そんな昔の曲なんて民謡しかないだろうと思ってたけど。
意外と歌謡曲が既にあって。ラジオで流れたり、レコード屋とかヒットしたレコードもあったんだろうね。
J-POPスタートの時代は1930年代と言えるでしょう 。
YouTubehttps://youtu.be/536t-THOlo8釣りなのか??
無知なのか?
見極めが難しい。>>2
1930년대에는 일본과 조선은 한 나라였습니다..
대중문화도 공유할 때 입니다.YouTubehttps://youtu.be/Mfb4aqQufPM
한국어로 된 최초의 히트곡은,
윤심덕 '사의 찬미' (1926)YouTubehttps://youtu.be/Hmsk3LiFnUk
얼마 전까지도 교과서에 실려 있었던,
이정숙, '오빠 생각'YouTubehttps://youtu.be/7TbZVQG2kNc
이애리수, '황성 옛터' (1932)YouTubehttps://youtu.be/MT4iQveUPKM
박향림, '오빠는 풍각쟁이야' (1938)
한국에서 지금까지 가장 유명한 30년대 노래.YouTubehttps://youtu.be/FT_FsjZvkDQ
이난영, '목포의 눈물' (1934)
이 노래도 현재까지 유명.
나는 1900년대 초반의 대중가요를 잘 알지 못해서, 상식 수준인 이정도밖에는 몰라.>>7尹心悳を紹介する記事が有ったので貼ります
朝鮮最初のソプラノ歌手・尹心悳(1897~1926)は平壌生まれ。京城女高普を1914年卒業した後、1915年官費留学生として渡日し、青山学院をへて上野音楽学校声楽科に入学した。卒業公演で「人形の家」のノラ役を好演し、帝国劇場支配人からスカウトされたが、イタリア留学を夢見る彼女はこれを断った。
帰国した彼女は、オペラのアリアやシューベルトの歌曲を朝鮮で初めて披露した。美貌も幸いし、大変な人気を博した。
1921年夏。東京留学生たちの劇芸術協会による朝鮮での演劇巡演に参加した。趙明煕作・金祐鎮演出の「金英一の死」などと音楽、講演の組み合わせで朝鮮の25都市を回った。
観客の熱狂ぶりを「東亜日報」も報じている。しかし、劇中セリフの「10年前には自由があったが、今はない」が臨席警官の摘発となり、公演中止となってしまった。
1926年尹心悳は「死の賛美」という歌をレコードに吹き込み、これが爆発的にヒットする。
ところが同年、あたかも「死の賛美」を実演するかのように、関釜連絡船の徳寿丸から玄界灘に投身、金裕鎮(劇作家で、妻帯者)とともに心中を遂げた。相手の金裕鎮は木浦の資産家の息子で、築地小劇場の運動に影響を受け、劇団を組織して朝鮮各地を巡演していた。
この心中事件は映画にもなっていますね。藤山一郎 / 影を慕いて
基本中の基本
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=_oY5WiaX3So사의 찬미 가사
광막한 광야에 달리는 인생아
너에 가는 곳 그 어데이냐
쓸쓸한 세상 험악한 고해에
너는 무엇을 찾으려 하느냐
눈물로 된 이 세상이
나 죽으면 고만 알까
행복 찾는 인생들아
너 찾는 것 허무
웃는 저 꽃과 우는 저 새들이
그 운명이 모두 다 같구나
삶에 열중한 가련한 인생아
너는 칼 우에 춤추는 자도다
허영에 빠져 날 뛰는 인생아
너 속였음을 네가 아느냐
세상에 것은 너의게 허무니
너 죽은 후는 모두 다 없도다『すみれの花咲く頃』
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=L9W29AH_Mj0
(原題:Wenn der weiße Flieder wieder blüht 再び白いライラックが咲いたら)
1928年にベルリンのコミッシェ・オーパーで上演されたレビュー『なんと驚いた-1000人の女』の劇中歌
日本では高津か歌劇団の『パリゼット』(白井鐵造)の劇中歌として使用され、現在でも宝塚歌劇団の定番ソングとして知られている>>1
1930年代の流行歌
1930年:祇園小唄、すみれの花咲く頃
1931年:酒は涙か溜息か、丘を越えて
1932年:影を慕いて
1933年:東京音頭
1934年:赤城の子守唄、国境の町
1935年:平城山、野崎小唄、明治一代女
1936年:忘れちゃいやよ、東京ラプソディー、ああそれなのに、うちの女房にゃ髭がある
1937年:人生の並木道、あわが戦友、別れのブルース、若しも月給が上がったら、露営の歌
1938年:旅の夜風、人生劇場、支那の夜、麦と兵隊
1939年:父よあなたは強かった、兵隊さんよありがとう、一杯のコーヒーからうちの女房にゃ髭がある
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=Xaum4LV8A_I
歌:杉 狂児、美ち奴『若しも月給が上がったら』
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=H63yAKSK5Ao
歌:林伊佐緒 新橋みどり『一杯のコーヒーから』
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=nz-UNcT-W7E
歌:霧島昇・ミスコロムビア
という具合に、1930年代にはコミックソングブームがありました>>20 本当に面白い歌詞ですね
何か言おうと 思っても 女房にゃ何だか 言えません そこでついつい 嘘を言う
「なんです あなた」
「いや別に 僕は その あの」
パピプペ パピプペ パピプペポ
うちの女房にゃ 髭がある
朝の出がけの 挨拶も 格子を開けての 只今も なんだかビクビク 気がひける
「なんです あなた」
「いや別に 僕は その あの」
パピプペ パピプペ パピプペポ
うちの女房にゃ 髭がある
姿やさしく 美しく どこがこわいか わからない ここかあそこか わからない
「なんです あなた」
「いや別に 僕は その あの」
パピプペ パピプペ パピプペポ
うちの女房にゃ 髭がある
地震 雷 火事 親父 そいつは昔の ことですよ 今じゃ女房が 苦手だね
「なんです あなた」
「いや別に 僕は その あの」
パピプペ パピプペ パピプペポ
うちの女房にゃ 髭がある>>23
杉 狂児さんは喜劇俳優。小柄で風采の上がらない見栄えで、演技を入れて歌うから余計面白いんだよね
美ち奴さんは、浅草の人気芸者で、スカウトされて歌手になった
杉狂児さんとデュエットした『細君三日天下』もヒットしてるますよ
うちの は、映画にもなって、主題歌の『あゝそれなのに』は、当時90万枚を売った。
そして日中戦争が起こり、戦時下で不謹慎という事で『あゝそれなのに』は発売禁止処分になった
『細君三日天下』中野実の同名ユーモア小説を映画化したときの主題歌
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=xB3cuo3RHgw
『あゝそれなのに』映画:うちの女房にゃ髭があるの主題歌。 恐妻家の亭主の実態は・・・
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=ROhfFYaMs7s
1930年代のお互いの国のヒット曲を教えて。
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