- 一番思い出になった場所やエピソード 
 笑えた事などありますか?
- シンガポールに旅行したとき 
 初日 右目が腫れた
 2日目 左目が腫れた
 3日目 目が開かなくてほとんど見えなかった
 そして帰国
 なにも見学できず意味のない旅行でした
- 일본에 처음 갔을 때, 
 pocket wifi를 수령하기 위해서, 아날로그 지도에 의존해 아키하바라 쪽으로 걸어갔는데, 눈 앞에 애니메이션 캐릭터의 광고판들이 보이기 시작했을 때의 엄청난 충격......
- >>9 
 都民として誇らしいにだよ!
- かなり、昔の話です。 
 新婚旅行で、アメリカに行きました。
 ・ドラッグストアで、黒人さんが、ドアボーイ(自動ドアがない時代)をしていて、怖かった。
 ・ホテルのレストランで、サーモンを頼んだら、50cmぐらいのサーモンが、丸のまま、出てきた。
 ・サラダのドレッシングが青かった。
 ・知人の家で、強盗対策の、猟銃を触らせてもらった。
 ・イエローキャブ(タクシー)で、カメラを無くしたら・・・戻ってこなかった。
 ・セントラルパークで、馬車のウンコを踏んだ。(臭いですw)
 ・バスツアーのゲットーで、貧民の人に囲まれて立ち往生をした。
 ・ハンバーガーショップでハンバーガーを食べたたら、歯が折れるかと思った。
 色々ありましたね。(´・ω・`)。
- すこし、記憶がもどってきました。 
 当時は、アメリカに旅行に行くと言ったら、親戚から「嫁さんが黒人の子供を産んじゃうぞ」とか・・・
 そんな事を言われた時代です。
 まぁ。そんな事を言った人は、一生、海外には行かなかった人ですが。w。
- 東京~沖縄の飛行機内で見たカナダ人団体と 
 1週間後、カナダでがっつり出会った。
 というより訪問先の人達だったのでお世話になった。
- >>15 
 ありますよね。w。
 これも、昔々の話です。
 新宿の喫茶店でアルバイトをしていたことが、ありました。
 外人さんが、結構集まる場所でした。
 日本語の横文字の発音は、ことごとくNGでした。^^;
- グアムのマクドナルドで無料でくれるジュースが甘すぎて飲むのに苦労した。 
 潜水艦に乗ったけど、透明度悪く、うっすら亀を少し見れただけだった。
 沖縄の離島の方が綺麗。
- イタリアでアメリカ人女学生団体が 
 現地の少年1人に好きな様にされていた。
 少年はマジックを見てくれと近づき
 何かいい雰囲気になって抱擁やキスをし
 相手が油断している隙に財布すられてた。
 女学生は気付かずでした。
- みんなのエピソードかなり笑えましたw 
 日本でも海外の人から見れば
 不思議に思うところあるのかもしれませんね
- 20年くらい前に、一度だけ友人4人と、アメリカ旅行に行きました。 
 その際、現地日本人ガイドの案内で、ハーレムに行きました。
 「写真は、景色はいいけど人はダメ。あと、絶対撮ってはいけないところがあるから、そこではカメラを構えてもダメ」との説明を受け、多少緊張気味で行きましたが、何も問題なく、恐怖心などありませんでした。でも、一人でぶらっと出来る町かと言えば、?ですね。
 それで、ガイドお薦めの黒人料理の店で昼食を食べたのですが、ピラフ、ホルモン煮込み、フライドチキン等、どれも美味しく、特にフライドチキンは絶品でした。
 量が多いだけで大味、というアメリカ料理の印象が、変わりました。
- 沢山あるよ~ 
 中国に行った時、ガイドから聞いたけど、トイレの水が詰まったらドジョウを5匹くらい便器に放ち、暴れさせて詰まりを解消するらしい(中国では当たり前だと言っていた)
 中国で、ネズミの串焼きが売られていてカルチャーショックを受けた。
 しかも帰国日に目が飛び出るくらい痛くて、帰国後すぐ病院に行ったらPM2.5による上顎洞炎?だった。
 台湾のホテルの窓からグラウンドが見えたんだけど、夜中も朝方も常に人が沢山走っていて、なぜ夜中に走るのか疑問。
 高雄のお寺で犬がいたから触ろうとしたらお寺の男性が私に中国語で何か言いながら、犬をほうきでめった打ちにした。
 40万払った新婚旅行でプーケットに行って、1日目に逆流性食道炎になり、1週間どこも行かず、結局帰りの飛行機でも吐き続けて、嫌な思い出しかない。
 マレーシアのホテルでボーイさんと少し会話してタクシーを呼んでもらい、チップを払ったら何故か後で部屋に来て、一時間くらい話したり、写真撮ったりした。友達になりたかったのかな。。
 シンガポールの空港でチェックインするとき、女の子が私のところに来て、紙とペンを差し出して、ずっと待っていて、私がWhat?と聞いても無言でずっと私の顔を見て、列に並んでいる周囲の人達がみんな私に注目していて恥ずかしかった~。あれは何だったの?署名?
 ハワイで財布を無くしたと思い、警察に届けるとき片言の英語で事情聴取を受け、何故か途中から中華系の警官にバトンタッチされ盗難届を出したが、ホテルに戻ると別のバッグにあったこと(笑)
 韓国の麻谷寺でソンㆍイルグクを見たこと。
 河東郡平沙里でキムㆍビョンセを見たこと。
- (このレスに嫌韓反日の意図はありません) 
 10年前、釜山を歩いてると、「独島はわが領土」と書いたリヤカーを引く一人のおじさんを見た。
 そのおじさんを見た所から徒歩20分の場所で、一昨年、「独島はわが領土」と書いた旗を持って歩く一人のおじさんを見た。
 最近釜山で、慰安婦像に反対する一人のおじさんがいると聞いて、もしかして同一人物で、単にデモ好きのおじさんかもしれないと密かに思っている。
- 昔社員旅行でグアム行きました 
 はじめての海外旅行ではじめてのグアム
 プライベードビーチに行ったら
 最初知らなくて
 海にいっぱいうんこがあると思ってましたw
- >>15 
 トイレとは便器と言う意味。元はフランス語でこれを使うのはカタカナにすれば婉曲になると勘違いしてる日本人だけ。
 海外ではRest roomかMen(Lady)'s roomかBath roomと言う。
 セレブはI'd like to wash my hands.と言う。文字通り日本でも「お手洗い」と言い慣れていれば直ぐに出て来る。
- >>14 
 返信どーも。
 ドゥオモと言えばフィレンツエ。バスで一緒になった団塊定年慰労旅行の奥さん達が、同じバスの新婚連中はベッキオ(別居)橋に行けば良いのに、なんてやっかみで寒い親父ギャグを言ってました。
 貴女は素の世代なのに新婚旅行でNYなんて凄いですね。
- 간사이 공항 전망대에서 비행기 구경하느라 탑승 수속 시간에 늦을뻔한 일이 있었습니다. 
- 子供のころハワイへ行った時、当時日本ではやっていなかった映画を見たくて料金を知ろうとフロントへ行った時。 
 「テレビはいくらかかりますか?」
 ?全開の顔をしながらホックを指してたわ。
- 32名無し2017/02/22(Wed) 10:39:55(1/1) このレスは削除されています 
- エジプトに行く途中エジプト航空の中。機内食が配られたが何故か私の分だけパンが付いていなかった。中年のエジプト人おばさんCAにパンが無いと言ったら、怖い顔で通路からパンを投げられた。 
- ギリシャとエジプトがセットになったパッケージツアーでの事。付き添いの日本人添乗員が散々口を酸っぱくして盗難に気を付けるよう、注意していた。みんなはアテネ空港からカイロ行き飛行機を待っていた。あとチョットで搭乗という時になって、添乗員が急にカバンとパスポート全部盗まれて大騒ぎし始めた。 
 ツアーのみんなは結局添乗員を残して、不安ながらも団結してカイロへ向かった。添乗員は数日後、パスポートを急遽発行してもらい合流。添乗員としての面目丸つぶれだったのは言うまでも無いが、誰も口にせず、思い出の多い旅となった。
- ずいぶん昔の話。 
 中国の海南島に行った時。晩御飯を食べ、まったりしていた。ふと薄暗くなって来た通りに目をやると、按摩と書いた板を掲げたおじさんが通りに座っていたのが目に入った。丁度肩が凝っていたので、値段を交渉してやって貰うことに。言われた通りゴザの上にうつ伏せになり、それ程上手とは思えなかったが揉んでもらった。そのうち、あたりがざわついているなぁ、と思ってふと顔をあげたら、按摩と私の周りに黒山の人だかりが…。どういう訳か、押すな押すなで人が集まって興味津々で口々に何か言いながら按摩師と私を見物していた。あれは一体何だったんだろう?今思っても不思議。(ちなみに私は当時20代の女)
- 30年ほど前 中国へ行ったとき。 
 中国人に 中国ではごみは持ち歩かず ポイ捨てするのがマナーだと教わった。
 食堂でも 骨などが出たら 床に投げ捨てろと言われた。
 周りを見回すと 確かにみんな床にポイポイ捨てていた。
 お店の人が 頻繁に掃除にくるので 想像するほど汚くはなかったが。
 バスや電車の中でも みんな食べたら床にゴミを捨てる。
 数時間に一度しか 清掃が入らないので、長距離を移動する乗り物の中は ゴミで足の踏み場もないぐらい。カップラーメンの中身がぶちまけられているバスもあった。
 駅弁も売られていたが、食べた後の弁当箱を みんな窓から投げ捨てていた。
 窓の外をみると 見渡す限り何もない広大な大地に線路だけが伸びていて、
 実に雄大な景色なのだが、その線路に沿って 白いプラスチックのゴミが地平線に向かって伸びていて…。
 ちなみに ゴミは投げ捨てるのがマナーだと教えてくれたのは中国人の学生だけど、
 お年寄りの中には反日感情がある人もいるけれど、自分たちは戦争のことなんて全く気にしていないと言って、こちらは旅行者に過ぎないのに、家に招待して おばあさんの手料理までごちそうしてくれた。
 天安門事件の直後。
 江沢民の反日教育が始まる前の話です。
- 中国人はマナーがなってないけど基本的には親切な人はかなりいるイメージあります。 
 戦後日本人の子供を大事に育ててくれたりとか?
- >>36 
 面白いエピソードですね。もっとお聞きしたいです!
- 韓国の人も海外でも国内でもなにかエピソードありますか? 
- >>40 From New york to L.A. 자전거 여행중에 교통사고를 당한적이 있었어 
- シンガポールを 原住民の振りして歩いてたら 
 突然 路地から「偽物のローレックスあるよ」って
 日本語で 話しかけられました
 こっちが 日本人のカモだと 直ぐに解ったのでしょうねw
- >>26 
 うんこw
 みんなそう呼ぶんだな。
- スペインで、マドリードからコルドバへの寝台列車で、体に巻き付けていた財布が寝ている間に盗まれた。普段から眠りの浅い俺がなぜ気が付かなかったか?今考えると恐ろしい。 
 スイスのツェルマトでサッポロラーメンの看板があったので入ったら、スパゲッティの麺とコンソメスープ、チャーシューの代わりがハムだった。
 イギリスはコッツウォルズのマナーハウス。綺麗に盛り付けられた料理が(不味くて)どれも食べられない。毎食仕方なくパンだけ食べていた。ホストのマダムに申し訳なかった。
 ソウルでタクシーに乗ったとき、近距離相乗りだと黙って千₩札を出してそのまま降りていた。ちょっと距離があるときはタバコ「峰」を添えて渡す。文句言われた事がない。ぼったくりの反対?
- パリの地下鉄で 
 迷子の外人(国籍不明)とすこし話したら
 突然プロポーズしてきた
 片言のフランス語でプロポーズし続ける外人と
 もっと片言のフランス語で断り続けるアジア人を
 面白そうに見ているフランス人たちであった…
- ↑ 
 もてますねw
- 台湾にビリヤード遠征に行きました 
 どの玉突き屋に行ってもレベルの高さに驚いた
 いざ試合当日
 驚いたのは台湾代表に子供が一人いた事
 さらに驚いたのはテレビが撮影に来てたこと
 そしてさらに驚いたのはその子供が一番上手かったこと!
 後日
 悔しいのでその子供のお店にタクシーに乗った、これがまた飛ばす飛ばす
 運転手にゆっくり運転してと身ぶり手振りで伝えたが笑って相手にしてくれず(泣)
 なんとか店に着いたが子供はいなかった
 オーナーは片言の日本語が話せる人で仲良くなり晩ごはんをご馳走してくれた
 台湾でお土産買うなら店を紹介すると
 ついて驚いた地下に降りる細い階段を降りなんでもない壁が開いた
 ???と思って「なにこれ?怪しいんだけど」と言うと「大丈夫大丈夫絶対にバレないから」と(笑)
 そこは偽ブランドのお店でした
 日本帰宅した頃
 台湾に行った人は食中毒になり全滅(笑)
 今では良い思い出です
- 昔話をします。 
 昭和48年(1973)に初めての海外旅行をしました。その当時は成田が未だ開港してなく、羽田からの出発でした。当時はボーディング・ブリッジもなくタラップを上って乗機しました。ターミナルにはのぼりや横断幕まるっきし洋行と言った雰囲気です。パスポートも今の物より二廻りほど大きな物で、よほどの理由がないと個人では数次旅券は取れませんでした。さらにすごいのはパスポートの申請に銀行の残高証明書が必要だったこと、今では考えられません。必要な予防接種もすごくて全部が出来るのが横浜港の海員会館の医務部だけでした。搭乗した飛行機も、今の747や777の様な大型では無く、B707今でいうと国内線を飛んでいるB737位の大きさです。カルカッタに飛んだのですが、遠くまで飛べないので、香港、バンコック経由でカルカッタまで11時間半でした。当時はビーフステーキなどめったに食べたことが無いので、3回ともビーフを頼みました。確か持ち出しのドルも決まっていたと思うのですが、1ドルが270円位のレートだったと思います。11人の文化交流団として行ったのですが、病気にかかり最後まで回ったのは、私を含め4人のみになりました。でもインドが好きになったのは不思議ですが。ちなみにインドと言っていますが、日本をジャパンと呼ぶのと同じで、正式には「ビシュバ・パーラティ」と言うようです。28日間の滞在中はとんでもないことが沢山あったのですが、長くなりますので・・・
- 海外は衛生面や犯罪はすごく心配ですね 
 その当時海外旅行行ける人はお金持ちしかムリって聞きましたよ。
 すごいです
- >>49 
 大学1年から1年半で貯めた、20万円を総て使いました。旅費が約17万円(今より高いです)、小遣いが3万円、その当時のインドの物価があまりにも安く、2万円近く残りました。
 さて続きを、当時の飛行機は小さいうえに、今の気象レーダなどないので急な乱気流など回避できません、この時も最後部の天井パネルが落ちてきましたし、なんのアナウンスもなく食事中に、カルカッタ空港に着陸しみんなで悲鳴を上げました。日本の風習の源流がインドから一部来ている感じが有ります。カルカッタ(今はコルカタ)の寺院での結婚式で牛の角を夫婦で握り、聖像の周りを3回ずつ3回回る、三三九度かと・・。時間がゆっくり流れている感じが有りました、田舎の食堂で軽い食事を頼んだのですが、用意できたのが2時間後、長距離寝台列車も乗ったのですが、遅れるのが当たり前、笑い話で「定時に来たじゃないか」「あれは昨日の列車です」・・。インドの国民宿舎の様な物に泊まったのですが当時の価格で1泊2食付きで80円、日本に帰った後とんでもなくケチになりました。暑さは大変で、緩い長そでが必要です。露出した皮膚はやけどすることも有ります。汗をかかずに塩を吹くのを経験しました。今はどうか判りませんが、8月15日は日本人だと判ると食事などはおごってくれました。これは太平洋戦争で日本軍に協力した「自由インド軍」の軍事法廷に対する暴動が一つのきっかけとしてイギリスが手を引いたと思っているようです。インド独立記念日も8月15日です。写真はダージリンのナイフ屋さんの姉妹と、下はベナレス(今はバラナシ)のガンジス川に面した火葬場、この対岸は荒野で「彼岸」になります。
- インド編3 
 タージリンにも行きました。イギリス人の避暑地だけあってヨーロッパ風の街並みです。チベット系の住民が多いのでなんかほっとします。「モモ」と言う羊肉の蒸し餃子が最高でした。日本の餃子の2倍くらいの大きさが有りますが味は最高でした。面白かったのは「シッキムビール」と呼んでいたお酒。ひえや粟の様な雑穀を発酵させ、木のボールに山盛りにして、上からお湯をかけて、みんなで竹製のストローでちゅうちゅう吸うもので無くなるとまたお湯をかけてと言った物。ある意味お酒の原型かもしれません。町の近くに有ったチベット仏教の寺院にも行ったのですが、壁画を見てびっくりしました。装束がまるで「大国主の尊」、町で遊んでいた子供たちも、丸を一列に書き一か所だけ横に2つ丸を書いて石けり遊び「けんけんぱ」そのもの。狆に似た犬がいたので種類を聞いたら「チン」全くびっくり。右の写真の美少女は市長の娘さん、お母さんも「八千草薫」にそっくりな美人さんでした。
- 南半球の星空は、ちょっと欲しくなった。 
- 花の都 パリ 
 上を見れば歴史ある建築物
 前を見れば焼きたてのパンの香りとパリジェンヌ
 下を見れば犬の糞とたばこの吸い殻だらけ
- >>36 
 今朝 これを見つけてしまった。
 http://www.gekiyaku.com/archives/50764367.html
 30年もたって、中国も経済成長が著しいから、
 列車内で ゴミを床に捨てるなんてことは もうしなくなっているんだろうなって思っていたんだけど、
 この写真を見る限り まったく変わっていない(笑
 中国人観光客のマナーの悪さが言われているけれど、
 中国人は 日本でかなり気を使っているんだろうね。
- 仕事以外で、初めてプライベートで韓国旅行に行った時、カジノで120万ウォン当てたこと。 
 プラスチックのケースに入った札束を渡された時は興奮したな。
 その後、腹いっぱいプルコギを食べた(笑)
 旅行に行ってむしろ金が増えて帰ってきたという話でした。
今までの海外旅行で
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