古墳から法隆寺

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    • 1典塔2017/02/26(Sun) 09:26:35ID:kwMTM5NTQ(1/18)NG報告

      政治史よりも文化史の観点から

      日本
      6世紀 古墳と埴輪を造り、仁徳天皇陵などの古墳の大きさを競っていた
      7世紀 法隆寺を造る(現存する世界最古の木造建築)

      この変化は、明治維新以上ではないか?
      想像するだけでも、木造建築技術、紙、瓦などの技術が必要であり
      また、古事記、日本書紀や万葉集などの書物を残している
      そして、その取り入れた技術は時代を経るごとに発展させている

      それに対して、李氏朝鮮時代の写真を見ると技術を発展させるどころか退化させているようにしか思えない
      それが、本当に不思議です

      余談ですが、私は元々、明治維新やそれに対応する中国の近現代史に興味を持っていたが
      朝鮮に何も興味などなかった
      しかし、最近、日本にある世界最古の企業(金剛組)の創業者が百済の宮大工であることを知って興味を持ちましたので、皆さんの意見を聞きたい

      なお、結論だけを断定的に出されても困りますので、できれば根拠となるソースをお願いします。

    • 6名無し2017/02/26(Sun) 13:11:38ID:M4ODUyODA(1/1)NG報告

    • 7左巻きの名無しさん2017/02/26(Sun) 18:44:17ID:g5NjMxMTA(1/3)NG報告

      >>2 & >>3 , >>5

       現在の価値観を過去にループさせた時系列を書いた「教科書」を出典持って来て、スレ外の話題に話をそらさないでね。感情で反応しないでね。

       現存の法隆寺に始まる建築物は、それまでの宗教施設の在り方も変えたのは事実で、仏教の影響も加わり、大規模古墳が消えることになったと言われている事に対して、出来れば史料を、多分無いので(笑)、無ければ、文献を示して論じましょうと、スレ主は言っているものと思いますよ。

    • 8名無し2017/02/26(Sun) 18:53:43ID:QwMDAxMDI(1/1)NG報告

      >>1
      日本の大きな分岐点を考えると
      大陸から学び対等になろうとした大和時代、武士による二重支配を確立した鎌倉期、そして明治期
      ほぼ革命と言っても過言ではない程の変化期です。

    • 9典塔2017/02/26(Sun) 19:55:20ID:kwMTM5NTQ(3/18)NG報告

      >>7
      >>8
      政治的軍事的なスレが多くて、『百済が古代日本の属国だった』で評価が終わりではあまりに寂しい
      文化的な観点のスレがあってもいい

      それに、日本民族の固有スキル(?)は、圧倒的な異文化吸収能力だと思っている。
      その能力は、明治維新からではなく、もっと古代から発揮されていたと考えると如何にも日本的だと思ったりする。

    • 10名無し2017/02/26(Sun) 20:48:54ID:E1NDc0OTQ(1/1)NG報告

      >>1
      仁徳天皇陵と治定されている大仙陵古墳は、6世紀ではなく5世紀半ばまでに作られたというのが定説。

    • 11名無し2017/02/26(Sun) 21:42:29ID:QxOTc0OTY(1/1)NG報告

      >>2
      伊藤博文は朝鮮半島のリンカーンと称される。

      奴婢制度は、1894年の甲午改革で廃止されるまで続いたが、結局は両班の反対により失敗している。
      当時は、奴婢(奴隷)が約43%、良民(常民)が約50%、残りの約7%は「両班」(ヤンパン)と呼ばれる人々でした。
      朝鮮半島で実質的に奴隷制度が廃止されたのは、日韓併合の前年1909年である。この年に韓国統監府は戸籍制度を導入することで、人間とは見なされていなかった姓を待たない賤民階層にも姓を許可した。
      これにより、彼らの子供たちは学校に通えるようになり、身分解放に反発する両班は激しい抗議デモを繰り広げたが、身分にかかわらず教育機会を与えるべきと考える日本政府によって即座に鎮圧された。

    • 12名無し2017/02/26(Sun) 22:07:15ID:c0MzE0MzY(1/10)NG報告

      >>9
      大和魂の意味

      平安時代の「大和魂」言葉が使われるようになった時には、非常に柔らかい意味で使われていました。

      ・いわゆる「もののあはれ」と言われる風流を解する感覚や、女性への甲斐性などを身につけていること
      ・当時規範とされる倫理観を身につけていること
      ・(当時の貴族社会の中で)世俗的な嗜み・教養などを見につけていること
      ・(主に中国ですが)外国の文化や先端技術を取り入れ、理解し、日本的にアレンジしていく心

      ご先祖様ってミーハーだったのね

      http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1068453360

    • 13左巻きの名無しさん2017/02/27(Mon) 04:51:26ID:Y5MjMzNDU(2/3)NG報告

       文献無しで申し訳無いが一言私見を述べさせて頂きたい。m(_ _)m

       大規模古墳は、埋葬施設としての「墓」としての視点のみが強調されて居るが、それは誤りではないかと自分は何時も疑念を持って眺めている。
       古墳がそこに在るのは、第一に、それを造るだけの設計能力と施工能力と工事の動員力を保持した勢力が居た子とを示しているのであり、それ以上の主観的想像はその古代人しか判りはしない。想像するだけ無駄である。埋葬の意義もその後の宗教の変遷で移り変わっており、今の仏教やキリスト教死に対する認識が在ったと想う方が怪しく学問的では無いことと思っている。宗教的視点を強調するのは、無意味なキリスト教的な欧米史観の弊害ではないかとすら思ってます。
       第二に、古墳は自然とは異なる人工の構築物なので、その異様が周囲の人類に与えた心理的影響こそ、より多く推し量り、議論すべき重要ポイントだと思っています。
       第三には、その軍事的役割の有無を思考することです。
      (次稿へ続く)

    • 14左巻きの名無しさん2017/02/27(Mon) 04:52:37ID:Y5MjMzNDU(3/3)NG報告

      (前稿より続く)
       大規模古墳の堀を作り山を築く能力は農業土木技術力の高度さを示しており、農業を糧とする集団なら、それを観るだけで力の差を思い知り少数勢力であれば平伏し、自ら集団に加わったことでしょう。同時に、その技術で集落も砦も整備して居たでしょうから、その勢力の軍門に下ることは周辺の少数勢力には、我が身の後ろ盾とも出来るとも思ったことでしょう。そうやって、戦わずして周辺迄は勢力拡大が出来るのです。大規模古墳は初期においては、その様な役割を担っていたものと思っています。
       しかし、その様なビジネス・モデルが専売特許で在るのは、その勢力の数世代保てたら良い方だったことでしょう。数世代も重ねると、その派生した拠点でも同じものが築かれ、互いに競う勢力に育ちますし、地の王の世襲もつながら無ければ他人となり、利害関係で争うことに成ります。そんな時に戦勝祈願に出向き兵士に対し暗示をかける施設として使ったのではないでしょうか?それがどの様なものかは判りませんが、その古墳の威容さの中での特別な儀式は兵士に異様なこ高揚感を与えるものにしたことでしょう。

       で、それが、大陸からの文字の伝来と仏教などの思想の流入と共に、建築技術が伝来すると、離れた古墳ではなく、根城に近い所に、他の勢力とは異なる建築モニュメントを見せ付けることこそが、効果が高く成ってしまいます。すると、習慣化していた古墳は次第に埋葬施設としての「墓」としての意味のみで作られる存在になり、小規模化と石造り等より差別化した形体が選択される様に成ったものと勝手に想像しています。

       斯くして、自然崇拝のご神体の近くに神社建築も建て求心力を高め、かつて求心力を保った地方豪族の拠点の屋敷後には新たに神社を建てて、その求心力を取り込み、最終的に、皇統につながる大和王権が、白村江の戦い以降、列島に於ける安定的な排他的勢力として日本と言う国の継続した歴史を造ることになったのです。あっ、しまった現在迄の歴史を書いてしまった。

    • 15典塔2017/02/27(Mon) 19:02:40ID:YzNjM4ODM(4/18)NG報告

      >>10
      付け焼き刃の知識が剥がれた~

    • 16典塔2017/02/27(Mon) 19:05:17ID:YzNjM4ODM(5/18)NG報告

      >>11
      日本の場合、階級闘争があったわけでも外圧があったわけでもないのに
      武士階級を自ら廃止しているね。
      それが、日本と朝鮮との差

    • 17典塔2017/02/27(Mon) 19:09:13ID:YzNjM4ODM(6/18)NG報告

      >>12
      平安文化は女性的ですものね
      清少納言、紫式部、
      紀貫之などは、わざと女性の振りをしているし

    • 18典塔2017/02/27(Mon) 19:24:26ID:YzNjM4ODM(7/18)NG報告

      >>14
      wiki 方墳
      前期方墳の代表例は、島根県安来市の大成古墳、造山古墳(1辺60m)が全国最大の規模を誇る。方墳は出雲に集中しており、前方後方墳の魁もみられる。

      出雲王朝 60mの方墳を造ったぞ、どーだ
      大和王朝 こちらは840mの前方後円墳を造ったぞ、どーだ

      大陸では、巨大な木造建築物を造っているらしい
      日出づる国としては何としても造らねば

      という感じ?

    • 19名無し2017/02/27(Mon) 19:55:40ID:YxNzkxMTA(1/1)NG報告

      >>2
      侮辱するようで悪いが韓国の教科書なんか信用しない方がいい。韓国人は自分にとって都合の悪いことは書かないんだろ?あなたが本当に真実を学びたいなら第三国(欧米や日本、中国等)の研究者が書いた朝鮮の資料を読むべきだよ。

    • 20名無し2017/02/27(Mon) 22:24:31ID:kxOTYzMzM(1/1)NG報告

      >>1
      明治維新にはひとつの真実として、その技術革新は江戸時代に既に起こっていたこと、というのがある。
      学問技術体系は既にかなり高度な研究がなされており、その具現化の唯一の障壁となるのが守旧派の政治法律だった。
      だからそれが破られると同時に堰を切ったように近代化した。

      もしそれと同じような事が起こったとするなら、古墳時代に既に下地は出来ていたとみなすのが自然だろう。
      大型の古墳は高度な技術を社会が共有する術がなければ実現不可だ。

    • 21典塔2017/02/28(Tue) 07:00:24ID:M3MTM4MTI(8/18)NG報告

      >>20
      >明治維新にはひとつの真実として、その技術革新は江戸時代に既に起こっていたこと、というのがある。

      それこそソースを出すべき
      イギリスの産業革命のようなものが日本にあったの?

      >学問技術体系は既にかなり高度な研究がなされており、

      和算のレベルは、確かに高かった
      しかしそれだけのこと

    • 22名無し2017/02/28(Tue) 07:28:20ID:E2MTU2MDg(2/10)NG報告

      >>21
      ペリーが幕府に蒸気機関車模型を贈った1年後の1855年、佐賀藩が蒸気機関車の製造に成功している。驚くべきスピードだけど、これはペリーの機関車を手本とした機関車ではなかった。じつはペリーの模型機関車よりも1年早く、1853年にロシアのプチャーチンが長崎に来航し、ロシアの戦艦の上で佐賀藩の藩士に蒸気機関車の模型を実演していた。佐賀藩藩主の鍋島氏は長崎の警備を担当しており、検分を兼ねてロシア艦に乗艦している。これが日本人が国内で初めて目撃した蒸気機関車といわれる

      万年自鳴鐘とかからくり人形もあったし、ベースになる技術はあったんだよ。

    • 23典塔2017/02/28(Tue) 19:13:17ID:M3MTM4MTI(9/18)NG報告

      >>22
      蒸気機関車の話は知らなかった
      ただ、宇和島藩の蒸気船の話なら、司馬遼太郎の『花神』で知っています。
      当時、蘭学と言えば医学が主流ではあったが工学のために蘭学を学ぶ人もいた
      また佐賀藩は長崎に近く、地理的条件に恵まれている
      江戸時代から外来の知識を得ていたと言う意味で、『技術革新』と言うなら否定しません

      ただ、その『技術革新』は、自国内でまかなえる技術でないでしょう?
      洋書で学び、留学し、高額で外国の技術者を雇って得られた『技術革新』でしょう?
      飛鳥時代も同じだけれども

    • 24ららら太陽2017/02/28(Tue) 20:24:36ID:g0MzY3ODg(1/6)NG報告

      >>16
      明治維新は外圧丸出しだと思うけど…ペリー来航でしょ。

    • 25典塔2017/02/28(Tue) 20:33:25ID:M3MTM4MTI(10/18)NG報告

      >>24
      ペリーが、幕府を倒して武士階級を廃止したの?
      新説だね
      ソースは?

    • 26名無し2017/03/01(Wed) 20:05:34ID:g1MDM5Nzc(1/1)NG報告

      >>15
      ドンマイ

    • 27名無し2017/03/01(Wed) 20:40:05ID:U5NjExOTM(1/1)NG報告

      鳥取の約2,200年前の集落で港設備と考えられる木材が出ていたが、インフラ整備は大規模、
      鉄製品や中国大陸の貸泉や鏡やその他も大量、列島各地や大陸半島との繋がりがある。
      紀元前から暇な人がいたんだな。

    • 28典塔2017/03/01(Wed) 21:55:50ID:AyNTg2Mjk(11/18)NG報告

      >>27
      『葬られた王朝―古代出雲の謎を解く』梅原 猛
      以前、出雲王朝に興味を持って、図書館から借りて読んだ本
      仮説に仮説を上乗せしたような本だったが・・・
      それも仕方がないのか???

      出雲王朝VS大和王朝の決定的な資料が実は皇室に残されていたりしないものか

    • 29名無し2017/03/02(Thu) 01:34:03ID:Y0Mjk5NzI(3/10)NG報告

      >>23
      伊豆国、江戸、佐賀藩、薩摩藩、水戸藩、鳥取藩、萩藩、島原藩
      で反射炉は作られました。 
      幕藩体制の藩でも西洋の技術は学びましたし、
      西洋の技術を取り入れた高島流砲術
      を学んだ伊豆韮山代官・江川英龍は韮山反射炉
      を作り、農民兵を組織し気をつけや右向け右や回れ右等の掛け声を生み出しました。

      技術革新を導入しても実行するにはベースとなる文化や技術を持っていないと成果は出せません。

      東南アジアの中で当時の日本ほど技術を蓄積してる国はなかったと思いますよ。

      明治時代に自転車が輸入されましたが、堺で鉄砲鍛冶がスペアパーツを作りました。
      多分、他の国では自転車が壊れたら直せないでしょう。

      http://www.sakai-tcb.or.jp/about_sakai/5.html
      戦国時代から、金属加工について豊かな経験と高度な技術を受け継いできた堺の鉄砲鍛冶。自転車のフレーム加工や部品を取り付けるネジの製造などに大いに力を発揮しました。 鉄砲鍛冶の技術を生かして、故障の多い明治時代の輸入自転車の修理や部品製造にあたったことが、堺の自転車産業の始まりで、現在も国産自転車の約4割のシェアを誇っています。かつて戦国の世を席巻した堺の技術は、幾百年の時を経て、平和な時代を象徴する技術へと受け継がれました。

    • 30ららら太陽2017/03/02(Thu) 02:59:29ID:Q0NDMxMTg(1/5)NG報告

      >>25
      じゃあ、何が原因で尊王攘夷が起きたと考えるの?最後の将軍は今まで前例のない水戸家から出たの?徳川幕府が無能だったから?
      違うでしょ。ペリー来航で鎖国が維持出来なくなったからでしょ。江戸城無血開城だよ。武士は何に負けたの?君の主張によると武士は武力で負けたことを推したいみたいだけど、武力で負けた訳ではない事は確実だね。もう一度書くよ無血開城…分かった?鎖国が破れた事で封建体制が維持出来なくなったんだよ。
      ベルリンの壁知ってる?破れたら共産主義が維持出来なくなったでしょ。北朝鮮は何故脱北を嫌がるか分かる?体制維持出来ないからだよ。
      ペリー来航→鎖国が解かれる→体制が壊れる→徳川本家は逃げて水戸家が火中の栗を拾う→体制側だった武士の失職
      こういう流れだよ。幕府倒産して給料でなくなったから武士(サラリーマン)やめたんだよ。

    • 31ららら太陽2017/03/02(Thu) 03:07:34ID:Q0NDMxMTg(2/5)NG報告

      >>30
      教科書読んでないのかな?全く…近世だよ。そんな事では大学通らないよ。少なくても大学入試で出る日本の常識だよ。もっと昔なら異説一杯あるけど…外圧に屈した訳でなく、鎖国が解かれたことが問題なんだよ。その頃の日本は鎖国が解かれると体制が崩壊する不自然な状態に自然となっていたんだよ。北朝鮮のようにね。

    • 32ららら太陽2017/03/02(Thu) 03:10:58ID:Q0NDMxMTg(3/5)NG報告

      ペリーは知ってて、戦争ではなく貿易しましょうと言ってきたんだよ。昔からアメリカはズル賢いんだよ。

    • 33ららら太陽2017/03/02(Thu) 03:14:50ID:Q0NDMxMTg(4/5)NG報告

      北朝鮮は外貨欲しくて韓国の工業団地作っては封鎖してるでしょ。鎖国解かれたら体制壊れる末期症状なんだよ。体制が壊れる傾向がすぐ現れるから封鎖するんだよ。太陽政策は意外に悪くないんだよ。

    • 34ららら太陽2017/03/02(Thu) 03:26:45ID:Q0NDMxMTg(5/5)NG報告

      これはおいらの個人的見解になるけどね。明治維新なんてもんは、貿易で鎖国をといて、日本が勝手に内戦してアメリカの思惑通りに体制崩壊させたくだらないもんなんだよ。アメリカは戦争の負担もなく、笑って見てたと思うよ。維新の志士は動かされていることも気付かず必死で演じてたけどね。だから明治維新大嫌い。それからの見返した日清、日露が誇らしいね。軍国主義になったのは残念だけど。

    • 35典塔2017/03/02(Thu) 05:31:59ID:c2MDg1NTg(12/18)NG報告

      >>29
      >幕藩体制の藩でも西洋の技術は学びましたし、
      >西洋の技術を取り入れた高島流砲術
      >を学んだ伊豆韮山代官・江川英龍は韮山反射炉
      >を作り、農民兵を組織し気をつけや右向け右や回れ右等の掛け声を生み出しました。

      私は既に『江戸時代から外来の知識を得ていたと言う意味で、『技術革新』と言うなら否定しません』と言っています。

    • 36典塔2017/03/02(Thu) 05:58:53ID:c2MDg1NTg(13/18)NG報告

      >>30
      >ペリー来航→鎖国が解かれる→体制が壊れる→徳川本家は逃げて水戸家が火中の栗を拾う→体制側だった武士の失職

      つまり、風が吹くと桶屋が儲かると言うことね(^_^)

      >>31
      >教科書読んでないのかな?全く…近世だよ。そんな事では大学通らないよ。

      明治維新について数十ページしか書かれていない教科書で語られてもね

      >>34
      >これはおいらの個人的見解になるけどね。明治維新なんてもんは、貿易で鎖国をといて、日本が勝手に内戦してアメリカの思惑通りに体制崩壊させたくだらないもんなんだよ。アメリカは戦争の負担もなく、笑って見てたと思うよ。

      アメリカは当時、南北戦争で忙しく日本にかまっている余裕は無かったんだね
      長州藩の奇兵隊があるにせよ、幕府側も倒幕側も主力は武士
      幕府を倒すことで武士階級が無くなるとは思っていないのですね

      一体どこの国が、武士階級を無くせと言ったのか?
      是非、ソースを出してほしいですね
      武士階級の廃止は日本人が決めたことです。

    • 37名無し2017/03/02(Thu) 06:24:00ID:Y0Mjk5NzI(4/10)NG報告

      >>35

      >>学問技術体系は既にかなり高度な研究がなされており、
      >和算のレベルは、確かに高かった
      >しかしそれだけのこと

      私は技術のレベルの話をしているのですが
      スレ主さんは技術革新の話をされているのですね。

      佐賀藩の蒸気機関車の模型は見よう見まねで作っていますから
      自国内の技術もある程度のレベルであったという話をしています。

    • 38名無し2017/03/02(Thu) 06:43:41ID:Y0Mjk5NzI(5/10)NG報告

      >>35

      >>20
      >明治維新にはひとつの真実として、その技術革新は江戸時代に既に起こっていたこと、というのがある。

      技術革新と私が書き込んだ訳ではありませんが、
      技術革新を産業革命の意味と解釈すると
      薩摩藩の集成館がそれにあたるでしょう。

    • 39爆笑まで→2017/03/02(Thu) 06:45:05ID:Y1NTI0OTQ(1/1)NG報告

      >>34
      明治維新がアメリカの陰謀ってw
      フジテレビに持っていったらドラマ化してくれるんちゃうかな。
      ペリー=パックン
      フィルモア大統領=厚切ジェイソン
      とかで。

    • 40名無し2017/03/02(Thu) 06:51:10ID:Y0Mjk5NzI(6/10)NG報告

      >>38

      技術革新を産業革命の意味と解釈すると

      技術革新を産業革命の工業化と意味と解釈すると

    • 41典塔2017/03/02(Thu) 20:36:10ID:c2MDg1NTg(14/18)NG報告

      >>37

      レスをさかのぼればわかりますが、
      >>20
      『明治維新にはひとつの真実として、その技術革新は江戸時代に既に起こっていたこと、というのがある。
      学問技術体系は既にかなり高度な研究がなされており、その具現化の唯一の障壁となるのが守旧派の政治法律だった。』がスタートです。

      そして私は既に『江戸時代から外来の知識を得ていたと言う意味で、『技術革新』と言うなら否定しません』と言っています。
      付け加えれば、当時の日本には力学や電気工学の学問はなかった。
      それを学ぶために明治維新後に大量の和製漢語をつくって初めて日本語で学問になった。
      蒸気機関車をそっくりそのままつくって技術革新というのは
      数学の公式を丸暗記したから理解していると言っているのと同じように思います。
      実際にそんな人がいますし否定しません。

      付け加えるなら、江戸庶民の学力が低いと言っているわけではありません。
      それは、別スレでやりました
      http://kaikai.ch/board/12332/

    • 42名無し2017/03/03(Fri) 18:46:31ID:g1MjIwNTg(7/10)NG報告

      >>41
      判りました。

      その辺の説明をしたいと思います。
      江戸時代にはオランダ経由で当時の技術、医学、学問がかなり導入されていました。
      志筑忠雄 著作 『暦象新書(上中下)』1798年から1802年 - 原著はジョン・ケイル(John Keill, 1671年-1721年)の『真正なる自然学および天文学への入門書(Introductiones ad Veram Physicam et veram Astronomiam)』(1725年)のオランダ語版(1741年)。
      アイザック・ニュートンやヨハネス・ケプラーの生んだ法則や概念、+、-、÷、√といった記号を日本に紹介し、「遠心力」、「求心力」、「重力」、「加速」、「楕円」という語を生んだ書。
      青地林宗(あおちりんそう)が1825年(文政8)に書き,27年に出版した日本で最初の物理的科学の刊本。
      その内容は,体性,引力,温質,気性,気種,窒気,清気,燃気,硬気,吸気,光,色,音,越列吉的爾(エレキテル),気化,雲,雨,電雷,虹,水性,験水,潮汐等40項目にわたり,19世紀初頭ヨーロッパの物理・化学の基礎的知識が簡潔に記述されている。
      川本幸民 日本の化学の祖とも言われる。
      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E6%9C%AC%E5%B9%B8%E6%B0%91
      蛮書和解御用(蕃書和解御用、ばんしょわげごよう)は、1811年(文化8年)に江戸幕府によって設置された蘭書を中心とした翻訳機関。幕府の編暦・測量を司る天文方内に置かれた。蛮(蕃)書和解御用掛( - かかり)とも。
      ペリー来航で江戸幕府も西洋の知識を取り入れる事を痛感したようで大幅に増強した蕃書調所を立ち上げます。
      蕃書調所(蛮書調所 / ばんしょしらべしょ)は、1856年(安政3年)に発足した江戸幕府直轄の洋学研究教育機関。開成所の前身で東京大学の源流諸機関の一つ。
      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95%83%E6%9B%B8%E8%AA%BF%E6%89%80
      教職員の一覧を見ると凄すぎですw

    • 43名無し2017/03/03(Fri) 18:47:09ID:g1MjIwNTg(8/10)NG報告

      >付け加えれば、当時の日本には力学や電気工学の学問はなかった。
      電磁気の本格的な解明は明治以降の19世紀前半になってからです。
      そのころ、電気の研究は物理学の一分野とみなされていた。電気工学が大学の学科となるのは19世紀末ごろである。1882年、ダルムシュタット工科大学が世界初の電気工学科を創設した。
      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%B0%97%E5%B7%A5%E5%AD%A6
      ちなみに
      橋本宗吉 著作 阿蘭陀(オランダ)エレキテル究理原(1811)
      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E6%9C%AC%E5%AE%97%E5%90%89
      嘉永二年(1849)佐久間象山がオランダ語の書物をもとに電信機を作り,北東七十メートルにあった御使者屋に電線を張り,両者の間で電信実験に成功した。

      >それを学ぶために明治維新後に大量の和製漢語をつくって初めて日本語で学問になった。
      和製漢語
      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E8%A3%BD%E6%BC%A2%E8%AA%9E
      第二次世界大戦後の調査によれば、新聞・雑誌の二字漢語の上位1000語のうち、902語は幕末までに存在したものである

      >学問技術体系は既にかなり高度な研究がなされており、その具現化の唯一の障壁となるのが守旧派の政治法律だった。
      >だからそれが破られると同時に堰を切ったように近代化した。

      という事です。

    • 44名無し2017/03/03(Fri) 18:48:55ID:kyMDIyOTQ(1/1)NG報告

      >>1
      6世紀 古墳と埴輪を造り、仁徳天皇陵などの古墳の大きさを競っていた
      7世紀 法隆寺を造る(現存する世界最古の木造建築)

      この差の要素は 仏教だな

    • 45名無し2017/03/03(Fri) 21:06:34ID:g1MjIwNTg(9/10)NG報告

      >>43

      電磁気の本格的な解明は明治以降の19世紀前半になってからです。

      電磁気の本格的な解明は明治以降の20世紀前半になってからです。

      佐賀藩の蒸気機関車の模型については詳しい資料がありました。
      此頃、ロシアのプチャーチン提督が率いる 4 隻の艦隊が
      嘉永六年七月十九日(太陽暦 1853.8.23)に長崎港にやってきた。そこで鍋島斉正は旗艦パルラダ号の船内の調査を命じ、何回か調査を行うが八月十八日(1853.9.20)、八月二四日(1853.9.26)には精錬方メンバーの本島藤太夫、中村奇輔(2 回目のみ)が士官室において 7 寸ばかりの蒸気機関車の模型がテーブルの上のレール上を走る運転を見学した。これを見た驚きは大変なもので、その原理はわからなかったが後日オランダ人に聞いておよそのことがわかったとしている)。その報告を藩主にし、直ちに同じものを造ることの許可を得てその制作に取り掛かった。しかしそのモデルは本島等が見た時の記憶を頼りにつくりはじめたので、スケッチは有ったかもしれないものをつくろうとしたので試行錯誤の上の作業であったに違いない。
      詳しい事はここに書いてあります。
      http://www.ne.jp/asahi/yada/tsuneji/history/locomodel.pdf
      http://portal.dl.saga-u.ac.jp/bitstream/123456789/120335/1/nagano_201210.pdf

      スレ主さんに聞きたいのですが、

      >ただ、その『技術革新』は、自国内でまかなえる技術でないでしょう?
      >洋書で学び、留学し、高額で外国の技術者を雇って得られた『技術革新』でしょう?

      何故上記の理由だと、あなたの考える『技術革新』と違うと思うのですか?
      『技術革新』に国外の技術/国内の技術の判断が必要でしょうか?

    • 46典塔2017/03/03(Fri) 21:21:56ID:Q5NTg0ODc(15/18)NG報告

      >>43
      わかりました
      『それを学ぶために明治維新後に大量の和製漢語をつくって初めて日本語で学問になった。』を撤回します。
      ペリー来航後の幕末から始まっていたことを認めます。
      勝った維新側のみの考察で、負けた幕府側の考察が抜けておりました

    • 47典塔2017/03/03(Fri) 21:27:51ID:Q5NTg0ODc(16/18)NG報告

      >>45
      >何故上記の理由だと、あなたの考える『技術革新』と違うと思うのですか?
      >『技術革新』に国外の技術/国内の技術の判断が必要でしょうか?


      次の新しい技術を開発できるかどうか
      0から開発するのと、答えを知ってから身につけるのでは違うと思うからです。
      微積を学んだからといって、ニュートンと同格になったとは思えません

    • 48名無し2017/03/03(Fri) 22:04:11ID:g1MjIwNTg(10/10)NG報告

      >>47

      なるほど、技術の断絶を心配してるんですね。
      蘭学者が訳した時はその分野の入門書から訳していったようです。
      前提となる知識がないと訳せないですから。

      私も江戸時代は暗黒時代と思っていたんですが、
      みなもと 太郎 「風雲児たち」読んだら全然違うんで吃驚しました。
      勤勉革命なんて説もあります。
      ”歴史は勝者によって作られる”という格言を思い出しました。

      蘭学事始現代語訳+原文です。
      book.geocities.jp/kunio_suwa/rangaku.pdf

      先人たちの苦労が偲ばれますが、時間があればどうぞ。

    • 49典塔2017/03/05(Sun) 09:03:47ID:k2NTgzNDU(17/18)NG報告

      >>48
      『蘭学事始』面白かったです。
      当時の通訳は身振り手振りと片言の外国語を話すのがやっとで
      本の翻訳など夢のまた夢だったんですね
      それすら、許可がいる

      また、引用すると
      『当時、こう考えました。応神帝の時代に百済の王仁が初めて書籍を持って渡来して漢字を
      伝えて以来、代々の天子が異国へ学生を派遣して書を学ばせ、数千年後の今になってよう
      やく漢人にも恥ぢない漢学が出来るまでになりました。オランダの事柄は今はじめたばか
      りで、すぐ完成して完璧に成就する道理はないではないか、と。』
      とあり、
      更に、wikiで王仁を検索すれば、スレタイと繋がってくるのも面白いです。

    • 50ららら太陽2017/03/10(Fri) 13:22:07ID:Q0NDE1MTA(2/6)NG報告

      >>36
      個人的見解は個人的見解だよ。ソースなんてない(笑)ソースはおいら自身だよ。それを個人的見解と言うんだよ。日本語知らないの(笑)外人陰謀説を唱えてるだけだよ。UFOがいたと同じレベルだよ。
      どこまで同意出来たのか知らないけど、武士がいなくなったのは給料が出なくなったからだよ。かっこいい理由じゃないからね。廃藩置県知ってる?教科書の20ページの中にも書いてあるからね。
      じゃあ逆に質問するけど何故、明治維新は起きたの?徳川家が無能だったから?地方の反乱?
      色々言われているけどペリー来航じゃないの。違うと言うなら真犯人をあげてよ。抽象的に違うと言われても困るよ。ミスター長島じゃないんだから。ねえ名探偵コナンさん(笑)

    • 51ららら太陽2017/03/10(Fri) 13:36:05ID:Q0NDE1MTA(3/6)NG報告

      鎖国が何故いけないのかは、簡単な統計的な問題だよ。技術について考える人が少ないから、新技術が生み出されにくくなるだけで、日本人が優秀とか劣等とかとは関係ないよ。イノベーションが起こらないから他より差がつき、脆弱な体制になり外部と触れた途端、体制が崩壊するんだよ。
      インカ帝国はこうして滅んだんだよ。白人が優秀なんでなく、広い生活圏を作ることに長けてたに過ぎないんだよ。
      民族が優秀か劣等かは広い生活圏にいて、未だにノーベル賞の取れない韓国とかは統計的に劣等と判断されるのかもしれないね。北朝鮮はまだ優秀である可能性はあるね。(笑)多分ダメだろうけど…

    • 52ららら太陽2017/03/10(Fri) 13:48:11ID:Q0NDE1MTA(4/6)NG報告

      大東亜共産圏を作るということは白人のように広い生活圏を作るということだから、本当に出来ていれば、白人とアジア人のどちらが優秀かははっきり分かったかもしれないね。
      今は白人に対してアジア人は不戦敗状態だから…昔の日本人は民族意識という部分に関しては世界的な視野に立ってたんだよ。
      アジア系の人は少数精鋭が好きだから白人に負けるんだよ。白人は昔から数のゴリ押し。日本人はアジア系の中では比較的に多数派工作が好きだね。中国は少数精鋭が至高と言いながら人口のせいで多数のゴリ押しになってる。でも、それで結構成功してるのが笑える。朝鮮人は少数精鋭とか英雄とか好きだよね(笑)優れた大統領がいれば国が栄えるとか…大爆笑民族だね。結局、上手くいったのはロウソク革命とか数のゴリ押し(笑)ロウソク革命は上手くいったゆえに国が滅びるし。凄いぜ朝鮮人!

    • 53ららら太陽2017/03/10(Fri) 13:55:49ID:Q0NDE1MTA(5/6)NG報告

      朝鮮人が勘違いしているのは、外交とは生活圏を拡大する為に行うもので、他国と有利な交渉を行うものでは本来ないんだよ。トランプはめちゃくちゃだけど、アメリカの生活圏を狭くするような行動はとってない。韓国は有利な交渉する為には韓国の生活圏が狭くなってもいいという外交するからダメなんだよ。日本は生活圏が狭くなるのを異様に怖れて他国に有利な交渉をし過ぎだけどね。韓国よりマシだね。金持ち喧嘩せずを地でいってるだけだから。

    • 54ららら太陽2017/03/10(Fri) 13:57:54ID:Q0NDE1MTA(6/6)NG報告

      トランプはイスラム教徒は入ってくるなと言ってるだけで行くなとは言わない。意外と外交の基本は抑えているんだよ。

    • 55典塔2017/03/10(Fri) 23:01:50ID:Y0MDc5OTA(18/18)NG報告

      ららら太陽くん
      >>30 『ペリー来航→鎖国が解かれる→体制が壊れる→徳川本家は逃げて水戸家が火中の栗を拾う→体制側だった武士の失職
      こういう流れだよ。』
      >>50 『個人的見解は個人的見解だよ。ソースなんてない(笑)ソースはおいら自身だよ。それを個人的見解と言うんだよ。日本語知らないの(笑)外人陰謀説を唱えてるだけだよ。UFOがいたと同じレベルだよ。』

      UFOがいたと同じレベルで歴史を語られても迷惑です。
      >>1 『なお、結論だけを断定的に出されても困りますので、できれば根拠となるソースをお願いします。』と書いた日本語が読めなかったのでしょうか?

      ソースのない”歴史”など議論する意味がありません。

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