馬鹿なパヨク報告スレ

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    • 308makobee◆EoU1RT4iGw2018/08/15(Wed) 10:17:09ID:czMzU4NjU(3/8)NG報告

      >>300
      >>302
      戦後の在日朝鮮人の状況を記載しておきます。
      1958年時点で、60万人の在日朝鮮人居ますが、「>>302」に記載の通り、このうち10万人~20万人程度が密入国との推計です。彼らには渡航証明がさえ無く、一切の公的証明書がない人がそれだけ居ました。これは非常に危険な事であり、公的証明書を持たない人が正式な就職ができるわけもなく、証明書がなく働ける職業(裏社会:犯罪集団、ヤクザを含む)しかできない状況でした。
       日本は、1945年~1952年まではGHQ/SCAPの監督下でしか行政ができません。特に日本と外国との間の人・物資・資本は、連合国軍最高司令官(連合国最高司令官 Supreme Commander for the Allied Powers; SCAP)によって行われます。SCAPは朝鮮半島への送還事業は行ってましたが、朝鮮半島の混乱(済州4.3事件、保導連盟事件、朝鮮戦争等)で、日本に事実上の難民としての避難者については、有効な対策はなにもしていませんでした。これには、当然原因があります。まず「難民条約(1954年発行)」「無国籍者の地位に関する条約(1960年発行)」等の、難民の取り扱いについての国際的な指針が存在せず、難民認定して難民キャンプを用意して管理する等の指針は、その時代には一切ありません。結果、日本に避難してきた人々は、裏社会に吸収されて固定化される状況が発生しました。
       日本は、サンフランシスコ平和条約の発行後(1952年)に国際社会への復帰、GHQ/SCAPによる施政から、戻ってきます。しかし、朝鮮戦争の激戦期間(1950年6月~1951年7月)を過ぎた時期には、密入国者のピークは過ぎており、既に密入国した人の扱いが問題となっていました。日本政府は朝鮮人を帰還させようとしたが、日本の主権回復後は李承晩は朝鮮人の送還を拒みました。この在日朝鮮人に対する問題は非常に深刻な状況で、1955年当時の法務委員会の議事録にも、状況が記録されています。

      第022回国会 法務委員会 第23号 昭和30年6月18日 (1955年6月18日)
      http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/022/0488/02206180488023a.html
      内容については、「>>278」氏の、記載の通りです。

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