教科書に載っているほどの表技でなく、達人級の裏技でもなく、ちょっとした個人技を集めてみたい。
技まで行かなくとも特定の情報の見方でもいい。
カイカイには情報弱者になるほどの人は多くないと思うけど。
格差社会と言われているんだし、個人的な技?もかなりありそう。
スレッドの趣旨からはずれるかなという心配もなく、
カイカイの人間ならあんまり気を使うこともないかなというノリでも、
ちょっとした自慢でもいいから、集めてみないかな?
時間なんて気にすることなく、気長にやってみたい。
(管理人さんへ)できれば東にしてください。情報を整理(分類、分割)していて思ったことがある。
その行為自体が「情報の性質」の一面を示しているのでは、と。
環境にある何らかの対象は情報として把握される。
ところが、人によって把握された情報は様々だ。
これは情報の分割が多様であることからわかる。
原理的に分割の数だけ、情報も異なる姿をとる。
もう少し極端に言えば、情報を置く領域によっても異なると。
領域によって、その情報の取り扱いはかなり異なるから。
環境で出会う対象を常に特定領域に配分するわけじゃないけど、
すでにある領域分割は暗黙のうちに機能してしまう。
新しいコンビニにすぐ気付く人もいれば、遅れる人もいる。
情報は既に領域として確保しているかどうかでかなり違ってくる。
いろいろな情報に接していると時々面白い考え方に出会うことがある。
「基軸通貨」も「信用状を必要とする国」と結び付けた人がいた。
この考えは自分にはなかったと瞬間で分かった。
なかったとは言え、即時にそれが確認できるものおもしろい。
もしかすると、情報そのものの繋がりと言うよりも、
情報の置き場所で形成される繋がりなのかもしれない。「信用状」に関して、実は「ホワイト国除外」でも結合する人を見かけた。
つまり、ホワイト国から除外されると銀行が自由に信用状を発行できず、
国の承認が必要になるため、こちらをK国は気にしている、というもの。
信用状に関しては、日本側の制裁手段として取り上げられるが、
K国側もこれをかなり気にしているという考えはなかった。
こういった情報Aと情報Bが別々に捉えられるケースとして、
K国の「不買運動」とC国の「限韓令」の関係が気になったことがある。
C国がK国に対して取った「限韓令」というが制裁が、
K国が日本に対して取った「不買運動」という制裁が似ている。
「限韓令」の恨みを「不買運動」で晴らす、とでもいう関係か。
でも、これを証明する方法はあるんだろうか。>>952
最後の段落の一部を書き直す。
《「C国がK国に対して取った「限韓令」という制裁と、
K国が日本に対して取った「不買運動」という制裁が似ている。》
...結局、2文字の違いか。「これを証明する方法はあるんだろうか」
数学の証明と同じである必要はない。
ある社会において自立的な回路として機能している、でもよい。
たとえば、「生産者・購買者回路」とか。
K国の場合、「パクリ回路」というのを本気で考えている。
生産者をパクリ生産者に置き換えるだけで元の回路を利用できる。
通常の社会では、この回路は維持できない。
なぜなら、パクリに気付いた購買者が買わなくなるからだ。
ただし、そうでない社会もある。
パクリ商品を正規商品の如く見せるために買う購入者がいる社会。
この2者によって十分持続する回路が完成する。
パチモンが市民権を持つ社会とでもいうのか。
「パクリ生産者とパチモン購買者」による回路。
これが成り立つためには「ブランド品に似ている」という条件がある。
ブランド品は他と区別するため特徴的な外見を持つ。
これが「ブランド品に似せる」ことを容易くする。
「パクリ・パチモン」とは別に「パクリ・サクラ」と言うのもある。
購買者を騙すことにより「生産者・購買者回路」を築き上げる。面白い見方を見つけた。
「逆に考えれば韓国へノービザで入国出来るビザ免除国は190ヶ国って凄いな
日本へノービザで入国出来るビザ免除国が68ヶ国
100ヶ国以上の国が相互ビザ免除国じゃないことを忘れるなよ!」
入り口は、こんなところ。
《韓国人「世界パスポートランキングがこちらです…」
→韓国人「日本に負けるのは嫌だ…」》
本当にK国人は「そとみ」で評価するのが好きだね。
ピーク値優越主義と相まって、K国の話題が推定できる。
パスポートの「なかみ」は免除国の数じゃないのにね。
他の意見で「入管時の通過平均所要時間で比べろ」と言うのがあった。
K国が厄介なのは、単に「自国が優れている」ではなく、
「自国が本質的に優れている」ことが重要なところ。※パクリ回路の整理
まず、「良き生産者・良き購買者」が基本形となる。
「良き生産者」を「パクリ生産者」に置き換える。
次に「良き購買者」を「パチモン購買者」に置き換えて、
「パクリ生産者・パチモン購買者」という機能する回路にする。
さらに購買力を高めるため、「サクラ購買者」に置き換えて
「パクリ生産者・騙された購買者」の回路にする。
騙され続ける限り、膨大な利益が生み出される。
工業製品のような場合、品質に差があるため、
いつかは「騙す」ことが不可能になる。
ところが、果物などになると、品質の差が小さくなるため、
ほぼ元の回路と同様に機能する。
つまり「良き生産者」と「パクリ生産者」の生産物の品質、
この差異が小さいほどオリジナルの回路と同様に機能する。
果実の苗・種を盗んだり、特許を盗んだりする場合、ほぼ完全となる。
「そとみ」のパクリと「なかみ」のパクリの違いとも言える。
「パクリ生産者」は自分でオリジナルを作り出せないため、
「そとみ」や「なかみ」を盗むという手段で実現する。
「なかみ」の「パクリ」を「嘘」で隠せば、完全犯罪が成立する。「C国:THAAD配備→限韓令」/「K国:ホワイト国除外→不買運動」
「限韓令」は言ってみれば、国家が国民に不買運動を命じること。
ただしC国政府は国が発したものであると認めていない。
しかし旅行会社が自ら渡航を取りやめたりするだろうか。
K国の場合は、一切政府が関与したことを認めていない。
たとえ、道路に沿って「NoJapan」の垂れ幕を並べても。
「国家か国民か」の前に、不買運動の有効性判断について。
ある決定を行う場合、その決定の効果を少なくとも目測すること。
個人なら憤怒にかられて無謀なことをするかもしれない。
しかし、集団、更に国家的レベルにまでなるとそう簡単ではない。
K国が不買運動に踏み切った、ある目測。
限韓令の場合、「C国には何ら被害がなく」、かつ、
「K国が全ての被害を受け持った」という実績がある。
この実績経験があるから、踏み切れたと。
K国のトンデモ決定は一見、独自のように見える。
ところが、K国でパクリ回路が発達したのは、
「なかみ」に対する自信の無さ、または認識障害による。
だから、どうしても成功モデルを必要とする。次に「国家か国民か」について。
実際に単独というケースは稀で、大概は「共同謀議」の関係になる。
国家と国民が共同謀議の関係にある場合、関与は簡単に隠せる。
また、不買運動はC国・K国で好んで利用される手段だ。
だから、共同謀議なしでは難しい事象を見つける。
たとえば「広範さ」、「徹底さ」、「許容か抑制か」など。
つまり、国民が広範囲にわたって、徹底的に行うことに対して、
国家が何の抑制もしない時、暗黙の共同謀議が成立する。
広範囲というのは地域全体、たとえばソウル全体。
徹底的というのは、個人、集団、組織が強烈な行動を取る。
もし、それが反政府的であれば国家が抑制を行う。
しかし、国家にも利があれば、許容される。
路上の垂れ幕、観光客全体に不快感を抱かせるため途中却下。
街中では、日本製品破壊のパフォーマンス。
店舗でも自主的に日本製品をおかないと。
個人の不買だけに収まらず、不買しない人への制裁。
これらに対して、K国政府は何の抑制もしていない。
「不買しない人への制裁」が社会的に許されたわけだ。
C国の場合、不買に反対する人がでないのは理解できるが、
建前上、自由主義国家なのにちょっと不自然。日本企業の情報がネットに流された。
この時、国家と国民の動きはシンクロしていた。
国家は日本へ強烈な抗議を行い、国際社会にまで訴える気だった。
それでも独立性は維持され、国民は独自に市民警察を持ち出した。
ここまでくれば、不買運動が国家との共同謀議にしか見えない。
C国の場合、限韓令はあくまで制裁で、それ以上の意図はなさそうだ。
だから、限韓令を発動すれば、国家はそれ以上何もしなくてよい。
C国は限韓令を発令しても「THAAD配備」の撤回を期待していなかった。
つまり、限韓令は「配備した」ことへの制裁だった。
ところがK国の場合は、「ホワイト国除外」への制裁でなく、
その措置を撤回することまでが目的だった。
ここからはC国のモデルが使えない。
そして、涙ぐましいまでの日韓交渉が国家と国民レベルで続く。
国民レベルでは「損害は日本の方が大きい」を共有しあった。
国家レベルではさまざまな国際的な協議体で訴えた続けた。
国家国民の共同謀議では「自国開発」「分散調達」へ向かう。
そうすると次にくる疑問がある。
「なぜそこまでしてホワイト国に拘ったか」
確かにK国にとって、技術上、貿易上の損失が発生しうる。
しかし米韓為替スワップ打ち切りよりも価値があるのだろうか。こっちでも韓国の話をしているのか・・・・・
>>960 「こっちでも韓国の話をしているのか」
どうなんでしょうか、「K国」は出てくるけど、ちょっと変でしょ。K国は日本の「ホワイト国除外」を撤回できると確信していた節がある。
C国の「限韓令」、米国の「為替スワップ終了」ではそう思わなかっただろう。
静かに要求を行い、静かに失敗しているが、この違いは何なのか。
結果的に損害はK国の方が大きく、国際的な訴えは受け入れられなかった。
自国開発、分散調達も最初は希望に満ちていたが、ようやく失敗に気付き始めた。
ここ半年ほで、K国は幾つかの側頭部攻撃を受けている。
まず、米国に対する通貨依存が明確に認知されるようになった。
そして、尿素不足問題でC国に過剰なまで依存していることが認知された。
当然、ホワイト国除外により、日本に対する素部装の依存性が。
どこの国も自国だけで賄ってはいけない。
しかし、K国は「自国が本質的に優れている」ことを必要としている。
これは究極のエスノセントリズム(自文化中心主義)。
K国はしきりに日本から独立した基点を気にする。
迎恩門に取って変わった独立門を日本からの独立だと言う。
もしかすると、本当にもしかすると、
K国は未だ日本から独立できていないのかもしれない。
というのも、確かにK国にとって米国やC国は経済的に優位にあるが、
肝心な部分では日韓関係への攻撃が優先されることがあるからだ。
ちょっと深読みすると、K国は日本から独立したという実感を持てない。
冷静にK国の振る舞いを見れば、日韓関係に対する拘りは異常だ。自国が「本質的に優れている」、言い換えれば本質的優位性。
歴史的に見れば、そういった考えを抱いた国、人種もあった。
しかし、今現在、それに取りつかれている地域は一部に限定される。
C国やロシアでさえ、そういう妄想から距離を置いている。
なぜ、そんな妄想に囚われるのか。
そして、どうしてそんな妄想から離れられたのか。
離れられたのは、論理性、合理性における矛盾に気が付いたから。
これを逆に言えば、この矛盾を無視できればいつまでも囚われる。
K国の奇妙さは、この「矛盾を無視する」ことに多く起因している。
日本がK国に発した言葉をオウム返しをしても、その矛盾を無視する。
K国起源説の矛盾には一切気付かない、気づいても無視する。
この「矛盾の無視」を破綻させるのは、合理性の矛盾、そのもの。
合理性(=現実則)の矛盾を無視した時、本質的優位性が瓦解する。
「操作の意図」と「操作の結果」が一致しなければ事業が成り立たない。
そして、この頻度が多くなると、国家はその体制を維持できない。
現大統領の5年の任期が終わろうとしている今、
「意図と結果」のくい違いがほぼ全ての政策に遅いかかっている。
「合理性の矛盾」を解すには長い時間と過酷な忍耐が必要となる。
まあ、この対価ゆえに「合理性の矛盾」を学習できたんだろうけど。共同謀議が、少し気になったので考えてみた。
グーグル日本語辞書(Oxford Language)によると、
「数人が共同で犯罪の実行を相談し、合意すること。
そのうちのある者に実行させる場合を言う」とある。
以前のレスで「暗黙の共同謀議」という表現を使った。
パチンコ産業が暗黙の共同謀議であるか、どうか。
定義としての認定では白だが、事実認定すると灰色になる。
加わる要素は「取締り権」のある組織が容認する場合。
積極的に参与はしていない、ので定義上、白となる。
ところが本来なら取締る必要があるのにそうしない。
K国はよく「それは国民の意思だから」というのがある。
でも、犯罪はすべてそうなんじゃないかな。
国家は国際規約を守らなければならない。
そして国民は国家のルールを守らなければならない。
至極単純な論理だが、K国では無視される。
慰安婦像が日本大使館前にあるのはウィーン条約違反。
それを取締らないのはK国政府、そして日本政府の共同謀議の可能性あり。
ホワイト国除外は日本がK国と共同謀議にならないための決定。
でも慰安婦像を放置するなら、やっぱり共同謀議かな。以前、このサイトのどこかで言ったことがある。
「反日のターゲットは日本よりK国内の親日勢力」
これをどう解釈したのかトンデモ意見があった。
論理的には「K国内の親日勢力」が片付いたら日本になるとは思っていたが。
ただ、「日本からの独立」で少し気になった。
K国人にとって親日勢力が存在している限り、独立を達成できない、としたら。
まあ、日帝残滓の清算ができない限り、と言い出すと切りがないが。
さらに日本の存在が消えるまで独立は完成しないなんて言い出すとどうしようもない。
今時、日本からまだ独立しきっていないと考える人もいないだろうね。
実際にK国は日本から独立したのに、なぜ親日勢力をそんなに気にするのかな。
日本に存在するものの起源はK国のものと思っているのだから、
結局、親日派も突き詰めれば、K国派になるんじゃないのかな。
落ち武者狩りの心理は、将来仕返しされるリスクを恐れてのこと。
日本の介入により、悪しき両班が駆逐され、
独立後、再び悪しき両班が支配するようになったという思う面もある。
独立を叫ぶテロ組織やエゴの塊の労働組合、そして左派政治家。
これらは日本から独立した後に、復活してきた。
再び国民が手玉に取られたとしても、日本にはどうしようもないこと。「ロシア→ウクライナ」/「C国→台湾」
ロシアがウクライナを攻撃することで受けた制裁は、
C国が台湾を攻撃することでも受けると、C国人は理解する。
それともC国人はこれを理解しないのだろうか。
どちらにしても合理的思考は、このことを無視させないだろう。
「ロシア→ウクライナ」が現実に起こった場合と起こらなかった場合では、
「C国→台湾」によってもたらされる未来像は異なっていた。次期大統領候補者がウクライナ侵攻について暴言を放った。
K国民は幸せなのか、不幸なのか。
国際的に渦中にある話題について軽口を叩く未来の大統領。
彼が大統領になったなら、国民が国家の責任を負うしかない。
そういうことをK国民は考えるのだろうか。>>966
「中国は、ロシアとウクライナが話し合いを通じて問題を
解決することを支持する」と表明
この振る舞いは台湾への姿勢にどのように影響するのだろうか。情報の整理をしていて、色々と考えるところがある。
今はちょうど高速鉄道に関する情報。
日本の鉄道技術は諸外国、特に欧州に負うところが多い。
日本が国際レベルに達したシンボルが高速鉄道。
世界では余り高速鉄道に関心がなかった中で、
研究を始め、そして実現した。
これに欧州が興味を持ち、高速鉄道の建設が加速する。
それからしばらくして、中国、韓国が続いた。
世界を牽引していくのを見るのも楽しい。
自国技術の進歩だけでなく、世界レベルが向上していく。
自動車、船舶、鉄道、飛行機といった運輸技術に高速鉄道が加わった。
でも、C国やK国もよくついてこられたと思う。
今や高速鉄道といえば、欧州と東アジア。
他の地域で高速鉄道に追いつこうとする国を知らない。
日本と日・独・仏じゃこれほど盛り上がらなかっただろう。
スペイン、イタリアも追っかけてきている。
結果的に日本の新幹線に踊らされたのかもしれないが、
今の参加国があることで、新幹線もかなり成長できた。2022年02月23日 18:25 THE KOREA ECONOMIC DAILY
《ウクライナ危機、韓国造船業界に追い風か》
ロシアからガスパイプラインを通じて大量の天然ガスの供給を受けていた欧州連合(EU)が、輸入先の多角化に乗り出し、液化天然ガス(LNG)運搬船の発注の増加につながるとの見方からだ。造船会社の株価も、反射利益への期待により久しぶりに高騰している。
2022年02月26日 14時15分 コリア・エコノミクス
《ロシア制裁で韓国造船に打撃…LNG船7隻に43億ドル案件取消へ》
対ロシア経済制裁が本格化すればこれら韓国造船業者が打撃を受ける可能性があるとの専門家意見を挙げた上で、「ロシアのエネルギー企業が発注先であるだけに、彼らに対する金融制裁がなされた場合、注文の取り消し及び引渡遅延につながる可能性も提起される」と同紙は伝えている。
ロシアへの制裁として SWIFT から排除することが決まった。
この2つの記事は、その前後のもの、オセロの黒から白への瞬時の変化。
SWIFTから外されると国際決済ができなくなる。
ただロシアの全銀行が制裁対象ではないので実際にどうなるかはわからない。>>970
「この2つの記事は、その前後のもの、オセロの黒から白への瞬時の変化」
これを以下のように修正。
「この2つの記事は、SWIFT排除浮上前後のもの、オセロの白から黒への瞬時の変化」
独などがSWIFT排除を渋っていたのでEUが決めたのは確か月末。
また、良いことから悪いことへ変わったのだから「白から黒」。
2つの記事を探し出すのに手間取って...
見直さずに出すと、ほぼ確実に何らかの間違いを含む。
1回見直しても、何割かが通過してしまう。
さらに込み入った内容になると3回ぐらい必要になる。マネーワンの記事は面白い。
《韓国政府「ウクライナ侵攻」で毎日会議!企業被害に2兆突っ込むと表明》
月末には「第8次ウクライナ事態緊急対応TF会議開催」。
確かに、緊急対応しようとするとこれだけの会議でもまだ足りなさそう。
内部ですべきことと外部へ通知すべきこと、なかなか大変。
この中から幾つか漏れるだけでも、効果が低下してしまう。
企業なんかは、内部のすべきことがほとんどで、
外部への通達はかなり比重が低くても通用しそうだが。
これは、通達があくまで事後報告に過ぎないから。
外部における活動を制御しようとするとこんなもので済まない。
情報の発信側での、情報の在り方なんかも考慮する必要があるのかな?K国人のネットでの表現、いわば戯言にも関心があったが、
今は経済、統計、事件報道など戯言から遠い情報に関心が移っている。
これは戯言がほとんど変わり映えせず、マンネリ化が顕著だから。
それに対して事実系は万華鏡みたいに楽しめる。軍事関係で「しくじり兵器」の話題がよく出てくる。
民間の製造業でも「しくじり」はよく報道されるけど、
軍事関係の量からすると少し少ない気がする。
つまり民間ので「しくじり」報道は少なすぎるのではないかと。
軍事関係では条件が厳しかったり、隠しきれない部分があるが、
民間の場合、実際に接する人が多いのでもっと多くなるんじゃないか。
それとも多すぎて、多くの情報がこぼれ落ちているのかも。
「木を隠すなら森の中」、多すぎる場合、隠れているものも多い。李氏朝鮮以降、K国は自分たちの力で独立を果たしたことがない。
C国からは日本によって、日本からは第2次大戦の終結によって実現し、
北朝鮮からの侵略は米国によって阻止された。
国家の存亡がかかた時に自分たちではなにもできない。
つまり外部の力から自分たちを守ることができない。
C国が先導してK国と日本の対立を目論んでも自分たちでは回避できない。
左派勢力が国民を支配する体制を企てても自分たちでは止められない。
外部と言うのは自分、もしくは自分たちの外という意味。
さらに「自分たちでは防げない」ことが発展していく。
C国や左派勢力が悪くて、自分たちは悪くないという考えへ。
騙されて実行したことは決して罰せられないという免罪符?
K国が詐欺大国へと成長したことと無縁とも思えない。
「K国の詐欺」と「日本の詐欺」に違いがあるように感じていた。
極限状態は「国家の教育に騙された」で、最終的に全員が被害者になる。
K国には詐欺罪が多く、それだけ詐欺をする人が多いのだろうと思った。
しかし、その人が「騙された」と弁明すればどうなるのか。
詐欺の加害者が詐欺の被害者に早変わりする。
罪を軽くするには詐欺の被害者になるのが手っ取り早そうだ。
ただ、日本ではかなり難しい気がする。なかなか難しい。
K国、及び国民から感じる「自己責任」や「自衛意識」の希薄性。
「本質的優位性」と「権威依存性」の微妙なずれ。
「権利」のはき違えはK国に限ったことではないが、
K国人にとっての「国民の義務」も怪しくなってきた。
これらの言葉は「概念」と言うより「分類用ラベル」かな。
情報を分類する時の、あのラベル。
だから内容はそのラベルで括られている情報の集合。
「ネットでの嘘の書き込み」が多すぎる。
だから「言ってること」が「考えていること」と同じなのかも怪しくなる。
労組の要求内容は理解できても、根拠が「当然の権利」で終わる。
「やってること」と「言ってること」が支えあっていない。
こういう細かな「ずれ」や「矛盾」にこだわるのは、
単に「ばかだから」で片付けたくない、すべての失敗に使われかねない。
こういった細かな意味を含めての理解にしたい。
無理かもしれないけど、やれるところまでは。K国は国際的な地位を確保することに躍起になっている。
これは現大統領によって明確な方向性となった。
保守政権の李明博、朴槿恵時代はもっと地道なものだった。
まあ、左派政権の特徴と言えばそれまでだが、
とにかく大風呂敷を広げないと気が済まない。
これは中朝のスタイルと同じ。
ところがこの企画には都合の悪いことが幾つかある。
一言でいえば「他国への強度の依存」。
つまり「国際的地位」はこの依存なしには達成できない。
産業面ではC国、安全保障面では米国、技術面では日本。
自国の力でこれらを克服できればいいのだが無理。
さらに困ったことにはこれらのつながりが危うくなりつつある。
C国のGDPが世界2位になって以降、K国はC国へ急激に接近し、
効果も十分得たが、今では産業的価値がなくなりつつある。
安全保障では、日米韓のまとまりからクワッドのまとまりにシフトし、
米韓相互防衛条約が残っていて効力が無期限でも1年前の予告で破棄できる。
技術面では、ホワイト国から除外されたことにより、特権は無くなった。
日本における技術を含めた貿易管理は年々厳しくなっている。
地位の確保に躍起になっても、その土台が崩れてきている。後、もう少しでカンストか。
このスレで分かったことは、情報は点としての価値よりも、
線や面としての価値の方が遥かに大きいということ。
手にしている情報が少なければ点としての情報価しか得られない。
まあ情報量と情報価によるグラフがどんな線になるかわからないけど。
限界効用の概念が絡んできそうだが、ちょっと難しい。
ただ感覚的にも有効的とみなせる範囲がありそうだ。
ここから情報価が急に大きくなり、ここから小さくなると言った。
他の異質な情報との交点数で測れるものだろうか。立体的認知、動物が環境を認知するひとつの形式。
対象と主体の位置関係が変化することにより、
知覚情報も変化するが、その時の差分情報によって立体を認知すること。
これと同じことが、情報の世界でも成立する気がする。
立体的認知に辿り着かないと、どうもわかった気がしない。
学校の教科書が典型例で、その立体化に教師はあくせくする。
卒業後にはこの立体化はある程度自分自身でも行えるようになる。
一種の補完技術を取得したようだ。
合戦に負けようなら、とうてい静かな記述にはならない。
責任者に対して罵詈雑言で済むわけがない。
Youtube の歴史記事は思いっきり立体化を行う。
誇張も、また学習される。
このような立体化を経て、環境世界の情報として認知される。
そういった立体化ができないと、環境世界内のことと認知できなくなる。情報は整理しても整理しても、次から次へと新しいのがくる。
-- 外国直接製品規則 (FDPR) ※「規則」の部分は「規制」、「ルール」とも。
K国が米国からもろに突きつけられた規制。
といっても、免除された国でも国内で実施され、国内で許可される。
要は、米国への許可申請義務。
まあ赤チームと青チームが明確化されたとも言える。
こういったニュースを見ていると気になる言葉がある。
「米国輸出管理規定を熟知」、「複雑な貿易規定」、とか。
同じ貿易実務と言っても取り扱う対象によって、
中学・高校・大学のレベル差が出てくるんじゃないかと。
K国で大学レベルの知識は英語を使わなければ理解できない。
つまりハングルでは精確、厳密な知識を吸収できない。
ということはこの辺りの業務をこなせる人が限られてくるのでは。
日本の場合、ほぼ貿易実務に関しても日本語で用意されている。
つまり大学レベルの知識も日本語で済む。
これは例の「ホワイト国除外」の時にも感じた。
果たして「安全保障に関わる貿易規則」をK国の人たちは理解できるのかと。
国際レベルの規則を自国語で学べる国は限定されている。
国際レベルの概念を自国語の語彙がどれだけカバーできるかにかかってくる。経済産業省が出している「貿易管理をめぐる最近の動向と課題(2020年)」。
https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/tsusho_boeki/pdf/007_03_00.pdf
これを理解しようとするとやっぱり大学レベルの学力が必要と思う。
個人的には、岩波新書は高校レベルの学力で読めるものと思っている。
「貿易管理を...」をハングルに翻訳して、K国人はどれだけ理解できるか。
日本人が日本語で読んでも、一苦労するだろう。
概念や不慣れな領域事項が多くて立体的認知になりにくい。
意味上の距離感がつかめず、全体像として理解しにくい。
この中の一節に次のものがある。
「米国は、新興技術(エマージング技術)等に関し、独自に又は国際輸出管理レジームを通じた
リスト規制の強化を進める一方、中国等における軍民融合の進展を背景にエンドユーザー等に
着目した規制の強化に着手。 ⇒ 輸出管理規則の見直し発表(4/28)」
将棋の対局を理解するように、語彙の配置関係を認知できるかどうか。
とはいえ「産業構造審議会安全保障貿易管理小委員会中間報告書」なんかもある。
「産業構造・審議会・安全保障・貿易管理・小委員会・中間報告書」とでもなるか。
漢字だけから構成されているので、基本的にはハングルに置き換えられるはず。
中国圏の人達なら理解できるのだろうか?漢字やハングルとくると、無視できないのが「機能的非識字」。
簡単に言えば「文字が読めても意味が理解できない」こと。
文字は音声化が最終目的ではないのに、その「そとみ」で満足してしまう。
さらに「機能的非識字」が重要なのは、「社会的損失」につながること。
Wikipedia にあるとおり、とある研究では、
「基礎的能力の不足による産業損失が1年につき数百万ドル」にものぼり、
機能的非識字による「低生産性、エラー、事故」が原因で発生ている。
これは職場リテラシーの研究だったので国家レベルでの損失はもっと大きくなる。
精度が高くなり、技術が複雑になるにつれて、この損失も増大する。
情報の集約性が高くなるので、些細な欠陥による被害も大きくなること。
「機能的非識字」は、どこか「バベルの塔」を連想させる。
情報の集約性が高くなればなるほど、少しの差異が致命傷となる。
機械やシステムはそういった宿命を持つ。
精密度、集約度が低い場合は、情報への依存度も低くて済むが、
高くなるに従って、他の補強手段を必要とする。
それが道具の本質、少なくともその一面を表している。
当然、人間にとっての最も身近で、強力な道具は言語。
高度な発達に耐え切れなくなれば、言語に症状が現れる。
K国の言語的機能不全には、十分気をつけたほうがいい。「読めるが理解できない」と「話せるが理解していない」
共謀者に口裏を合わせろと言われるとこういうケースもありそう。
他人から命じられると「理解していないが話せる」状況も案外簡単そう。
まして言語感覚に乏しい社会では。嘘や詐欺が多い社会とは。
社会は案外、嘘の制御が行われていることが多い。
嘘をゼロにするのではなく、比率を制御するようだ。
でないと重要な情報が伝達できなくなる。
嘘が慢性化した社会で自然災害が発生したらどうなるか。
相互協力を取りにくくなる、つまり損失を増幅する。
日本の場合、自然災害の多さから嘘が危険であることを自覚している。
嘘には少なからずこういった潜在的リスクが付きまとう。
詐欺では、嘘が犯罪領域で使用される。
明確に騙して利益を得ることを目的としている。
騙す人と騙される人では必ず利害対立が成立する。
詐欺でもストックホルム症候群が成り立つのかは知らない。
嘘と詐欺の関係は色々あるだろうが、次のような傾向が考えられる。
「嘘が蔓延した社会ほど、詐欺件数も多くなる」
いわゆる正の相関というやつ。
逆に見れば、詐欺件数の多いから潜在的な嘘の多さも推定できるかも。
通常、自分の身を守るために嘘をつくことが多いが、
自然災害が多ければ、身を守るために嘘をつかないこともある。だいぶ「情弱にならないために...」から外れてきているが、
必要ならいつでも誰でも始められるからいいかなとも思う。
「情報弱者」と「被害」の関係が基本軸としてあり、
そういったリスクを避けるための技を交換しようと。
ただ「情報強者」でも「被害」はありそうだ。
情報が少ないことと情報が偏ることは時として同じ結果になる。
過ぎたるは及ばざるが如し、と。
だから定期的に混ぜ合わせるしかないのかも。
そんな時には実効吸収性の高い手段が有効と思う。
じっくり研究に取り組みたいという場合は別だけど。
あくまで情報界面という訳の分からないものをほぐすという意味で。
だからひとつの結論としては、自分に合った場所を探すこと。
それこそ至難の業だけど、少しずつシフトしていけばいい。
情報は環境に依存しているし、それを育むのもまた環境。
自分で考えることは大事だけど、人に聞くことも同じ。
子供なんてどれだけ聞いくかで成長にも影響しそうだし。
もちろん聞かれた時に答えるのもまた情報界面をほぐすことにもなる。もう少し、情報界面について。
動物によって異なるが、同じ鳥類でも、ペンギンと鳩では異なる。
環境と主体の関係で形成されるので、基本部分は主体の取りうる行動で決まる。
では同じ種なら全ての個体で同じかと言うと、当然、そうじゃない。
前に過去の記憶を取り上げたが、一般化すると「経験」がくっついて形成される。
様々な視覚のずれによって立体性が得られるように、
様々な経験のずれによって情報が一般化される。
多くの経験が繰り返されるが、最終的に集約された情報へまとめ上げられる。
大人にとって卵を割るのは簡単に見える、そして子供にも簡単に見える。
でも、子供が実際にやってみるとほぼ確実に失敗する。
卵を割る行為は、環境と主体の系の中で構築されるので、
そういった経験がないと、簡単に見えても成功しない。
この辺りのことは面白いが、いくら紙面があっても足りなくなる。
一見、情報界面は環境の写しのようだが、経験の糸でつなぎ合わされている。
で、ここからが問題、この情報界面と言語の関係はどうなっているか?
多分、深く関係はしているだろうと思うけど、それぐらいしかわからない。
他の動物が使っていないので、原初的なヒントも得られない。
さらに異なる言語でどれほど違ってくるのかなんて全然わからない。
この「わからない」というのも、現実世界のおもしろさでもあるけど。「卵を割る子供」の話はお気に入りで、頭の中にこびりついている。
他者が簡単にすることを見ると、子供でなくても簡単だと思ってしまう。
その他者が簡単に行為を遂行していることは確か。
そのような情報を得ると「そとみ」と「なかみ」を等価と判断する。
「こうなるという筋書き」を知ることは、その「そとみ」を知ること。
経験を重ねて、初めて「なかみ」の情報を獲得する。
このサイトで簡単そうに情報を持ってくるのを見て「そとみ」を知っても、
いざ自分がやってみるとめちゃめちゃ大変。
分かることと分からないことを切り分けつつ先へ進む。
次第に何を探していたのかも忘れそうになる。
分からないことが多くなりすぎると進めなくなる。
そこでふと休憩を取って、しみじみ難しいことを噛みしめる。
そして、この経験から「そとみ」と「なかみ」に違いを知ることになる。アナログとデジタル。
どこかの国では、デジタルはアナログに置き換わるものと考えられている。
支配するのはいつもひとつでなければならないらしい。
歴史と技術がまともに育たなかった社会によく見られる。
技術におけるこの2つは補完しあう関係で、基本的にセットで動く。
これが理解できないと産業用ロボットの分野に進出できない。
モデルとして言えば、連続量の論理と離散量の論理のセット。
この2つの論理のマッピング関係になる。
アナログに対するデジタルは効率的な制御を目的とする。
ロボットアームの運動制御、列車のカーブでの傾斜制御、
これらは連続量に対して効率的なサンプリング点で制御する。
このサンプリング点が離散量で、抽出方法によりスムーズな運動となる。
点、もしくはその集合として制御する方が、連続面を操作しやすくなる。
こういったことは、機械とか電子製品以前でも成立していた。
人間の動きも運動の連続面に対して特定の位置で力を加えればよい。
典型例は音声言語で、2重に交差させて実現している。
「やま」という音声は連続量であり厳密に波形として区別しきれないが、
人間は簡単に「や」と「ま」という離散量で識別している。
2重と言うのは発声器官と聴覚器官の2つで行っているから。
両器官で連続面と離散面をマッピングさせて実現している。先の「アナログとデジタル」は、さすがにしんどかった。
「なかみ」も余り評価できていない。
ただ、あれぐらいの力の掛けようでなければ言語化できなかった。
今までもずっとモヤモヤしていたが、
情報の境界面が少しは切り取れた気がしている。
でも、今読み返して遂行することはとても無理。今度は、環境内における主体の動作側について。
毎日何気なく、その都度、動作を完成させているが、
なかなかにして大変なことをやっているわけだ。
環境における一種の秩序の力を利用して完成させる。
歩くことも、重力や運動の慣性力を使って成立している。
刺身を包丁で切る場合が、割とお気に入り。
それは力の入れ方と速度が必要だから。
速度がなければ、板前のように見事に切れない。
速度を与えることで、制御しやすくなる。
「あんなに速いのに正確だ」というのは逆で、
この速度がブレを吸収している。
速度を落とせば、どうしてもブレが発生する。
マイクロスリップという用語があるが、あれが頻発する。
いつもの動作をゆっくりやってみればわかりやすい。
何らかのノイズに影響されてしまうのか、動作がふらつく。
幼児に見られる「ふらつき」も速度不足によることがほとんど。
幼児もしばしば身体を無茶ぶりすることがあるが、
それも力の入れ具合と速度を調和させる訓練ともいえる。
このように動作は環境の力と身体の力が絡み合って完成される。引力や慣性のようなものを運動律と言うことにする。
ブランコの動きはこの運動律に従う。
振りを大きくしたい時、運動全体に力を入れるのではなく、
ある特定の位置で力を入れ、それ以外では入れない。
運動律が支配する空間では連続量に対し離散量を配置することで、
効率的な制御をおこなうことができる。
しかし、情報の場合はどうだろうか?
運動律に該当するものがあるだろうか。
ないわけではないことはわかる。
なければ効率的なコミュニケーションは成り立たない。
ゲシュタルトは普通、図形で確認される。
視覚上の認知で力学的作用が働いていることをしめす。
これをここでは認知律とでも言っておく。
これらの運動律と認知律が出会う領域として人間工学がある。
運動律だけでも、認知律だけでもダメで、
これらがセットになって機能する領域となる。
ところでなぜ「情報と認知」なのか、分かるようでモヤモヤもする。
情報を含むものは認知により情報となり、認知を常に前提とする。
言い換えれば、認知活動として利用されるためにある。
認知活動に役立たなければ認知価は相当低い。情報がもつ価値を情報価と呼ぶとしよう。
そして認知がもたらす価値を認知価と呼ぶとする。
すると情報価と認知価にはズレがある。
情報価はかなり客観的に測定することができそうだ。
だけど認知価はそれこそ人によって異なる。
情報は記号としても機能するので、様々なものを指すことになる。
この「他のものを指し示す」こと自体、人によって異なる。
この認知価をほぼ決定するのが「情報界面」と考えられる。
情報界面は成長し続けるので、その動的な側面が大切。
ネットワーク化されたものと言うより、ネットワーク化されていく。
辞書化されていると言うより、辞書化されていく。
おそらく人が眠っている間にも情報界面は加工されていく。
また環境世界はアナログ、情報界面はデジタルという仮説。
連続量の環境世界に離散量の情報界面がマッピングされていると。
そして言語もデジタル、「暑い」と「寒い」は本来連続したもの。
しかし、言語ではその極点でほぼ済ませる。
「暑い」と「寒い」の間に無数の語を用意したりしない。
これはデジタルの効率性を実感させてくれる。
情報界面は言語そのものでないにしろ、親和度が高い。レスも後、10を切ってしまった。
だから、とりあえず挨拶を済ませておく。
もし遊びを奪ってしまったのなら、その人達にお詫びする。
いい意味での「枯れ木も山の賑わい」は好きな言葉。
おかげで初めてカンストできそうだ。
また訳の分からない文章にイイネで付き合ってくれてありがとう。
イイネが十分シグナルとして機能することを確認できた。
やっぱり自分で自分にイイネは意味ないし。
これで後のレスを気軽に埋めていける。情報界面は人間だけなく動物において形成される。
が、親和性の高い言語は、あいにく人間しか利用していない。
情報界面は動物が環境を情報として利用するものとしてある。
だから、情報界面は言語そのものでないことになる。
それでも言語は情報界面の処理能力や効率化にかなり寄与している。
その第一の貢献機能は、情報界面上の一部を転写させる機能。
この部分が壊れると言語の無い原初的な情報界面に戻る。
今でも情報に利用される領域では言語のシェアがダントツ。
歴史的にも言語を中心に情報が処理されてきた。
「新聞」は広域の伝達を可能にし「ラジオ」は遅延性を克服した。
「TV」は映像による情報伝達を可能にした。
これらの技術は情報の伝達性能をどんどん上げていった。
そして今、伝達された情報の処理能力が追っつかなくなった。
供給能力が消費能力を上回ってしまった。
そういう状況でフェイクニュースが出てきた。
情報戦が繰り広げられる領域では嘘情報は常套手段。
ところが一般社会生活に展開されると困ったことが起こる。
情報価と認知価が連動しなくなる。過剰情報と虚偽情報という2つの問題がある。
前者は情報価に対する人間の処理能力の問題で、
後者は情報価そのもの含まれる問題。
全く異なる種類の問題だが、同じタイミングでやってくる。
過剰情報により処理能力が追いつかず、機能性が低下する。
そこに虚偽情報となると、大幅な機能低下となる。
機能低下の副次的影響として、フィルタ機能の低下がある。
通常、フィルタ機能と本来の処理を並列化して効率を上げる。
フィルタ機能の低下がもたらす大きな問題は、
本来なら除外される対象が通過してしまうこと。
映画の中で、侵入するために他の場所で問題を起こす、あれ。
これの被害は、通過したものを全て通常処理する機構で大きくなる。
社会的文脈で考えれば、ほぼ何らかの攻撃性が認められる。
利害目的の強い組織が経済活動の一部として取り入れる手段。
目的のために手段を問わないのが厄介なのは、
被害が経済活動領域だけに収まらないこと。
ただ、こういうことが分かっていれば防御策もある。
経済活動の利害に関わる情報にフィルタをかけること。
株やFXの取り引きをしている素人には難しいかもしれないけど。
プロなら自然と虚偽情報のフィルタリングを強化している。発散の力が強すぎて、認知律に収まり切れなくなっている。
要は「運動律は利用して」、「適切な制御点を探す」こと。
虚偽情報すら騙すための効率的な方法となっている。
だから、これを制するために幾ら力をかけてもほぼ無理。
環境に働く力に「抗う」ことから「利用する」ことへの転換点。
面白いのは「抗う」前提がないと「利用する」生存確率が低いと思えること。
こういうことは認知律でしか成立しないように思う。
認知律についてはわからないことが多いのでもう少し暴走してみる。
情報界面での「抗う」という経験がどこかで「利用する」という見えに変換される。
知覚の立体化と同じように位相的なものが関係していると思う。
そして認知律ではこのような「経験の変換」を基本にしているのかも。
経験が情報として分解されて、形を変えた姿に再統合される?
自分で言っていながら、なんかSFのような話に聞こえる。
学校時代の知識をそのまま使う機会は少ない。
直接使用を前提とする教育はなんか本質がずれている気がする。
教育を受けた時点では、ある特定の角度から見た姿に過ぎない。
社会人になり自分で生活する中で以前とは違った角度から見ることがある。
この時の差は、単に自分の変化と言うより、
経験により環境自体が情報界面として奥行きを持ったからに思える。
変換が時に自動的に起こる気がするのは気のせいとも限らない。残り4点になったので、情報弱者に戻して。
情報弱者になることで発生するマイナス面、
つまり情報が手に入らないこてで不利になること。
まず「機会の損失」。
社会の結びつきとして需要と供給の仕組みがあるが、
具体的な結びつきはふつう「有期性」がある。
つまり有効な期間があり、そこから外れると利用できなくなる。
スーパーの売り出しから政府の補助金まで千差万別。
賞味期限が切れることで廃棄することも含まれるかな?
次に「リスクの増大」。
税金等の法律知識が代表的で、事前に情報を得ることで
多くのリスクを回避することができる。
情報弱者は情報を知らないというよりも、
情報を得る手段を持たないことで影響を受ける。
これらは情報そのものというより、
社会が情報により依存して動くようになったから。
労働者が機械に置き換わることと情報の重要度は相関しているようだ。
コンビニの精算を顧客が行うようになれば操作情報が必要となる。
情報を取得する手段がネットによって提供されると、
さらに情報に関する格差は拡大していく。
格差を価値評価はできない、格差がビジネスを生み出すこともある。このスレは情報についての講釈が目的ではないけど、
ある程度の共有認識が必要だろう。
今までの訳の分からないレスは横においておいて。
このサイトに実利的な目的を求める人はほぼいないだろう。
だから機会損失やリスク増大に晒されている人も少ないはず。
まあ情報の危険性は「気付かない」にあるのかもしれないけど、
このサイト自身が機会損失・リスク増大との関与度が低い。
どちらかと言うと関連する情報間の完成度を気にしている人が多い感じ。
このことで争っている人達をしばしば見受ける。
釣った魚の大きさで競って、勝ったとしてもそれで終わる。
釣りなら、道具や仕掛けなんかの改善性が開けたもので競わないと。
でないとK国のようにバカでかい獲物は釣れない。
とはいえ、大きな獲物を見せられたら引いてしまう人もいるかも。
技はもう少し磨いた方がいいとは思うけど、
そのためにはもう少しもがいた方がいいかもしれない。やっぱりK国を語るにはC国なしでは無理。
こういうとC国の陰謀にK国は踊らされている図を描きがちだけど、
そんな労力・時間がかかることをするわけがない。
C国が本気を出せば、K国なんてひとたまりもない。
といって、駒としての価値も難しいところだ。
K国の奇妙な動きとC国の振る舞いに適合するものを見つけたが、
余りの荒唐無稽さに自分自身でも言う気がしない。
だから、今はそのための素材を幾つか。
C国は理念としての社会主義を目指したが、結局夢に終わった。
失敗して、今あるのは統制力の強い資本主義でしかない。
夢を構成していたほとんどの要素が砕け散った。
たとえば「労働者」、それは社会の最上位に位置するもの。
ところがそんな労働者はどこにもいない。
国家の統治に従順に従う「労力」でしかない。
と言って、最初からそうじゃなく、単に間違いだっただけ。
少なくとも最初に夢見た社会主義は失敗した。
ところが夢の要素がK国に見つけることができる。
高い地位の労働者、国民に徳治を施す政府、などなど。
機能は果たさず歪んではいるが、形式的には見つけることができる。中途半端になったけど、K国はC国とセットで見る方がいい。
そうすると、北がまったくのはみ出し者に見えてくる。
おそらくC国が今まで繰り返してきた歴史を再現することに。
ようやくラストレスとなった。
別に実験をしていたわけじゃない。
笑うかもしれないけど、ずっと真剣。
次はもう少しうまくやれそうに思う。
それじゃ。
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