「この研究が企業に役に立つかですか? 100年は経ってから分かると思います」
1958年、日本が岐阜県廃鉱の神岡にニュートリノ観測装置である「神岡で」構築を準備していた時期、研究を率いた東京大学の小柴正俊教授が「ニュートリノが産業界にどんな役に立つか」という大企業役員の質問に対する答えだ。 第2次世界大戦敗戦10年後であるため、経済再建が急がれるが、釈然としない返事を聞いても日本政府と企業は大金をかけて装備を建設した。 約30年が経った1987年、小柴教授はニュートリノ観測に成功し、ノーベル物理学賞を受賞した。
彼の弟子である加治田隆明東京大学教授は1990年代の神尾カンデより性能が優れた「スーパー神尾カンデ」を設計した。 「失われた10年」が始まった時期だったのに、日本政府と企業はもう一度当時のお金で1000億ウォンを注ぎ込んだ。 スーパーカミオカンデは1998年にニュートリノに質量があることを明らかにし、日本は2015年にもう一度ノーベル物理学賞を受賞する快挙を上げた。
日本のノーベル賞の底力は100年を見通す「無条件投資」から出てくる。 1917年に設立され、「日本ノーベル賞の産室」と呼ばれる基礎科学研究所「理研(RIKEN·理硏)」はこのような投資精神を象徴するところだ。 理研は数十年にわたる長期投資でしっかりした基礎科学研究基盤を構築したことで有名だ。 今も30年後に結果が出ると予想される研究が相当数進められている。
小柴教授の事例のように、日本の科学界が本人が望む研究ができる環境という点も重要だ。 特に基礎科学支出は「上向き式(Bottom-Up)」研究に集中する。 政府が指定したテーマではなく、研究者が提示する学術的に優れ、独創的で先駆的な研究を戦略的に支援するという意味だ。 関連予算はこの10年間安定的に維持され、多年度研究費を支援する基金も増加傾向にある。
韓国が最も羨むべきことは「根深い科学尊重文化」という意見も出ている。 「27対0」という韓日ノーベル科学賞の格差を不快に思うのではなく、長い間科学文化の定着に投資してきた日本の努力に注目しなければならないという話だ。
「ノーベル賞レベルの研究? お金になりますか?」……日本は「100年後のビジョン」にお金を使った。
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