二代に渡り韓国人テロリストを支援した3.1運動の黒幕のビッチ牧師親子

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    • 1名無し2019/03/12(Tue) 10:02:05ID:gxOTQxMTI(1/1)NG報告

      (上海=聯合ニュース)チャデウン特派員=中国の現代文学の巨匠魯迅(魯迅)をはじめとする有名文人たちが生前よく散歩「文化人(文化名人)の距離」で装飾された上海市置かルンル(多倫路)。

      この距離の真ん中には、中国風と西洋風が結合された、ユニークな様式の教会である虹ドタン(鴻德堂)がそびえており、通る通行人の目を引いていた。

      尹奉吉義士の義挙現場である魯迅公園(旧虹口公園)から歩いて10分の距離にあるこの場所を訪れる韓国人観光客の姿もたまに目立った。

      しかし、フンドタン教会が2代にわたって日本植民地時代の韓国人の独立運動を献身的に助けた米国のピッチ家と関連があるという事実まで知るこれらあまり多くない。

      1910年に韓国が日本に強制併合されて、韓国人の独立運動家たちが上海に続々と亡命し、ピッチ牧師の家族は、本格的に韓国人の独立運動家と縁を結んで交流を始めた。

      1919年3・1運動の直後、上海で大韓民国臨時政府が設けられると、ピッチ牧師は本格的に韓国人の独立運動家たちを支援し始めた。

      他のアメリカ人宣教師と一緒に救援物資や義援金を集めて韓国人を助けると、臨時政府が設立した韓国人学校である靭性、学校の資金募集のためのコンサルタントとして活動するなど、物心両面で支援に乗り出したのだ。

      上海の日本総領事館が米国総領事館にピッチ牧師の韓国人支援活動を抗議し圧力を加えるもしたが、1923年2月に上海で病気でこの世を去るまで、彼の韓国人支援活動は曲げずに続いた。

      彼の死後、息子のジョージ・アシュモアピッチ牧師と夫人ジェラルディンピッチ女史も韓国の独立運動を積極的に助けた。

      1932年4月尹奉吉義士の虹口基づきとして背後に名指しされた白凡・金九先生が日本軍警に追撃れるとジョージアシュモアピッチ牧師は迷わず金九を20日間、自分の家に隠した。

      https://www.yna.co.kr//view/AKR20190308155400089?section=culture/scholarship&site=navi_culture_story_top

    • 2名無し2019/03/12(Tue) 13:33:02ID:E5MzM0NTY(1/1)NG報告

      当時の国際情勢で アメリカがやりそうなことだ。

      フィリピンはアメリカに騙され、アメリカの植民地にされた。

      中国はイギリスやロシアに 領土を割譲し、朝鮮と日本を守る力は無い。

      辛うじて欧米の植民地で無い国は オレンジの地域 タイ と日本と 朝鮮だけであった。

      日本と 朝鮮が 併合して共闘したら、欧米は 日本と 朝鮮を植民地にする事ができなくなる。

    • 3名無し2019/03/12(Tue) 15:53:37ID:c0Mjg4MDA(1/2)NG報告

      アメリカがおいしいとこ欲しくなった。

      満鉄共同経営失敗したから

      まじジャイアン。

    • 4名無し2019/03/12(Tue) 15:54:04ID:c0Mjg4MDA(2/2)NG報告

      貼り忘れた

    • 5名無し2019/03/12(Tue) 16:50:31ID:kxNTcxNTI(1/1)NG報告

      信仰善意の部分も当然あると考えられる。世界布教が大国覇権利権の拡大に利用された側面はある。
      宣教師に従い経済活動が輸入される。軍が入り、奴隷労働が導入される場合もある。
      宣教師身分でありながら軍事戦術家である場合もある。

    • 6名無し2019/03/12(Tue) 17:04:43ID:U4MzQxMDQ(1/1)NG報告

      >韓国人の独立運動家たちが上海に続々と亡命

      上海の日本租界なのに亡命は要らんだろw
      なんで上海に行ってたかも忘れたのか・・・・・

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