[コラム] 「日本パッシング」は不可能だ

75

    • 1名無し2022/10/19(Wed) 10:04:12ID:A1ODUxMTE(1/1)NG報告

      イ・ジェミョン代表が最近立て続けに行っている対日強硬発言を批判するコラムを書くつもりだったが、思いとどまった。もちろん、韓日あるいは韓米日3国安全保障協力や対日関係に関し、彼が吐き出した「親日国防」などの極端な言葉に同意しているためではない。

       以前の「桂・タフト協定」発言まで含め、急変する国際情勢とはかなりかけ離れているようなイ代表の「現実認識」は危うく感じられるが、大韓民国の半分ほどの人々はイ代表の日本批判に共感し、うなずくかもしれないと考えを改めた。地獄のような植民地支配と突然やってきた解放、骨肉相食む戦争、そして過酷な分断につながった現代史の苦しみに耐え続けた韓国の人々が、偏見なく韓日軍事協力を受け入れることは容易ではない。

       ならば、なぜ日本と協力しなければならないのか。冷戦解体の流れが明らかになった1980年代以降の東アジア情勢の変化を見れば、その必要性を痛感せざるを得ない。1990年9月、韓ソ国交正常化により東アジアに冷戦解体の風が吹き始めたことで、北朝鮮は体制崩壊の脅威を感じていた。キム・ヨンナム北朝鮮外交部長(当時)は、韓国との国交正常化を通告しに来たソ連のエドアルド・シェワルナゼ外相に、「我々はこれまで同盟関係に依拠していた一部の兵器も自主的に用意する対策を立てざるを得なくなる」と述べた。韓ソ国交正常化が実現すれば、生存のために「独自の核開発」を進めるという脅しだった。北朝鮮の核問題が東アジアの国際関係を揺るがす懸案として浮上した瞬間だった。

       しかし、北朝鮮が直ちに「核開発」という崖に向かって突き進んだわけではなかった。東京大学の和田春樹名誉教授は、先月発行した本『日朝交渉30年史』で、国難の危機に追い込まれた北朝鮮の前には「二つのオプション」があったと語る。一つは核開発を通じた対決の道、もう一つは米国・日本との国交正常化を通じた開放の道だった。韓国が中ソと国交を樹立するなら、北朝鮮も米国・日本と国交を樹立し、その効果を相殺 すれば良いという、いわゆる「交差承認論」だ。

       このアイデアを日本はどのように受け入れたのだろうか。韓国に虎視眈々と旭日旗を立てようと狙っており、北朝鮮を封鎖して崩壊させようとする人々だから、必死に反対しただろうか

      http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/44850.html

レス投稿

画像をタップで並べ替え / 『×』で選択解除