韓国人にとって安重根は英雄だろうが、伊藤博文は、韓国人にとって何と思っているのでしょうか。
そして韓国人は、伊藤博文の事をどこまで御存じなのか?
伊藤博文は、1905年に第二次日韓協約に基づき、韓国統監府に設置された初代統監となります。
この事は、韓国人でも判っているかと思うが、伊藤博文は、「韓国併合」に強く反対していた為、併合を推進する政治家や陸軍軍閥の方と対立していたという事実を、知っているのでしょうか?
伊藤博文は、「韓国を保護国とするのは韓国の国力がつくまで」と考え、実際に、この文言は「第二次日韓協約」に盛り込まれ、調印されました。
伊藤は韓国民の素養を認め韓国の国力・自治力が高まることを期待し、文盲率が94%に留まっていた韓国での教育にも力を注いだのです。
そして、韓国へ赴任する日本人教師には、「徹頭徹尾誠実と親切をもって児童を教育し裏表があってはならないこと」「日本人教師は余暇を用いて韓国語を学ぶこと」を訓諭しました。
と言う事実があった事もちゃんと調べてほしいです。
つまり伊藤博文は、韓国が自立できるまで、支援していこうと考えていたと思います。
しかしそんな矢先に、ハルピンにおいて伊藤博文は、1909年10月に安重根に襲撃されてしまいます。
伊藤博文は、撃たれた直後に「3発当った。相手は誰だ?」と聞き、後に「朝鮮人です」と教えられると、「俺なんかを撃ったりして、バカな奴だ・・」と言い残し、亡くなります。
そうです、伊藤博文の死は、併合派の方たちにしてみれば「良い結果」になるということを、、伊藤は判っていたのです。
その後日本政府は、朝鮮半島を当時の国際ルールに従い、翌年の1910年に粛々と併合します。
他国からなんら非難はありません。
安重根も祖国を思い、襲撃行為に至ったと思うのですが、襲撃するのなら併合派の方たちだったと思います。
もしかして、併合に邪魔な伊藤博文を襲撃したのは、「朝鮮半島を、早く日本にして下さい」と、安重根は思ってたのでしょうかとも、思います。
死人に口なしなので真実は判りませんが、もしそうなら韓国で英雄扱いされている安重根は、実は併合を望んでた!?と、いうことになり、実に滑稽な話しです。
韓国人の方に聞きます。今でも伊藤博文は、悪者ですか?
伊藤博文についてお尋ねします
37
ツイートLINEお気に入り
30
3