文化体育観光部傘下「東学委員会」に登録された人は東学運動参加者3745人、遺族は1万3000人余りだ。はるか昔のことで先代の証言と口伝を収集してもっと登録するよう求めた。遺族が数万人増えるかもしれない。東学軍の足跡が韓国の随所に散在しているからだ。当時参戦したオ・ジヨンの陳述によると、公州牛金峙(コンジュ・ウグムチ)の戦い(1894年10月)で2万人余りが戦死した(『東学史』)。任実(イムシル)に居住していた黄玹(ファン・ヒョン)は最も激しい戦いとして蟾津江(ソンジンカン)の戦いを挙げた(『梧下記聞』)。康津(カンジン)と長興(チャンフン)地域の1余万の東学軍は大邱(テグ)まで進撃し、その帰り道で蟾津江で待ち伏せした官軍と日本軍の攻撃を受けた。銃に撃たれて溺死した死体が蟾津江を血の海にしたと黄玹は書いている。羅州(ナジュ)の戦いでは「官軍が農民軍2万人余りの首を切った」とした。
一体農民軍の戦死者はどの程度だろうか。『天道教創建史』は20万人以上、朴殷植(パク・ウンシク)は『韓国痛史』で30万人、オ・ジヨンは30万~40万人と推算した。京畿道(キョンギド)南地域の成人男性のほぼ10%に該当する規模だ。農民軍の相手は主に官軍、守城軍、民堡軍(両班の士族)だった。古阜(コブ)蜂起、茂長(モジャン)起包、井邑(チョンウプ)黄土峴の戦いと全州(チョンジュ)城陥落まで官軍および郷土軍と戦った。日本軍が介入したのは日清戦争勃発により朝鮮摂政官の袁世凱が清国で逃げてからだ。牙山(アサン)湾の海戦(同年6月)、平壌(ピョンヤン)城の戦い(8月)で清軍を大破した日本軍は甲午内閣の要請を受けて東学軍に視線を転じた。牛金峙、清州(チョンジュ)、蟾津江の戦いで農民軍の主力が日本軍とぶつかった背景だ。
外勢をはね除けて正しい国を作るという強い民族主義の源流と解釈するのはよいが、「日帝の侵略に対抗して抗日武装闘争を展開」したという意図的な強調は本末転倒に該当する。学界でそのように警戒した運動圏的な歴史編集だ。牛金峙の戦いで農民軍は3000の官軍と2000の日本軍連合部隊と戦ったがそれが抗日闘争なのか。宣戦布告はしたのか?
ただの暴徒だろ。
こいつらも人をコロした側だ。
貧しい生活を強いた朝鮮王を恨め。ちなみに、現在の韓国の英雄である安重根も、東学を叩いてた一人なんですけどねw
>>1
独立有功者になるには農民軍の胸中に「抗日闘争」という旗印が翻っていなくてはならない。竹槍と鍬(くわ)を持って武装(南接)と報恩(北接)集会に自主的に集まった農民軍の内面に独立と抗日があっただろうか。火縄銃を持って日本軍のガットリング機関銃の前に突進した意気は何だったのだろうか。「座れば竹山、立てば白山」の1万人余りの農民軍の脳裏にはまず除暴救民が刻印されていた。支配層の収奪から家族生計を救おうとしていた民衆だった。それを遮る外勢はもちろん、外勢を呼び入れた朝廷も敵だった。「輔国安民(国を正して民を安らかにする)」はそのため登場した。死を恐れず突進した力は内面の声、すなわち東学の教理だった。
東学は彼らにハンウル様(神様)の声を聞かせ、侍天主すれば永生不滅だという信頼を植え付けた。彼らは東学教徒だった。東学は西学(キリスト教)に対抗した学問であり、天道を人民のものにした民衆宗教だった。ハンウル様が霊符と先約を与えた。形状は太極であり弓弓だった。霊符を受けて呪文を唱えれば病気が治り、天の心に達する。弓弓村は民間が渇望する楽園で、万事が調和をなす(造化定)理想郷だ。日本軍に突進する農民軍は「弓弓」というお守りを胸に付けていれば弾丸が避けていくと信じていた。
ハンウル様が自分の胸中に降りてくれば支配層の宗教が自分の宗教になった。四民平等に目を開き、皆が神だという「事人如天」の思想が芽生えた。東学は朝鮮最初の「宗教改革」だった。まるで欧州中世のルターが「信仰のみ(solafide)」という悟りで宗教改革をスタートさせた過程と似ている。創教者の崔済愚がルターなら、海月(へウォル)崔時亨は改新教理を伝播したカルヴァンで、全琫準は農民戦争を指揮したミュンツァーだった。独立有功者云々の論理は東学の歴史的地平を民族主義の小さな道に格下げする発想だ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/df2299707b41c5eef521599fee0e6b3f99dc6c00二次蜂起の際に、清軍の陣営から、東学党と協力して日本軍を挟撃するよう要請する、興宣大院君からの要請書が見付かり、高宗、興宣大院君、李埈鎔が公式に謝罪する羽目になったじゃん
さて、どの段階から興宣大院君による煽動だったのでしょうか?昔嗄ら扇動されやすい愚民揃いだっただけ。
愚民としての基本性能は全く変わっていない。ただの「暴動」、「一揆」なんじゃねえの???
抗日の正統性は世襲可能。
血統は就職や入試で優遇加算される、子孫血統には公的な優遇政策もある。
近代の民主主義に反する。全ての国家、企業、メディア、大衆文化や知的文化、軍事力などは混合体。
完全鎖国は不可能。
朝鮮は助けを求め、日清戦争となった。
朝鮮内の派閥闘争、権力闘争による外勢力の活用乱用結果大院君の政治
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高宗の政治、閔妃一族が政権の求心力を持つ為に売職官政治を容認。
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売職官の悪政の為に両班は、上級から下級まで収賄活動。その資金回収に庶民から収奪しまくる。大院君は収奪社会に対して不満分子(全琫準)を食客として招く。
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収奪&重税に耐えかねた庶民が蜂起。大院君も全琫準を使って扇動。東学党の乱。
後に、閔妃は部下(禹範善ら)から惨殺されるが、韓国庶民は圧政主が消えて大歓喜!大院君は閔妃を平民に降格させる。
日本政府は閔妃は王妃という配慮から、大韓帝国成立時に閔妃に、明成皇后の諡号を贈る。
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コリアン歴史フィルター
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・東学党の乱は、誇り高い抗日闘争だった。
・閔妃は善政をして、国民から慕われていた国母
・最初は明成皇后だったのに、日本が閔妃に名前を落とした!
妄想で自国民族に都合がいいように歴史をコリエイト!各国の女性解放運動が、様々な大きな運動へ影響はあり、
ロシア革命にも影響があったとする説もある。
朝鮮でも女性の職場改善の労働者運動が抗日運動だったとされることもあるが無理がある。
朝鮮の性差別や家父長制が、部族差別や派閥争いの内戦へ関連性があるとするほうが無理がない。
混合を排斥する半島派閥の性質で、混合である人間の安全保障や経済を破壊。
李朝の各地部族民族を両班民族血統や朝鮮人で統合しようとしても統合できない。
内部の人種差別主義のような反混合が大きすぎた。
【コラム】東学が抗日闘争だって?=韓国(1)
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