- 因みに薩英戦争では、イギリスも気骨があると薩摩の力を認めている。 
 https://www.kagoshima-yokanavi.jp/article/meijiishin
 「薩英戦争」によって、外国の軍隊の強さを身をもって感じた薩摩藩内では、むやみに外国を打ち払えという攘夷論に変わり、外国にならって近代化を推し進めようという考え方が強くなっていきました。薩摩藩の気骨ある戦いぶりに感銘を受けたイギリスも、薩摩藩が将来日本を動かすリーダーになると感じ、講和を結ぶと2年後には薩摩藩から留学生15人を受け入れています。
- やはりイギリスとアメリカはメンタリティが良く似ているな。 
 本気で殴りあって実力を見せることで、理解と友情が芽生えるのだろうな。
 国際連盟脱退で有名な松岡洋右のアメリカ観
 -----
 野中に一本道があるとする。人一人、やっと通れる細い道だ。
 君がこっちから歩いて行くと、アメリカ人が向こうから歩いてくる。野原の真ん中で、君達は鉢合わせだ。こっちも退かない。むこうも退かない。
 そうやってしばらく、互いに睨み逢っているうちに、しびれを切らしたアメリカ人は、拳骨を固めてポカンときみの横っつらを殴ってくるよ。
 さあ、そのとき、ハッと思って頭を下げて横に退いて相手を通して見給え。この次からは、そんな道で出会えば、彼は必ずものもいわずに殴ってくる。それが一番効果的な解決手段だと思う訳だ。
 しかし、その一回目に、君がヘコタレないで、何くそッと相手を殴り返してやるのだ。するとアメリカ人はビックリして君を見直すんだ。コイツは、ちょっとやれる奴だ、という訳だな。
 そしてそれからは無二の親友になれるチャンスがでてくる。
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- 戦争しても、その後、互いに付き合った方が有益だと思えば、次の関係に発展する。 
 薩摩とイギリスは交易関係を結び、薩摩からイギリスが輸入したみかんは、今だにイギリスでsatsumaと呼ばれる。
- >>1 
 その後の朝鮮は一応近代化に目覚めるも外国に借金しまくって殖民地になる寸前に日本に泣きついて日韓併合
- 薩英戦争の場合は生麦事件を発端に、英国が攻めてくるのを準備万端整えての戦争だった。 
 米朝のその事件はどのような経緯なの?
- >>1 
 馬関戦争 1864年
 連合国(イギリス帝国、フランス帝国、オランダ王国、アメリカ合衆国) 死傷者 62人
 長州藩(藩主 毛利元周) 死傷者 47人
 禁門の変 1864年 京都で長州藩軍と幕府軍(薩摩藩と会津藩)が戦争
 長州藩 戦死者 400人 幕府軍 戦死者 60人
 薩長同盟 1866年
 昨日の敵は今日の友、薩摩藩と長州藩が同盟を結んで明治維新(1868年)に続く。
 日清戦争(1894~1895)と日露戦争(1904~1905)を経て第一次世界大戦(1914~1918)
 連合国:大日本帝国 フランス共和国 イギリス帝国 アメリカ合衆国 ロシア帝国 中華民国
 昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵。
 これが世界史だよ。
- 11名無し2020/06/30(Tue) 05:16:31(1/1) このレスは削除されています 
- >>11 
 昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵。 これが世界の歴史認識。
 朝鮮人は妄想世界の住人。これが世界の常識。まあ、他人の迷惑だな。
- 日本は1850年頃、 
 中央政府以外にも、各地の地方領主を含めて、翻訳したオランダの技術書を参考にして、反射炉の建設を開始して、兵器製造の工業化の試行錯誤を始める。
 これにより日本は、青銅製大砲だけでなく、鉄製の大砲の製造に繋がる。
 それまでの鉄製大砲は品質が均一にならずに、爆発事故になる欠陥を解決出来なかった。
 鉄製大砲の試行錯誤は各地で行われたが、特に実戦に使える鉄製大砲は、佐賀藩だけが成功した。
 佐賀藩は、海外との交流してた長崎港の警備担当だった事もあって、清国がアヘン戦争で、イギリスに敗北した事で、欧米船の脅威に危機感があった。
 1853年日本にペリーが来て2年後には、佐賀藩は蒸気機関車のミニチュアを製造し、実際に走らせる。
- >>3 
 売国奴め!
 そのうち親日賞賛禁止法で罰せられるぞ!?
 文在寅を信じろ!
 文在寅に従え!
 文在寅を崇めろ!
 文在寅が朝鮮の希望だ!
 文在寅マンセー!
 さあ、一緒に
 文在寅マンセー!!
- 「約」は「弱」だったのね。 
 「弱かった」って事ね。
- 近代も現代も朝鮮人は変化がない(笑)取り敢えず海外の先進国に憧れて形だけ真似をする。でも国内の政治形態や法律、国民の意識は旧態のままで現実的な課題に対応が出来ずに、自ら疲弊していく(笑)今の韓国の状況が正に疲弊の真っ最中(笑) 
- >>3 
 何故事実を知ろうとするのですか?
 例えどれだけ愚かであっても年長者や上長者の言葉に黙って従うのが朝鮮儒教ですよね?
 朝鮮人の気質を鑑みれば事実ほど都合の悪いことはありません。
 朝鮮半島内であればどれだけ歴史を改竄しても問題ありません。
 一次資料を非公開にしたり故意に数字を書き換えたりなどいつもやっていることで、何の疑問も感じず民族主義と我田引水を繰り返すのが朝鮮人の民族性ではないですか?今更日本人に言われなくても分かっていますよね?
 あなたがどれだけ疑問に感じようが、外国に行ったり外国人と議論しない限り惨めな思いをすることはありません。民族主義に都合の悪い意見には「お前はそれでも韓国人か!」と罵れば相手より上の立場につくことができます。大学の本の7割が死蔵書であっても、長年国語辞典が改訂されなくても、法律書の理解ができない言語体系であっても朝鮮半島内であれば何の問題もないのです。なのに何故事実を知ろうとするのですか?あなたの住んでいる社会は事実や科学的思考など必要としていません。親や友人、恩師や上司を不愉快にさせてまで事実を知る必要があるのですか?
 日本人は韓国人に常識や世界標準の思考方法を求めていません。愚かな者はより愚かに生きて嘲笑の対象として人生を謳歌して欲しいと考えます。ちょうど日本にいる在日朝鮮人のように。
- 1866年頃の朝鮮は、フランス人宣教師を処刑&アメリカ商船を襲撃して、勝利に酔ってたんだよ。 
 恐らく、清国軍はイギリス軍に負けたが、ウリナラは最強とでも思ったんだろう。
 その報復に1866年、1871年に両国から江華島を占領されても、それ以上は侵攻して来なかった事から、
 何故か朝鮮人は“欧米列強に勝利した!”と、有頂天になった。
 
 だから、その有頂天の延長で、
 1868年から、日本(明治政府)が朝鮮と国交結ぼうとした時に傲慢に対応したものの、
 1874年に日本軍が台湾出兵した事で、
 同じように、日本が本格的に朝鮮に攻めて来る可能性にヒビリ始める。
 そして1875年の江華島事件で、日本船1隻の航行を砲撃して、日本船に反撃され、日本兵22人に江華島を奪われ、朝鮮兵500人は敗走するという醜態に至る。
 敗走した理由は、以前にアメリカ艦隊からコテンパンにやられて占領された時の記憶があったから。
- >>3 
 植民地にならずに最後まで残っていたのが、その時期の朝鮮と日本だけだ。タイはイギリスとフランスの緩衝地帯になり独立を保っていたが。
- >>23 
 <丶`∀´>ノ
 まだ判って無いニダね。
 ウリナラにとって“歴史”とは、後世の都合に合わせていくらでも変化するものニダよ。
 まあ、言うなれば100年前に曽祖父母が併合に反対しなかったとして今ウリナラがNo-Japan 運動をすれば、チョッパリは韓半島を軍事的に侵略して植民地にした事になるし、当時は家族が貧困から抜け出すために多額の支度金と引き換えに両親から女衒に売り渡された妓生が、日本軍に強制連行された性奴隷として国民の崇拝を受けるようなものニダね。
- 길가에 똥이나 싸지르는 조선인들을 위해 대일본제국이 하수도 만들어고 화장실 도 만들어줬더니.. 뒤통수 치더라 
- >>25 
 当時、朝鮮を訪れたイギリス人や日本人の記録には共通して、“朝鮮農業は肥料を使ってない”という指摘をしている。
 朝鮮農業が肥料を使うようになれば、生産力があがるだろうと。
 しかし、当時の朝鮮人は、人糞を肥料として活用する事をしなかった。
 日本よりも放牧数が多かった牛の糞は乾燥させて燃料として活用はしていただろうが、人糞は町中に蔓延して不衛生だった。
 1894年に日清戦争で、朝鮮に上陸した日本兵の記録にも、朝鮮は臭いという記録が多々ある。差別ではなく、本当に“臭い”という客観的な感想。
 日本では、糞尿は業者がトイレから汲み取って、農家に売るというシステムが出来ていた。
 旅人が道端に捨てた草鞋等も、農家が堆肥にするので、近くの子供達が拾って小遣い稼ぎをしていたので、街道にゴミが落ちてない状態だった。
- >>8 
 これには前節があって、そこを抑えないとわかんない
 1833年3月 朝鮮半島で大規模なキリスト教徒弾圧事件が起きた
 キリスト教徒達は興宣大院君(高宗の実父で摂政)に三国同盟
 (朝鮮、フランス、イギリス)を申し入れたが計画は失敗に終わる
 大院君はキリスト教を擁護していると激しい非難を受けた。その非難を
 終息するために起こしたのが丙寅教獄だ
 李氏朝鮮はフランス宣教師会から朝鮮に派遣されていたフランス宣教師
 9名、信者8000名を虐殺した。フランスはこれに抗議し、極東艦隊の
 軍艦7隻・兵力約1300名を派遣し、殺害に対する賠償、通商条約の締結
 要求し、江華府を占拠した
 北京のベルネ代理公使は、講和条件に「朝鮮王位のフランス皇帝への譲位」
 という李氏朝鮮の保護国化を要求しようとしていた。この考えは皇帝
 ナポレオン3世の賛意を得、正式なフランス帝国の要求として李朝に
 突きつけた。大院君は要求を拒否し、最終的には武力により撃退した
 この事件を期に朝鮮では、孤立主義を唱えた大院君の威信が高まる
 その後のジェネラル・シャーマン号焼討ち事件を経て、李氏朝鮮の
 排外主義、孤立主義を正当化する動きへと繋がって行くー
 ざっくり纏めました
 ここら辺の事って相当にその後に影響が大きいしこの「大院君」自身も
 王位継承から外される流れもその後の色々も相当に興味深いのです
 ここら辺忠実にドラマ化したらいいのに
- >>16 
 北朝鮮はいつもテロリストに女性を利用してるしね。
- >>1 
 日本と比べる必要は無いと思うけど
 日本だって
 根性見せたのは、薩摩と長州だけ
- >>1 
 李氏朝鮮も開国を早め富国強兵に務め、中華思想から抜け出していれば違った国に成っていたろうな、哀れ朝鮮人。
- >>1 
 そもそも、近代や中世、古代の捉え方が国や個人によっても違う。現代は現在と重なり誰も間違いはないと思うが、韓国人は時間の差でしか時代を区分をしていないように思う。私から見れば、李朝より高麗前期や新羅の方が余程近代的に見える。日本人的には時代は退歩することも通常にあると言う世界的な感覚が分からない。ギリシャ・ローマの繁栄は暗黒へと流れ、やがてルネッサンスを迎えるし、中華は何百年ごとに古代王朝を繰り返ししているように見える。朝鮮の近代は今田美桜。
- >>28 
 ナポレオンはイタリア系フランス人だったらしいが。
- 34名無し2020/07/03(Fri) 07:28:06(1/1) このレスは削除されています 
- 이놈 화교 짱께인가? 
 병신 새키
- >>35 
 反論も出来ないコリアンと思われるより、中国人と思われた方が嬉しいだろw
- >>37 
 丙寅教獄で処された8000人の中に、高宗の乳母もいたのですよね
 高宗自身、どの程度キリスト教に触れていたか、乳母との関わり
 がどの程度深かったかは定かではないけれど少なくとも自分の
 「叔父」が下した大粛清が(サラッと8000人とか)
 これは本当の大虐殺なのでちょっとスゴ過ぎて
 彼の心にどんな影響を及ぼしたのだろうかと
 実際にドミノ倒し的にアジアは着々と西欧諸国に
 齧られていく最中で、対抗できる武力を持たない国は
 見事に丸呑みされていく
 大変な時代だったのですよね
 改めて想像してもひやっとする
근대 조선이 얼마나 약했는지 증명..TXT
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