/blomaga/ar1243968>>12
客観性が欠落してる、常に自分中心の視点しか持てない
内面分析による指摘をされても、何を言われてるかすら理解できない
自省しないから、「思い当たるフシ」ってのが無い
「中華思想」の残滓だね
属国時代に染みついたまま抜け出せないんだろう
かわいそうに
多分、本家の中国のほうが、先に民主化すると思う>>12
そして、人知れずバッドだけ付けられる、と>>1
朱子学観念論による正義・正統へ異常に執着する考え方と事大主義(他者依存症)で「~せよ。」と直説法で語れない言い方。○○しなければならない
= 全くする気はないが、言っとけばその場は収まるので多用する
ちゃんと理解しようね(はぁと「〜しなければならない。」と言いながら結局何も出来てないけど笑
>>1
見栄っ張りで上から目線なだけなんだよ。
「お願いします」とか「ありがとう」を言うとしぬ病気なんだよ。呉善花氏の説明を掲載します。こちらも分かりやすいですよ。
柔軟に、多角的に、相対的に物事を見て判断する事。これが韓国人には実に苦手である。
例えば、人は現実社会の中で、家族関係、友人関係、先輩・後輩関係、集団関係など、様々な実際的な人間関係の
体験を通して、実際の経験で物事への対処方法を学ぶ。という考えが存在する。
それに対して、人間には本来人間のあるべき姿が存在して、これを目標に社会の中で様々な物事を体験して
正しい物事への対処方法を学ぶ。という考えがある。
日本人は基本的に最初の考えを持っていて、韓国人は2番目の考えを持っている。
仮に最初を実際主義、2番目を理念主義とすると、実際主義では「現実的な人間関係」が最初に存在し、
理念主義では「理想的な人間像」が最初に存在する。
この「理想的な人間像」が「固い固定観念」となっているのが韓国人である。
また日本人は、善悪・正邪は相対的だと考える。しかし韓国人には普遍的で絶対的である。
だから、善悪・正邪は時々で変化すると考える日本人を「人間では無い」とまで考えるのだ。
倫理・道徳も韓国人にとっては相対的では無い。人間である場合絶対に尊守する必要がある真理である。
しかし日本人は、倫理・道徳は大切だが、それは「時・場所・場合」によって変化するもので、普遍では無い。
倫理・道徳を説く理念は立派だが、それは第一に優先されるべき事では無い。と考える。
韓国人の場合「倫理・道徳」は完璧でなければならず、それが固定観念に変化して自分自身の心を縛っているのである。南北統一しなければならない、と言いつつ半世紀。
しちゃったら、また新しいネタを探さないといけない。面倒な国民性だな。韓国人に、「~せねばならない」は、他力本願
自分でやる気はなく、他人に押し付けてるだけだから、「~しよう!」にならない何かを実行すれば偶発性によって良い結果も悪い結果も生じる。いくら良い結果を積み上げても悪い結果1つで悪とみなされる韓国では、『何もしない』が最善となる。そして『~せねばならない』自分では何もせず他人の行動にケチを付けるに終止する。
日韓併合が悪かったというのならその代案は?
慰安婦合意が悪かったというのならその代案は?
これらの質問に韓国人が応えることはない。なぜならどのような代案も、良い結果と悪い結果を含んでいるからだ。責任回避に終止するから自分では何もせず、ただ他人に『~せねばならない』。
日本には清濁併せ呑むという考え方がある。善人でも悪人でも、来る者はすべて受け入れる度量の大きさを表すたとえ。 だが韓国人には悪は絶対的に悪で排除すべき対象でしかない。清濁併せ呑むなど正気の沙汰ではない。だが現実の選択は常に清濁混ざっていて併せ呑まざるを得ない。清濁混濁した現実を受け入れない限り、韓国人の人任せ無責任体質が改まることもない。これはね、ソンビ風に上から目線で文句をつけたい
そういう人間になりたいからやってるんだよ。
上から目線で文句だけ付けて努力はお前らがやれよ!ってのが憧れる韓国人の理想の姿だからね。>>26
その通りですね。自分は何もせず、他人の利益を奪って生きる。これがソンビ精神だからw
これが朝鮮人の理想的な生き方ですねw「しなければならない」
日本人と韓国人の感覚がズレているのだろうね。
日本人の場合は、必ずやります。
韓国人の場合、した方がいいよね~、みたいに軽い。
昔から謎だったんだが 韓国人ていつも〇〇しなければならないっていうけど、 どうしてそれを強制する考え方しかしないの?
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