日本では中国の辞世(death poem)は伝わってきても朝鮮の辞世は中々耳にしません。
そこで韓国の辞世を紹介していただきたいと思います。
簡単な逸話も添えていただけるとありがたいです。
まずは日本から
「大田南畝」の辞世
「今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」
意訳:今までは死というのは他人の事だと考えていたが私が死ぬとはこれはまいった。
大田南畝は作家、詩人、御家人。教養が高く作品にも反映されているものの彼の作風はどこかhumorousであり幅広い支持を受けた。
登城の最中に転倒しそれが元で死亡。辞世も彼らしいhumorousに富んだものだった。「三浦義同 」の辞世
「討つ者も 討たるる者も 土器よ くだけて後は もとの土くれ」
意訳:殺害されるものも殺害するものも土器のようなものだ。割れて砕けた後は土となるだけ。
三浦義同は関東地方における古くからの豪族であったが戦国時代に北条氏に滅ぼされ三浦義同も討ち死にしてしまいます。
この句は自分の死さえも唯物論のような考えに寄り添った無常を表す句として日本では広く知られています。우우우우↗우우우우우↘ (유명한 귀신의 곡소리)
韓国語では「絶命詩」というらしい。
>>5
翻訳ミス。「절명시」「豊臣秀吉 」の辞世
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
意訳:私の生涯は朝露のようなものだった。大阪での栄華も夢中無のようなものだ。
韓国でも知られている豊臣秀吉の辞世。
彼は農民から天下人に成り上がった日本史上類を見ない人物でしたが
彼自身はその生涯を一瞬の事のように感じていたようです。
彼の死後、豊臣家が滅亡してしまったこともこの句に彩りを与えています。- 8名無し2016/11/30(Wed) 22:23:37(1/6)
>>8
아아 이런... 이미지가 잘못 올라갔네요.
황현 선생님은 저 여자가 아니라 이 분입니다.「後醍醐天皇」の辞世
「玉骨は縦び南山の苔に埋るとも 魂魄は常に北闕の天を望んと思ふ」
意訳:私は吉野に葬られても、私の魂はいつも京都を目指してる。
日本史の中で「南北朝時代」と呼ばれる朝廷が南北に分裂した時代を生き、南の朝廷の天皇であった後醍醐天皇の辞世。
吉野は南の朝廷の本拠地であった。
彼は志半ばで吉野で急死してしまうが彼の子孫は南北朝の抗争に勝つことが出来ず北の朝廷に降服してしまった。絶命詩
アイゴーがあるね>>11
부디 무시해주시길 w나의 죽음을 적에게 알리지마라
>>8
お前アクセス禁止にされるぞwww>>15
사실 이순신이 정말 저 말을 했는지는 아무도 몰라요.
류성룡의 징비록에서 언급되긴하지만, 류성룡이 그 말을 어디서 들은건지 구체적으로 말하지 않았기 때문에...
일단 원본 문장은 '戰方急, 愼勿言我死' 입니다.>>8
お前は、なんて画像を保存しているんだ。
なかなか趣味がいいぞ。관리자님 살려주십시오. 오해입니다. 정말 일부러 저런 사진을 올린게 아닙니다.
차단만은...下半身だけは親日だということが証明されたねw
>>21
ありがとう(^-^)>>22
下半身親日君→HENTAI君に変更この世をば
どりゃお暇に 線香の
煙とともに 灰左様なら
十返舎一九
解説宜しく。実は俺もkaikaiで拾った韓国美術の画像が「エロ画像フォルダ」にあるんだ。
分かるわ。そういうミスが起こるのも。さっと諳んじられる(=お気に入り)のはふたつ。
「面白き事もなき世を面白く すみなすものは 心なりけり」高杉晋作
「あらたのし 思ひははるる 身はすつる うきよの月に かかる雲なし」大石内蔵助俺は酔っぱらった。
だれか、
二十一回猛士 松陰 吉田寅次郎をやってくれい。忠臣蔵の浅野匠守の辞世の句
「風誘う花よりもなお我はまた春の名残をいかにとやせん」
初めてこの句に触れたとき「おぉ、すげぇ!」って思ったんだ。
でもよぉ、名君の誉れも高い吉良上野介に切りかかった浅野匠守、相当のアホウだと思う。
知能も相当低いウツケ者と聞いた。
実際に「フナザムライ」とか言われる程度の者だったんだろう。
辞世の句すらマトモに考えられない浅野に代わって、誰かが詠んだものなんだろうなぁ・・・。
そう考えると、なんか、可哀そうでさ・・・。時は今 雨が下しる 五月かな
時世の句では無いですが、織田信長を討つ直前の連歌の会で明智光秀が詠った句。
普通に詠めば、今は雨が降る五月だねぇ。と、ただ情景を語った句でしかないが、実はこれこそ、信長討伐を決意していた表れの句。
時ーときー土岐(明智の姓)
雨ーあめー天
雨が下しる=天下を知る=天下を治める
今こそ土岐が天下を治めるのだ
と、言うような詠。
これ好きもし玉砕して、
そのことによって祖国の人達が、
少しでも生を楽しむことができればと、
せつに祈るのみである。
遠い祖国の若い男よ、
強く逞しく、朗らかであれ。
なつかしい遠い祖国の若き乙女たちよ、
清く美しく、健康であれ。
絶唱-太平洋戦争で玉砕した日本兵の詩より一枚のエロの前に人の死に際の言葉など無意味と悟ったが立て逃げはよくないな
細川玉(細川ガラシャ)
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
意訳:花も人も散り時を心得て散るのが美しい
死に際を心得ておくべきだという句作者不詳
「散る桜 残る桜も 散る桜」
仏教らしい諸行無常の精神を日本を代表する桜の花に見立てた句
花の散る様子と人の死を同一視するのは日本の辞世の句によくある様式です。「少弐政資」の辞世
「花ぞ散る 思えば風のとがならず 時至りぬる 春の夕暮れ」
意訳:花は散るものと思えば風のせいには出来ないものだ。春の夕暮れにその時がきたというだけのことだ
辞世の句は詠う本人の体力が落ちているため不出来なものも多いがこれは名句と言われる。
この辞世を詠んだ少弐政資は元寇でも活躍した少弐氏の15代当主だが
彼の代には著しく衰退しており激しく追い詰められついには自殺してしまう。
彼の死によって少弐氏は滅亡してしまうがこの句には敵に対する恨みごとなど微塵も感じさせない爽やかなものとなっている。
花が散っていく情景が容易に想像出来ること、花の散っていく様を己の死と氏族の滅亡に見立て諦観ともいえる美しさがある。「織田信孝」の辞世
「昔より、主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」
意訳:ここは昔から主君が討たれた土地である 報いを待つがいい。豊臣秀吉。
これは逆に恨み節全開の辞世の句。
織田信孝が豊臣秀吉によって切腹させられた所は「野間」と言い
長田忠致が主君の源義朝を討ったとされる場所である。
長田忠致はその後源頼朝に死刑にされているためその故事にかけた辞世の句。
つまりお前もそうなるから覚悟しておけということ。
日韓の辞世(death poem)を紹介するスレ
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