ザ・ビートルズが初来日を果たした1966年は、日本におけるグループサウンズ音楽の全盛期の始まりの年でもありました。
1966年から1968年には、グループサウンズと呼ばれたバンド音楽で数々のヒット曲が生まれました。
日本の様々な音楽ジャンルの中の1つとして僅か数年のうちに熱狂的なブームを巻き起こし、そしてあっけなく終わってしまった、グループサウンズの流行を曲と共に振り返ってみましょう。
主なバンドグループ
「ザ・スパイダース」「ザ・タイガース」「ザ・テンプターズ」「オックス」
「ザ・ワイルドワンズ」「ザ・ジャガーズ」「ヴィレッジ・シンガーズ」「ザ・ゴールデンカップス」
「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」etc.
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=eVT_fvnJXJU1962年に「Love Me Do」でデビューした「ザ・ビートルズ」は翌年1月2枚目シングルとなる「Please Please Me」のヒット曲でメジャーシーンに登場した。そして同年11月発売の5枚目シングル「I Want To Hold Your Hand」で不動の人気を得て、その人気はリアルタイムで洋楽を聴いていた日本へも飛び火した。
勿論、バンドグループは他にも欧米で活動していたグループが沢山あったのですが、やはり人気に火をつけたのはビートルズでした。そして、ビートルズに憧れた若者たちが、アコースティック・ギターをエレキ・ギターに持ち替えて、洋楽カバーをするようになりました。その中でバンドグループを新たに作り出すために人材探しを始める動きがありました。そうして編成されたグループが次々とデビューしていったのが1966年のことです。
そこに参加した若者たちは「カッコいい」洋楽を目指した者も多かったのですが、そうした曲を作れる人があまりいなかったために、実際にヒットしたのは、バンド形式の歌謡曲といった、和洋折衷のような曲が多かった。まずは、グループごとに初期の代表曲(デビュー曲または出世作品)を見ていきましょう。
ザ・スパイダース「夕陽が泣いている」1966
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=Q5HuQYkQM4Q
ザ・ワイルド・ワンズ「想い出の渚」1966
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=MRlKvOiXgjo
ジャッキー吉川とブルーコメッツ「ブルー・シャトウ」1967
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=52YWxKiVr1o
ヴィレッジ・シンガーズ「バラ色の雲」1967
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=ZY94WL-JmXQ
ザ・ジャガーズ「君に会いたい」1967
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=GpT1R4LHvis
ザ・タイガース「シーサイド・バウンド」1967
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=J6Ps9kFsPxA
ザ・テンプターズ「忘れ得ぬ君」1967
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=d-fW1WNKFg8ザ・カーナビーツ「好きさ好きさ好きさ」1967
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=YdEJbxJJhyc
ザ・ゴールデンカップス「長い髪の少女」1968
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=sFojpmJLWZw
オックス「スワンの涙」1968
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=UIuh8c4reuQ
ここまでが主要10グループと呼ばれるグループです。
ビートルズ東京公演TVで観てましたよ
現在、週間モーニング連載の グラ銭って野球漫画で
出てくるプロ野球チームの名前が
グループサウンズの名前になっております>>4
貴重な情報ありがとうございます。「グラゼニ」のことは知りませんでした。
「グラゼニ」にも出てくる、「ザ・モップス」は『たどり着いたらいつも雨降り』のイメージが強いですが、一連のグループサウンズ・グループの中では、一番ロックしてたように思います。
ただ、アイドル的人気は全く無かったので、グループサウンズに括るには、かなり違和感があります。
ザ・モップス「朝まで待てない」1967
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=atlOM7PoEEs
ザ・モップス「たどり着いたらいつも雨ふり」1972
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=-A4Snwsd_Q8
ザ・モップス「気楽に行こう」(すずき・ひろみつの気楽に行こう)1973(作詞・作曲:マイク真木)
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=sJmhX6BlgRw>>5
ザ・モップスのヒット曲提供を見てみると、
「朝まで待てない」作詞:阿久悠 作曲:村井邦彦
「たどり着いたらいつも雨ふり」」作詞・作曲:吉田拓郎
「気楽に行こう」作詞・作曲:マイク真木
ですから、個人的には、星勝が作った曲によるロック・バンドとしての活動と提供曲によるフォークグループとしての活動が同居しているような、とらえどころのないグループという印象もあります。ザ・サベージ「いつまでもいつまでも」1966
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=GjmQIWpcJlg
パープル・シャドウズ「小さなスナック」1968
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=A4zrSofcs18>>8
こりゃまた凄い方が現れましたね。ジャッキーさん(板岡公一氏)が1938年の生まれですから、年代が近い方でしたら、正にグループサウンズ時代の生き証人なのではないですか?
私が子供の頃に覚えた最初の大人の歌が「ブルーシャトウ」だったように記憶しています。
とは言っても「もりとんかつ、いずみにんにく、かーこんにゃく、まれてんぷら~♪」という替え歌でしか歌っていませんでしたが。
エドサリバンショーの動画もありました。1967年12月だそうですから、日本で大ヒットとなった年ですね。こんな昔の映像がすぐに視られるなんて、いい時代になったものです。
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=5AYmyKw3wW0
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=C5e8J6pQijs
ブルーコメッツの前身となるグループは、50年代の後半に米軍キャンプ回りもしていたようですから、来日して米軍の慰問演奏をしていたアメリカのバンドとも交流があったはずです。
その後、ジャズ喫茶での演奏を経て、ブルーコメッツ結成となったわけですが、グループサウンズ系バンドの中では、一番早くからバンド活動をしていたグループですね。
「すみれ色の涙」1968
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=eM1juxb7c0w
「北国の二人」1967
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=KQorTLwx20E
「青い渚」1966
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=UyxXS7Dkyw0
「雨の赤坂」1968
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=KRg1mVJK78g>>9
昔ジャッキーさんが言ってたのは
「俺、昔ジャズやってたんだけどやっぱりジャズって自分には合わないんだな。だからその時ぼちぼち出てきたスタイルにしたんだよ。」と言ってました^_^
やっぱりあの当時は始まりはジャズから入ったようですね。ブルーシャトウを当時の小学生は
森とんかつ(森と)
泉にんにく(泉に)
かーこんにゃく(かーこー)
まれてんぷら(まれて)
静かにんじん(静かに)
ねむーるんぺん(眠る)
ぶるーぶるー(ブルーブルー)
ぶるしゃと(ブルーシャトー)
こう歌ってたんですよブルーコメッツの結成時メンバーとなった井上忠夫氏(解散後の再結成時に井上大輔と改名)は、ブルーコメッツの曲を作曲していただけでなく作曲家としても活躍されていました。
シャネルズの「ランナウェイ」も井上氏の作曲だったと知ったのは、だいぶ後になってからでした。
【井上忠夫氏が作曲したヒット曲】
フィンガー5
「恋のダイヤル6700」作詞:阿久悠 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=6vNTpzIGVx0
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=vEJ7KW4sExg&t=7s
「学園天国」作詞:阿久悠(小泉今日子がカバー)YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=13ml7EINDMo
フィンガー5は、アメリカのジャクソン5を模して結成された兄弟グループですが、声変わりする前のボーイソプラノで歌っているために「学園天国」は声変わりした後は原曲キーでは歌えなくなってしまったという代物。また、カバーして歌っている人が皆、オリジナルの晃よりも低いキーにしたり、オクターブ下げて歌っているのも面白い。ガールズグループが歌っても、原曲キーの高い音程では歌えないようです。
シャネルズ(後に「ラッツ&スター」に改名)「ランナウェイ」1980 作詞:湯川れい子
「街角トワイライト」1981 作詞:湯川れい子
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=w2IxA6bUAJg
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=dlykZgHsouQ
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=nxTKkBpXFTc>>12
そのマーシーがこうなるんですからねぇw日本のドゥーワップ グループの元祖
グッド・ナイト・ベイビー ザ・キングトーンズ
グループじゃ無ければ坂本九が元祖
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=W2Yeiyaipz4>>12
お笑い好きなら誰でも知っているこの歌も、井上氏の作曲です。
郷ひろみ「2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-」
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=f8XUgBMSDWo
ものまね編
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=KQtmKoGNDg8
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=_0QWRl6eeMg
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=NX3c2kc_JRo
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=3etBuMxQUNc>>14
ザ・キングトーンズの一番のヒット曲は「グッド・ナイト・ベイビー」でしたが、数々の洋楽カバー曲も強く印象に残っています。
The Platters「Only You」1955 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=V9Z439YYyD0
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=pP8CfNGlBS0
Tokens「The Lion Sleeps Tonight」1961 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=ZgI4DdINQLQ
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=xW2puBXJHZM
The Velvets「Tonight」1961 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=UgZ5HS8LRqc
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=1G5fgD3WG-s
Four Seasons「Sherry」1962 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=jMcWldfg28s
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=_mwk8-WGVqo
Righteous Brothers「Unchained Melody」1965 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=IYj2hex99gY
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=eOzxM8XIfE0【ザ・スパイダース】
堺正章(ボーカル)/ 井上順(ボーカル)
田辺昭知(ドラムス)/ 加藤充(ベース)/ かまやつひろし(ギター)
大野克夫(オルガン)/ 井上孝之(ギター)
「スウィング・ウェスト」(1957-1970)にいた田辺昭知が1961年に、日吉武、山田幸保、伊藤源雄、三科実のメンバーで結成。
その後、かまやつひろしに依頼し、新たなメンバー集めを開始、1964年2月に上記のメンバーが揃う。堺正章は5歳の時から子役俳優として活動していたのを、田辺が目をつけてスカウト。井上順は志願加入。
1965年5月発売「フリフリ」が初シングル。
この時期に、米国のザ・ベンチャーズ、アストロノウツ、ザ・ビーチボーイズ、英国のピーター&ゴードン、アニマルズ、ハニーカムズ、など英米のロックバンドと日本国内で共演。
1966年9月発売の7枚めシングルとなる「夕陽が泣いている」が大ヒット。
1966年12月「なんとなくなんとなく」(8thシングル)
1967年7月「風が泣いている」(11thシングル)
1967年10月「いつまでもどこまでも/バン・バン・バン」(13thシングル)
1968年3月「あの時君は若かった」(14thシングル)
1969年半ばから、後発グループの人気に押され、知名度をあげたメンバーのソロ活動も増えて行き、1970年末に解散。
堺正章、井上順、かまやつひろし、はソロ歌手として活動を続ける。
特に堺正章は1970年スタートの「時間ですよ」が人気番組となり多忙を極めた。>>17
【ザ・スパイダース】
「夕陽が泣いている」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=wYMu99FVUtM
「なんとなくなんとなく」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=VbB0P3tpLNY
「風が泣いている」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=cLOwBOUEEaI
「いつまでもどこまでも」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=Ni8o7LerYSw
「バン・バン・バン」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=0zLBTzc0yIs
「あの時君は若かった」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=5Cl75Oohkps>>17
【堺 正章】
「さらば恋人」1971 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=F0XNndRcIAY
「運が良ければいいことあるさ」1972 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=I3G74W5qTW0
「街の灯り」1973 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=iPboSM3dIrQ
「北風小僧の寒太郎」1974(NHK『みんなのうた』)音声のみ
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=ZaO2wDG7gBU
【井上 順】
「昨日・今日・明日」1971 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=ptvO7uURhIE
「お世話になりました」1971 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=KXqyMC1VoVQ
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=9oj9RH5bioQ
「涙」1972 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=wyP0-oYb9ks
「幸せ泥棒」1972 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=P9RlDHm9Aj8
【かまやつ ひろし】
「どうにかなるさ」1970 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=4xnXZntMB5w
「シンシア」1974(よしだたくろう&かまやつひろし)
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=WFSneVilZj8
「我が良き友よ」1975 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=XExjTr9HYkI【ザ・ワイルドワンズ】
加瀬邦彦が中心となり結成。作曲は加瀬邦彦が手掛ける。
鳥塚しげき は特徴あるドングリ目をしていたから、すぐに覚えられましたが、加瀬邦彦と植田芳暁、植田芳暁と島英二は互いに顔が似ていて中々覚えられませんでした。顎が細いのが加瀬邦彦、顔が四角いのが植田芳暁、その四角をもっと横に伸ばしたのが島英二と区別していたけれど、一人だと誰なのか自信がない、といった感じ。
結成時は4人でしたが、渡辺茂樹が16歳で加入し、6枚目シングルから登場。
1966年11月「想い出の渚」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=xnP8td51FZY
1967年2月「小さな幸せ」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=foUa48YQhOQ
1967年5月「夕陽と共に」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=-0eKHWy512k
1967年9月「青空のある限り」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=8_rygHpYFDk
1968年1月「愛するアニタ」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=ctu27PW5yhU
1968年4月「バラの恋人」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=KaQX0kG9Q50
1968年10月「青い果実」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=J83Gadt2MSY
Live 「青空のある限り」「愛するアニタ」
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=9WuGqRfNCqE
加瀬邦彦は、沢田研二のソロ曲を数多く作曲しています。
「危険なふたり」「TOKIO」「許されない愛」等々。
こんな曲もありました。
伊丹幸雄「青い麦」1972 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7ZgYmd52bVM>>19
堺正章は、海外では「ザ・スパイダース」の堺正章としてではなく初代「西遊記」の《孫悟空》として顔が知られています。放送されていた国の数は少ないですが、放送されていた国ではかなりの視聴率があったようです。
『西遊記』OP(ゴダイゴ「モンキー・マジック」)
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=9RtwqD0EW50
『西遊記』を取り上げた海外番組
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=6QmoNpaVHDg
堺正章は、『西遊記』の中で、幾つかの挿入歌を歌っています。
「SONGOKU」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=mjslznKtMdc
「今では遅すぎる」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=xSz4GpLy1Pk
「この道の果てまでも」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=a74vjYOKFiw>>21
特にオーストラリアでの人気は高く、最近になって、オリジナル映画化がなされたほど。丁度、放送時に観ていて夢中になっていた少年たちが大人になって制作側に回った、という構図。
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=dzfJUib2y-Y
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=p6zUjoyn-7g
映画としては良く作りこまれているし、それなりに予算もかけているのですが、何かが足りない、と思ったら、耳に残るテーマ曲と場面ごとに流される音楽でした。
「ゴダイゴ」が残した功績はこれほどまでに大きかったのか、と今更ながらに痛感させられます。
それと、堺正章と西田敏行の圧倒的な演技力。コミカルな演技をさせたら、中々敵う俳優はいません。表情一つ、仕草一つにもそれが現れる。稀代の天才俳優と言えます。
続編では、猪八戒は左とん平に変更されたのですが、それはもう圧倒的に西田敏行の方が人気が高かった。
そして忘れてはならないのが、夏目雅子の神々しいまでの美しさ。
いくらお金をかけても作れないものが初代『西遊記』の中には詰め込まれていました。
中国では「西遊記」は中国の物語、というプライドがあるにも関わらず、世界で知られているのは、この『西遊記』と『ドラゴンボール』なわけですから、悔しくて仕方がありません。アニメも実写もゲームも「西遊記」を題材として巨額の予算をかけて繰り返し作られているにも関わらず、国内では人気があるものの、海外では相変わらず日本発の「西遊記」が幅を利かせている、というわけです。
まさか、40年以上も経って『西遊記』シリーズのDVDの売上で儲けさせてもらうとは製作元も思ってもいなかったでしょうね。香取慎吾の『西遊記』は海外では全く売れていないのに。【オックス】
グループサウンズ流行期の後期に、ビクターからアイドル的売り出し方をされたグループ。
デビュー前から、ジャズ喫茶での演奏で人気があったのだが、シングルデビューを果たしてからの曲は、作詞:橋本淳、作曲:筒美京平のコンビで、メンバーのものではなく、完全に事務所主導。
既に人気があったグループがオジサンのイメージが強かったこともあって、若さを売りにしたメンバー構成で(年齢詐称有り)若い女性にはそれなりに人気があった。後発ということもあって、一般的な認知度は他の人気グループに比べて低かったが、熱狂的ファンがいた。
人気があったのは、デビューしてから約1年という短さであっという間に消えていった。
実質的には、1969年5月に起きた、赤松愛のコンサートボイコット騒動でグループが崩壊した、と言える。その後テレビ出演などは殆どなくなり、ジャズ喫茶などでの演奏活動を経て、解散は1971年5月。
最後のシングルとなった、1970年12月発売の「もうどうにもならない」がグループの状況を物語っている。グループサウンズ流行が終焉に向かっていくなかでの苦悩を体現していたグループという印象があります。
1968年5月「ガール・フレンド」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=33XhDL48rhQ
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=p7cIGXXDZmo
1968年9月「ダンシングセブンティーン」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=df3RXBcg4oQ
1968年12月「スワンの涙」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=53-69V_5JPE
1969年3月「僕は燃えている」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=kcVoRYJYUsU【ザ・タイガース】
グループサウンズ流行の中核を占めた伝説のグループ。
「サリーとプレイボーイズ」のメンバー4人が、ベンチャーズナンバーなどインストゥルメンタル曲の演奏で活動している中で、ボーカルとして白羽の矢を立てたのが、「ザ・サンダース」のボーカルだった、沢田研二。
沢田研二が加入した後、グループ名を「ファニーズ」に改名して、ジャズ喫茶でビートルズ、ローリング・ストーンズなどの洋楽カバー演奏をしていた。
大阪のジャズ喫茶「ナンバ 一番」での一番人気グループになった後、東京に移り、1966年11月のテレビ出演時から「ザ・タイガース」を名乗る。
1967年2月「僕のマリー」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=w9aWATP9gxI
1967年5月「シーサイド・バウンド」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=AhHawQT8GA4
1967年8月「モナリザの微笑」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=YaavZ1MWiwg
1968年1月「君だけに愛を」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=1IlopG1RVQk
1968年3月「花の首飾り」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=2qG2deduTyk
同 「銀河のロマンス」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=xsSvUUKKb8Y
1968年7月「シー・シー・シー」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=zP14ERzDkWA
1968年10月「廃墟の鳩」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=XAurvAW_zHs
1968年12月「青い鳥」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=xfqEhaBNosc
1982年2月「色つきの女でいてくれよ」 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=r5WfGYbKndw
「色つきの女でいてくれよ」は、解散して再結成した時期のものです。
メインボーカルは、沢田研二ではなく、加橋かつみ(沢田研二はサビ担当)。
GSならこの曲がさわやかで好きだ。
ザ・フレッシュメン The Freshmen/お花おばさん Ohana Obasan (1967年)
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=mOXkh7tE9To>>26
67年は中学生やったけどこんなグループ知りませんわ
グループサウンズ時代を振り返ってみよう
27
ツイートLINEお気に入り
270