「朝鮮が日本へ螺鈿(らでん)の技術を教えた」 韓国工芸芸術家協会会長
韓国工芸芸術家協会会長「朝鮮が日本へ螺鈿の技術を教えた」
「伝統工芸業界の大夫」「工芸家の請願室長」「職人たちの解決士」
韓国工芸芸術家協会の李七竜(イ・チルヨン)会長(71)=写真=には、こんな別名がついて回る。その李会長が、これまでブログに載せた文章や新聞への寄稿記事などを整理し、『李七竜の工芸日記』という本を出版した。李会長は「工芸界の問題や韓国政府の政策をいくら指摘しても問題が改まらないので、記録として残しておこうという考えを持つようになった」と語った。
同書は、韓国伝統工芸の現場で起こっていることに対する告発と苦言がほとんどを占める。「職人たちの作業現場へ実査に来た一部の教授や文化財委員のせりふがひどい。『検定考試(高校卒業程度認定試験に相当)上がり』『嫁には行ったか』というように。こんなぞんざいな発言こそ、甲チル(優越的な地位を利用した無理強い)の横暴ではないのか」。
韓国の政府機関が発行する書籍や記録の誤りも指摘した。李会長は「植民地時代に韓国の職人が日本へ渡って螺鈿(らでん)の技術を伝えたのに、逆に『日本から学んできた』と誤って記述している点が特に問題」と記した。本書の序文には、こんな記述が登場する。「日本の『フジヤマ大百科事典』(原文ママ)には『韓国の螺鈿漆器職人・全成圭(チョン・ソンギュ)は、宋周安(ソン・ジュアン)、金奉竜(キム・ボンリョン)と共に日本へ渡り、螺鈿の技術を教えた。朝鮮の一流技術者を迎えたことで、こんにち高岡市の螺鈿漆器には韓国の螺鈿漆器の影響がはっきりと表れている』と記されている。なのに、国立文化財研究所が2009年に出した『韓国近現代螺鈿図案』には『宋周安は高岡へ研究生として赴き、8年間技術を学んで帰国した』とあべこべに記録している」 (以下、略)
許允僖(ホ・ユンヒ)記者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/13/2017011301579.html
太古の昔から日本人は嘘つきだ 世界に知らせなければならない・・・マジでか・・・
唐から伝わったんじゃ?
螺鈿ってなんじゃ?
マジで韓国から伝わった
>>1
韓国人の話しはどんなに偉い地位の人の話しでも信じられない。
とゆーか、信じない。根拠が「フジヤマ大百科事典」ぷぷぷ....
俺が徳川美術館で見た美しい螺鈿の数々はなんだったんだ?!w
嘘つきは 朝鮮人の始まり
あっ こいつら 既に 朝鮮人だったw
やたら起源を主張する韓国、唯一起源を主張出来るものはネトゲの後から課金のみ。
そいつも、実際には課金ガチャという霊感商法並に人の心理を弄ぶ悪しきシステムを生み出しただけだがな。>>1
あらさっと。
https://webun.jp/encyclopedia_of_toyama/search
木村天紅
1887・9・30~1950・5・25(明冶20~昭和25)高岡漆器に朝鮮螺鈿(らでん)の技法を移入した漆芸家。高岡市大仏町に生まれる。本名は伊三次郎。県立工芸学校(現高岡工芸高校)漆工科,東京
で、木村天紅を検索と。
http://www.shikki.net/hyouji_etc/raden.html
螺鈿技法は正倉院御物にも遣されているように天平以来の卓越した伝統技法に一つであります。
高岡の青貝塗りは鮑などの薄貝を刀・針・鏨等を用いて三角・菱・波等の細片を作り、
これをモザイク風に組み合わせて山水・花鳥・を表現する薄貝技法は
一六八〇年ごろ(延宝年間)当時の富山藩主前田正甫公が京都より招致したそまた清輔の
そまた技法にも影響されて次第に発展したと考えられます。
一方、厚貝技法は奈良風の螺鈿技法に加えて木村天紅の努力によって朝鮮より移住した工人から
朝鮮螺鈿技法を学び、これらの技工が融合して唐草・花鳥・文字等を表現しています。
http://shikki.ec-net.jp/hist2.html
1924年●木村天紅が朝鮮螺鈿の技術及び工人を移入
というわけで、富山の「高岡漆器」については、トピックⅠコメの主張は間違いではないんじゃないかな。
だが、他の昔に作られたのは、唐からなのかな?フジヤマ大百科なんてあるのか?
ちなみに世界最古の漆器は日本から出土。
漆器は英語でjapanまたストロー自慢かよ。
盗みと押し売りで食ってる朝鮮人なのに何かを伝えたって表現に凄い違和感ある。
>>1
天治元年(1124年)に建立された世界遺産・中尊寺の金色堂の柱には
日本では沖縄あたりでしか獲れない夜光貝やアフリカ象の象牙を使用して
きらびやかに螺鈿細工されている
たぶん日本には中尊寺の金色堂より
もっともっと古い螺鈿細工が有るハズだ記事だと世界大戦中に半島から日本に伝わった事になっているな。
この韓国人「100年前に韓国から日本に伝えてやった」とか、正気なのか?螺鈿は唐で流行して日本に技術が伝わってるし、遣唐使やってたから別に朝鮮経由してないよ?
>>1
また始まった~wそもそも教える側の人が自分の工房ほっぽりだして8年間も出張指導するか?
同じ職人同士、技術交流するのは良いことだろ。それを起源だ何だと…こいつ自体が職人に対するリスペクトが無いよ。俺が徳川美術館で見た美しい螺鈿の数々はなんだったんだ?!w
↑これがネトウヨの知能の限界です。
「徳川美術館で螺鈿を見た」って文章は論理的になんの反論にもならないのに誇らしく言い出す(芝付)
基本的に論理って言うのが頭の中にはないようです。
ネトウヨっていうか日本人がそうだけど。
まあ自覚がないんだから放射能が悪いんだよ>>23
それは、別に反論しているわけじゃなくて、自分の体験に基づいた感想を書いたのでは?
反論するばかりがコミュニケーションではないはず。
真実は一つの資料からだけでは、分からないですね。
もっと古くからあるものだと私は思っていたけれど。
起源がどこだとしても、美しいものを伝承していくことは大切なことです。
長い年月のなか、それぞれの文化に適応した形で継承していくところにこそ伝統工芸品の魅力があるのだと思います。
日本に古くからあるものは、中国を中心とした大陸から伝わったもので、その中には韓国から来たものもあるかもしれません。
それを誇りをもって、継承してきた職人たちがいて、日本の文化に馴染んできた…素敵な文化の継承です。
本当に韓国起源なのだとしたら、韓国人は喜ぶべきことだと思うのだけど、起源、起源と、わざわざ主張されると、逆に疑いたくなります。
やっぱり、太古の昔から嘘つきなのは韓国なのでは、と思わざるを得ないきじでした。職人にとって最も大切なことは素晴らしい作品を残すこと。起源を産むことではない。
おそらく朝鮮人の螺鈿細工職人達も何かのきっかけで日本の螺鈿細工を知り、己の技術向上のために千里の道も厭わず日本に来たのだろう。見習うべき立派な職人魂ではないか。
日本の職人と技術交換し切磋琢磨した姿が目に浮かぶではないか。
ところがこの盆暗韓国親父は何だ?「朝鮮が起源だ」だの「教えてやった」だの…
職人を冒涜してんのは李七星お前だよ。高岡市産業企画課にたずねたところ、「富山大百科事典には、記事のような文面はない」ということです。
いつものパターンのようです。韓国のウリジナル、捏造がどうのように作られていくかがわかります。
1.大学教授など権威のありそうな人が、根拠を示さずに1つの説を唱える。
2.新聞やネットが本当であるとして大きな声を挙げる。
3.事実として、韓国で信じられる。
現在の高岡漆器では、青貝塗が主流となっており、明治初期ごろからの
富山藩で行われていた杣(そま)田(た)細工の影響が大きいと言われています。
一方で、大正初期には木村天紅という職人が、「朝鮮総督府中央工業試験場」で
勤務していた際に朝鮮細工の工人と親交を深め、その工人を連れて帰郷したと言われており、
その後工人たちは朝鮮に戻っていることから、
互いに高岡と朝鮮の 技術に影響を与え合ったのではないかと推測されます。
杣田細工と朝鮮細工は異なる技法ですが、どちらも高岡漆器の螺鈿技術に影響を与え、
受け継がれてきたものです。高岡漆器は、その長い歴史の中で職人たちの
意匠・技術の開発努力により発展してきたものであると考えます。
どちらか一方の技術の影響というよりは、
互いが技術を持ち寄りそれぞれの技術を高め合ったのではないかと推測できます。
高岡漆器は、この朝鮮細工だけでなくそれよりも古くに伝わった杣田細工の影響も強く受けており、
これまでのさまざまな職人、技術の交流により培われてきたものであると考えます。
なお、北日本新聞社発行の富山大百科事典について、高岡漆器に関する項目を確認しましたところ、
こちらではお示しの文面は確認できませんでしたが、書籍については、
発行元等にご確認いただければより詳細かと存じます。』
【韓国】もうすぐ、1月17日~螺鈿の起源は韓国
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