왜구(倭寇,わごう)에 대해 알고 싶습니다.

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    • 1名無し2016/12/13(Tue) 15:06:03ID:g0ODA2OTA(1/1)NG報告

      1. 그들은 보통 무슨 일을 하면서 살았습니까?
      2. 그들은 막부(幕府)와 관계가 있었습니까? 있다면 무슨 관계였습니까?
      3. 왜구는 지금의 야쿠자와 비슷한 존재입니까?
      그외에도 왜구에 대해 많이 알려 주십시오.

    • 201makobee2017/01/30(Mon) 23:24:30ID:M0OTYyNzA(1/9)NG報告

      >>198
      失礼しました。

    • 202makobee2017/01/30(Mon) 23:26:26ID:M0OTYyNzA(2/9)NG報告

      >>197
       失礼した。 まったく違う寺だった。すみません。

    • 203國漢文混用蟲2017/01/30(Mon) 23:49:31ID:U1MzMwODU(33/45)NG報告

      >>200
      韓半島에 倭寇가 大規模로 侵寇하기 始作한 해는 1350年으로, 같은 해에 일어난 "觀應の擾亂"을 前期 倭寇의 始發點으로 보는 것이 普通이다. 九州의 情勢에 따라 倭寇의 侵寇가 增減했음은 韓日 硏究者들의 共通된 見害다. 만약 半島를 侵掠한 前期 倭寇의 構成員에 中國人들이 相當數 包含되어 있었다면, 後期 倭寇처럼 어떠한 形態로든 이쪽에서 記錄으로 남겼을 것이지만, 전혀 없다.

      阿只抜都라는 이름은 高麗 側에서 붙인 이름이다. 本名은 아무도 모른다. 太平記의 記錄대로 前期 倭寇의 根據地를 九州, 四國까지 넓혀서 본다면, 前期 倭寇의 規模도 不可能한 數値는 아닐 것이다.

    • 204般若大好き2017/01/30(Mon) 23:56:49ID:MzNjkzMzA(5/12)NG報告

      >>203
      張士誠・方国珍の残党が倭寇を率いて海上に出没し、居民を焼き払い、貨財を略奪した。これは北は遼海・山東より、南は福建・浙江・広東まで及び、沿海地域でこの被害を受けない年はなかった
      これを中国が認めたのが大きい
      『張士誠・方国珍の残党が倭寇』=中国人でも中央政府に従わない野蛮な海賊なら倭寇

      当時の倭寇の基準が『海の反乱勢力=倭寇』と認めている

    • 205般若大好き2017/01/31(Tue) 00:01:17ID:M2MDMxNzE(6/12)NG報告

      巨濟・南海縣投化倭,叛歸其國。 (『高麗史』巻 41 恭愍王 18 年(1369)7 月辛丑条)
      倭掠寧州・溫水・禮山・沔州漕船,初倭人願居巨濟,永結和親,國家信而許之,至是入寇。(『高麗史』巻 41 恭愍王 18 年(1369)11 月戊午条)
      これは内乱の記述だよね?
      辛禑初,倭藤經光率其徒來,聲言將入寇恐愒之因索糧。朝議,分處順天・燕歧等處,官給,資糧,尋遣密直副使金世祐,諭先致誘殺。先致大具酒食,欲因餉殺之,謀洩,經光率其衆,浮海而去,僅捕殺三人。先致懼罪,詐報斬七十餘人,事覺編配戌卒。前此倭寇州郡,不殺人畜,自是每入寇,婦女嬰孩屠殺無遺,全羅・楊廣濱海州郡蕭然一空。(『高麗史』巻114 金先致伝)
      全羅道は倭寇の首領の一人と酒宴を開いて毒殺を目論むことが可能なくらい交流が深かったって事だよね?

    • 206般若大好き2017/01/31(Tue) 00:22:50ID:M2MDMxNzE(7/12)NG報告

      蘭秀山賊が全羅道や済州島に根を張って活動してたのを取り締まった記録も半島史にあるでしょ

      中国沿岸部・全羅道・済州島・対馬・九州・琉球
      ここらは国への所属意識の薄い海の民で相互協力関係にあった
      で、半島で暴れるのは基本的に半島の海の民、大陸で暴れるのは基本的に大陸の海の民ってだけ


      政治的に利用するために時々捻じ曲げて争うこともあるけどね、近代を除けば中国と日本の歴史研究はかなりの範囲で一致、半島とはかなりの相違がある

      前期倭寇に関しても中国大陸を荒らしたのは中国人中心だったって日中歴史共同研究以降中国は認めだしたんだ、今じゃ前期倭寇を日本勢力限定にするプロパガンダを続けているのは韓国だけ

    • 207國漢文混用蟲2017/01/31(Tue) 00:25:32ID:g3NDI4Mzk(34/45)NG報告

      >>204
      張士誠, 方國珍은 高麗 朝廷에 여러 차례 方物을 바치는 等 交流 關係를 맺고 있었다. 張士誠, 方國珍이 滅亡한 후 그 殘黨들이 高麗에 侵入했다면, 역시 이쪽의 記錄에 남았을 것.

      >>205
      投化했던 倭人들이 叛亂을 일으킨 것이 어째서 內亂이 되는지?? 다시 읽어봐라.
      倭寇들은 掠奪을 한 후 바로 물러나지 않고 島嶼 地域에 長期間 滯在했으니 어떻게든 接觸이 있었던 것은 당연하다.

    • 208國漢文混用蟲2017/01/31(Tue) 00:29:04ID:g3NDI4Mzk(35/45)NG報告

      >>206
      지금 論點이 되고 있는 건 "半島에 侵入한 前期 倭寇의 構成員 問題"지만?

    • 209般若大好き2017/01/31(Tue) 00:39:22ID:M2MDMxNzE(8/12)NG報告

      >>207
      豊臣秀吉の時代にですら言葉が通じないし補給を襲われるしで日本人はまともに活動出来なかった

      半島で只の海賊集団が長期間滞在可能=言葉が通じる仲間が大量にいた
      どう考えても外勢を引き入れた内乱でしょ

      倭寇=日本海賊
      じゃなくさ
      倭寇=海を活用した野蛮な反乱勢力
      こう考えようよ

      韓国人は現在の民族主義から来る国家国民の概念に縛られ過ぎ
      国境や国なんてのが頻繁に変わってた時代の事を現在の価値観で見てどうするのよ?

    • 210名無し2017/01/31(Tue) 15:22:02ID:cyMTIwMDI(2/3)NG報告

      『9世紀から11世紀に掛けての日本は、記録に残るだけでも新羅や高麗などの外国の海賊による襲撃・略奪を数十回受けており、特に酷い被害を被ったのが筑前・筑後・肥前・肥後・薩摩の九州沿岸であった。』 https://ja.wikipedia.org/wiki/刀伊の入寇

      倭冦の原因は元冦への復讐かもしれないが、
      元冦よりも前に、刀伊による襲撃があり
      さらには、高麗や新羅による海賊行為が頻発していた。

    • 211國漢文混用蟲2017/01/31(Tue) 20:36:15ID:g3NDI4Mzk(36/45)NG報告

      >>209
      壬亂 때 日本軍이 補給 問題로 難航을 겪었던 것은 너무 길어져버린 補給線과 때마침 찾아온 大飢饉 때문이었지만, 이와 달리 半島 島嶼 地域에 滯在하던 倭寇들에게는 現地 調達을 妨害할 만한 要素가 없었다(高麗史에도 倭寇들이 滯留하는 동안 穀食과 같은 食糧들을 現地에서 調達했다는 記錄이 수 차례 登場한다). 慶尙, 全羅의 島嶼 地域에 몰려있던 牧場들도 그대로 倭寇들의 借地가 되어버렸던 것.

      田中健夫는 濟州 海民들이 倭人들과 어떤 "一體感"을 公有했다고 主張했고 여기에 다른 日本 學者들도 同調했지만, 적어도 내가 보기에는 아주 極小數의 證據 記錄들을 誇張, 歪曲되게 解釋해서 導出해낸 決論이라고 밖에 생각되지 않는다.

    • 212般若大好き2017/01/31(Tue) 20:55:09ID:M2MDMxNzE(9/12)NG報告

      >>211
      黄海や日本海を荒らしていたのは11世紀までは新羅海賊やら張保皐やらが有名だけど半島の海賊が中心


      日本でも大陸でも小氷河期による食糧不足から民衆蜂起が大量発生
      大陸の伝統で大食糧不足=統治者の徳が無い=政権転覆

      大陸で軍閥が争い民衆蜂起が起きまくり沿岸海賊の闊歩している時代なのに半島ではまったく無かったと思うの?

      引用するしか無いから引用しているけど韓国側が主張の根拠にしている高麗史自体が簒奪者の記述させた物で元になった物は焚書済み、少なくとも李成桂の関連する時代に関しては信頼度はかなり低い代物だよ

    • 213國漢文混用蟲2017/01/31(Tue) 22:12:18ID:g3NDI4Mzk(37/45)NG報告

      >>212
      海外 遠征이 아닌 國內 掠奪을 주된 業으로 삼는 海賊의 擡頭는 流通 經濟의 發達과 不可分의 關係에 있다. 海上交通과 商品流通經濟가 發達했던 成宗 代에야 朝鮮 時代에 水賊이 처음으로 登場했다. 高麗時代에도 高麗人이 海賊 活動을 벌였던 事例는 극히 드물었고, 全國 各地에서 叛亂이 일어났던 武臣政權期에도 海賊은 없었다. 倭寇는 大部分 海岸에서 發生하고 있고, 灣과 河口에 먼저 나타났다가 河川을 거슬러 올라가 侵寇하고 있다는 점에서 海上 勢力이라는 건 明白하고, 상당히 訓練된 戰鬪 集團이었다. 그러나 高麗 時代에 倭寇와 같은 行動 패턴을 가진 海上 勢力은 國內에 存在하지 않았다. 갑자기 그런 集團이 登場하게 된 背景이나 社會相의 變化도 전혀 確因할 수 없다. 倭寇가 國內의 事情과는 關係 없는 外來 勢力이라는 것은 分明하다.

      高麗史는 現存하는 文集, 金石文, 墓誌銘 等과 交叉檢證해봐도 原史料에 忠實하게 入閣하여 再構成되었음을 알 수 있고, 編纂者의 史論을 敍述하지 않고 旣存의 論贊을 引用하고 있는 점, 朝鮮王朝가 建國된지 60年이 지난 時點에서 編纂되어 朝鮮王朝에 不利한 記錄도 包含하는 客觀的인 敍述이 可能하였던 점(鄭夢周와 金震陽을 忠臣으로 敍述하거나, 鄭道傳의 아버지 鄭雲慶을 良吏傳에 揭載하는 等) 等을 통해 보았을때, 高麗史의 高麗時代 史料로서의 客觀性, 正確性은 疑心할 餘地가 없다.

    • 214名無し2017/01/31(Tue) 22:49:19ID:gyMDEzODM(6/6)NG報告

      盗人集団がマフィアなどが力を持っていない国はあるが、ユートピアでない限り文明文化が豊富な国には必ずある。アジアも盗人文化の記録が豊富で面白い。
      倭冠じゃないけど、時代が違えばイスラム教徒マレー人として靖国神社へ合祀されている 谷豊たに ゆたか も倭冠頭首だな。
      峠や川や港、街や交通要所は面白いね。

    • 215般若大好き2017/01/31(Tue) 23:06:40ID:M2MDMxNzE(10/12)NG報告

      >>213
      当時の日本の人口が7~800万、九州全土で100万、九州の動員兵力が最大で5万、常備兵力1万ってとこだし飢饉の時代で馬を大量に養える余裕なんて無い

      高麗史にある通りの活動が日本主体なら九州のほぼ全軍が倭寇で半島に全力侵攻って事になる
      大量に撃退されているのに普通に南北朝の大戦やってる日本ってどんだけ大国なの?

      五島列島やら壱岐やら対馬の人口ってどんなものだと思ってるの?
      倭寇を語って略奪して倭寇と談合して私腹を肥やしていた中国大陸の地方軍閥みたいなのが半島でもあったってだけでしょ
      海賊が城を落としたり内陸を占拠している時点でおかしいと思わないの?
      半島の全羅道にいた反体制勢力を倭寇って呼んでいたとするなら普通の事だって思えない?

    • 216名無し2017/01/31(Tue) 23:51:55ID:c1NzIxODA(1/4)NG報告

      新羅南部の沿海の流民あるいは海賊とみられる者たちが、8世紀以降かなり頻繁に対馬や北九州を襲った。しかしその中には組織的な大集団も多く、国家または強大な豪族の関与が疑われるものも多い。
      https://ja.wikipedia.org/wiki/新羅の入寇

      長徳三年(997年)、高麗人が、対馬、肥前、壱岐、肥後、薩摩、大隅など九州全域を襲う。民家が焼かれ、財産を収奪し、男女300名がさらわれた。

      刀伊の入寇の五年前には高麗が攻め寄せ、太宰府の討伐を受ける。 「長和三年甲寅 春三年新羅賊舩来窺太宰府官兵相撃破賊(歴代鎮西誌)」

      1019年の刀伊の入寇の際に捕らえられた捕虜が全て高麗人だったことから、賊の主体は高麗人か、 あるいは高麗に属していた女真族の集団ではないかという疑問が程せられた。

    • 217國漢文混用蟲2017/02/01(Wed) 00:33:12ID:M0MjU2NTQ(38/45)NG報告

      >>215
      大量의 馬들은 여러 번 上記했듯이 慶尙, 全羅의 島嶼 牧場에서 掠奪했을 可能性이 높다. 128번 스레 參考.

      글쎄. 倭寇들을 構成했던 건 在地를 離脫한 反探題的 性向의 海上武士團이나 探題의 統制權 밖에 있는 海賊, 惡黨들이었을 텐데, 當時 九州에서 動員 可能했던 兵力의 上限線 같은 건 딱히 상관없지 않을까? 高麗의 倭寇禁壓 要請에 대한 日本側의 解明하는 書信을 봐도, 九州가 倭寇의 根據地였음은 분명하다.
      倭寇가 (高麗史의 表現을 빌려서)無人之境을 가듯 內陸地方을 橫行할 수 있었던 이유는 防禦施設의 貧弱함, 高麗軍의 氣腔 解弛, 主力이 熟練되지 않은 民間人으로 編制된 高麗 末期의 軍制, 紊亂한 指揮 系統, 地方에서 恒時的으로 對應할 수 있는 常備軍의 不在와 精銳軍의 北方 排置, 水軍力의 貧弱 等 高麗 側의 軍備 問題가 컸다.

    • 218名無し2017/02/01(Wed) 17:48:13ID:EyMTk5NDI(3/3)NG報告

      馬に二種有り。胡馬と日う者は北方従り來たる者なり。郷馬と日う者は國中の所出なり。國馬は駿の如く従いて良を得ること無く、胡馬は百の一二に居る。亦た中國の知る所なり。近ごろ倭冦に因りて損傷し殆ど蓋く。(『高麗史』巻一三四、辛禑五年十月)

      これは明徳太后(25)の上表文であるが、この胡馬とは済州馬のことであり、済州馬が倭冦によってほとんど略奪されて、良馬を貢馬として遣することができないことを弁解している。……倭冦が済州馬を略奪した場合もあったが、高麗の済州島直轄化政策で圧迫されたモンゴル遺民の中には、済州馬を使って倭賊を騙り、倭冦に混じって倭冦行為をはたらく者があったのではないかと推測する。

      『洪武帝期の対外政策考 一済州島に焦点を当てて一 序 論 』 蔭木 原洋
      http://repository.hyogo-u.ac.jp/dspace/bitstream/10132/2115/1/AA112829850040003.pdf#search=%27阿只抜都%27

      李氏朝鮮時代の初期には、倭人と偽って海賊行為をしていたことが記録にある。

      (1)『朝鮮成宗実録』三年二月甲午条、全羅南道楽安の海賊 或いは詐りて倭人と為り、或いは済州人と為る。諸島に依凄し、採海の人を劫掠す。
      (2)『朝鮮成宗実録』八年八月己亥条、済州島の海底「豆禿也只」
      衣服は倭人に混じり、言語は漢に非ず倭に非ず。
      (3)『朝鮮成心実録』 十三年閏八月戊寅条
      済州の入民、沿海諸臣に流寓し、既に附着することなし。又禁防なく、出入自由なり。或は倭人の言語・衣服を随い、海島に往来し、潜に劉騒を行う。

      また、『世宗実録(世宗二十八(1446年)十月壬戌条)』の記述には李順蒙による上申文として高麗末期の倭冦について「倭人不過一二而本国之民仮著倭服成党作乱」[倭人は1、2割に過ぎず、本国(朝鮮)の民が、仮に倭服を着して党を成し乱を作す]とあり、前期倭寇もある時期からは、高麗人または朝鮮人が主体となっていたことが窺い知れる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/倭寇

    • 219國漢文混用蟲2017/02/01(Wed) 19:50:08ID:M0MjU2NTQ(39/45)NG報告

      >>218
      倭寇가 말들을 掠奪해서 現地 調達했다는 걸 보여주는 記錄을 引用했다가 뜬금없이 前期 倭寇와는 關聯없는 成宗 代의 水賊의 假倭 行爲를 例로 들면서 "사실은 濟州島民들이 倭寇를 詐稱한 게 아닐까"라는 漠然한 推測을 하고 있다. 20年 동안 濟州에서 叛亂이 일어날때 마다 首謀者의 이름, 出身, 叛亂 當時 취했던 行動 等을 正確하게 把握해서 전부 鎭壓하고 있던 高麗 朝廷에서 濟州島民들이 倭寇를 詐稱해서 大規模로 內陸을 侵攻했다는 것은 把握하지 못 했다는 것은 넌센스다.
      濟州가 還屬되는 1294年 以後 高麗 朝廷에선 이미 耽羅를 濟州牧으로 改編하고 外官의 숫자를 늘리는 等 中央의 支配力을 强化시키고 있었다.

      また、『世宗実録(世宗二十八(1446年)十月壬戌条)』の記述には李順蒙による上申文として高麗末期の倭冦について「倭人不過一二而本国之民仮著倭服成党作乱」[倭人は1、2割に過ぎず、本国(朝鮮)の民が、仮に倭服を着して党を成し乱を作す]とあり、前期倭寇もある時期からは、高麗人または朝鮮人が主体となっていたことが窺い知れる。
      <-이것도 이미 여러 번 反駁했던 것. 李順蒙이 올렸던 上書의 주된 內容은 號牌法 復活의 必要性이었고, 이걸 强調하기 위해서 文獻이나 史料가 아닌 出處가 不分明한 "聞"을 引用하면서 "然其間倭人不過一二, 而本國之民, 假著倭服, 成黨作亂, 是亦鑑也"라고 멋대로 주장하고 있다. 더군다나 倭寇가 이미 완전히 사라진 時点이다. 禾尺, 才人이 假倭 行爲를 했던 事例도 確因되지만 禑王 後半期에 限定해서 發生한데다 단 3件에 不過하고, 위의 水賊과 마찬가지로 中央 朝廷에선 진짜 倭寇와 區分하고 있었다.

    • 220般若大好き2017/02/01(Wed) 21:09:01ID:k5NzIwNDE(11/12)NG報告

      >>219
      済州島は元の直轄地
      明から見たら元の残党なので済州島そのものが倭寇になるのは理解できるよね?
      高麗から見ても南海から逃げてきた元の残党=倭寇が避難出来ているって時点で元々倭寇の根幹地なんだとは思わないの?

      あと、200年後の秀吉の時に日本軍より先に王都や城塞を焼きまわって戸籍を焼失させ宝物を日本に密売し食料を奪った半島の名も無き民衆
      これが大人しかったと思うの?
      高麗から見たら李成桂自体が女真や元の残党や倭寇(反乱勢力)と通じて力を貯めた存在じゃないの?

      勝ち残った英雄、開祖扱いの朱元璋、負け落ちた張士誠・方国珍の残党は倭寇、これを中国は認めてる

      中華式記述から考慮すると半島を荒らした倭寇が半島人中心なら勝ち残った李成桂が朱元璋と一緒で国を興した、負けた名前も消された雑魚連中が張士誠・方国珍の残党と同じ倭寇扱いってだけじゃないの?

      中華が荒れると半島が荒らされるのは常識、国が亡ぶと正統性を高めるために新王朝が過去の王朝や反乱勢力を貶す為に歴史改変するのも世界の常識、高麗史だけは李成桂の権威を高めるために改変されていないと信じ切ってるのが謎でしょうがない

    • 221國漢文混用蟲2017/02/01(Wed) 23:18:20ID:M0MjU2NTQ(40/45)NG報告

      >>220
      洪武帝가 恭愍王에게 내린 敎書에서 "若耽羅牧子每, 與此等賊徒, 相合一處呵, 勦捕的較難有"라고 했던 걸 보면, 高麗, 明에서도 濟州島民들이 倭寇와 連帶하는 것을 警戒했던 것 같다. 그런 거라면 濟州島를 包含한 地方에서의 反政府的인 움직임을 銳意注視하고 있던 高麗 朝廷에서 濟州島의 叛民들이 倭寇와 聯合했다는 것을 몰랐다는 건 더더욱 말이 안 되는 것.

      壬亂 때에는 中央 朝廷에 不滿을 품고 있던 鞠景仁 等의 咸鏡道 土官들이 反逆을 일으켜 加藤에게 投降했고, 加藤은 明川 以北의 땅의 支配權을 이들에게 委任했다. 이 경우에는 地方 土豪들이 日本軍과 連帶 關係에 있었다고 해도 좋을 것이다. 高麗時代의 前期 倭寇도 島嶼에 滯在하면서 地方民과 어떠한 形態로든 接觸이 있었을 것이지만, 과연 "連帶했다"라고 할 정도의 協助가 있었을까. 倭寇는 沿海 地方의 백성들을 拉致하고 있었는데, 이런 捕虜들을 어떻게든 活用했던 것은 분명하다. 실제로 高麗人 捕虜들을 農夫로 假葬시켜서 討伐隊에게 가짜 길안내를 하도록 만들어 陷穽에 빠뜨리기도 했다. 하지만 그 以上의 "內亂"이라고 할 정도의 協調的인 行爲들은 전혀 確因되지 않는다는 점에서 西北面부터 倭寇의 侵入이 頻繁하던 海道까지 全 階層에 걸쳐서 風氣 團束을 行했을 정도로 强力했던 高麗 政府의 地方 行政力을 考慮해본다면, 적어도 壬亂 때의 咸鏡道 土豪들과 같이 積極的인 地方民의 協力이 없었음은 分明하다.

      "寶物을 日本에 密賣" "李成桂가 倭寇와 內通했다" <- 이건 今始初聞이다. "李成桂가 倭寇와 通했다"라는 前提가 妥當함을 立證하지 못한다면 宅이 以下에 敍述한 內容들은 도저히 納得할 수 없는 腦內妄想에 不過한 것이다.

    • 222般若大好き2017/02/02(Thu) 00:03:31ID:AyMDU4ODI(12/12)NG報告

      >>221
      倭寇を中国が日中共同歴史研究で認めた解釈=反体制的な地方勢力
      こう考えてみよう
      女真と合流したのは野蛮な未開人との合流強いて言うなら倭賊と合流したと考えられない?
      全羅道の倭寇討伐ってのもね、全羅道の城を落とすレベルだと地方反乱勢力と中華の敗残軍(元残党)、日本海賊の合同軍と考えなければおかしいでしょ
      中華でも日本でも大量の食糧を求める民衆蜂起がおこっているのに高麗史にはその記述がほとんど無いのがおかしいんだよ

      でも、倭寇にそれが含まれると考えれば腑に落ちるでしょ
      元の残党が含まれているから阿只抜都が倭寇武将の名前に充てられているし済州島の騎馬が活用されている
      日本海賊ばっかなら藤経光みたいな日本人風の名前が充てられる

      王朝が亡ぶときには外勢(中華)の力や傭兵を用いて優位を作り出すのが半島の歴史
      出自がモンゴル系説や女真説に連なる李成桂
      明から見る倭=モンゴル残党や江南の反中央組織の残党
      これを半島史に当てはめてみようよ

      当時の倭って単語が日本を表す記述に限らず反政府集団を表す言葉だったって中国は認めたから日中歴史共同研究はかなり一致した
      当時の倭って単語を日本を表す言葉ってのに拘るから日韓歴史共同研究は一定の一致で継続討議の対象のままで終わってる

    • 223國漢文混用蟲2017/02/02(Thu) 21:12:14ID:Y2MzU0MDk(41/45)NG報告

      >>222
      上記했듯이 高麗의 中央集權體制는 바다 건너 濟州島의 實狀도 正確하게 把握하고 있었고, 西北面에서 倭寇의 侵入이 잦던 沿海地域까지 全國 곳곳의 些少한 犯罪들조차 朝廷에서 法律을 執行해서 團束할 程度로 强力했던 것이다. 덕분에 前期 倭寇가 活動했던 時期에도 地方에서 일어났던 叛亂들은 大規模 蜂起부터 賤民 階層들의 小規模 掠奪 및 放火 行爲까지 高麗史에 전부 細細하게 記錄되고 있지만, 너희들이 그렇게 부르짖는 倭寇와의 結託을 보여주는 記事는 단 一件도 없지요.
      阿只抜都는 순전히 高麗 側에서 붙인 이름일 뿐이라고 위에 적어놨다. 沿海 地方에 設置된 牧場들이 전부 倭寇의 손아귀에 들어갔기 때문에 倭寇가 所有했던 말들이 전부 濟州島의 胡馬들이었다고 하기는 힘들다.

      當時의 倭寇가 純粹 日本人들 뿐만 아니라 地方의 反政府 集團까지 包含해서 가리키는 包括的인 槪念이었다면 굳이 倭人을 假葬해서 도적질을 하고 있던 集團들을 "假倭" "水賊"으로 分類해서 倭寇와 區分했을 이유가 없다.

    • 224名無し2017/02/02(Thu) 23:46:37ID:YyOTc1NjA(2/4)NG報告

      李順蒙の「倭人不過一二而本国之民仮著倭服成党作乱」は1446年に記され、それより50年ほど前の高麗末期の倭寇の構成員を述べたものであり、また賦役から逃亡する辺境の民が多いという事態の例として述べられいるため、「倭人が一割~二割に過ぎない」という記述をそのまま受け入れることはできないという批判がある。しかし、その割合は別にしても、高麗人による倭寇を装った海賊行為が禑王期に実際にあったことは文書記録上からも否定できない。

      『高麗史』巻四十一、恭愍王十六年二月癸亥(1367年)には、
      時に牧胡、數國家の遣わす所の牧使萬戸を殺して、以て叛す。金庚の討ずるに及びて、牧胡、元に訴えて萬戸府を置かんことを請う。王奏すに、金庚は實に済州を討ずるに非ず、倭を捕えるに因りて、追いて州境にりしに、樵蘇の牧胡、妄りに疑惑を生じ、遂に與に相戦えるのみ。請う、本圃をして自ら華年・萬戸を遣し、牧胡養なう所の馬を擇び、以て献ずること故事の如くせんと。
      とある。高麗が倭寇を追って済州島にやってくると、モンゴルの遺民である牧胡は高麗の追捕使を信用せず、相戦うこととなったと述べている。済州島の牧胡が倭寇と戦わず、倭寇を追ってきた高麗の追捕使と戦ったというのは、モンゴル遺民と倭寇との間に何らかの関係があったと見ても不自然ではない。

      若耽羅牧子毎 与此等賊徒相合一処呵 勦捕的較難有。『高麗史』恭愍王二十一年九月壬戌

      中原の支配が元から明になった後、明の洪武帝は済州島のモンゴル遺民が倭寇と結託すれば、討伐することは困難になると不安を述べている。モンゴル遺民と倭寇が結託する可能性を危惧することは、元から明へと宗主国がかわる時代に、高麗では元朝支持派と、明朝支持派との内部抗争が激しくなっていたことを表しているように思われる。恭愍王から禑王の高麗朝末期は、日本の南北朝時代と同様に、中央の権力基盤が揺るぎ、その影響受けて社会が混乱した時代であり、モンゴル遺民が社会の不安分子であったことは明らかだ。日本の南北朝の悪党同様、裏で誰と手を組み、取引や交易を行っていたかは想像をたくましくさせる。

    • 225名無し2017/02/02(Thu) 23:53:24ID:cxMTc0MTI(1/1)NG報告

      동아시아 역사에서 왜구는 중요한데
      일본인들 중국과 연결지으려고 필사적이네 ㅋㅋㅋㅋ

    • 226國漢文混用蟲2017/02/03(Fri) 00:58:16ID:k4NDUxNjM(42/45)NG報告

      >>224
      擴大 解釋은 그만. 假倭 行爲는 禾尺, 才人들이 무리를 지어 다니면서 放火, 掠奪을 일삼은 事例밖에 確因되지 않는데, 海賊 行爲가 있었다는 근거는? 禑王 後半期, 그것도 3件 밖에 確因되지 않는 다는 점에서, 高麗 時代의 假倭 行爲는 限定的인 時期, 階層에서 극히 드물게 發生했던 稀貴 犯罪라고 밖에 볼 수 없다.

      또 史料를 앞뒤 文脈 다 끊고 歪曲되게 解釋하고 있구나.

      元使高大悲來自濟州, 帝賜王綵帛·錦絹五百五十匹, 宰樞亦有差. 時帝欲避亂濟州, 仍輸御府金帛, 乃詔以濟州, 復屬高麗. 時牧胡, 數殺國家所遣牧使·萬戶以叛, 及金庾之討, 牧胡訴于元, 請置萬戶府. 王奏, “金庾實非討濟州, 因捕倭, 追至州境, 樵蘇牧胡, 妄生疑惑, 遂與相戰耳. 請令本國, 自遣牧使·萬戶, 擇牧胡所養馬以獻, 如故事.” 帝從之.
      濟州에서 元 使臣 高大悲가 와 皇帝가 王에게 下賜한 彩色緋緞과 錦絹 5百 50匹을 傳達하고 宰樞들에게도 官品에 따라 같은 물건을 전했다. 當時 원나라 皇帝는 濟州島로 避難하려고 宮闕 倉庫의 金과 緋緞을 옮기는 한편 濟州를 다시 高麗에 隸屬시킨다는 詔書를 내렸다. 그때 원나라 牧胡들이 여러 차례 우리가 派遣한 牧使와 萬戶를 殺害하고 叛亂을 일으키다가 金庾가 討伐에 나서자 그들은 萬戶府를 設置해 달라고 원나라에 呼訴했다. 이에 王이 원나라 황제에게 이렇게 建議했다.
      “金庾가 濟州를 討伐하려 한 것이 아니라 其實은 倭賊을 逮捕하려고 濟州地域까지 追擊했는데 땔나무를 하던 牧胡들이 공연히 疑心을 품는 바람에 싸움이 붙었을 뿐입니다. 예전의 慣例대로 本國에서 自治的으로 牧使와 萬戶를 派遣해 牧胡들이 기른 말을 골라 바칠 수 있게 해 주시기를 바랍니다.”
      皇帝가 이 建議를 따랐다.

    • 227國漢文混用蟲2017/02/03(Fri) 00:58:26ID:k4NDUxNjM(43/45)NG報告

      >>224
      이 記事의 實際 內容은 恭愍王이 元 皇帝에게 濟州를 討伐한 것에 대해 解明하는 것이고, 여기에서 "因捕倭, 追至州境, 樵蘇牧胡, 妄生疑惑, 遂與相戰耳"은 濟州 討伐에 正當性을 賦與하기 위한 핑곗거리에 불과한 것이다. 이는 高麗史, 高麗史節要의 濟州島 討伐 關聯 記事에서 倭寇가 전혀 言及되지 않는다는 점에서도 分明하다.

      洪武帝의 敎書는 明 朝廷이 "倭寇와 牧胡의 聯合을 警戒하고 있었다"라는 것 以外에는 示唆하는 바가 전혀 없구나.

      日本の南北朝の悪党同様、裏で誰と手を組み、取引や交易を行っていたかは想像をたくましくさせる。
      <- 네. 제대로된 史料的 根據를 提示할 수 없다면 제발 想像에서만.

    • 228名無し2017/02/04(Sat) 01:49:07ID:U4MzkxMjA(3/4)NG報告

      東アジア海域と倭寇
      ―― 9 世紀末の新羅海賊との比較史的考察を通して―― 近藤 浩一
      http://ci.nii.ac.jp/els/110009808031.pdf?id=ART0010309991&type=pdf&lang=en&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1486097063&cp=


      筆者は明帝国の倭寇政策は蘭秀山の乱の残党が倭人と結合することを怖れて,温 州・台州・慶元(浙江省)や蘭秀山など沿海の海民が個人的に出海することを禁じた海禁政策にあり、倭寇が反明活動を展開した権力の媒体と結びつき明帝国への抵抗 勢力に転化する可能性もありえたと述べる。さらに1380 年に高麗政府が鎮浦口で大戦闘を挑んだのも、似たようなものであり、高麗社会にも専門武士団としての倭寇を見込んで接触した勢力が存在し、高麗政府は海民や農民などの階層よりも、公権力と関わる地方官や有力 海上勢力たちが倭寇と結びつくことを危惧していたと述べている。

      また蘭秀山の民の多くは明の影響力が拡大するとそれに反発し、明州府城を攻撃したが、結局鎮圧された。敗れた海上勢力の多くは高麗海域・韓国西南地域に逃亡した。

      と述べた上で、次の明の資料を提示して、
      1 国初,定海之外,秀・岱・蘭・剣・金塘五山,争利,内相仇殺,外連倭夷,歳為邊患。
      (『籌海図編』巻 5 浙江事宜)
      2 海寇張阿馬引倭夷入寇。官軍撃斬之。張阿馬台州黄厳県無頼民,常潜入倭国,導其群
      党,至海辺剽掠。辺海之甚之。(『明太祖実録』洪武 24 年(1391)8 月癸酉条)

      次のように記す。
      『舟山群島の海上勢力(諸賊強豪)が倭夷(倭寇)を引き込んでいたことが確かめられた。さらに上の2にみられる海寇張阿馬の行動を通して,彼らは日本にも入寇しそこで潜伏しながら倭寇と交流,ひいては彼らと結託していたことがわかる。すなわち,舟山群島の海上勢力(特に 蘭秀山賊)は,高麗海域や日本列島の海上勢力,さらにはそのバックにある地域権力と互いの利害関係が一致するところでは結びついていたのであった』

    • 229makobee 2017/02/04(Sat) 05:54:25ID:U0MTA5MTY(3/9)NG報告

      日中歴史共同研究 日本語
      http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_c_translate.pdf

       倭寇の事を以下と定義しているが..
      [中国が日中共同歴史研究で認めた解釈=反体制的な地方勢力]
      何処に書いているか教えてください。
       海禁に不満を持った明の海商達が、反体制的になったのは書かれてますが、この点を倭寇全体に拡大した上で推論する場合、研究結果の骨子から、外れた解釈になるように思えますが...
       前期は日本人が主体で、中後期の明の周辺では、海禁に不満を持った明の海商も多数参加したかもしれないが、朝鮮半島周辺では、活動していた海賊が、同じような定義に当てはめるのは、少し乱暴かもしれない。
       

    • 230makobee 2017/02/04(Sat) 05:56:34ID:U0MTA5MTY(4/9)NG報告

      >>229
      先ほど書き込みは222へのレスでした。

    • 231名無し2017/02/04(Sat) 07:51:08ID:QzNTEwMDQ(1/1)NG報告

      >>1

      쪽바리의 조상

    • 232國漢文混用蟲2017/02/04(Sat) 10:27:52ID:MwNTQ5MTg(44/45)NG報告

      >>228
      이것도 결국 史料的 根據는 提示하지 못하고 "中國의 反體制 集團이 倭寇와 連帶했다 -> 高麗도 똑같았을 것이다"라고 擴大 解釋하는 또다른 量産型 論文이구나.

    • 233makobee2017/02/04(Sat) 13:06:21ID:U0MTA5MTY(5/9)NG報告

      >>232
       僕が読む限り、以下の共同研究論文の内容ですが...
      ----------------------------
      日中歴史共同研究 日本語
      http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_c_translate.pdf
      ----------------------------
       「國漢文混用蟲」さんが記載している内容と矛盾を感じない。
       というのは、どう読んでも、以下のように書いてます。

      「前期倭寇は日本人がほとんど」 1223年~1400年頃まで
      「中国沿岸における中後期倭寇は中国人がほとんど」1400年頃~1600年ぐらいまで
       上記共同研究は、「中国沿岸部に出没した倭寇」がどのようなものであったかを、共同研究しているものです。
       なので、朝鮮半島に出没した倭寇の事を書いているわけでない。
        
       「般若大好き」さんが解釈に違和感を感じています。中国大陸側に出没した「倭寇」の定義を、朝鮮半島に出没した倭寇の定義にまで、適用するのは違和感があります。
       論文自体は拡大解釈はありません。拡大解釈しているのは、資料参照している、「般若大好き」さん方ではないかと...

       なので上記論文のどこに「中国が日中共同歴史研究で認めた解釈=反体制的な地方勢力」を、上記資料のどこに書いているのか、当方は判りませんでした。 なので「般若大好き」さんへの質問として、書かせていただきました。
       
       論文自体は日本語なので、「國漢文混用蟲」さんが読むのは大変かもしれませんが、このスレの日本人のリスナーで、僕が感じたような疑問をもつ人がおられましたら、論文の内容を確認してもらえたらありがたいです。
       むしろ、論文の内容は、解釈内容の根拠となった資料について、その都度「注釈」となった根拠資料を記載してありますが、「般若大好き」さんが主張している内容まで、拡大された記載は、論文内にはありませんでした。

       論文の都合の良いニュアンス部分だけを切り出して、参照元の論文で主張しているように書いている場合は、その論文の著作者に対する冒涜になります。
      「般若大好き」さんが記載している主張は、論文の全体的な内容から、飛躍を感じられ、周りの日本人リスナーの意見を聞きたい。

    • 234makobee2017/02/04(Sat) 14:08:12ID:U0MTA5MTY(6/9)NG報告

      >>233
      少し訂正いたします。


      ---------------------
      上記共同研究は、「中国沿岸部に出没した倭寇」がどのようなものであったかを、共同研究しているものです。
      ---------------------


      ---------------------
      上記期間の共同研究は、「中国沿岸部に出没した倭寇」がどのようなものであったかを、共同研究しているものです。
      ---------------------

       共同研究論文は、日中間の歴史の中で「倭寇」が活動していた期間が長いので、日中に関係する「倭寇」の事を詳しく書いていますが、共同研究自体は、古代から近代までの事を記載していますので、「倭寇」の部分だけの共同研究ではないので、念の為、訂正しておきます。

    • 235國漢文混用蟲2017/02/04(Sat) 15:24:23ID:MwNTQ5MTg(45/45)NG報告

      >>233
      처음부터 내가 指摘하려는 것도 "大陸에서 活動했던 前期 倭寇의 構成員 比率을 韓半島에 侵寇했던 倭寇에도 똑같이 適用할 수 있는가"였습니다만, "般若大好き"씨 쪽에서 공연히 半島의 反政府 勢力과의 連帶 可能性을 提起하면서 論點을 離脫하는 바람에 이미 論議가 끝난 話題로 以前의 코멘트들을 제대로 讀解했다면 不必要했을 言爭이 서로 오가게 되었습니다.

      論文은 대충 훑어봤습니다만, 日本語에 能熟하지 않고 漢字와 基本 文法 知識 程度로만 意味를 斟酌하는 수준이기에, 함부로 異議를 提起하지 못했습니다. 그런데 原語民의 눈에도 그렇게 보인다면 역시 "般若大好き" 쪽에서 擴大 解釋을 했다는 것이겠군요.

    • 236名無し2017/02/04(Sat) 15:45:45ID:U1MjE5NDA(1/1)NG報告

      >>1
      1.常識的に考えて現在の専業的な思想に囚われて海賊行為ばかり行っていると考えてはいけない。普通に商売やってる可能性が高い。疑問に思う事自体が疑問。
      2.封建社会の中央政府がそういった組織と直接繋がっている事はほぼありえない。疑問に思う事自体が疑問。
      3.中世の国や領主自体がヤクザみたいなもの。疑問に思う事自体が疑問。
      どうも韓国人は現代の常識で歴史を見る愚かな考えが強い様に思える。

    • 237makobee2017/02/04(Sat) 16:35:08ID:U0MTA5MTY(7/9)NG報告

      >>235
       コメントありがとうございます。
       「國漢文混用蟲」さんが指摘している部分について、私も同じ感想を持ちました。念の為、論文の引用すると....。PDFの155ページ、PDF156ページあたりになりますが....
      ------------------------------
       『明史』では前期倭寇と後期倭寇を区別しており、前期倭寇は、主として日
      本の九州の領主配下にあった武士、浪人、奸商、海賊で、「倭性黠、時載方物、戎器、出没海浜、得間則張其戎器而肆侵掠;不得、則陳其方物而称朝貢。東南海浜患之(倭の性質は狡黠である。時に方物と戎器を載せて海浜に出没する。隙を得れば、即ちその戎器を張げて、侵掠を欲しいままにする。もし隙がなければ、即ちその方物を陳べて、朝貢と称する。東南の海浜はこれを患う)」と書いている。そして後期倭寇の時代には、倭寇と結託したり、そこに加わった者も少なくない。いわゆる「浜海奸民」、即ち中国沿海地区の海賊、密貿易商人、手助けをさせられた貧民などである。『明史』には汪直(原名は王直、母姓が汪で汪直とも称す)などが、「海中巨盗、遂襲倭服飾旗号、并分艘掠内地、無不大利、故倭患日劇(海で大いに盗みを働き、倭服を着て、倭の旗を掲げ、船を分けて内地を略奪し、大きな利益を得た、倭の災いは日増しに激しくなる)」と書かれている。汪直は倭と結託し、大挙して侵攻したため、「浜海数千里、同時告警(沿海地区の数千里に渡り、同時に警戒を強めた)」。
      ------------------------------

       つまり、中国側でも...
      前期倭寇は日本人が主体。
      後期倭寇になって、日本人も居るが、偽装日本人(浜海奸民)も増える。

       共同研究でも『海の反乱勢力=倭寇』の一般化は、後期倭寇以後のエピソードです。論文を読み解く限り、前期倭寇が日本人主体であったが、後期倭寇以後も海からやってくる海賊の正体が変わっても、一般庶民からすれば『海の反乱勢力=倭寇』と認識されていただけで、構成比率の言及については、「國漢文混用蟲」さんの認識の通りだと考えます。

    • 238dragolion2017/02/04(Sat) 18:24:11ID:MyNzA2MDQ(1/1)NG報告

      倭寇は海賊というよりは、海上商人です。ただ、武装していた。
      近代以前は国際法などはなくて、陸上ですら司法は正しく機能していないため、陸上の商人でも海上の商人でも武装していた。

    • 239名無し2017/02/04(Sat) 18:32:25ID:U4MzkxMjA(4/4)NG報告

      日中歴史共同研究の第一部 第二章
15・16 世紀の東アジア国際秩序と日中関係
      王新生

      上記共同研究の第一部 第二章の2ページには、前期倭寇は日本人が主体だったろうが、朝鮮半島・中国大陸の地方勢力との結びつきがあったと述べている。

      朱元璋が海禁政策をとった理由として、まず明国内に反元勢力の残党がまだ存在し、明政権に対して脅威となっていたことがある。元朝末期の農民蜂起では、張士城・ 方国珍など群雄が割拠して朱元璋に対抗していた。彼らは次々と朱元璋に敗れたとはいえ、 その残党は海へ逃亡し、しばしば島人と結託して山東の沿海州県を荒らした。(蘭秀山賊の一部が高麗の耽羅や全羅道へ逃げて行ったことは明の公文書集「蘭秀山叛賊干連人高伯一發回咨」などに記されている。)

      第二に、日本の海賊である倭寇の侵攻である。1338 年に室町幕府が成立した後も日本列島は南北朝の動乱期にあった。西日本の一部の武士・商人・農民・漁民などは経済的欲望を満足 させるため、朝鮮半島・中国大陸の沿海部で武装し略奪行為を働いていた。これを歴史上 「前期倭寇」という。同時に、朝鮮半島・中国大陸も当時まさに元末明初の混乱期にあり、 海防が緩み海賊が跋扈するにまかせてしまった。いくつかの地方勢力もそれに加わり、例えば張士誠・方国珍の残党が倭寇を率いて海上に出没し、居民を焼き払い、貨財を略奪 した。

    • 240makobee2017/02/04(Sat) 19:50:09ID:U0MTA5MTY(8/9)NG報告

      >>239
      あ、これは、 >>229 で言及した内容ですね。
      中国領内には、「海禁に不満を持った明の海商達が、反体制的」になった事については、資料に通りだと考えます。
       張士誠及び方国珍は、現在の浙江省周辺で反乱していた人ですね。戦いに敗れた残党が、その後朝鮮半島まで逃げたという証言等があるのも、知っています。当方が論文を読んだ所感ですが、明の国内で反乱等で敗れた結果、明に居れなくなり、明の支配の及ばない海賊(倭寇)として、扱われていく様子が分かります。

       初期は、朱元璋との戦いで敗れた人を例に挙げて、倭寇と扱われた事例を説明し、その後の海禁令等に不満を持った海商も加わる事になり、後期倭寇になると、日本人より、中国人や朝鮮人の方が多くなっていく過程を、具体例を示しているように読めます。

       論文の全体を俯瞰して読んだ時の印象は、上記の通りなので、齟齬は無いかと考えています。

    • 241makobee2017/02/04(Sat) 20:07:52ID:U0MTA5MTY(9/9)NG報告

      >>239
      あ、もしかしたら、以下の部分の説明だったんですね。
      「中国が日中共同歴史研究で認めた解釈=反体制的な地方勢力」
       初期の倭寇に、朱元璋に敗れた勢力が混ざっている事は、既出の通り私も否定しません。論文全体として、「日本人が主体」だった倭寇にどのような勢力が加わって、後期倭寇のように、日本人より中国人や朝鮮人が増えていったかを論じているのだと感じてます。
       倭寇について「中国が日中共同歴史研究で認めた解釈=反体制的な地方勢力」まで一般化に対しては、違和感があります。
       貴方の書き込みには、ご自身による論評がないので、単純に「この部分の事を指しているのではないか?」という、指摘だと思いますが、倭寇初期から中国側の政情不安定によって倭寇扱いされた勢力が具体的に居た事についての説明だと、考えています。

    • 242名無し2017/02/05(Sun) 03:52:25ID:Y5MzYwMDU(1/1)NG報告

      왜구중에 전라도 사람들도 있을걸? ㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋ 천사의 섬 신안 ㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋ

    • 243名無し2023/01/22(Sun) 23:19:28ID:E5ODgxOTQ(1/1)NG報告

      少しこのスレッドを利用させて頂きます。

      高麗史では...
      前期では、日本に対する記述において、「日本・日本国・日本人等」、特に作為を感じない記述となっております。
      ですが、後期では突然、「倭」の記述が表れ、突如作為を感じる記述に変貌します。
      その時期としては高宗10年(1223)5月であり、「倭寇金州(倭、金州に寇す)」との記述から。
      日本等の記述がなくなった訳ではなく、日本や倭が併用されはじめたのです。

      厳密に言えば、宣宗10年(1093)にも海賊に関して「倭人」と記されているのですが...
      しかし前述の内容では、忠定王2年2月(1350)の「倭寇之侵 始此(倭寇の侵すは、此れより始まる)」と整合しません。恐らく「宣宗10年」の記述は、後期に修正された記述でしょう。

      私が何を書きたいのかと言いますと...
      高麗史を編纂した朝鮮は、日本国等と倭や倭寇を併用することで、日本への印象操作を行った記述と見て取れます。

      韓国人さんは「倭寇=日本」と考えていらっしゃる様ですが...
      そもそも購入者があって初めて成立するのが密貿易です。受け取る側の支那人も協力していたのですから、倭寇のみを批判するのは短慮かと。8世紀頃から始まった華僑で形成されるコミュニティをみれば明らかでしょう。

      余談ですが...
      この高麗史は紀伝体の史書なのですが、華夷秩序を大前提に、つまり編纂者である李氏朝鮮の政治思想が大いに伺えます。
      朝鮮の立場で高麗の名分を正し(中華では前王朝の否定は自王朝の正当性を示す)高麗に関してネガティブな記述も忘れていません。
      その一例として、纂修高麗史凡例では、高麗の各王代の記録は「世家(天子は紀、諸侯は世家)」として記されています。
      そもそも、高麗史は改修と言う名目で恣意的な記述に改める事に50年位かけて、やっと完成した史書なのです(笑)

      誤解があると困りますから最後に...
      高麗史は元史同様、当時の日本と中華や半島の関係を伺える、かなり良い史料だと思っています。

    • 244名無し2023/06/14(Wed) 16:14:10ID:E4MTQ3OTA(1/1)NG報告

      前期の倭寇は、日本海側の海賊、後期倭寇は、日本人になりふさした中国人

    • 245名無し2023/06/14(Wed) 16:16:38ID:gxMzE0MjA(1/1)NG報告

      >>244
      「日本人になりふさした中国人」って、どんな中国人?☺️

    • 246名無し2023/06/14(Wed) 16:22:04ID:UyNjg2ODI(1/1)NG報告

      ただの海賊‼️‼️

    • 247名無し2023/06/15(Thu) 20:37:16ID:IyNzUzMjA(1/1)NG報告

      倭寇と言うが、日本が多いが、後期には、中国人もいた、これが事実です。

    • 248名無し2023/06/15(Thu) 20:51:53(1/1)

      このレスは削除されています

    • 249名無し2023/06/15(Thu) 21:12:47ID:M3NzM5MzA(1/1)NG報告

      平清盛が貿易に使ってた手下も倭寇じゃろ

    • 250名無し2023/06/15(Thu) 21:20:05ID:k1NjIwMA=(1/1)NG報告

      「去年まで倭寇やってたけど、何か質問有る?」

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