靖国神社への日本国首相の参拝を中国人や韓国人は良く問題視するが、根本的なところで日本の宗教観があまり理解されていない事が原因だと思う。
日本では仏教もかなり普及しているが、土着の宗教は『神道』である。
神道における神とは八百万の神(yaoyorozunokami)と言われ、自然現象などの信仰や畏怖の対象である。
八百万とは具体的な数ではなく、無限に近いほど多いと言う意味である。
韓国ではメジャーなキリスト教の神とは大分性格が異なる。
キリスト教では神とは絶対的な存在であり、正義の象徴であり、崇拝するものである。
対して神道の神とはあらゆる自然物に宿る物であるから、人間に利する事もあれば害する事もある存在です。
例えば水神は信仰を欠けば水害が起こるとされます。
この様に荒ぶる神を信仰により鎮めると言う考え方がある。
ここで靖国神社の戦没者霊についても同様の考え方が当てはまる。
戦争を起こしてしまった首脳陣、戦争に参加をして敵を殺した兵士達、戦時に戦争犯罪を犯して裁かれた者、これらは基本的に荒ぶる御霊(mitama)であります。
荒ぶる御霊(mitama)は祈り鎮める(鎮魂)をしなければ再び荒ぶる=日本に災害をもたらす、と言う考えになります。
つまり戦犯の御霊を鎮魂すると言う行為は、日本に再び戦争の惨禍がもたらされない様に祈る=平和を望むと言う意味になります。
靖国神社に戦争の記録があるのも、戦争を賛美するのではなく、過去に日本にもたらされた戦争の惨禍を忘れないことで、以降不戦の誓いをすると言う事です。
これが日本人が荒ぶる御霊や神に祈りをささげる理由です。
靖国参拝を批判する人は良く参拝の「顕彰」の部分だけを戦犯にだけターゲットして批判しますが、「顕彰」「追悼」「慰霊」の三つを包括的に理解しないとなりません。
キリスト教の神に対する礼拝とは大分違うと思いますがご理解いただけますでしょうか?宗教の意義って価値観の擦り合わせ作業ってことだと思ってます。
キリスト教は全知全能の神が絶対者の指示として「汝の隣人を愛せよ」とか色んな道徳的なことを述べて「これらの価値観を守って集団として一致団結する」ことに意味がある。
神道の場合、全てのものに神や霊が宿り、それらに敬意を払いお互いに尊重しあうことで秩序が作られる。
どちらも社会の根幹になる道徳や価値観の擦り合わせを行い、共通のルールを作るもので、意義のある宗教だと思う。
単に絶対者である神の指示に従い互いに尊重しあうか、万物に宿る神をお互いに尊重しあうかの、微妙な差でしかない。共産主義国や共産主義者、反日教にとっては、神道の価値は低く見積もられているってことでしょう。
いや、逆に高く見積もってるのかね?「敵」が大事にしてるものだから。
むしろ、「攻撃する名分があるから」ではなく「敵が大事にしてるから」非難や攻撃を止めない姿勢を止めず、外交の具としていると言えるんじゃないかね。
だったら、靖国神社や神道が無くなっても、別のものを攻撃するだろうから、対応しても意味なさそうだね。
むしろ、いったん対応してしまえば、「それが対応できたんだから、あれもこれも対応できるよね?」と次々要求が来るに決まってる。というかだな…
日本じゃ、
クリスチャンだって神社には行くし、
仏教徒だってクリスマスに便乗した祝い事はするからなぁ。
麻生太郎はカトリックだし。
あと、戦犯は裁判を受けて罰を受けた。
罪状と罰と裁判内容の正当性は別に置くとしても、
裁かれた罪人は罪を贖ったし、生前死後を問わず無罪になった人は名目上は罪がない。
死後にまで罰則を適用しようというのは戦勝国であろうと烏滸がましい。
*というのは、現在だからこそいえる話だけれどね。
世論に押されて遡及法で報復措置を取らないとマズイって部分は連合国にもあったとは思うし。
それに、日本も死後にも「許さなかった」ケースは、探せばあるだろうからね。>>204
ん~これかな
http://peace-candle.net/node/83
本人の遺書が残っている、ではなく
息子が異議を申し立てている、かな。
多分その当時そんな内容の遺書なんて掛けなかったと思いますよ。
でもまあローマ教皇庁も靖国参拝は容認してますから無理筋な気はしますけどね。靖国合祀イヤです訴訟
http://www.geocities.jp/yasukuni_no/
なんか胡散臭いなぁ…国のために戦って散った戦士たちの魂の拠り所の象徴が靖国神社です
日本人にとって尊いのは当たり前でしょう?>>210
靖国は戦前は国家による慰霊施設であったので、国の監督ができたけど、宗教法人化した現代では国営ではなく民営化してるので国に対して「あの宗教の神様を変えてくれ」って頼んでも、そりゃ無理だわな。
極端な話、世界各国で「うちの初代教祖はキリストの生まれ変わり!」「仏陀の生まれ変わり!」って主張してる宗教があるわけで、それらに対してローマカトリックやインドの仏教徒が「お宅の教祖がキリスト名乗ったり仏陀名乗ったりするのやめろや」とは言えないわけだよ。
国家にしてみたら、たとえローマカトリックだろうがプロテスタントだろうが、インドの仏教徒やチベットの仏教徒だろうが、はたまた新興宗教だろうが、どこの主張する神様論争が正しくてどこが間違ってるとかは判定のしようがないし判定する立場にもない。
だって誰がそれが本当か嘘か分かるの?怪しい宗教の教祖が実は本当にキリストの生まれ変わりかもしれないし、世界中が尊敬するローマ法王のやってることは本物のキリストからしてみたら「お前なに嘘ばっかりついとんねん!」ってことかもしれない。
元キリスト教徒の兵士が靖国には祀られたくないって考えていたとしても、靖国(という宗教法人)は「戦争で亡くなった兵士は英霊という私達が信仰する神様ですねん」って言うのをとめるのは無理でっしゃろ?本当に神様になってるかもしれませんやん?そういう確かめようもない、また事実かどうかを判断するようなことでもないことを、国の方から宗教団体に「お宅の神様をこれこれこういう風に改造しなさい」とは言えないんですよ。まあ、自分が死んだ後に勝手に知らん宗教の神様にされるのはイイ気分はしないだろうね。
キリストだって自分の死後に自分の偽物がたくさん出てくるだろうけど騙されんなよ、って言って死んでいってる。だけど自分等にはどれが本物とか分からんよねw
現代日本では信仰の自由を認めている以上、「これがうちの神様ですねん」って言われたら「お、おう。お前が言うならそうなんだろうな、お前の中では‼」ってことになるしかない。侮辱してるとかだったら侮辱罪とかで取り締まれるんだけどね、だけどそれも本人が生きてる間だけのことか。>>212
そもそも宗教とか慰霊施設と言うのは死んだ人の為のものではなく、
残された遺族や友人・知人の為のものですからね。>>214何言ってるんだ?こいつ・・・
>>214
それは流石に言い掛かりだと思います。
日本会議に対する反対派がそう言う事を言っているだけでしょう?
そもそも今の日本で政教分離の原則が破られる可能性はゼロでしょう。
それこそクーデターでも起きない限りね。
靖国神社参拝の目的は追悼や慰霊であって、戦争賛美でも軍国主義復活でも国家神道復活でもありません。>>1
神社や、日本の神様は、「なんとなく」、でも「深く」浸透していて、逆に日本人ですら、詳しく正確には知らない人が、多いと思う。
普通の韓国人が、よく理解出来ていなくても、仕方のない事なのかもしれないと、思う。
韓国のメディアは、当然、日本の神社について、詳しくも調べずに、A級戦犯や、日本の神社、神道文化を、詳しく調べもせずに報道する。
視聴者の方だって、メディアと同じく、幼い頃から、無意識に反日思想を刷り込まれた韓国人なんだもんな。>>200
また中国。
この中国教をなんとかしなければ。
江戸時代の頃、中国とは既に800年間違う暦を使っていた。
江戸の学者は暦の改革に着手。世界を参考にして回ったところ、西洋風味のいい感じの太陰暦があったのでそれにした。17世紀頃、西欧で違う流行りがあった。それにしてみるか、とそれにした。そんなこんなを繰り返して明治の頃太陽暦というのが流行っていた。それも踏襲した。
日本はずっと同じことを続けて今の正月に至るだけ。
中国の真似をした時期も西洋に全てカブレた事も無い。
西洋に植民地支配された国も一神教に洗脳される国にも無い、
これが日本の文化。
新暦新年1月1日は世界で唯一日本だけが伝統行事を執り行う。
他国は数字の1並びの日に若者が飲み会やってるだけである。あれを新年行事と思って真似する奴は大馬鹿。>>218
こういう概念を説明するには神道(shinto)を宗教と言うよりも精霊信仰と表現した方が伝わり易いかもしれませんね。A級はRANKではなく、CLASSだからねぇ・・・
和訳した学者に悪意を感じますな・・・(´・ω・`)国家神道みたいな新興カルトを神道と呼んでいいものだろうか?
>>226
間違いなく問題ない気がする。
こんな当たり前の内容ですら俺自身今まで知らなかった。(汗
ちゃんと調べた事が無いから。また、それ以前に否定的要素がたくさんあるので。
完全に説明だけの問題だな。。従来の神道は土地々々の神を氏神として祀ったり、自然を神と見立てたり、偉人を神格化したりするものだった
土地への感謝、自然への感謝と恐れ、偉人の力にあやかりたいという庶民の願望、いずれも土着宗教の色が濃い
まさに八百万の神々が存在する宗教だった
そしてそれぞれの神へ仕える宮司が各地にいて、その各地の宮司の総代が天皇であった
各地の土着宗教の緩い繋がりを総称したものが神道だった
しかし明治となり、日本が近代化を目指す中で神道は全く異質のものに改造される
宮司総代だった人間天皇は現人神とされ、その現人神のために戦いを聖戦と呼び、聖戦で死んだ者は神として祀られる事となる
それまでの八百万の神々の緩い繋がりを総称していた神道は多神教と言えたが、現人神を中心とする国家神道は強力な一神教だった
聖戦という言葉からわかる通り、これはイスラム教の原理思想を取り入れたものと言われている
原理的なイスラム教は、アラーのための戦いを聖戦と呼び、その聖戦で死んだ者は神の国へ行けるとされる
対して国家神道は、現人神のための戦いを聖戦と呼び、その聖戦で死んだ者は神として祀られる
これが国家神道そしてその総本山である靖国神社だ
従来の神道と国家神道は正反対であり全くの別物だ
国家神道は従来の神道を原理的なイスラム教の思想に魔改造した、従来の神道とは一番遠い新興カルトの宗教だ
靖国神社のような場所を神道の代表のように言われることは、例えるならオウム真理教を仏教の代表扱いするようなもの
正気の沙汰ではない日本人と神様の距離感を外人さんに説明するのが億劫なら、
ハワイ大神宮の御祀神を調べさせるといいと思う今日この頃。
…割とフレンドリーよ…(´・ω・`)そもそも“神道”とされるものは地方の神話、民衆の神話を利用・活用した上で
古事記・日本書紀での政治的影響を強く受けながら大和王権国家の由来と
天皇の正当性を説くため作られたものだろう。
天照の子孫である天皇は現人神もしくは現御神となるのは当然で
むしろ現人神もしくは現御神ではないとすればそれこそ神道ではないだろうよ。
他の神々を否定しているのならともかく、一神教とは全く思えない。
原理的なイスラム教は、アラーのための戦いを聖戦と呼び、その聖戦で死んだ者は神の国へ行けるとされる
↑は“原理的”を付ける必要ないのでは?
アラーやイスラム教のための戦いは当然聖戦となるだろうし
聖戦で死んでも神の国へ行けないとすればそれはイスラム教なのか疑問だ。>>228
イスラム教をベースにしたというのが本当なら非常に興味深い。
戦前の日本はイスラムにかなりシンパシーを感じているから、そのような話が少しでも関連していたらむしろ魅力を感じる。
イスラムが今のようなイメージになったのはかなり最近のことであり、元々は戒律も既に淘汰してきていて、近代化運動に積極的に取り組む存在がイスラムだった。
戦後にムスリム社会主義が原理主義と合体し、イスラム主義国家をいくつか立ち上げる。そこから旧時代の戒律を掘り起こし、想像で真似をしてむしろ当時よりカルトになった。
元々は反トルコのためにアラブの原理主義組織であるワッハーブ派をイギリスが支援したため、今日の原理主義カルトが生まれた。
そもそも西欧の生んだ怪物。>>232
国家神道の総本山は靖国では無いのではないか。伊勢神宮だと思う。それは政治思想のプロパガンダが入っている。いたずらに政治思想が関与すると信仰としての事実は思想対立により逆に失われる。不要な宣伝は要らないと思う。感情的に戦時下の日本を否定する必要は無く普通に不自然な行為を知りたいだけなので。無闇な否定はむしろ"天皇が日本唯一神で何が悪い"という暴論を引き出すだけだから。だから江戸時代まではミカド自身が仏教徒で仏教と習合してて、それをやめても神社には数多の神がいるよ。と説明した。
あと「神道の本山」なるものが靖国なんてことは無い。
靖国は全国の護国神社の本山。それ以外にも神社には数多の神が~(以下略)>>228 >>232
神道で天皇陛下が唯一神とされた事はないと思います。
そもそも一神教ではない神道で唯一神と言う言葉も概念も存在しないです。
もしそういう文献がありましたらご提示ください。
基本的には天皇陛下は天照大御神の子孫と言う位置づけで現人神に近い「現御神(あきつみかみ)」と言う表現が用いられた事は有ります。
八紘一宇が叫ばれた昭和14年以降カルトみたいになっていたのは事実ですが、それは神道と言う宗教がどうのと言う話ではなく、戦争時の国民統制の手段として用いられたと言うだけです。
それと国家神道と言う表現は適切ではないかと。
明治以降神仏習合を試みていますが、結局日本は神道の国教化に失敗していますので。
失敗した理由は仏教勢力からの反対です。神道で天皇が祭司であるのも分かる
そして神道で神の子孫であるのも分かる
では神道で天皇は神ではないのか
ただの人間でしかないのか?
ここは議論が分かれると思うけどなぁ
もちろん明治に天皇の地位が上がりまくったのは間違いないだろうが
だからといってかつて天皇が神でないと言い切れる根拠はどんなのがあるんだ?
これはかなり気になる。
神の定義にも関わってくるし。>>239
そうらしいんだけど、概念がわからないから誤解なのかこっちが間違ってるのかもよくわからない。
良いのか悪いのかもよくわからない。でも多分批判の一部らしい。>>240
そうかもしれませんね。
海外の人達は戦時中の知識だけ突出して高くて、江戸時代以前の知識はゼロだから会話がちぐはぐでどうにもならないのです。現人神ってのは古代の仏教導入前に神道の格上げをしたときに出て来た言葉なんだと思う。
対等習合のためかなにかで。詳しい理屈はよくわからない。>>240
ぶっちゃけ神にはかかしの久延毘古やヒキガエルの多邇具久もいるぐらいですし
現人神がそれらより下でただの人間でしかないのかと言われると…うーん野球選手がグラウンドに入る時や出る時に一礼する人がいるでしょ。
「グラウンドの神様」「野球の神様」に対して礼をしている。
これも神道的だよね。age
韓国人は靖国参拝に文句を言う前に目を通す事。>>1
宗教は、それぞれの思いの中の話で、日本では自由だ。
中韓に強制してないし、中韓の理解もイチャモンも関係ない。家康が東照大権現と呼称されたように、天皇も神の一柱と考えるのには全く不都合はない
むしろわかりやすいと思う半万年から6万年も増えてる……。
垢だって人だって毛虫だって糞便だって神様なんだよね
神の概念やら全てが違い過ぎて毛唐にゃ理解できんよ神道における「神(Kami)は、尊敬できる何か」だと思ってる。
だから僕にとって両親や料理人、会社の社長、仏陀やキリスト、自分ではできないことを実現する人や事象、天皇陛下や太陽、木星、地球、蜜蜂や大気、樹木、草花だってみんな神様です。
神道における神の概念(靖国関連)
252
ツイートLINEお気に入り
23314