国立国際美術館「ピエール・アレシンスキー展」と「クラーナハ展」に行ってきました。
2つ同時は時間的に大丈夫かなとアレシンスキーの方だけ頼んだのですが、2つだと割引ですよと案内を受けて2つ入れる券を買いました。
アレシンスキーは昔に日本でも良く紹介されていて70代くらいより上の人には覚えている方もいるでしょうとの事だそうです。
近代に入り西洋ではもっと新しい表現方法への模索があり他の文化にそのヒントを求める流れがありました。そんな中、日本の敗戦後に欧州で版画を学ぶ日本人より書や墨画を知りそこをヒントに活路を見出したのがアレシンスキーです。
1955年には日本に訪れ「日本の書」と言う短い映画を製作しそれの上映もしていました。当時の日本は看板から値札から何もかも文字情報が墨書スタイルで、それらと筆を持つ職業の人々を興味深く紹介していました。印刷技術があるのに自分たちのスタイルを守っている事に驚かれています。
そして、日本の墨書でありながらも西洋的な何かを取り入れようとしている人々と、作品の交換・情報の交換をしながらアレシンスキーは絵の新しいスタイルを開拓し始めたのです。
まだ存命の抽象画の人なのですが、そう難しくもなく色々と新しい試みをされていて面白いです。あぁ。アレシンスキーはこの頃は、これがマイブームか。とか、色をビビットに乗せたりトーンを落としたりあれやこれやと楽しまれている様に感じました。
「新聞雑報」「広げた新聞」は新聞を広げてその項目毎に雑多なメッセージがある様子を表現していて面白いです。マスを切って表現していく手法はその後もちょくちょく出て来る事になります。
「誕生する緑」は書き込みで表現ではなくタッチによる差と表現をガラリと切り替えて試みているようです。
あ、意味不明なのもありますよ。何コレ3才児に書かせたんか?ってのが。
(つづく)
身近な文化を愛するスレ
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